<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795</id><updated>2011-07-29T05:35:55.472+09:00</updated><title type='text'>時事一滴</title><subtitle type='html'></subtitle><link rel='http://schemas.google.com/g/2005#feed' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/posts/default'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default?max-results=100'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/'/><link rel='hub' href='http://pubsubhubbub.appspot.com/'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><generator version='7.00' uri='http://www.blogger.com'>Blogger</generator><openSearch:totalResults>56</openSearch:totalResults><openSearch:startIndex>1</openSearch:startIndex><openSearch:itemsPerPage>100</openSearch:itemsPerPage><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-3751928343604115525</id><published>2010-05-06T20:52:00.001+09:00</published><updated>2010-05-06T20:54:02.549+09:00</updated><title type='text'>悲しみの3・10と4・13の存在</title><content type='html'>　それは、3月10日に開催された子ども文教委員会での、午前中の質疑応答がひと段落して終わり、午後からの質疑応答の再開時間を決める際の出来事でした。本来私は、委員(かつ議長)という身分では、総務委員会という常任委員会に帰属していますが、もう一つ、今度は純粋に、議長という身分で子ども文教委員会という常任委員会にも出席しています。この辺りは、今の副議長と役割分担をしているところでもあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;(本橋)「えっ、何で…、ただ正午に黙とうするってだけじゃ傍聴者は訳が分からないでしょうに。もっとキチンと、分かりやすく案内すればいいのに…」&lt;br /&gt;この度の第1回定例会での子ども文教委員会の特徴は、「報告案件」がかなり多い事でした。勿論、どの報告案件も大事なものばかりで、その内容に優劣をつけることは出来ないでしょう。ただ、その取り扱い量の多さから、いつにも増して委員会が開催されたことは特筆されてしかるべきですし、その開催日の一つが、冒頭申し上げた3月10日だったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;(事務局)「本日は、正午から黙とうが行われますので、午後の開催時間をお決めください」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年に入って間もなくのことです。特別区23区の議長には勿論のこと、三多摩の議長にも、東京都の石原慎太郎知事(実務は、東京都の生活文化スポーツ局・文化振興部・文化事業課が担っているのですが、ここで『文化』が出てくるのには、なんだか違和感をいだいてしまいますね…)から、3月10日、東京都庁第1本庁舎5階大会議場で行われる、｢東京都平和の日記念式典｣の招待状が届きました。何でも、平和国家日本の首都としての東京都は、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓うために、3月10日を｢東京都平和の日｣と定めたこと、そして、この日は、東京大空襲をはじめ戦災で亡くなられた方々を追悼するとともに、何よりも平和の願いを込めて、｢東京都平和の日記念式典｣を挙行すること、確か、そういった内容の手紙が添えられていました。&lt;br /&gt;　勿論、私は、出席に○を付けて返信しました。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;昭和20年3月10日、午前零時8分、東京上空…。日本軍玉砕とバンザイクリフの悲劇のあったサイパン島が陥落し、ここから、その当時の日本の総国家予算の半分以上の研究開発費をかけて製造されたといわれている「B29重爆撃機(愛称は、スーパーフォートレス)」334機が、暗闇の中轟音をたててやって来ました。今の墨田区や江東区、そして中央区あたりを中心に、絨毯爆撃を展開し、約2000トンの焼夷弾(新型焼夷弾)を、だいたい午前2時半頃まで落とし続けたのです。&lt;br /&gt;その焼夷弾の落とし方がまた、アングロサクソン流ですね…。まずは、東西の5キロ、南北の6キロの範囲に焼夷弾を落として灼熱の炎で取り囲み逃げ惑う人々の退路を断ち、次に、1平方メートルあたりに、平均して3発の焼夷弾を落とすことで、人も、家屋も焼きつくす計画を遂行したわけですから…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;(読者)｢えっ、1平方メートルあたりに3発も焼夷弾を落としたの？、なんてひどい事を…｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;そのひどさをもう少し詳しくご説明しましょう。&lt;br /&gt;｢3発｣と言っても、単純に3つの弾が落ちてくるというものではありません。このとき使われた焼夷弾は、その中に、ナパーム剤を中身とするM69という新型焼夷弾が48個束ねられて詰まっているのです。つまり、B29から投下された焼夷弾は、空中でパカッと帯が解かれ、48個のM69(新型焼夷弾)がばら撒かれる仕組みになっているのです。しかも、そのM69のお尻からは約１メートル位のリボンがひらひらと飛びだし、これによってM69の揺れを防ぐと共に、ここが点火もします(だから、当時の被災者の証言の中に、やたらと空から火の雨が降ってきたよ…、とのセリフが出てくるのでしょうね)。それが、次から次へと、雨あられのように天から降ってくるのですからたまったものではありません。しかも、アメリカは最もダメージを大きくするためのち密な実験までしての計画遂行ですから…。&lt;br /&gt;実験…、何でもアメリカは、木と紙で出来ているとも言える日本家屋を焼き払う作戦計画策定ために、わざわざ国内の実験場に、2階建て12棟の長屋を建設し、建物内部には、ちゃぶ台・畳・座布団・炭火鉢・ふすま・障子・タライなど、ありとあらゆる日本的グッズを用意して、新型焼夷弾M69の試爆実験を繰り返し、その威力を確かめたといいます。&lt;br /&gt;その結果が、｢東京大空襲｣です。&lt;br /&gt;一夜にして焼死者約10万人、負傷者約11万4千人、戦災家屋約26万8千戸。東京の人々は、灼熱地獄の中にあって、逃げ惑い、逃げ切れずに、燃え上って絶命していったのです。これを国際法違反の非人道的空爆、人類史上空前絶後の戦争犯罪・大虐殺と言わないで、一体全体何と言うのでしょうか。私達日本人は、今もって告発者の立場にある事を忘れてはならないでしょう。