2008年6月3日火曜日

ムコーバ

豊島区が放置自転車対策の一環として、海外に向けて再生自転車を譲与し始めてから今年で20年が経ちましたが、このことを住民の皆さんに説明しても、いま一つピンときてくれないところがあります。
それは、放置自転車と言いますと、それが道路隅にズラッと並んで放置されていれば、救命救急の時や災害の時の救援救助の邪魔になりますし、また、それが黄色い点字ブロックの上に跨っていれば、目の不自由な方々にとって通行の邪魔者でしかありません。その意味で、放置自転車の一言からくる、ネガティブな印象が根本原因かもしれません。
 ところが、この国内において邪魔者の放置自転車も、一度お色直しをして国外に出してみるとかなりいい線をいっており、この大活躍ぶりを知っている方はそう多くはないようです。





そもそもムコーバ(MCCOBA)と言いますのは、日本語で言う「再生自転車海外譲与自治体連絡会」を、英文で表記した場合に並ぶ単語の頭文字だけを摘んだもので、その目的は、撤去された放置自転車の中で、引き取り手が無く且つまだまだ十分使えるものをメンテナンスし、再生自転車として「アジア」「アフリカ」「中南米」等の開発途上国に無償で譲与し、保健医療福祉関係に携わる人達の交通手段として利用してもらい、各国の福祉衛生の向上・発展に少しでも寄与して、日本の国際貢献・国際協力を高めるところにあります(次ページ資料図を参照)。




現在ムコーバに加盟している自治体は、全国約1800自治体ある中で13自治体と極々少なく、23区では豊島区を始め文京区・練馬区など…、また遠くの方では広島市などです。この13自治体の中で豊島区が全国に先駆けて放置自転車対策の中に「海外譲与」というオプションを設け、その実績を基に「ムコーバ」という組織を作り上げました。自治体別海外出荷台数を見ても、この20年間の総出荷台数53,175台の内、豊島区が第一位の10,656台で、第二位の川口市の7,046台、第三位の武蔵野市の4,724台を軽く押さえて、ダントツの五桁を記録しているのです。





ただし海外での評判は、何も豊島区から来た再生自転車が一番良いということはありません。それは決して残念なことではなく、むしろ「お色直し」がしっかりと、均等に出来ているからに他なりません。13自治体共通の「自転車再生整備基準」というのがありまして、海外に譲与するには、例えば、サドルが汚れていれば取り替える事とか、スタンドは必ず両立てスタンドにする事とか、後部荷台を必ず取り付ける事とかが事細かに決まっているのです。




こうして機能的に仕立て上げられた自転車が開発途上国で役に立たないわけがありません。各国には、看護師さんや助産婦さんが、素足で(?)且つ時間もかかって駆けつけていた方面が沢山あるでしょうし、また、急に容態の急変した人がいても、住民が戸板でもって人力で診療所等に運び込むことが多いでしょう。そこから、再生自転車は現地の人達から「動く宝石」「二輪救急車」「命を助ける足」、そして「神様の贈り物」とまで呼ばれ、最大級の賛辞を戴いてるとの事です。



これぞ豊島区が他の自治体に、ひいては世界に誇れる国際貢献といえるものですし、こうもヨイショされていると、是非ともこの目で現場を見てみたいものです。

お花見

4月5日、快晴の土曜日、私は生まれて始めてと言って良い、定型的な「お花見」というものに行ってまいりました。「生まれて始めて」と言いますと、「ちょっとそれ、大袈裟じゃない?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも基本的にアルコールやタバコ類を嗜まない私にとりまして、4月のまだ肌寒い時期に、しかも屋外で、桜を見ながら一杯やるといったことは、かなりと言いますか、ある意味思いっきり「想定外」の出来事なのであります。



