2008年9月17日水曜日

カンボジアにて

 過日、私が所属する会派(自民党豊島区議団)を中心としまして、カンボジアまで行ってまいりました(いや~、暑かったですぅ~)。
 この名店街ニュースにて幾度となく言及しましたように、豊島区が再生自転車を海外譲与して、かれこれ20年が経過しております。この20年を一つの区切りと受け止め、そもそも我が街豊島の再生自転車が、一体全体海外、特に今回はカンボジアにおいて、どのように活用されているのか、果たして本当にカンボジアの保健ボランティアの皆さん達に喜ばれているのか、これら一連の事柄を見て・聞いて・知っておく事は、未だに放置自転車ワースト二位・三位(大塚駅・池袋駅)を維持してしまっている豊島区にとって、かつ本区が『品格』と謳っている意味においても、極めて重要であると思ったからです。

恐縮ですが、ここでおさらいをさせて頂きますと、この再生自転車海外譲与事業は、昭和63年に豊島区が、引き取り手のない放置自転車のうち、優良な自転車375台を整備して、母子保健向上に苦慮している開発途上国に送ったことをきっかけに始まった、国際貢献事業です。そして、平成元年、豊島区が発起人となり、23区や近県各市の自治体と家族計画国際協力財団(ジョイセフ)と共に、「再生自転車海外譲与自治体連絡会(ムコーバ)」を立ち上げ、今年で活動20周年を迎えることができたわけです。この再生自転車の譲与は1台で600~800人の村人の健康管理をすることができ、現地では二輪救急車や家庭訪問活動などに利用されています。また、「命を救う足」とも呼ばれ、非常に感謝されており、20年間の活動の中で発展途上国における母子保健向上に多大なる貢献をしてまいりました。

さて、私自身「豊島区自転車駐車対策協議会」を通してこの事業と出会い、この事業を分析して参りまして、これは金銭的支援とは異なり、支援を本当に必要としている人のもとに届く、草の根活動だと思うに至っておりますし、地方分権が叫ばれる今の時代、国ばかりに頼らない、自治体だからこそ出来る、息の長い草の根活動が必要だとも思っております。現在でも発展途上国では、自転車という交通手段を含めた物資の不足により、母子保健がまだまだ遅れている状況が歴然としてあります。そこから、さらなる再生自転車海外譲与事業の拡大化が必要と思っておりますし、今後もこの事業の普及促進を通して、継続的に途上国の母子保健向上に努め、自治体として国のODAなどでは成しえない草の根活動によって、母子保健向上に向かったムーブメントを起こしていきたいと考えております。その目的は、発展途上国の母子保健向上のためであります。

最も、その意義・目的は分かって頂けたとしても、その前に豊島区の課題は山積しているわけですから、海外の事よりもこっちの方の解決が先でしょ、とのご意見が出てきそうですね。

ただ、戦後日本は高度経済成長を果たし、その効果もあって途上国なみだった乳児死亡率や妊産婦死亡率が低下するとともに、人口増加率も安定し、戦災による焼け跡から急速に復興を成し遂げたアジアの国として国際的に注目されたという歴史的経緯があります。資源の乏しい日本としては、国際協調・国際貢献は極めて重要な国是であるはずですし、国際社会からはその経済成長の経験を、発展途上国へ支援という形で生かすよう求められるのは必定であります。そうであるならば、日本の・東京の・我が街豊島も、そのための一翼を担う動きを、言われてからするのではなく、こちらから積極的にアクションする責務があると、私なんぞは思うのであります。