&lt;br /&gt;そのアメリカは、相も変わらずに、6大工業都市を隈なく爆撃した後、人口の多い順番に、日本全国の64の都市部焼き払っていったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;(事務局)｢本日3月10日は、かつて東京大空襲のあった日です。東京都でも、また本区でも、正午に黙とうをささげる事となっております。つきましては、そこをご斟酌のうえ、午後の委員会の再開時刻をお決めください｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あの時、このような言い回しを事務局にしてもらいたかったですね…。先の大戦の悲劇は、現在生きている我々は勿論、将来の子孫にも語りつないでいかなくてはならないと思っています。そこを明確に意識していないと、直ぐに忘却の彼方へといざなわれてしまいますもの…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;4月13日、城北大空襲犠牲者追悼の会に参列してまいりました。既に15回目を迎えた｢4・13根津山小さな追悼会｣です。当日の実行委員会の皆さんの活動ぶりは、とっても純粋でかつ真摯でした。しかも設営・運営から進行に至るまで、手作りと戦災者への労りに満ち満ちていました。時折、葉桜となりながらも一枚一枚、追悼の会に潤いと悲しみを誘うかのように、丁寧に舞い落ちてくる桜の花びらが印象的でした。桜の花の散り際を見つめながら…、桜舞い散る公園の中で…、戦災で亡くなられた方々の思いに、少しでも辿り着こうとしている自分がそこにいましたし、これをどう語り、紡いでいくかが大事だと思案した午後のひと時でした…。&lt;br /&gt;合掌。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-3751928343604115525?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/3751928343604115525/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=3751928343604115525' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/3751928343604115525'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/3751928343604115525'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2010/05/310413.html' title='悲しみの3・10と4・13の存在'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-8698536949610232876</id><published>2010-05-06T20:41:00.000+09:00</published><updated>2010-05-06T20:52:41.118+09:00</updated><title type='text'>バンクーバーを想う</title><content type='html'>「睦月・如月・弥生」と、季節も慌ただしい三月となりました。名店街ニュースをお読みの皆様のご家族も、学校や職場で引っ越しや移転作業等、新生活への準備等で慌ただしい時期ではないでしょうか。&lt;br /&gt;さて、三月の別名、「弥生」の由来ですが、草木がいよいよ生い茂る月、「木草弥や生ひ月（きくさいやよひつき）」が詰まって「やよい」になったそうです。草木の芽が生え始めているのを見て、学生は新学期の開始、社会人は職場での新メンバーの歓迎など、さぞかし期待と不安の入り混じった、新しくも待ち遠しい事の始まりを予感している頃ではないでしょうか。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;新春を迎える前に、そのスタートに相応しい多くの感動を私達は貰ったのではないでしょうか。いわゆるバンクーバーオリンピックでの日本人選手の活躍です。この大会で、我が国の選手は数えきれないドラマを残したわけですが、中でも特に印象深かった選手を振り返ってみたいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まずは、女子フィギュアスケートで銀メダルを獲得した、浅田真央選手。女子フィギュアのチャンピョン、キム・ヨナ選手と頂点を争い合いましたが、結果はプレッシャーをはねのけ、完璧な演技をこなしたキム・ヨナには敗れましたが、自己最高得点を叩き出し、初出場で銀メダルという快挙を成し遂げました。&lt;br /&gt;しかしながら、その後の涙ながらのコメントが実に印象的です。&lt;br /&gt;「（トリプル）アクセル（演技の技名で、女子フィギュアではかなり高難易度の技だそうです）を2回飛べた以外は全く満足していない。」&lt;br /&gt;なんという貪欲さでしょうか！全世界から集められた天才の祭典で、圧倒的多数を抑えて2位になったにも関わらず、悔し涙を流したその勝利への意欲は大したものです。私達がテレビで見る演技、審査対象の全てはたったの5分足らずです。その5分のために、何千時間もかけて、怪我やスランプと闘いながら調整するわけですが、どんなに努力をしようとも、評価される対象はその5分のみです。およそ長い人生の中で、たった一瞬であるその時間を生きがいにし、そのわずかな時間のためにあくなき向上意欲を示す態度には、感服させられましたし、同時に自らの背筋が伸びるようです。&lt;br /&gt;「本当に長かった、というか、あっという間・・・」大会後のこのコメントは、まさに一瞬に人生を賭けた勝負師・英雄の感想であるといえるでしょう。「銀メダル」というその偉業に拍手を送ると共に、その情熱を見習い、自らを戒めたいと感じたひと時でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;長島圭一郎選手が日本勢として初のメダルに輝いた瞬間、地元である北海道池田町での応援団の様子がテレビに映し出されました。会場は歓喜にわきました。町のホールで開かれた観戦会には町民300人が集合し、歓喜の瞬間には十勝ワインのスパークリングワインで祝杯を上げたそうです。&lt;br /&gt;長島選手の快挙によって、町の絆が深まりました。池田町長は、長島選手に町民特別栄誉賞授与の意向も示しています。なぜここまで多くの町民が長島選手に魅了されるのでしょうか。おそらくは、一つの目標に向うに当たっての志高き個人の意思と信念が、多くの人を魅了しているのではないかと考えます。人生を歩む中で、自らが貫きたい・守り続けたい意思や姿勢、そして信念が必ずあるはずですもの・・・。&lt;br /&gt;ちなみに、池田町の初代町民特別栄誉賞は、どなただと思いますか。&lt;br /&gt;それは、みなさんよくご存じのＤＲＥＡＭＳ・ＣＯＭＥ・ＴＲＵＥ（ドリームズ・カム・トゥルー）の吉田美和さんです。町民に夢を与え、町の知名度を上げたとして、ドリカムの結成20周年と開町110年が重なった2008年に授与されました。バンクーバーオリンピック日本代表応援ソングであるドリカムの「ＧＯＤＳＰＥＥＤ」は、困難なことに立ち向かう人たちへ最上級の「ＧＯＯＤ　ＬＵＣＫ！！」を願う意味を持つそうです。この応援ソングに日本選手団の選手たちは、多くの勇気をもらったことでしょう。人は困難に立ち向かう時、得てして周りの人間の温もりを感じるものです。長島選手も強き意思と信念があったとはいえ、周りの人の支えなしには、あるいはこの曲なしでは（ちょっと大袈裟?）