実際、毎年4月の第1日曜日に、私の母校の豊島区立千川中学校校庭を使って、「4町青年会対抗ソフトボール大会」が開催され(私も高松三町目青年会のメンバーとして主に内野手で出場)、そのソフトボールの試合が終わった後、昼食をとりながら校庭にある桜を愛でることはありますが、最初から最後まで目的それ自体が桜の花を愛でながらの観光・飲食という事は、未だかつてしたことはないのであります。他方、私の家族はと言いますと、毎年4月、「千鳥が淵」に花見に行く様でして、帰ってきますと、「すごく綺麗だったよ。桜の木が見事に生い茂っていて、空が見えないくらい」との感動話を聞きます。察するに「桜ドーム」といわんばかりのその場所に私は行ったことがないのですが、もし私が見に行くとするなら、それは「靖国神社」の桜ではないか、と思っております。その靖国神社にも多くの桜がありますが、ここにある桜の内、3本のソメイヨシノ桜が、気象庁予報部の採用する「桜前線」の到来を伝える「標準木」でして、桜の開花宣言を行うための目安であることは既にご案内の通りかと存じます。



ただ、この3本のうちの1本のソメイヨシノ桜に格別思いをはせてしまうのであります。その桜の木の名は、「神雷桜」と言います。





~~~大東亜戦争末期、敗色が色濃く見え始めた戦局の中にあって、己の命と引き換えにした作戦が編み出される。「桜花」。人呼んで「人間爆弾」。「神風特攻隊」「回天特攻隊」と並び、ひとたび出撃すればもう帰還することはないという究極の作戦。「桜花」は、全長6メートル、幅5メートルの飛行機型の特攻機。約1,2トンの炸裂弾を前頭部に装着。その機体を一式陸攻爆撃機の下部に装着。敵艦を発見次第母親機から分離し、猛スピードで敵艦に体当たり攻撃をする。海軍の最高機密とされたこともあり、未だに全容は解明されておらず、なぞのベールに包まれている。
この「桜花」「一式陸攻爆撃機」「戦闘機」などで構成した部隊が、海軍きってのエリート集
団とも言われた「神雷攻撃隊」。この部隊に所属する人達の合言葉である「靖国で会おう」、その英霊達の集う場所が、靖国神社神門をくぐって右手にある3本のうちの1本、「神雷桜」。「靖国で会おう(あの神雷桜のもとで)」~~~






私自身、日本の桜について感じることは、その花びらの散り際の美しさであり、同時にその花びらの散り際の美しさと、自ら散華していった英霊の皆さん方の生き様との重なり合いです。その意味では、「お花見」自体一つの日本の文化として、これからも続いていって欲しいと考えております(私自身、宴会形式ではない散策形式のお花見は続けます)。


また、日本では4月が「新年度」といった形で一つの区切りとなっております。そこから3月・4月となりますと、ある生徒は卒業式を迎え、ある少年は入学式を迎える。
とある若者は入社式を迎え、またとある高齢者は退職を迎えるといったことが全国一斉に行われます。日本ではたまに、ある外国の例に見られるように、「9月入学」などを実施してみてはどうか、という議論が起きたりしますが、その都度曖昧に葬られてきましたし、それはむしろ自然な事と言うことができます。



「靖国で会おう」といって散華していった英霊達、特に「神雷桜」に集う英霊達のいない時期に、「入学式」や「入社式」そして「卒業式」などを移行させてどうするのですか。英霊達にその後の日本の「新陳代謝」を、きちんと報告できる季節がまさに4月であり、桜が開花した時期なのではないでしょうか。
     



4月5日のお花見場所は、千葉県幕張にあります「幕張さくら広場」で、ここには「ソメイヨシノ桜」が505本も植えられ、まさに桜一色の公園となっておりました。幕張新都心あります、松下電器社有地32,000平方メートルを、環境や地元の為に有効活用したいとの意図で、平成18年の4月に開園しました。設計者は、現代を代表する建築家の「安藤忠雄」氏で(同氏は元ポロボクサーとのこと…)、知名度とも相俟って、最近は日本で最も新しい桜の名所として話題のスポットとなっているとの事であります。


