2008年2月28日木曜日

冷凍餃子君

 毎日行動する上で欠かせない手帳から、いよいよ【新年会】【新春の集い】といった催し物が少なくなってまいりました。例年ですと、酒もタバコも一切と言って良いほど嗜まないのにもかかわらず、お付き合いと称して杯を重ね、帰り際には良い心もちになっていた私ですが、今年は出席する会の多さから車での移動がやたらと多く(勿論、私が運転手兼ナビゲーターです。最近うちに来る塾生はオートマ限定が多過ぎるゾ!!マニュアルをとらんかいー)、当然のことながらお酒は控えましたので、体調面・記憶面(若年痴呆?)でも、かなりしっかりとした新年会シーズンを過ごすことができました。また今年は有難くも、いろいろな団体様からお声掛けをいただき、可能な限り出席させていただいただけではなく、挨拶までさせていただけた団体さんが例年よりも多くありました。ありがとうございます。



「………さて、毎年恒例の「今年の漢字」に、「偽」が選ばれてしまい、その後の二位以下にも、「食」「嘘」「疑」が続いてしまった事にも象徴されますように、この五年間というものは、まさに日本人の食べ物に対する「安全・安心」が厳しく問われ、国民の皆様から強い叱責を受ける時代でありました。その潮流の中にあって、当協会の食品関係営業者の皆様におかれましては、「消費者の信用を勝ち取る為に!!」、また「ご自分で自身のお店を守る為に!!」、更には「自主的衛生管理を実践するお店創りをする為に!!」を合言葉に、毎日弛むことなく鋭意努力・活動されて来た事と存じます。特に、会員施設の食品衛生の向上と、自主的衛生管理の確立のために、昼夜を違わず、会員施設を巡回して衛生管理の指導・普及に取り組んでおられる「食品衛生自治指導員」の皆様方に対しましては、そのご尽力振りにただただ頭の下がる想いで一杯であります。引き続きましてのご活動に期待いたしますと共に、力強い支援システムの構築が急務と考えております。………私自身、当協会は勿論の事、ひいては食品業界全体に対しまして貢献できるよう、豊島区の保健福祉部や池袋保健所等と緊密な連携を図り、当協会会員の皆様に対しまして、食品衛生等の情報を幅広く提供してまいる覚悟であります。………」



 【食】の安全と言いますと、昨今は、【毒入り餃子】【殺人餃子】の話題が世上をかなり賑わしておりますが、この餃子の歴史は大変古く、中国の春秋時代(紀元前6世紀頃)の遺跡からはすでに食べられていた痕跡が見つかっているとのことですし、敦煌の唐代の墳墓では、副葬品として壺に入った餃子が乾燥状態で発見されたとのことです。その餃子発祥の地は中国、しかも華北の料理とされ、中国東北部で特によく食べられていたものが、戦後満州を経由して我が国に流入してきたとのことですが、物語っぽくなってしまうものの、日本で初めて餃子を食べた人物は徳川光圀とされており、亡命していた朱舜水(誰ですかね?)から教わった、と伝えられております。
 日本では米飯のおかずとして食されることが多いですが、これは日本独自であり、他の国では一般的ではないようです。と言いますのも、中国の華北で食べられる餃子は主食を兼ねたものが多く、皮は厚めにして湯に入れて茹でる食べ方の水餃子が主流で、焼き餃子はあまり食べられない。焼き餃子は残り物の餃子を焼いて食べるものであって、あまり上品な食べ物とは思われていない、と言った経緯があるからです。
 もっとも経緯とか歴史を調べて見ますと、餃子はその中国語での発音が交子(子を授かる)と同じであることや、清代の銀子の形に似ていることにから、縁起の良い食べ物としても珍重されており、また「交」には「続く、末永し」という意味もあり、春節には長寿を願い食されます。また皇帝も王朝と社稷の永続を祈願し春節のときだけ餃子を食したといわれています。



 日本の自治体の中には、栃木県宇都宮市のように、この餃子を使って町興しをしているところがあります。その宇都宮市の餃子の始まりは、かつての陸軍、しかも宇都宮出身の将兵が、満州からの帰国の際に本場の餃子の製法を持ち込んだのが始まりといわれており、現在市内には餃子専門店と餃子を扱う料理店が合わせて約200軒もあり、一般的な販売価格は1人前150~200円程度と低廉で学生がおやつ代わりに食べることが出来る価格帯となっているとのこと、加えて、タレは酢だけで食する、宇都宮スタイルといわれるものがあるそうです。