、この快挙は達成できなかったのではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;同じスピードスケート男子500mにおいて、長島選手以上に金メダルが期待されていた選手がいます。長島選手と同じ会社に所属する、加藤条治選手です。一回目のレースでは金メダルが十分に狙える位置にいた加藤選手でしたが、二回目のレースでは最後の直線で失速し、残念ながら銅メダルという結果に終わってしました。競技終了後の加藤選手のブログには、「好きな競技に本気になって、たくさんの感情を抱く。幸せなことですね。」という文が掲載されています。&lt;br /&gt;「たくさんの感情」とは、いったいどういったものだったのでしょうか。&lt;br /&gt;加藤選手は、メダルを獲得した喜び・安堵の感情を、ひとまずは抱いたことでしょう。私自身も、人生の四年間を競技のために捧げ、世界で第三位という見事な結果をおさめた加藤選手の栄誉をたたえ、敬意を表したいと思っています。&lt;br /&gt;一方で加藤選手は、「銅メダルがこんなに悔しかったなんて知らなかった」とも述べています。&lt;br /&gt;競技が終了した翌日の朝日新聞の社説には、長野五輪の同種目で金メダルを獲得し、過日引退を発表した清水宏保選手の記事が掲載されていました。題名は「条治よ　悔しかったか」。「楽して金メダル取りたいですね」と言い、スタミナが要求される1000ｍには出場せず500mの競技のみに専念した加藤選手に対して、最後の直線で失速した原因はスタミナ不足にあり、練習方法を変えていく必要があると助言をする清水氏。同じ種目で金メダルを取った清水氏にしかできない、さらに高みへ登っていくための助言を、加藤選手はどう受け取ったのでしょう。&lt;br /&gt;きっと加藤選手にとっては、銅メダルが自分自身を見つめなおすきっかけとなったのではないでしょうか。清水選手の助言を受けとめた加藤選手は、四年後のオリンピックまでに一回り大きくなって、必ずや私たちの期待に応えてくれるでしょう。私も一人のサポーターとして、今後の加藤選手を全力で応援していきたいと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;4年に1度の五輪で、長島選手のように全力を出し切り、最高の結果をだすことができた選手もいれば、浅田選手や加藤選手のように、一瞬のために賭けた4年間を通じて自分自身を見つめなおし、また4年後を見据えて競技を極めていこうとする選手たちもいます。こうした選手たちの姿は非常に美しく、私は自分を奮い立たせ、困難を乗り切る勇気が湧いてきます。&lt;br /&gt;私たちも彼らのように、いつまでも一瞬一瞬に全力でぶつかっていきたいですね。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-8698536949610232876?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/8698536949610232876/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=8698536949610232876' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8698536949610232876'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8698536949610232876'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2010/05/blog-post.html' title='バンクーバーを想う'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2465891931630649664</id><published>2010-02-12T22:42:00.001+09:00</published><updated>2010-02-13T17:06:41.993+09:00</updated><title type='text'>過ぎし、節分の日を想いながら…</title><content type='html'>早いものですね。年が明けてからもう一月以上が経ち、立春を過ぎました。『時事一滴』をお読みの皆様方におかれましては如何お過ごしでしょうか、お伺い致します。&lt;br /&gt;私自身は、年明けからとっても多くの「新年会」や「新春の集い」といった催し物に顔を出させていただき、出来る限り出席させていただきました。しかも、多くの場合、挨拶までさせてもらい大変感謝しております。ありがとうございました。&lt;br /&gt;今は、それも終わりに近づいております。特に、議会では、第一回定例会の準備と、来るべき予算委員会の開始など、新しい年のための議会活動が本格的にスタートし始めております。&lt;br /&gt;この『時事一滴』をお読みの皆様も、立春を過ぎて年明けムードも抜けきった中で、厳しい商戦を展開されている事と推察いたします。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて、立春といえば日本の伝統行事として、「節分」があります。&lt;br /&gt;皆様ご存知の通り、立春の前日に「鬼は外、福は内」と唱えながら豆を撒き、一年の無病息災を祈る、アレです。&lt;br /&gt;節分とは、その名の通り、「季節の分かれ目」のことです。季節が変わるときには邪気＝鬼が生じると考えられているので、豆を撒いてそれを払おうとするというわけです（一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けたものを門に掛けることによって、鬼を払うところもあるようですよ）。&lt;br /&gt;言葉の意味上、立春・立夏・立秋・立冬のいずれも節分という事になりますね。でも今では、立春の前日が一般的になっています。その理由は何だろう。あまり詳しく掘り下げてはいませんが、なんでも、豆を撒くのは、豆を投げれば「魔滅（まめ）」、つまり魔を退けられるからだと考えられているそうです。また、イワシの頭はその臭気で鬼を追い払うとされているそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一般的に使用される豆は、お祓いを行った大豆、つまり炒り豆です。ところが、地域によっては落花生が使われている事を知りました。落花生は大豆よりも回収がしやすく、また殻があるので地面に落ちても食べられるという利点から採用されているとのこと。なるほど、確かにそうですね（かなり合理主義的…）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;現代では、この「節分」が一年のビッグイベントの一つとなり、催しに有名人を招いて豆を撒いたり、お寺で狂言を行ったりと、この行事を様々な形で楽しんでいるところが多いようです。これをお読みの皆様も、2月3日には「鬼」に扮して、豆を当てられて楽しまれたのではないでしょうか。ちなみに、豆は以前使われていたコメ、麦、炭などよりも鬼にぶつけたときの音がいいことも好まれる理由だそうですよ～。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;節分が行われる場所によっては、「鬼は外」と唱えないことがあるようです。例えば、千葉県成田市の成田山新勝寺では、毎年色々な大相撲力士やその年のNHK大河ドラマの出演者が豆まきに参加します（ちなみに今年は相撲力士では把瑠都、「龍馬伝」からは香川照之さん、宮迫博之さんなどが参加しました）。そこでの掛け声は慣習上「福は内」だけだそうです。