実際足を踏み入れてみますと確かに素晴らしく、505本の桜づくしによってあたり一面が淡いピンクの空間になり、そこに閉じ込められたようで気分も朗らかになっていくのを感じずにはいられませんでした。ただ惜しむらくは、505本の桜の木の殆どは、まだまだ若い樹木であることから、辺りはいわゆる植林したてのほやほやといった感じがつきまとい、天を仰げば青空が見えてしまうといった状態で、決して千鳥が淵の桜のように、天空を桜で覆うが如し、といったところがないところでしょうか。いずれにせよ5・6年先は楽しみなスポットではあります。



当日は、新進気鋭の「ソメイヨシノ桜の観光大使」の女性が花を添えてくれました。これは、豊島区観光協会が、豊島区を全国に発信するための起爆剤のひとつとして、豊島区発祥のソメイヨシノ桜をヒントに、過日行われた「ミス桜コンテスト」で優勝した女性を観光大使として任命したものです(任期は1年)。桜の観光大使の女性も、まだ任命されて日が浅いからか、しぐさの一つ一つに若干のぎこちなさがありましたが、それが返って評判を呼び、当日は記念撮影のラッシュが続いたようでした(さくら大使さんには、ソメイヨシノ桜を起点にして、豊島区を全国的に有名にして欲しいものです)。



さらに、当日のお花見に利用したバス11台のうち4台が、「天ぷら油の廃油で走る観光バス」でして、これはまだ日本には4台しかなく、いかにして燃料として使用する、使い終わった天ぷら油を回収するか、についてまだまだ課題があるものの、幾ら走っても大気汚染の原因となる硫黄酸化物はゼロで、しかも黒鉛は軽油の半分以下といったエコもの、じゃなくて、優れもの。


国内旅行は勿論のこと、各国世界への観光ツアーはこういったエコの観点から再度組み立てられていくことが大事と感じました。それがまた愛する祖国を守る為に散華していった英霊の皆さんの気持ちにも合い通じていくと思います。


今年も靖国の「神雷桜」は美しかったと聞いております。そこでは確実に凛とした英霊達の出会いが在ったことでしょう。合掌。

冷凍肉まん君まで!!

中国河北省の天洋食品の「冷凍餃子」君から農薬が検出されてから、安全で安心できる「食」の確保が注目を集めているわけですが、そこに今度は「毒入り肉まん」が登場するという、大変残念で痛ましい事態となってしまいました(中華まん好きの私としてはちっとも大袈裟ではありません)。



一連の中毒事件が、単なる天洋食品という一工場の、これまた「毒入り餃子」という一種類の食べ物の問題に止まらず、そもそも何故こうも中国社会において悪質食品・有毒食品が出てしまうのかという意味において、事件は更なる広がりと長期化の様相を帯びてまいりました。
  メタミドホスが入っていたこの肉まんは、実は平成18年8月2日に製造されており、1年半後の今年の2月2日が賞味期限に設定されておりました。今年の1月31日と2月1日(いずれも賞味期限内)に肉焼まん計12個を食べた広島県内の73歳の男性が、めまいを感じて2月1日に医療機関を受診した結果、軽症ということで済んだところから事件が発覚したとのことです。実際、事件のおきた広島県では、念のためということで調査したところ、食べ残しの肉まんから0・64ppm、未開封の同肉まんから0・55ppmのメタミドホスが検出されたとのことであります。






~~広島県は、この冷凍肉まんは大阪市の輸入業者ニッキートレーディングが輸入販売したものであることから、この結果を大阪市に通報。大阪市は、早速、同日(平成18年8月2日)製造の冷凍肉まんの在庫品や自主回収分を対象に検査を実施。 この結果、皮や具などから 0・22~0・64ppmのメタミドホスが検出。なお、袋からの検出はないとのこと。


これらの結果から、大阪市と広島県は、2月19日にそれぞれ記者会見を実施。『大阪市の食品輸入会社「ニッキートレーディング」が、中国・山東省の「山東仁木食品」から輸入し、広島県内などで販売した平成18年8月2日製造の冷凍「青島ニラ肉焼まん」から、0・22~0・64ppmの有機リン系殺虫剤「メタミドホス」を検出した』と発表。


なお、「山東仁木食品」は「ニッキートレーディング」のグループ会社である平成18年8月2日製造分の商品は同年8月21日に2500袋(1袋20個入り)が輸入され、大阪府など6府県の10業者に販売された。ニッキー社は今年2月17日までに74袋を自主回収したが、残りは消費されたとみられる(なんてこったー!!)~~

 




