2015年4月5日日曜日

「祈り」と関わるということ≪平成26年8月≫


88日・9日の行程で、議員派遣として超党派で、数名の区議会議員さん達と区の理事者の皆さん方とで、「長崎原爆犠牲者『慰霊』平和祈念式典」に参加してまいりました。
豊島区は、東京23区の中でいち早く「非核都市宣言」を行った自治体として、核兵器のない世界を実現していく責務があると思いますし、また、その非道を、後の世に、また全世界に、伝え続ける務めがあるかと思います。そこから本区は、もう既に、広島市の式典と今回の長崎市の式典と、何回か交互に参加しており、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げるとともに、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心からのお見舞いを申し上げているところです。
長崎では、一発の爆弾が、7万人を上回る、貴い命を奪うとともに、12万人が暮らしていた家屋を全焼・全壊させました。しかも、生き長らえた方々に対しては、病気と障害と苦難を強いました。ターゲットの中には、軍需工場その他があったとはいえ、その犠牲となった大半は、いわゆる非戦闘員の人々です。それでも、私達日本国民は、決してあきらめることなく、勇気を出して立ち上がり、祖国日本を再建し、長崎を美しい街として再生させました。私達一行は、こうした犠牲になった方々の御霊を慰めるとともに、これまでの先人達の奮闘に関して感謝を捧げるために、長崎へと向かいました。

両日は、台風11号・12号が日本列島に近づいてきているため、一体全体どのような天候になってしまうのか、とっても心配ではありましたが、幸運にも台風の間隙をぬうことができて、またその余波の風と雲があったせいで、長崎市松山町の平和公園で実施された式典中は、例年よりもむしろ幾分楽に過ごすことが出来ました。
9日の式典には、原爆投下国の米国など、過去最多となる48カ国と欧州連合(EU)の代表が出席していました。また、核兵器を保有しているとされるイスラエルの代表や、福島県南相馬市の高校生や同県川内村の小学生も参列していました。長崎市によると、この1年間に新たに死亡が確認された被爆者は3355人で、原爆死没者名簿に記載された総数は165409人となったとのことです。と同時に、被爆者の平均年齢はほぼ80歳で高齢化が容赦なく進んでいます。被爆体験や原爆の悲惨さを風化させてはならないですし、その為にも、その思いを新たにするこの日の平和への誓いは、より重みを増しているといってよいでしょう。
式典では、来賓の安倍晋三首相が、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことを、純粋に祈り、誓ったと思われますが、その一方で、田上富久長崎市長は、平和宣言の中で、集団的自衛権に言及し、「『戦争をしない』という平和の原点が揺らいでいるのではないかとの不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれている」と指摘しました。
そもそも長崎では、被爆者の方や学識経験者、そしてマスコミ関係者等々で構成されている起草委員会があり、ここでの議論を経て平和宣言文を作ることになっているそうです。漏れ聞くところによれば、当初案には集団的自衛権への言及はなかったものの、起草委員の方から異論が示されたため、田上市長の政治判断で、方向転換が図られたそうです。方針転換の目的は「核兵器をなくし、戦争をしないという長崎の原点を伝える」ところにあるとか…。
ただ、集団的自衛権という文言を入れた理由が、私にはよく分かりませんし、むしろ、核廃絶という普遍的な願いをうたう崇高な宣言に、激しい論争のあったテーマをめぐる一方の主張を盛り込むことになってしまったのではないでしょうか。平和宣言の中に、特定の政治的主張を持ち込むことによって、日本国民全体として平和を『祈る』ための宣言の意義が、損なわれてはならないと思います。
ちなみに、広島市中区にある平和記念公園で行われた、原爆死没者慰霊式・平和祈念式典の「平和宣言」では、松井一実広島市長は、核兵器廃絶と世界平和の実現とともに、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりを強く訴えたものの、集団的自衛権については触れてはおりません。どうやら、心の域を突き抜けて恒久平和を祈念することは、ある意味難しいことかも知れません。
それでも、今回の議員派遣で、有意義な体験をしました。それは、夕食を終えて宿舎のホテルに戻るタクシーの運転手さん達が、半ば強引に、私達を、長崎市出身で歌手の福山雅治さんの実家に案内してくれたことです。
爆心地から1キロあたりにある長崎市の山王神社の境内入口には、高さ20メートル前後の2本で、樹齢約500600年にもなる「被爆クスノキ」がそびえ立っており、熱線で黒こげになっても生き抜く姿が、まさにナガサキ復興のシンボルとなっているそうです。今年42日、被爆二世であることを告白された福山雅治さんは、長崎の原爆被害を乗り越えた被爆クスノキをテーマにした新曲「クスノキ」を発表しました。福山さんは、あるラジオ番組の中で「被爆クスノキの歌をずっと作ろうと思っていた。長崎で生まれ育ったソングライターじゃないと歌えないだろうし、書き出さないだろう」と語ったとのことです。
今現在、「被爆クスノキ」は、かつての被爆による内部の空洞化に加え、枝葉が伸び過ぎたことが原因で、倒壊の危険が出ているそうで、山王神社の宮司さん達は、樹木医の「治療」を受けさせるため募金活動を本格化させているとのことです。タクシーの運転手の皆さんが、福山さんを慕う理由がわかったような気がしますし、『祈り』には、こういったかかわり方もあるのだなと思いました。

【クスノキ】歌:福山雅治、作詞・作曲:福山雅治。

我が魂は この土に根差し。 決して朽ちずに 決して倒れずに。我はこの丘 この丘で生きる。

幾百年超え 時代の風に吹かれ。片足鳥居と共に。人々の営みを。歓びを かなしみを。ただ見届けて。

我が魂は 奪われはしない。この身折られど この身焼かれども。涼風も 爆風も。五月雨も 黒い雨も。ただ浴びて ただ受けて。ただ空を目指し。

我が魂は この土に根差し。葉音で歌う 生命の叫びを。

 

終わりに、いま一度犠牲になられた方々の御冥福を、心よりお祈り申し上げますとともに、ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様に、幸多からんことをお祈りいたします。