これまた、なんでもご本尊の不動明王が鬼さえも改心させるためだからと言われています。&lt;br /&gt;また、例えば、岐阜県端労市の鬼岩福鬼祭りでは、福を運ぶのが鬼であるため、「鬼は内、福は内」と独特の掛け声をするそうです。鬼を祭神あるいは神の使者としている神社、あるいは「鬼塚」「鬼頭」など「鬼」の付く性がつく地名で、「鬼は内」と唱えるところが多い事が分かってきています。&lt;br /&gt;災いや不吉をもたらす存在として忌み嫌われている「鬼」ですが、必ずしも節分で常に「悪役」ではないようですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本の伝統芸能、狂言にも「節分」という曲があります。同じ曲名で幾つかつくられていますが、その内の一つは、鬼が人間的な感情をもち、しかし哀れにも鬼であるがゆえに追い払われてしまうというものがあります。あらすじはこうです。&lt;br /&gt;～節分の前夜に蓬莱の島（渤海にあるという想像上の島）の鬼が、節分で撒かれた豆を食べようと日本へやってくる。長い旅をしたために空腹になり、食べ物をもらおうと民家を探す。灯火にひかれてある家をのぞくと、それはそれは美しい女がいた。その女の夫は出雲大社に年籠り（大晦日から元旦にかけて参籠する事）をしている最中であり、女は女房としてはその留守を預かっているのであった。鬼は食べ物を請い、荒麦をあたえられるが、その時既にその女性に心を奪われていた。なんとか気に入られようと小唄を次々と歌うが、一向に相手にされず、鬼はついには泣き出してしまう。そのため、女は気を許したふりをして、鬼を家に入れ、鬼から隠れ蓑、隠れ笠、打ち出の小槌などの宝物を取り上げる。さて、時分もよし。「鬼は外」と女は豆をぶつけて鬼を追い出す……～&lt;br /&gt;なんと哀れな鬼でしょう！　美しい女性のしたたかな機転よりも、男性のような人間的な恋情を示しながらも、豆をぶつけられ、追い立てられた鬼の哀れさが気になってしまいますね。宝物を差し出しながらも、忌み嫌われてしまう…。このような状況はどこか、現代で家族での地位が下がってしまったお父さんの状況を彷彿とさせる気がします（う～むむむ…）。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;節分会は、色々なやり方で楽しみましょうよ。節分にまつわる狂言を見に行くもよし、お祭りに出かけて行って有名人が撒いた豆を食べに行くもよし、鬼に扮して思い切り豆を当てられて家族を盛り上がるのももちろんよしです。&lt;br /&gt;しかし、ひとたび節分が終わり、お面をとった我々お父さんに対しては、ぜひ労りの気持ちをもって接してほしいですよね。時には一家の大黒柱として、厳しくあるがゆえに、「鬼」のように見えてしまうこともあるでしょう。&lt;br /&gt;しかし、父あっての福だということも忘れてほしくないと願っております。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2465891931630649664?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2465891931630649664/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2465891931630649664' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2465891931630649664'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2465891931630649664'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2010/02/blog-post.html' title='過ぎし、節分の日を想いながら…'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-1495156701399736880</id><published>2010-01-23T23:42:00.000+09:00</published><updated>2010-02-13T16:53:47.655+09:00</updated><title type='text'>平成２２年を迎えて</title><content type='html'>『時事一滴』をお読みの皆様、新年明けましておめでとうございます。&lt;br /&gt;　読者の皆様におかれましては、常日頃から、池袋駅周辺のまちづくりを始めとしまして、多方面にわたりご尽力いただいておりますことに対し、この場をお借りいたしまして、厚く御礼申しあげます。本年も、皆様とこうして新年のよろこびを共に分かち合えます事を大変幸せに思っております。&lt;br /&gt;　さて、昨年平成21年の豊島区は、文化庁長官表彰「文化芸術創造都市部門」受賞の喜びに始まりました。それを起爆剤としまして、豊島区の文化政策も随分と浸透し、もともと盛んであった演劇のほか、音楽、絵画、マンガ、にゅー盆踊りなど、色彩豊かでユニークな企画が、多々催されました。私自身、区民ひろばや地域文化創造館などで行われる様々なイベントにも参加いたしましたが、健康増進や、心豊かな生活を送るための各種講座が開かれていたり、日頃の活動の成果が発表されたりと、地域の方々も、身近なところで文化的な活動に取り組み、楽しんでおられます。また、豊島区内には6つの大学があり、これら6大学との連携も、「としまコミュニティ大学」を始めとして、かなり進んでいました。そこでの各大学の特徴を活かした内容を見れば、本区に住んでいることで、多種多様な事柄を学ぶ機会に非常に恵まれているということがよくわかります。ともすれば閉塞感に陥りがちな不況のまちを、商店街の皆さんやボランティアの方、そして若者などの力で盛り立てていこうとする地域の皆様の気概を、大変心強く感じたところです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;街並みにも大きな変化が見られました。その幾つかを挙げさせてもらいますと、例えば五十年もの間、池袋東口を華やかに彩ってきた三越百貨店が、惜しまれながら閉店し、その跡地には、大型家電量販店ヤマダ電機がオープンしました。既存の大型店ビックカメラとの間に、熾烈な販売競争が繰り広げられており、東口の空気が変わったように感じられます。また、西口には、駅構内にエチカ池袋、地上にエソラ池袋が、相次いで開業し、消費低迷の昨今に新しい活力を吹き込んでおります。エソラ池袋の記念式典では、ソメイヨシノ桜の観光大使が華を添えてくれました。池袋駅西口地上部分も、緑をコンセプトに様変わりを遂げようと動き出しています。隣の大塚駅では、地元住民の皆様念願の南北自由通路が開通されました。その開通式典も、よさこいと絡めたのが功を奏して、盛況のうちに執り行われましたっけ…。また、その隣の巣鴨駅では商業施設の入る五階建ての駅ビルが開業を控え、さらに駒込駅前にはホテルメッツがオープンしました。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;一方、新しい庁舎の構想も進んでおります。百年に一度といわれる不況の中で庁舎を建設することは、大変な困難を伴いますが、現庁舎が既に耐久年数を大幅に超えていることの危険性を考えれば、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」、デフレの今こそ知恵と勇気を振り絞り、前進してまいりたいですね。ちなみに、新庁舎に関しては、建築家の隈研吾氏らの協力を得る事が出来たとの事です。