私の幼少の頃は、中華まんといえば肉まんとあんまんの2種類だけでして(確か?)、今のように様々な種類の中華まんがあって、その中からお好みで選ぶことが出来るといったことは考えられませんでした。しかも当時は、いわゆる駄菓子屋さんが根強い人気スポットとして君臨しておりまして(高松3丁目には駄菓子屋さんが2軒もありました)、中華まんでも買って食べようぜ!!と言ってのける子供は、当時としてはリッチな家庭・子供の部類に入っていたと思われます(私なんかよく友人と2人で一つを買って半分づつ、というパターンでしたっけ)。



その中華まんですが、これはそもそも小麦粉、水、塩、酵母などをこねて発酵させたふわっとした皮で、具を包んで蒸し上げた「饅頭」でして、中国で「包子」(パオズ bāozi)と呼ぶものに相当するとのことです。豚肉などを入れた肉まん(地方によっては「豚まん」と呼ばれることがある)や小豆餡のあんまんが代表格であるわけですが、最近のピザまん、カレーまん、海鮮中華まん、餃子まんなど、多様な変り種の中華まんも根強いファンをゲットしており、私もたまに食べてみますが、さらに美味しくなったな、今の子供たちは恵まれているな、と感じます。 また、まだ食べていませんが、「○○ロール」と呼ばれる細長い形状の種類もあるみたいです(?)。


その饅頭ですが、中国の明の時代に完成しました、いわゆる「三国志」(学生時代によく読みましたっけ…)の後半の部分に、実はこの「饅頭」の話が出てまいります。そして、この饅頭が、中華まんの原型であるとされております。






~~三国志に出てくる、蜀の国の元首:劉備玄徳の軍師:諸葛亮孔明は、国家3分の計(劉備玄徳の蜀・孫権の呉そして曹操の魏)を一応実現した後、周辺諸国の平定に乗り出す。やがて南蛮に到着すると、その地で「川の氾濫を治めるためには野蛮人の頭を川に投げる必要がある」との言い伝えを聞く。孔明はこの言い伝えに納得がいかず、人の頭を模した饅頭を作り、それを川に投げ込ませる。すると不思議な事に氾濫は治まってしまう。以来川の氾濫を防ぐため饅頭が投げられた。もちろん人の首を入れれば川の氾濫は静まるというのは迷信。孔明は、川の氾濫がいつの季節・時期に起きて、いつ静まるかを知っていたと思われる。同時に孔明は、蛮族を服従させるには武力より、そのような手段を用いた方が得策考えた~~
 



歴史的には(三国志演義はフィクションが多いですが…)多くの血を流さないですむようにといって発案された饅頭、そしてその後の中華まんが、今日では逆に人命を脅かす食べ物として認識され、警戒されてしまったことに、とても憤りを感じますし、加えて悲しいことは、今回の一連の冷凍餃子中毒事件に関して、中国語のインターネットサイトの掲示板で、「日本人の体質は毒に弱すぎ」とか、「日本人の生活環境は甘すぎ、ちょっとした事でも大袈裟に言う」とかの発言が出ていることです。
 


これからもまだまだこういった事件は続くでしょうが、その根本原因はどこにあるのかを私なりに探りますと、中国社会における①言論・報道・表現の自由と②司法の確立・自律・独立の2点が重要でしょう。現在の中国社会では殆ど報道の自由といったものがないため、報道機関として「正しい情報を伝える」「不正に対する監督機能を果たす」という使命が達成されていないですし、むしろすべての報道が党宣伝部にコントロールされてしまっております。そこから例えば、国内でのいくつかの雑誌や新聞社の編集長は頻繁に更迭されているとの事です。


また、司法の独立も依然未発達で、裁判・検察・警察の3作用は党中央ないし地方の政法委員会に属しています。そこから例えば、党幹部と太いパイプを持てば、法律で罰せられる対象外となり得、そこから社会の公正さは失われていき、悪質食品事件が揉み消されているといわれております。これらの二点が克服されませんと、依然として中国製品・中国食品の安全・安心性は世界から認められないのではないでしょうか。
 

今回もまた私は叫びます。冷凍肉まん君、ガンバレ。君も決して悪くない。君の汚名を晴らす為に、僕は君を食べ続けながら、いつでもポワロやコロンボになる覚悟だ。