~~平成2年ごろ、町興しにつながるキーワードを探していた市の職員が、総務省の「家計調査年報」において「餃子購入額」で同市は常に上位に挙がっていることに注目。餃子による町興しを提案したのがきっかけで、以来観光PRに力を入れる。平成3年には業者団体として「宇都宮餃子会」が発足。行政と民間で協力して様々な企画を仕掛けたことが功を奏し、かつて国際観光都市「日光・鬼怒川」への通過点だった宇都宮が、餃子という大きな観光資源を得ることに大成功。任意団体として発足した宇都宮餃子会は、平成13年に協同組合となり、登録商標「宇都宮餃子」の管理や組合直営店「来らっせ」3店舗(宇都宮2店、東京1店)の運営管理なども実施。現在の組合加盟店舗数は70軒を超える。JR宇都宮駅東口広場には、地元産出「大谷石」の業者によって無償で制作されたオブジェ『餃子像』が設置。ヴィーナスが餃子の皮に包まれた姿を表現したユニークなもので、観光客の人気撮影スポットとなる。同時に、宇都宮駅が駅弁発祥の地(これは初めて知りました)であることから「宇都宮餃子駅弁」も企画・販売。宇都宮駅構内の立ち喰いそば屋には餃子そばというメニューがあった。秋には宇都宮餃子会を中心とする市民手作りのイベント「宇都宮餃子祭り」が定例化。協賛餃子店が市街で屋台を開き、1人前1皿100円の餃子が振る舞われる。「宇都宮餃子祭り」は毎年10月下旬~11月初旬の土日に実施。~~
 


 餃子一つでこれだけのインパクトを町に、そして全国に醸し出せるとは意外ですし、それはまた餃子というものを日本人の誰もが好物としているからでもありましょう。その食べた後の口臭が気になるという女子学生はいても、私の周囲にいる方でも餃子が嫌いな人はおりません。
 このように戦後中国から入り、日本に広まった餃子は数十年の時を経て、日本の食文化の1つとして日本流の餃子になっていると言えるでしょう。中国と日本の文化の架け橋であり、日本人が愛してきた餃子に毒が入っていたなんて、残念で仕方がありません。冷凍餃子君、君は悪くない。君の汚名を晴らす為には私はいつでも明智小五郎や金田一耕介になる覚悟だ。

2008年2月7日木曜日

舞良戸(まひらど)

  新しい年を迎え、気持ちも新たにして原稿を書いておりますと、「時折穴もあけるけど、よくもまあ続いているなぁ」と、自分で感心するときがありますし、書きたまったものを纏めて出版したら、という言葉をかけてくれる方もいます。誠に嬉しいことではありますが、いやいや、私なんぞの原稿を纏めて出版したところで読めた代物ではありません。しかも、もし三島由紀夫が生きていて、その本を読んだとしたら、私はどうされちゃうでしょうか?想像しただけでもゾッとします(私が介錯されちゃう!!)。といいますのも、彼の遺作評論であり、文学的遺書とも言える(私が勝手に思ってる?)「小説とは何か」(新潮社)の五を読む限り、とてもとても、私なんぞ本とか出版とか、口にすることすら出来ないと思うのであります。
 





  三島はその中で、小説と戯曲とを比較しながら、「小説の特徴は…生・自然・人間(動物である場合もある)のすべての表現が、言語を通じてなされており、かつ、言語を持って完結している、…」と述べ、「言語表現による最終完結性」こそが、芸術としての小説のもっとも本質的な要素であるといった発言をしております。そこから、三島は「小説は、実に自由でわがままなジャンルと考えられているだけに、この点の認識をなおざりにして書かれたものが実に多く、古い日本語の教養が崩れてゆくに従って、この認識自体が小説家の内部で日に日に衰えつつあるように思われる」と当時の小説作品群の出来映えの傾向を嘆きつつ、ひとつの家の造りのある部分を取り上げて、以下のように自説を展開しているのであります。