今第一線で大活躍してくれている隈氏の登場はとっても心強いですし、どのような感性がにじみ出てくるのかがとっても楽しみですね。その斬新な設計とデザインで、私達をアッと言わせてくれる事でしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;世界的な大不況もさることながら、世界的な新型インフルエンザの猛威も怖かった1年でしたね。区内の小中学校も、一時は連日学級閉鎖となりました。私達のもとには、かなり頻繁に学級閉鎖の状況説明などを内容とする情報が、ファックスにて届いたりしていました。この点、本区の保健福祉部や教育委員会はよくやっていると思います。このインフルエンザでは、高熱を発して苦しまれた方や、夜を徹しての看病をされた方もおられたことでしょう。今のところ、弱毒性で、落ち着いてきたとはいえ、ウイルスが変異する可能性や、過去の新型インフルエンザでは第二波、第三波があったこともあり、油断は禁物です。どうぞ皆さんお気を付け下さい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;都議会及び衆議院においては、与野党が逆転し、民主党が第一党となりました。政権が代わっても、国や都が直面する課題はそう大きく変わりませんが、現政権の政治が、私たちの暮らしや将来に及ぼす影響を、慎重に見極め、今年の参議院議員選挙では、有権者として答えを出していかなければなりません。特に、最近の国政レベルの選挙は、なんでも「劇場型」と言われ、新聞やテレビそしてラジオなどの媒体からあふれ出てくる情報をただ受け取るだけでの投票行動が目に付き始めました。特に、その傾向は若者に顕著なのではないでしょうか。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;その若者ですが、1月11日は、成人の日でした。平成の幕開けと共にこの世に生を受け、そして二十年の時を経て、当日成人式を迎えられた皆さんにおかれましては、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。&lt;br /&gt;「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」という、中国の古典に基づいて名づけられた「平成」には、「国の内外にも天地にも平和が達成される」ということへの願いが込められております(確かそのような説明を、額を掲げながら、当時の故小渕恵三内閣官房長官がしてくれたと思いますが…)。成人の日には、「おとなになったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝いはげます日」という意味があります。20歳を迎えた新成人の皆さんには、こういった時代状況の中に生きているおとの認識を噛みしめてもらいたいのは勿論のこと、人間は誰しもが、社会のシステムとそこに働く人々に、その生命を守られ、生活を支えられておりますから、これからは大人として、共に社会を支えていかなければならない義務が生じたことを自覚してもらいたいですし、その一方で、これまでの日々、ご両親、ご家族をはじめ、地域社会や法律などにより、子どもとして大切に守られてきたことに、感謝の念を向けて欲しいと思います。&lt;br /&gt;さてそこで、20歳で生じる権利の一つ、選挙権のことです。申し上げるまでもなく、政治は、有限性の中にあって、地方や国のあり方を決め、進路を方向づけていく人間の営みです。それがあるべきかたちなのか、進むべき方向にあるのかどうかを考えて、推し進めたり、修正したり、異を唱えたりする権利を持つわけです。選挙の際には、新聞がこう書いているとか、テレビでこう言われているとか、友達がこうするからとか、他者からの影響のみでもって審判を下してほしくないですね。必ず投票所に足を運ぶとしても、自分の主義・主張・信念・哲学を一票に託した上で、投票行動をとって欲しいと、本心から思います。それでもまだマダルッコシイとお思いの若者は、25歳ないし30歳になって、立候補することで、自らこの豊島区を、日本を、今一度洗濯してくれればよろしいのです。豊島区の将来のために、ひいては日本のために、粉骨砕身できる方が現れることを望んでおりますし、いつでも同志として迎えます(ただし、政治理念等が同様の方に限られていきますが)。&lt;br /&gt;新成人の諸君!!&lt;br /&gt;二十歳を過ぎるころから、月日の巡りは年々加速していくぞ。&lt;br /&gt;若い時にしかできないこともあるし、若くして才能を開花させる人もいる。&lt;br /&gt;しかし、若い日々の努力や心掛けが報われ、歳をとってから花開く人生もある。&lt;br /&gt;焦ることなく、自分の道を自分の明るさで照らし、着実に歩み続けてくれ。&lt;br /&gt;年を重ねた未来の自分が、平凡で、ごく普通の日々を送っていたとしても、誰かを支え、何かの役にたっているのであれば、その誰かや何かにつながる先に秘められている可能性の大きさは、はかり知れない。&lt;br /&gt;たとえ不遇なことがあったとしても、他人や社会のせいにせず、自ら生き抜こうとする気概を持ち続けて欲しい。&lt;br /&gt;不況の今、負けることなくはばたこうとする君達の溢れるパワーに、大いに期待し、心からの声援を送る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;先行きが不透明な中、今年はいったいどのような年になるのでしょうか。&lt;br /&gt;その期待と不安に胸を膨らませつつ、力強い第一歩を皆さんと共に踏み出していきたいと思います。&lt;br /&gt;本年もまた、私共々、この『時事一滴』にどうぞお付き合いください。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-1495156701399736880?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/1495156701399736880/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=1495156701399736880' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1495156701399736880'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1495156701399736880'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2010/01/blog-post.html' title='平成２２年を迎えて'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-6982707912898725905</id><published>2009-11-15T21:10:00.001+09:00</published><updated>2009-11-15T21:12:58.951+09:00</updated><title type='text'>文集「若き志士の言の葉」について</title><content type='html'>　先月、お陰様をもちまして私の議長就任祝賀会も無事に行うことができました。これもひとえに皆様方のご支援とご協力の賜物でございます。この場をお借りしまして、心より厚く御礼申し上げます。有難う御座います。&lt;br /&gt;　さて、この度の議長就任祝賀会を着実に乗り切ることができたのも、その中心に後援会の役員の皆さんのご協力があったことはもちろんですが、加えまして、私の事務所に研修・研鑚に来てくれている若者達の力があったればこそとも言うことが出来ます。