また、支援する環境も整っているのが昨今ではないでしょうか。
昭和43年には、途上国の人口増加に伴う食糧危機、保健医療や貧困問題、人口増加と開発のバランス等についての国際協力を行う、家族計画国際協力財団(ジョイセフ)が創設されました。ジョイセフは、これらの母子保健の活動を続けながら、本年創設40周年を迎え、長期にわたり母子保健福祉に貢献しております。 
昭和63年7月には、豊島区は母子福祉分野で国際協力を行っているジョイセフの協力を得て、母子保健等のボランティア活動の交通手段に限定して、引き取り手のない放置自転車のうち優良なもの375台を整備して、マレーシア、フィリピン、ザンビアに送っております。
平成元年には、豊島区は、このような保健福祉分野の国際貢献事業の普及促進と、撤去されて引き取り手のない自転車の有効利用を図るため、本事業の発起人となり23区や近県の各市に呼びかけ、豊島区、文京区、大田区、世田谷区、川口市、大宮市(現さいたま市)の6自治体とジョイセフで「再生自転車海外譲与自治体連絡会(ムコーバ)」を発足しております(何度も言って恐縮です)。本連絡会では、平成元年の発足以来20年間で、90カ国56,225台の再生自転車を途上国の医療、保健福祉分野で活躍する方々の交通手段として譲与し続けてきました(平成8年には、本連絡会の加盟自治体が15自治体まで増えたものの、現在は13自治体となり、そのうち2自治体は休止状況となっております)。
現在、自治体以外では、この趣旨に賛同した財団法人自転車産業振興協会と財団法人東京都道路整備保全公社、株式会社ロッテより助成金、日本郵船グループよりコンテナをいただいております。
 
カンボジアの現地の村の奥にまで行って見て、母子保健・福祉衛生の説明を聞くほどに、まだまだ母子福祉医療分野は遅れていることは厳然たる事実であることが分かりました(特に、若い女の子の妊娠は深刻です)。また、現地でも他国産の自転車は販売されているものの、日本の再生自転車の方が遥かに丈夫で長持ち、しかもスペアタイヤ付きで海外譲与しますから、至れり尽くせり。大勢の現地保健ボランティアの方が再生自転車を求めていました。
視察の三日目、プノンペンの現地の母子保健センターで、豊島区が送った150台の再生自転車の贈呈式典が盛大に行われました。席上、私たちは、再生自転車が活用され、カンボジアの保健福祉衛生面の向上に貢献している事を誇りに思うと共に、これからも支援の手を差し伸べる旨を伝えました。他方、それを受けて、隣に座っていたカンボジア保健大臣が豊島区に対して感謝の念を述べました。 
その後、再生自転車一台一台を、会場を埋め尽くした150人の保健ボランティアの一人ひとりに渡していきました。その譲り受ける際の、嬉しさで輝くような瞳を見るに付け、日本そして豊島区は期待されていると肌で感じました。

子供とネット

 最近の新聞でも特集をしていましたが、PHSを含む携帯電話は、もはや通話目的だけではなく、GPSやメール、そしてインターネットなど、様々な用途に使われるツールとしての「ケータイ」となっており、児童や子供達にとって多大な影響力を及ぼしていることは周知の事実と言う事が出来るでしょう。
 報道によりますと、日本のPTA全国協議会の調査で、「深夜でもメールのやり取りをする」が小学校5年生で11%、中学校2年生で51%。「返信がないととても不安になる」が小学校5年生で18%、中学校2年生で24%もいるとの事であります。しかも、私もはじめて聞き及びましたが、子供の世界には、なんでも「30分ルール」というものがありまして、この時間内に返信をしないと、お互いの友情が崩れてしまうそうであります。そこから、子供達は、食事中も、入浴中も、四六時中携帯を手放せない状態に置かれるそうです。「嫌われたくない」という強迫観念が、自分自身の脳裏や心の襞に埋め込まれてしまい、常に精神的に緊張状態を強いられている今の子供達を見るとき、それはある意味「残酷」である、と言っても宜しいのではないでしょうか。小学生・中学生の頃は、何よりも「大自然の摂理」に従って、五感を研ぎ澄ますことが大切な時期であるのにもかかわらず、いつも「ピコピコ」と電波が入ってきて「今何しているの?」と用もなく聞かれてしまう。これでは人間がデジタル化してしまい、極めて危険ですし、かつ由々しき事態です。お互い顔を合わせて話す機会が減れば、その表情から微妙なニュアンスを読み取る力が育たず、親御さんの言葉さえ十分に受け止めることが出来なくなり、一家の団欒にも、ひいては家族の絆にまで悪影響が出てしまうと思います。