  「たとえば、物には名がある。名には、伝統と生活、文化の実質がこもっている。一例をあげよう。『舞良戸(まひらど)』という名の戸がある。横に多数のこまかい棧のある板戸のことである。こんな戸は今では古い邸や寺などに見られるだけで、近代和風建築にはめったに見られず、ましてマンションやアパートの生活ではお目にかかれない代物である。しかし小説はマンション生活ばかり扱うべきだという規則があるわけではなく、小説家自身の過去の喚起が、小さな事物をも重要な心象たらしめるから、現代小説にだって、舞良戸が登場することは免かれない。そういうとき小説家は、言語表現の最終完結性を信ずる以上、第一にその『名』をしらねばならない。名の指示が正確になされれば、小説家の責任はおわり、言語表現の最終完結性は保障されるからである。……(略)……伝統によって一定期間存続され且つそれに代わる名稱ないようなものについては、作家はその『名』を指示すれば、満足すべきなのであって、それが言語表現の最終的完結性というものを保障する一つの文化的確信であるべきである。極端なことをいえば、日本歴史を信ぜずして日本語を使うことなどできよう筈がない。私は明らかに、舞良戸は、ただ『舞良戸』と書くことを以って満足する小説家である。……(略)……しかしこのごろ新人の、いや新人のみならず中堅に及ぶ作家の中にも、『舞良戸』が出てきたと仮定した場合、次のような表現をとる事例に、私はしばしばぶつかるのである。



①「横棧のいっぱいついた、昔の古い家によくある戸」
②「横棧戸」
③「まひらど、というのか、横棧の沢山ついた戸」





  このうち私が検事であれば、③にもっとも重い罪を課する筈であるが、それは追って説明するとして、①のように書く作家は、物を正確に見ており、過去の喚起力を持っているけれども、それだけを作家の素質と考えている怠け者であり、言語表現の最終完結性について、すなわち小説の本質について、ぞろっぺえな考えを持っているのである。彼は字引を引くこと自体を衒学的な行為と錯覚しているにちがいない。②の作家は平気で造語をする。『横棧戸』などという、サンドウィッチの一種のような言葉は日本語にはない。彼は言葉の伝統性について敬謙さを欠いた考えの持主であり、あるいは忙しすぎて、表現の厳密性に注意を払わない作家である。



  一事が万事、こういう作家に限って、決してユニークな感覚的表現はできず、他の個所では、きっと『彼女は悲しくなるほど美しい微笑をうかべて』など、使い古されたルーティーンな表現を平気で多用している筈である。彼はただ忙しいのである。③の作家にいたっては論外である。なぜ論外かというと、こういう表現をするには、いくつかの心理的蓋然性が考えられる。一つは、彼の頭に『舞良戸』という名が浮かぶには浮かんだが、字引なり何なりで確かめる労を省いて、その労を省いたという心理的経過をそのまま売り物にして、『というのか』と、責任を他に転嫁しているのである。もう一つは、実は彼が『舞良戸』という名をちゃんと知っていながら、作者自身あるいは登場人物の呑気な正確表現として、『というのか』を入れたほうが、表現が柔らかく親しみ易いものになると考えているのである。三つ目は、すべてが無意識な場合である。彼は表現の凝縮性も正確性も考えず、ただ、あいまいな心理状態を外界に投影して、外界自体をあいまいな『というのか』で満たしており、しかもすべてを無意識にやっているのである。






  私のすべての中で、この③の第三番目の場合をもっとも悪質だと思う。③の第一番目は文士気質を売り物にしているから悪く、第二番目はわざとらしい無智の衒いを、作中人物の呑気さの性格表現に利用しようと考えている点で、キザな心掛けが悪く、第三番目は、言語表現の自律性についての無反省において、作家としての根本的な過誤を犯しているからである。
私はこれらの例をすべて『言語表現の最終完結性』についての小説家の覚悟のなさという罪名に於いて弾劾する。何を些細なことを、と言われるかもしれないが、一方、もし劇作家がト書の中で、『下手に舞良戸』と指定すれば、職人はすぐに意を承けて舞良戸を制作するに決まっており、單なる技術的指定として使われた言語が、舞台ではちゃんとした物象として存在するにいたるのである。そして小説とは、そのような、ちゃんとした物象、役者がよりかかったぐらいではグラつかない本物の物象を、言語で、ただ言葉のみで創造していく芸術なのである」







  ~ は初めて「まひらど」というのを知ったわけですが、もし自分がこれを読者に伝えるとしたらどのような言語表現を用いていたでしょうか?おそらく三島検事の最も嫌う③のように記述していたかなと思います。決して私はここで小説を書いているのではありませんが、この三島の言説に触れる度に、日本語・その概念・その文章は美しいけれども難しいと、つくづく感じますと共に、私が本を出すなんて……トンデモナイー、と叫ぶのであります。
今年もまた拙いエッセイ(間違っても小説はかけません)にどうぞお付き合い下さいませ。

                                      2008年1月