&lt;br /&gt;この度の祝賀会では、帰りのお土産に、今年の流行色で編んだ「マフラー」に加えまして、「若き志士の言の葉」という題名の文集を添えさせていただきました。私自身、今年で議員在職10年となったわけですが、この10年間ずっと続けてきた活動の中の一つに、「次世代の政治的リーダーの育成」というのがあります。最初は、果たして上手くいくのかなと不安な面もありましたが、マスメディアを通さない「裸の政治」を学びたいと思っている若者が、かくもいるのかと驚いたのを思い出します。「裸の政治」を学ぼうとして集まってきた若者達の数も、延べで約500人を超え、その体験談も10年分が溜まっています。この度の文集は、その中から、掲載について本人の承諾があったものの中から、さらにピックアップしたものを編んだもので、前半部分が今現在抱いている感想、後半部分がかつて研修をし終えた直後書かれた体験談となっています。裏返して言いますと、10年を経過した後に私の下に来て研修した若者達の感想や体験談は、割愛されているわけでして、この度の祝賀会の切り盛りに参画してくれていたのが、まさに彼ら彼女らであることを考えますと、何としてもこの若者達の声も何処かで発表したいと願うのもご理解いただけるのではないかと思います。文集からオミットされるのは、今年の夏から来た若者達ということになりますが、この夏、10名の若者が私の下で研修・研鑚を積み増したが、その内の一人の体験談を皆さまに紹介させて下さい。今回もご一読誠に有難う御座います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「学生」から「住民」への自覚&lt;br /&gt;本学塾第32期生　大田 みふゆ&lt;br /&gt;【何を学んだか】&lt;br /&gt;　私は2009年の夏、豊島区議会議員の本橋弘隆先生のもとで研修を行うことを決めた。あれから早くも三ヶ月ほど経つが、今までで一番考える時間が多かった夏休みであった。&lt;br /&gt;　本橋先生は本当に大胆である反面、どんな小さなことでも気を配って下さる方だった。時には厳しく指摘して下さり、時には様々なことを心配して下さる本橋先生のもとで研修を行い、「相手の気持ちを考えること」の重要性を改めて感じた。相手の気持ちを考えるということは一見当たり前のように思え、私を含めて幼い頃から言われている方も多いであろう。でも、これこそが社会において、日常生活においても必要なのではないだろうか。選挙のときは有権者の方々や後援会の方々の気持ちを、お祭りの景品を選ぶときは子どもたちの気持ちを、事務作業を行うときはそれに関わる方々や、受け取る方々の気持ちを考えるようにして行動するようにした。そうすることによって、物事の意味を捉えることができるようになった。時には失敗して、反省しなくてはならないこともあったが、後に考えてみると、相手の気持ちを考えれば正しい判断ができたであろうということばかりだった。&lt;br /&gt;　政治もこれと同様ではないだろうかと私は思う。生活している人々の気持ちを考え、問題を議論して、より良い政策を実現していく。区民の気持ちを考えれば、何をすべきなのかが見えてくる。そう考えると、本橋先生は地域というものをとても意識していらっしゃった。また、歩いているときや、運転しているときは、地域の人々や街のようすを「区民」且つ「議員」の視点で見ていらっしゃった。そして「○○さんにこのことを報告しておこう」、「今度取り上げてみよう」など、自分が何をすべきなのかを考えていらっしゃった。きっとこのような積み重ねがよりよい街づくりに繋がるのであろうと考えた。また、委員会や協議会を通じて、様々な議員さんや職員の皆さん、そして一般区民の方々が働く姿を生で見ることができたのは貴重な経験であった。「新型インフルエンザ対策」「豊島区子どもプラン―次世代育成支援行動計画―中間報告」などを聞いて、そのようなことまで区政で取り上げていただけるのかと驚いた。そして、委員会では、議員さんが自分の体験をもとに考えを述べている様子を見て、区民の代表であることを改めて感じることができた。また、豊島区子どもプランの中間報告会の中で、行政と区民が一体とならなければ、目標を達成しにくいということを知った。このことから、政治は議員だけが行うものではなく、職員や区民のみんなで行っていくものであるということに気がついた。本橋先生がおっしゃっていた「どこにでも政治はある」という言葉を意識しながら、これからは自分も住民の一人であるという自覚を持って生活し、協力していきたいと考えるようになった。&lt;br /&gt;【これをどう生かすか】&lt;br /&gt;　今回の研修で「相手の気持ちを考える」ことの重要性に気付いたので、今後は私と関わる人の気持ちを考えながら、自分に何ができて、何をすべきかを考えられるようにしていきたい。また、その考えを実行しなければ、意味が無いということも研修を通じて感じたので、積極的に行動に表せるように努力していきたい。&lt;br /&gt;　また、上記において、自分も住民の一人であるという自覚をもつということを目標として掲げたので、まず、自分の住んでいる地域がどのような活動をしていて、どのような目標を掲げているのかを調べていきたいと思う。その上で、自分が住民として、どんな活動に協力できるかを考え、少しずつ実行していきたい。地域に貢献することが、国の貢献に繋がるということも学んだので、私の周りから変わっていけるようにしたい。&lt;br /&gt;【本橋先生へ】&lt;br /&gt;　この度は、私を研修生として受け入れてくださり、本当にありがとうございました。本橋先生の下で研修を行ったことは、私の自慢であり、最高の経験になりました。本橋先生は面接の際に、「この夏を本当にここで過ごしていいのか」と尋ねていらっしゃいましたが、三ヶ月が経った今、この夏を本橋先生の下で過ごすことができて、大変よかったと思っています。&lt;br /&gt;本橋先生は、政治に関することだけではなく、生活する上で必要なことも直接教えてくださり、人間的にも成長できたと思います。他の議員さんの下で研修をしている友人に、この事務所の話をすると、とても羨ましがられました。これからも、アットホームな環境の中でたくさんの研修生を育てていって下さい。&lt;br /&gt;もうすぐ議長就任祝賀会ですね。今までお世話になった分、お手伝いさせて下さい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-6982707912898725905?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/6982707912898725905/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=6982707912898725905' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6982707912898725905'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6982707912898725905'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/11/blog-post_15.html' title='文集「若き志士の言の葉」について'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-9122218559887708098</id><published>2009-11-15T21:02:00.002+09:00</published><updated>2009-11-15T21:10:03.394+09:00</updated><title type='text'>特色あるまつりづくり　～第10回東京よさこいと第32回江戸川市民まつり～</title><content type='html'>　9月の下旬頃でしたでしょうか、江戸川区の多田正見区長から、各23区の区議会議長に対して｢第32回江戸川区民まつり｣の招待状が届きました。