2009年1月16日金曜日

また大河ドラマ…始めますか

新春を迎え、名店街ニュースをお読みの皆様方におかれましては、益々ご健勝の事とお慶び申し上げます。もっとも、アメリカのサブプライム・ローン問題に端を発した世界的な金融危機は、需要の減少や株価の下落をもたらし、企業や消費者の心理は冷え込んでしまっているのが現状です。名店街の皆様方におかれましては、言葉では語り尽くせない非常に厳しい現実の真っただ中におられるかと思います。ただただ実りの多い丑年になります事を祈念いたしております。






さて、昨年のNHK大河ドラマは、薩摩藩の島津家から徳川13代将軍「家定」の正室・御台所となり、夫の死後も激動の幕末を徳川の人間として生き抜いた「天璋院篤姫」の波乱に満ちた人生を描いたものでした。
~幕末の動乱期。薩摩の大地で桜島の噴煙を見ながら錦江湾で遊ぶ純朴で活発な少女がいた。やがて彼女はいきなり徳川家将軍の正室になり、俗に3000人の女性がいるという大奥を束ねる人生を歩む。藩主の島津斉彬からは将軍のお世継についての密命をも帯びる。もっともこのお世継問題は思うようにはいかず、一年半で夫に先立たれてしまう。



密命とは違う後継将軍家茂に嫁いできた孝明天皇の妹・和宮との関係に悩みながら、実家の薩摩藩の軍勢に攻め立てられる徳川家を必死で守ろうとする。
 自分の身内である天皇家と敵対することになってしまった和宮との関係も和らぎ、今度は共通の敵となってしまったかつての身内(薩摩軍と管軍)に対して、二人は一緒に、必死に徳川家を守り抜こうとする。その結果、江戸城の無血開城。徳川家の血筋の死守。そして、後継者の育成に余生を捧げ、47歳の生涯を閉じる~






このNHK大河ドラマの「篤姫」ですが、かなり視聴率も良かったらしく、年末恒例の総集編も「分かってるけど見ちゃったよ~」といった方も多かったのではないでしょうか(私もはじめて総集編で「篤姫」を見たクチです)。この「篤姫」ですが、皆さんはどのような思い入れをしながらご覧になられたのでしょうか。
 えっ。そう言うお前はどうだったのかって? 私はと言いますと、実はここ数年、NHKの大河ドラマはパスしていたところがありました。と言いますのも、なんだかんだと言いましても、大河ドラマ、特に歴史上の人物をダイナミックに取り扱う長編歴史時代劇の分野においては、何よりもキャスティングの面と、史実にかなった時代考証に注目するところがありまして、ここ数年は配役に重厚さが感じられなかったり、その時代考証と認識に戸惑いを覚えたりして…、加えて、私自身が最後に夢中になって見た大河ドラマが、西郷隆盛や大久保利通など、薩摩藩士が続々と出てくる「飛ぶが如く」(司馬遼太郎作)で、これでもう幕末・明治期のものはいいかな、そんな印象を持ってもいたからです。


今回もシーズン中は全くと言ってよいほど「篤姫」を見てはいませんでしたが、「えっ、面白いですよ」とか、「なんだ、お前見てないの」といったご意見をいただきましたので、安直ではありますが、総集編で視聴させていただいた次第なのです。





それにしても、なぜ「篤姫」だったんでしょうかね。これまでの大河ドラマを見て私なりに感じていることは、「国取り物語」や「天と地と」、そして「風林火山」といったものに代表されるように、あくまでも主役は信長・秀吉・家康の3大スターから、源義経・足利尊氏・武田信玄・上杉謙信・赤穂浪士・伊達政宗などの超有名人であって、「篤姫」の存在は、少なくとも私からすれば、「マイナー」でしかありませんでした(「篤姫」ファンの皆さんゴメンナサイ)。それは、例えば「和宮様御留」(有吉佐和子作)を読んでみても分かります。「篤姫」は、江戸城で孤立するかわいそうな皇女・和宮に辛く当り散らす、言ってみれば姑根性丸出しの嫌みな女性という印象がすでに定着しているともいえ、大衆的人気とは程遠い存在と言ってよいのではないかなと……。
そうした中で、ポイント・視点のおきどころが、今回の「篤姫」の脚本担当者のコメントにあると私は思っております。





~この国が混乱を極めていた時代に、最後まで「誇り」と「覚悟」を失わな
かった女性、篤姫。愛する故郷である薩摩が、そして皮肉にも婚礼の仕度
役だった西郷吉之助(隆盛)が刃を向けて来た時、実家よりも婚家を守り
通そうとしたその姿勢に、日本人が失ってしまった、そして今の日本人に
何よりも必要な「何か」が秘められているのではあるまいか~






この「篤姫」脚本担当者のコメントを読んだ時に、私がフッと思い出したことがあります。それは高校・大学時代の頃よく読んだ「福田恆存」の言葉でした。(うろ覚えではありますが…)「生産という局面で人はつながり、消費という局面で人は孤独になる」 例えば、家業が魚屋さんだとして、そこではお父さんがお店の奥で魚をさばいたり・焼いたり、お母さんは店先でお客さんを呼び込んだり、品物の受け渡しをしたり、夕方になって家に帰って来た子供は、お店にいるお父さん・お母さんを手伝ったり、あるいはお母さんに代わって夕飯の準備をしたり、まさに親御さんの仕事・家業のお手伝いをしたりする。こういった生産という関わり合いがあって、親子の絆・紐帯といったものが育まれたりする…。他方、家業の手伝いもせずに、ただ単に学校に行っているだけ、そして家に帰ってきたら自分の部屋でパソコンをいじっているだけの子供を想像した時、そこに生まれるものは独立しあった・解体された個の存在でしかない…。




家とか家族というものには、プライベートな面(消費的)がある事は勿論ですが、それ以外にも公的な面(生産的)も併せ持った、社会を構成する人間集団の最小基本単位であることを私達は再認識しなければならないということや、現代の複雑な社会構造のなかにあって、家とか家族はどうあるべきかを考えるきっかけにしたい。このあたりが「篤姫」という大河ドラマの見所だったのではないかと、私なんぞは感じております(今年は我が家でこの答えを見つけ出したいものですね)。
いやいや、総集編でこれだけ大河ドラマにはまってしまいますと……。
今年始まったばかりの「直江兼続」も楽しみになってしまいました。
また大河ドラマを見はじめましょうかね…。