 「一般社会」というような大きな括りで言えば、そこには商売なら商法が、裁判であれば訴訟法が、自動車なら道路交通法がといった具合に、分野ごとに明確なルールを見つけることが出来ますが、こと「ネット」の分野は、ある意味では無法地帯と言えます。少し前から言われるようになった「メディア・リテラシー」と言う言葉は、テレビや新聞、雑誌、インターネットなど、あまたの情報媒体から自分が摂取すべき情報を正しく取捨選択する能力のことを言うわけですが、判断能力の乏しい児童や子供に、このリテラシーを要求するのは不可能ではないでしょうか。そうだからこそ、出会い系サイトを通して性犯罪に巻き込まれたり、学校裏サイトと言われる掲示板で、陰湿な苛めにあったり、ブログに「死ね」とか「キモイ」とか書き込まれて、正しく受け止められず、自殺してしまう痛ましい事件・事故が起こるのではないでしょうか。自我が未発達な児童や子供は、同年代の影響を受けやすく、携帯の正しい使い方を教えても、きちんとはコントロールすることもままなりません。いっその事、携帯から開放してあげる事が、子供を守る最も適切な対策かもしれませんね。福田首相も同じような認識で、政府の教育再生懇談会に対して、「そもそも持つ必要があるのか議論してほしい」と指示し、今年5月にまとまり、5月26日に福田首相に提出された教育再生懇談会報告書では、「必要のない限り、小中学生が携帯電話を持つことがないよう、保護者、学校はじめ関係者が協力する」「安全確保の面から持たせる場合でも、通話やGPS機能のみの機種を推進する」などが盛り込まれました。久しぶりに良いことを言うなと感じましたっけ。是非、社会総がかりで子供を守るメッセージとして、国民全体が真剣に受け止め、携帯を買い与えようとする親御さん達が考える切っ掛けとなってほしいところです。

 報道によれば、サイト管理者の問題が指摘されていました。学校裏サイトの管理者が問題のある書き込みの削除を怠ったとして、苛めを受けた原告が訴訟を起こしている例もあるとのことです。こうした管理責任を問われるのは当然としても、例えば、ブログの場合は、自分が管理者となるところから、管理責任さえ問えばよいという問題でもないことを認識する必要があります。これだと言う簡潔明瞭な解決策は見い出しにくいものの、その包括的な解決策を見つける上で大切なことは、「子供は保護されるべき存在」であると言う認識が徹底される事です。そして、その責任を負うのが、まさに父母などの保護者・親御さんであり、学校であり、地域、団体、企業、メディア、行政機関、そして立法機関です。社会総がかりで、有害情報から児童・子供、若者、ひいては家庭を守らなければなりません。

 そのような意味では、6月11日に、参議院本会議で賛成多数で可決、成立しました「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」(通称:青少年ネット規正法)は、間違いなく一歩前進と言うことが出来ます。しかし、そこには、「子供は保護されるべき存在」である、との認識の下、まだまだ乗り越えなければならないハードルがあると考えます。成立した新法では、18歳未満の子供がネット上の有害な情報を閲覧できないようにする為、携帯電話事業者にフィルタリングサービスの提供を義務付けたり、PCメーカーにはフィルタリングソフトの利用を容易にする措置を義務付けたりしていますが、これらの規制の多くが、努力義務であり、罰則が設けられていない為、その実効性に大いなる疑問があります。そこから、子供にせがまれてフィルタリングを解除する親も多いと聞いております。また、新法では、有害性の判断は、民間の第三者機関に委ねられ、国の主体的関与は排除されております。児童ならびに子供達は国の宝ですから、その宝を守るためにも、例えば、内閣府内に第三者機関を設置し、有害かどうかを判断するといった、毅然としたシステムを作る事が必要です。
6月6日の衆議院本会議での可決に際して、新聞協会は「有害情報の定義について、表現の自由の観点から、国が関与すべきではない」との懸念を表明したとのことですが、保護されるべき子供への規制が、表現の自由の侵害になるという協会側の主張は、所謂「拝金主義的」とのそしりを免れないものと、言う事が出来るのではないでしょうか。
日本の資本主義は倫理観あってのものであり、ある経済人曰く「道徳という土なくして、経済という花は咲かず」なのであります。
今こうしている間にも、例えば、出会い系サイトとか、硫化水素自殺を助長する自殺系サイトとか、諸々の有害サイトに影響された事件・事故がどんどん起ています。我々大人達は今、厳しいネット環境に放り出されている児童・子供達を、有害情報・サイトから守るべく、更なる実効性あるシステムを積み上げるべきなのであります。