A4版のレジュメ、パンフレット、そしてご案内状と、その送付資料から、長い歴史としっかりとした運営ぶり、さらには江戸川区の自信と誇りを感じさせられました。そうなってくると実際この目で見なくては気が済まなくなってきてしまうのが私です。当日10月11日の日曜日は、午前10時から｢第4回東京よさこいin大塚｣、午前10時45分から｢第8回池袋本町商人まつり｣と、たて続けに大型イベントが盛りだくさんに入っていましたが、ご列席者の皆さんのご協力もあって無難にこなし、何とか正午実施のメインイベントの｢場内パレードとセレモニー｣、そして｢花自動車コンクール｣に間に合わせるべく、すぐさま車に飛び乗って、首都高を利用し、一路まつり会場の｢都立篠崎公園｣を目指しました。&lt;br /&gt;～昭和51年（1976年）9月19日に発足した、「江戸川区町会・自治会青年部等連絡協議会」で、青年を含めた区民ぐるみの催しができないかという声があがり、実行委員会が結成。　青年たちが目指したのは、タレント抜きの完全な手づくりのまつり。青年部等連絡協議会では、まつりを実現させるため中里区長に相談。区長は、昭和53年（1978年）10月10日付け広報えどがわ「区長随想」で、そのときの様子を次のように記す。「初めての“区民まつり”は大成功でした。これは、2年ほど前に発足した町会自治会青年部等連絡協議会が心に描いた若者の夢なのです。最初は私も本当にうまくまとまるだろうか、情熱だけで内容が伴うだろうか、と迷ったものです。それから各地で盛上がる地域祭の様子を種々見る度に、区民ぐるみの祭りもうまくいくのではないかと自信を持つようになりました。そして、6月頃から80にも及ぶ諸団体に相談したところ、是非にという声が多く、予想もしない程の熱意と協力で、立派な祭として実ったのです」～&lt;br /&gt;　首都高速から降りて、程なく江戸川区内へ入ってくると、景色は確実に本区とは違ってきます。まずは、土地にゆとりがありますし、また妙にビニールハウスの畑が目に付くようになりました。｢これは一体何の栽培をするのだろう、もしかして『小松菜？』かもね｣(因みに、来賓お土産が｢江戸川おかみさん会の小松菜うどん｣でした)、そんな想いを擁きながらも、高層ビルやマンションをあまり見かけない江戸川区内の風景から、自身の視線のゆれが、都心に居る時よりもゆったりしていることに気づく有様です。その後私の目に飛び込んできたものは・・・、今では懐かしい紅白の｢アドバルーン｣でした(小さい頃、よく自宅から池袋のデパート上空のアドバルーンを見つけては、親に買い物をおねだりした記憶があります)。次に私の見たものは・・・、いやはや何とも言えないスケールでした・・・。会場内を来賓受付で頂いたマップを頼りに動き回り、ようやく来賓席に到着し、多田区長と共に場内パレードを見学することが出来ました。&lt;br /&gt;～今年で、32回目を迎える｢江戸川区民まつり｣。記念すべき第1回は、『ひろげよう　ふれあいの輪を』がテーマ。昭和53年（1978年）10月1日都立篠崎公園で開催。来場者数は約20万人。開催時間は、午前10時から午後8時までと、現在の午前9時から午後4時までに比べ、3時間長く開催。広場数は4つ（縁日広場、おどり広場、芸能広場、出展広場）と、現在より少なかったものの、午後8時のフィナーレには、豪快な打ち上げ花火と華麗なナイヤガラの滝、子どもたちのトーチサービスを実施、炎で会場を彩る派手な演出を行なっていた。&lt;br /&gt;　その日の夕方からのメインスケジュールは「第10回東京よさこい」の表彰式への出席と賞状授与でしたので、午後6時半までには来るようにとの先輩の指示に従い、池袋西口の特設ステージ会場へ。目の前では、歴戦のつわものよさこいチームが演舞をしていました。思わず、昼間の｢江戸川区民｣まつりと比較してしまいましたが、どうしてどうして、こちらはこちら、あちらはあちらと言える、力強い特色がお互いにあることが見て取れます。焦ることなく、お隣に気をとられることなく、目の前のよさこいを育てる事が大事だと私は思いました（それにしても立教大学のよさこいチームはないの？）。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;～参考～&lt;br /&gt;第31回江戸川区民まつりのデータ(昨年)&lt;br /&gt;参加者: 55万人&lt;br /&gt;参加協力団体: 391団体　19,610人&lt;br /&gt;場内パレード: 31団体　3,163人&lt;br /&gt;ミニSL　乗車数: 約2,800人&lt;br /&gt;迷子保護: 97人&lt;br /&gt;もぎ店: 約9万食&lt;br /&gt;都市交流コーナー: 8都市2団体&lt;br /&gt; 「安曇野市、鶴岡市、南魚沼市、城里町、長井市、八丈町、魚沼市、大島町、JA、町青協」&lt;br /&gt;駐輪場: 9ヶ所　6,500台&lt;br /&gt;ゴミのリサイクル: 空き缶、空きビン、ペットボトル、段ボールなど6,160キログラム&lt;br /&gt;中止の回数: 残念ながら中止ということが、これまで30回のうち、3回あります。 （1）昭和60年（1985年）の第8回は雨天のため当日中止を決定。 （2）昭和63年（1988年）の第11回は、天皇陛下のご不例により中止。 （3）平成3年（1991年）の第14回は異常な長雨により事前に中止を決定。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-9122218559887708098?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/9122218559887708098/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=9122218559887708098' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/9122218559887708098'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/9122218559887708098'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/11/1032.html' title='特色あるまつりづくり　～第10回東京よさこいと第32回江戸川市民まつり～'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-4744341059440242058</id><published>2009-11-15T20:48:00.001+09:00</published><updated>2009-11-15T20:52:32.789+09:00</updated><title type='text'>子供達の人権メッセを聞いて</title><content type='html'>　9月12日、小雨が降りしきる中、豊島公会堂におきまして、豊島区と豊島区教育委員会もそれぞれ主催者と後援者のひとりとなり、｢第16回子どもたちの人権メッセージ発表会｣が盛大に執り行われました。この発表会の前に公務があったため、私自身の会場入りは、確か午後1時半頃だったと記憶しています。入った時にちょうど発表していたのが、5番の杉並区立大宮小学校6年生の女の子による｢人権侵害について｣でした。