2009年7月2日木曜日

法要がつづきますね…。

ここ最近の私のスケジュール帳の中には、公務以外にも、意外と多くの法事が組み込まれておりまして、そこには「これだけはついうっかり忘れない様に…」と赤で丸印が付いています。
その法事も、確かに、私自身の仕事の関係上のものも、あるにはあります。がしかし、私の家族関係・親族関係に連なる方の法事が多いのが現状で、今は只その多さに驚いているのが正直な気持ちです。特に、7月には、私の父の一周忌と兄の7回忌があります。

つい最近あった法事は、私の叔父の一周忌でした。この叔父は、私の母の弟に当たる存在です。
私が小さい頃、特に小学生の夏休みに、この叔父のいる田舎に泊りがけで何十日と遊びにいったものでした。その際、近所にある川に釣りに連れて行ってくれたり、また、叔父はボーリングが得意だった事から、その手解きをしてくれたりと、色々と面倒を看てもらった記憶が今でも鮮明に残っています。

私にとってこの叔父の法事は、決してランキングがあるわけではありませんが、とても大事な一周忌といえました。

正午からの法要に間に合うようにと、午前10時台の池袋駅発湘南新宿ラインに飛び乗り、まずは最寄り駅に向かいました。ここ最近の私は、都内・区内での行動が中心でしたから、車窓から見ることの出来る景観の移ろい(都会のビル群―田園住宅―田んぼや畑―山々)は、しばし都会の喧騒から逃れることができたような気分でした。
最寄り駅からはタクシーで、法要が営まれるお寺さんに向かいます。若干遅参したものの、ツクネンと椅子に座り、やがて静寂の中、法要が始まりました。前方には、叔父の遺影が飾られています。もう一周忌か…。早いな…。

叔父の家業は、そば粉の製粉会社でして、叔父は3代目としてマイペースで家業を切り盛りしていました。切り盛りと言いますと、大そう儲けていそうに聞こえますが、実際は異なりまして、叔父の父、つまり私の立場から言いますと、私の母方の父、祖父ということになりますが、その祖父が、「我が家で作る蕎麦粉は、大量生産して大量販売するのではない」「魂込めて・丹精込めて、少量でもいいから納得のいく蕎麦粉を作って販売する」「販路拡大も、口コミによる程度にとどめて、なにもわざわざ、チラシとかをつくって宣伝・広報をしたりもしない」との考えの持ち主でして、その考えを実直に叔父も守っていたのが実情です。

因みに、我が豊島区内にも、叔父の製粉会社の蕎麦粉を使ってくれているお蕎麦屋さんが、未だに2件あるんですよ…。その一軒は西池袋に、もう一軒は巣鴨にあります。「このお蕎麦屋さんに行けば、叔父さんの作った蕎麦が食べられる」と思うと嬉しくて仕方がありません。
長期滞在中は、子供ながらに蕎麦粉の配達を、叔父さんにくっついて手伝ったりした事がありますが、ある時は桐生方面に行ったり、またある時は宇都宮方面に行ったり、そしてまたある時は、何故かこの巣鴨方面に来てしまったりと、関東狭しと異動しまくったことがあります(この影響もあってか、大学時代の中心アルバイトが、観光バスの添乗員でした…。バイト代が出て、あちこち行けて、ご当地の食事が食べられる…、楽しかったですね~)

ある日のこと。「決して工場の建物の中に入ってはいけないよ」との叔父や祖父の言いつけを破って、従兄弟(叔父さんの子供)と一緒に工場建物内に侵入したことがあります。
当然のことながら叔父に見つかってしまい、大変キツク叱られた事があります。最も、叱られる前に、有無をも言わせずに蕎麦の実を保冷している倉庫に放り込まれるのが通例でした。この中がまた怖くて怖くて仕方がありませんでした。何せ中は真っ暗で、たった一つの、妙にぷーら・ぷーらと揺れてなかなか落ち着かない裸電球が頼りです。しかも、周りにあるのは蕎麦の実がたっぷり入った、あたかも巨大枕ともいえる蕎麦袋が幾重にも山積みされていて、しかも時折、「チュー・チュー」といった鳴き声が聞こえます。実は、都内の我が家でも全くといってよいほど見かけないネズミが(しかもデッカイ)この倉庫の中にはいたんです。「倉庫の中に入ってろー」 と言われて入れられてしまった以上は、子供心には、「一体全体いつになったら出してくれるのかなぁ…」「ひょっとしてずぅーとこの中に入れられっぱなしかなぁ…」「ネズミにかじられないかなぁ…」 そんな恐怖心で一杯一杯です。

話を工場に…。
当時の叔父の製粉工場は、古い型の機械類が多く、同時に、子供ながらに見て、かなり異様でした。と言いますのも、例えば、真夏でも工場建物内はひんやりとしていて、あたかも霊気がダダよっているみたいであること、また、工程としては、蕎麦の実を挽いていって、最終的には蕎麦粉にしていく訳ですから、天井近くに蕎麦の実をごっそりと入れ込んだ大きな木箱が装着してあり、それがふるいのような動きをして次の工程へと落としていくわけですが、このふるいの動き方がダイナミックで、異様な唸り音・響きを立てていること、さらには、工場内がそれら一連の工程を行うべく、ありとあらゆる機械・装置同士が回転ベルトで連環していて、そこに引き込まれたり、巻き込まれたりする危険があることなどなど……。
今思えば、小学生あたりがここに入っては確かに危険ですし、何時頃からか、もう叱られるのがイヤで入らなくなったことと、今度は大きくなってから、いわばお墨付きを得て見学しに入って行ったことがあるくらいです。
その後は、大学を出てからは、叔父の元へ遊びに行く回数はめっきり減りましたっけ…。

どうやら法要がおわりました。次は、順番にお焼香です。
独特の煙と香りが会場内を曇らせます。
哀悼の8月15日まで、こういった機会が多い私のスケジュールです。