拉致があかない

 7月12日、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議の首席代表会合が、「消化不良」のまま閉幕してしまいました。拉致事件の早期解決のため北朝鮮に対する経済制裁措置の一部解除に反対する行動が全国各地で起こっているなかにあって、この会合の内容を新聞報道で知ったとき、何かシラッとしたものを感じたのは私だけではなかったのではないでしょうか。と言いますのも、北朝鮮の核計画申告の検証方法は、細部にわたってまで合意出来なかったわけですし、そうなると日本政府はかねてからこの細部についての合意作りが先決問題としていたわけですから、必然的に検証の時期も遅れてしまうことになります。

 さて、先月の11日と12日に、約9ヵ月ぶりとも言える、日朝公式実務者協議が北京で開かれました。当時の私の記憶には、昨年の9月に、拉致問題を「私の手で解決したい」と、ご本人としては珍しく断定調で明言された、当時首相就任直前の福田康夫自民党総裁の言葉が強く残っています。そこから、先月の北京での実務者協議で、「拉致問題」の解決をはじめ、これからどう日朝関係が進展していくのかを、日本人の一人として大いに期待していたところでした。
 しかし、実際はどうでしたでしょうか。
 すでにご案内のように、北朝鮮は「拉致は解決済み」という立場を変更して「再調査」をすること、また日航機「よど号」乗っ取り犯とその家族を引渡すことを約束し、他方、我が国は、経済制裁措置の一部解除を実施することを約束しました。これを受けて、米国政府は、6月26日に、テロ支援国指定解除を議会に通告したとのことであります。

 「拉致問題の再調査」と「よど号犯とその家族の引き渡し」で、制裁を一部解除する。これを聞いて唖然とした人は多かったのではないでしょうか。何度も聞かされ、ある意味騙されてきた「再調査」で、なぜ我が国は制裁を一部ではあれ解除するのか、と。

 そもそも「再調査」という言葉自体が詭弁ではないでしょうか。例えば、誰か日本人が北朝鮮で登山をしていたところがけ崩れに遭い行方不明になったという場合なら、北朝鮮側に捜索をお願いしたり、それでも見つからないから「再調査」をお願いするというのならわかります。しかし、そもそも誘拐犯自身が「自分が誰を誘拐したか再調査する」というのでは話になりません。
 
 「拉致問題の解決」とは、我々が全く知らない人も含め、拉致被害者をすべて取り返すということであります。勿論、その後、真相究明やこれに関わった関係者の処罰が必要なのは言うまでもありませんが、兎に角、拉致被害者を全員取り返すことが先決事項であります。そして、これらの人を取り返すためには北朝鮮で誰もが自由な意思表示をできるようにしなければなりません。「自分が拉致被害者である」と名乗る事ができるようにし、あるいは自由な調査ができるようにすることが大切であって、そうする為には、北朝鮮の体制変更が必要になるでしょう。
 政府の責任は、あくまで「拉致被害者全員を救出する」ことであります。その中の一つの手段として「北朝鮮との交渉で帰国させる」が入るのでなければなりません。もし話し合いができないのであれば、別の物理的力を使ってでも取り返すという選択肢が存在するのは当然ではないでしょうか。勿論、北朝鮮からシリアに核拡散した今、イスラエルがシリアの核施設を空爆した選択肢は、現時点では、我が国は採ることは出来ないでしょう。ただ、北朝鮮が従来の立場を変更して、拉致問題での協議に臨んできたのは、この間の我が国と国際社会からの圧力が効果を上げたからである、との見方がもっぱらであります。そうであるなら、政府においては、「拉致問題の解決なくして、国交正常化はない」との方針の下、むしろ経済制裁措置の期限延長や、追加制裁措置の実施など、なお一層の効果を上げるための圧力強化のカードを切ることの方がより重要なのであって、未だに拉致被害者全員の帰国が実現していない中で、一部ではあれ経済制裁措置を解除することは絶対にあってはならない事なのであります。

 実務者協議の出席者の一人の斉木昭隆・外務省アジア大洋州局長は、6月13日に行われた、拉致被害者家族会への報告の終わりの頃、「(交渉は)出発点に戻った。交渉のプロセスを動かすために布石を売っている。あとは向こうがどう行動を起こすか」と発言されたとのことです。
その場に居合わせた方に、その時の雰囲気を報道機関が取材しており、その伝えるところによれば……。
「この言葉を聞いた家族会の人の表情からは失望というか落胆というか、なんともいえない思いが感じられました」
「また初めからやると言うのか、家族会ができてからこれまでの十一年はなんだったのか、という感情が何人もの家族から見て取れた」
との事です。
横田めぐみさんの拉致が分かってから、9.17小泉総理の第1回訪朝までが約6年弱、そしてそれから現在までがまた約6年弱です。ここでまた我々は重大な、「停滞」という壁に突き当たろうとしています。
横田めぐみさんの母・早紀江さんは、この拉致問題の風化が一番怖いとして……。
「核問題も拉致問題も、人間のいのちを台無しにする大変な問題です。どちらもいのちの問題として、一つの力で訴え続けて」
このように、政府と我々にいつも呼びかけています。

 拉致問題は我が国の国家主権と、我々のいのちと安全・安心にかかわる重大な犯罪あります。
何度でも申し上げますが、政府は、「その解決なくしては北朝鮮との国交正常化はない」との方針を是非とも貫徹すべきですし、北朝鮮に対しすべての拉致被害者の安全確保と速やかな帰国を強く求め続けなければなりません。
それまでは、「対話と圧力」「圧力と交渉」との観点から、引き続き経済制裁措置を行う事が絶対に必要なのであります。

氷解

 あれは高校3年生の夏、二学期の始め頃でしたでしょうか?担任の先生(体育と陸上部の先生です)から休み時間に頂戴したお小言がありまして、それは未だに忘れずに覚えております。
 「なんだぁ、本橋はまだ小学生気質が抜けないのか」
そう言われた時は、先生が一体全体どういう意味で、何を、如何させようとしてそのように言われたのかが、はっきり言ってピンときませんでした。ただ、ひとつだけその時感じた事は、担任の先生が、その時の私の「イデタチ」を、シゲシゲと見ながら言われたので、どうやら私の体育着の短パン姿に着目して小言を言ってるな、ということです。
 当時の私は、アメリカンフットボール部の強面の副主将として、主将が皆に対して言えないことも、あえてズケズケと言う、所謂ヒール役を演じていました。当時の後輩達は、さぞかし本橋先輩は怖い、との印象を持っていた者が多かったと想像します。もっとも功績もありまして、あまり意味も無いしごきを適宜廃止していったことで、シゴキに嫌気がさして退部する者がグッと減った事であります。その意味では、当時のOB達からしますと、私は「改革派」と見られていたようです。OBが練習を見にきて、ソレを求めてきても、私達の代は拒絶した事が多かったと思います。
 ただ、どこかの相撲部屋の親方ではありませんが、私自身は、ある一定程度の「可愛がり」は必要だと思っています。さもなければ、上手くは成っても、強くはなりませんから。



 さて、3年生ともなると、かなり高校生活の要領も心得ておりまして、朝の電車も、遅刻という事態が生じないように、遅くとも池袋発午前7時45分の準急に乗って登校してくるようにとの学校側の生徒指導も軽んじて、自宅から歩いて最も近い駅である「大山駅」発午前8時ちょい前の各駅停車を使うようになっていました。なぜなら、これだと確実に座席に座る事ができて、かつゆったり出来るからです(お年寄りぃ~)。


 同時に、構内での態度も1・2年生の頃よりは確実に大きくなってきまして、1・2学期の夏期などは、朝登校してきて自分の机の上に荷物を置いた後(この荷物も部活の着替えぐらいでして、教科書・ノート類はロッカーに常駐)、直に、制服である学生ズボンを脱ぎ(今、何でも母校は私服だとか)、体育の授業ではく短パンにはき替えるのを常としていました。ですから、授業は短パン姿で受けていたのです。なぜそうするのかと申しますと、少しでも、放課後の部活の為に余力を残しておこうという配慮の一点に尽きまして、特に暑い日などは、上に来ているボタンダウンのワイシャツも、襟をさらに外側に倒す・折り曲げる等して、少しでも涼しくして過ごすことだけを考えていました。
 先程の担任の先生は、まさにその姿・格好を見て、本橋は小学生のままだな的発言をされたわけです。



 過日、母校である高校の、附属小学校に視察行ってまいりました。 この小学校は、児童の安全確保をトコトン追求しており、その観点から、全国的にもかなり早くから、児童のランドセルにICタグを取り付けた実績があります。「RFIDで登下校時の完全把握」とのスローガンを掲げ、この小学校では、ランドセルに取り付けたICタグの電波を正門のアンテナで受信し、児童の登下校の時刻を完全把握しており、正門をただ通過するだけで、学内のコンピューターに、児童の登下校時刻が記録されます。携帯電話やコンピューターのメールアドレスを登録された保護者の皆さんには、児童の登下校時刻を知らせてくれたりもします。教職員と保護者の両者が協力して児童の登下校時刻を把握する事で、安全確保のレベルを高めてもいるわけです。また、ICタグには、シリアルナンバー以外の情報は登録されておらず、万が一紛失したとしても、個人情報漏洩の危険性は最低限に抑えられているのです。さらに、「学内の安全向上」とのスローガンから、有人監視として正門に警備員の常駐所を設け、児童の在校時間中警備にあたるのは勿論、学内の死角になる場所には防犯カメラを設置し、モニターを警備員が常に監視しています。同時に、下校時には、保護者の方々が交代で、路線別の通学路の見回りをも行っているのです。


 
 豊島区立の小学校にも同じようなシステムの導入が必要です。それは「大阪大学附属池田小学校児童殺傷事件」を思い出して頂ければ明らかであり、しかも、ついこの間の「秋葉原無差別殺傷事件」に見られるように、誰が何時どこからどのような手段で攻撃してくるか予想も付かない時代になってしまっているからであります。


    
 これらの事を視察して回っていながらも、未だかつて母校の高校の附属小の建物内は見学した事がありませんでした。ものはついでにと思い、授業風景を見させてもらうべくお許しをもらい、各教室を見て回りました。その時、私の目に飛び込んできた光景は、なんと全生徒が体操服で授業を受けているのです。どうやらこの小学校では、登校するや否や、体操服・体育着に着替え、それでもってすべての授業を受ける事に決まっているのです。
 私は勿論、豊島区立の小学校出身者です。こんなことはありませんでした。つまり登校した時の服で授業を受けていたのです。そこで初めて担任の恩師の発言の真意が分かりました。つまり、恩師は私がこの付属小から上がってきた生徒であると勘違いされたことを。
 私、この付属小には入り、かつ出られるほどの「おぼっちゃま」ではありませんけど・・・・・・。