受付で貰ったプログラムを開いて、それぞれの子供達が発表するメッセージの題名に目を通していくと･･･。さすがに｢人権メッセージ発表会｣と銘打っているだけあって、｢人権｣という言葉があちこちの子供達のメッセージ題名に使われております。はたして本当にここにいる子供達は、｢人権｣を正しく使いこなせているか。使いこなせるのは大学で法学部にでも入ってからで良いとしても、正しく使える為の前提知識をどれだけ学校から、家庭から教わっているのか。一抹の不安を感じないわけにはいきませんでした。この段階でまずしっかりと学習しなければ、これから思春期を迎えていくにしたがって、権利、権利と駄々をこねる若者に育ってしまいかねません･･････。&lt;br /&gt;　このような発表会で出会う親御さんの中には、「既に、人は生まれながらにして人権というものがあり、その中には当然子供の権利が保障されているんです」といった趣旨の発言をされる方が大変多いです。勿論、私自身、｢人権｣とか｢子供の権利｣とかを否定するつもりはありません。&lt;br /&gt;ただ、今一度、「人権」とは、「権利」とは何か、という命題に向き合って、しっかりと思索して欲しいと思っております。その思索を経由した後に、｢人権｣とか、｢権利｣とかを語っていただきたいな･･･、そう切に思う次第です。と言いますのも、それらは過分に濫用の危険があり、中でも特に｢人権｣は暴走する危険をはらんだ西洋近代の｢発明品｣であることを肝に銘じていただきたいのです。&lt;br /&gt;｢人権｣は暴走する。また｢人権｣は西洋近代の｢発明品｣である。そう申しましたが、それまではどうであったでしょうか。皆さんご承知の通り、どんな時代のどんな文化においても、｢権利｣の主張には必ず根拠が必要でした。例えば、まず始めに契約が結ばれて、そして自分はこれこれの仕事をしたからこれこれの取り分がある、と主張するのが、まさに｢権利｣でした。あるいは、伝統ある古来の慣習を根拠として「権利」が主張されることもありましたし、さらには、キリスト教に基づいた「自然法」のように、「神の掟を忠実に守ること」と「神の与えた権利を有すること」とが表裏一体となっている場合もありました。いずれにしても、単に個人が何かを欲すれば、それが｢権利｣と認められる、などということはありえなかったのですが、これを全て覆したのが、｢人権｣概念の発明者のトマス･ホッブスであり、その半世紀あとに登場した、ジョン・ロックです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　～我が国の憲法に採用されているのが、｢ジョン･ロック版｣の人権思想。また、ホッブス自身、「人権」(自然権)が個人の意志と欲望以外の根拠を持たないものゆえ、本質的に暴走の危険を秘めている。それに手綱をかけて本来の個人の幸福追求・実現へと向かわせるのが国家・政府の責務と危険性を認識。にもかかわらず、その危険性の認識をぼやかしてしまったのがジョン・ロック。ロックは｢人権｣を｢神によって与えられた有難い権利｣としながら、そこに当然伴うべき「神への義務」の方はあっさりと無視。｢ロック版｣人権概念は、一方では個人の意志と欲望をそのままに認めながら、そのことの持つ危険性は一切考えないというもの。&lt;br /&gt;　　現在、人権の概念はフェミニズムの主張などを容れて、止めどもなく拡大。それはまさに個人の欲求の他、いかなる根拠も必要としないという、ロック版人権概念の基本構造に基づく。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;｢人権｣とか｢子供の権利｣とかの定義や内容は、きわめて曖昧であり、ありとあらゆる子供達の権利行使が、ある子供の、またはある個人・団体の恣意に基づいて行われる危険を払拭できないところがあります。その典型例ともいえる事件が、約9年前に起きた、東京都国立市立第二小学校での、学校長に対する土下座要求事件だと言えるでしょう。私達大人は、今一度冷静に｢人権｣とは、｢権利｣とは如何なるものなのかを問い続け、これらがもつ危険性に常に配慮し、国家や自治体が｢人権｣や｢権利｣を謳うないし扱うに際しては、事前の学習やレクチャーをしっかりと十二分に行うと共に、極力それは謙抑的かつ慎重に展開すべきだと思います。&lt;br /&gt;この度の子供達の発表の中で、私なりに気になったことがいくつかありますが、ここでは紙面の都合で一つ取り上げたいと思います。特に｢いじめ｣とか｢ケンカ｣、そして｢差別｣といったキーワードを駆使して発表されたものを聞いていて感じた事ですが、｢相手にも『人権』があるんだから、いじめたり、暴力を振るったり、差別してはいけないよ｣と言った類の主張です。要は、子供を人権･権利の主体と捉えることで、いわゆる｢虐待問題｣などを解決しようとする姿勢ですが、私はこういった主張や取り組みは見るべき視点を誤っていると思っています。その事はとりわけ「高齢者に対する虐待」の問題を考えてみればよろしいでしょう。高齢者の方は、当然のことながら大人ですから、完全無欠の権利を有する主体ということが出来ます。相対する方も、お互いが｢人権｣とか｢権利｣を有していると了解して社会活動をしています。それなのになぜ、権利主体との了解のある高齢者に対して、家族などによる虐待やいじめが増えているのでしょうか。｢子供同士でもお互い『人権』があるんだからね。いじめたらダメよ｣、そう主張する方は、いま申し上げた「高齢者虐待」がなぜ起こるのかをどう説明されるのでしょうか。およそ虐待というものは、何も、相手方が権利を持っているかどうかでその抑制が左右される代物ではないと思います。大切な事は、虐待される人に権利があるかどうかではなく、また、虐待する人を単純に非難する事でもなく、そもそも虐待しないですむ状況や、環境を作ることではないでしょうか。虐待してしまう人も介護に悩んでいるのでしょう。なぜ虐待するか、何故いじめるのかを理解しないと、適切な対策は生まれないと考えます。ここで再度確認したいことは、子供が必要としているのは「人権」や「権利」の名の下に生じる「利益」ではないということ、子供が最も必要としているのは、親との「関係」なのだということであります。すなわち、保護者、学校、地域が連携を強め、みんなで子どもを守り育てようという姿勢・構えであります。子どもを巡る環境の悪化は、大人が子どもを守り育てるという当たり前の義務を果たさなくなったことが原因です。私は「人権」とか、「権利」という一見すばらしいものであるような言葉を万能薬のように使って問題を解決しようとするのではなく、一つ一つの問題に対する具体的な施策を地道に実施していくことこそ問題の解決に最も効果的かつ効率の良いやり方であると信じております。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-4744341059440242058?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/4744341059440242058/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=4744341059440242058' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/4744341059440242058'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/4744341059440242058'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/11/blog-post.html' title='子供達の人権メッセを聞いて'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2845001066402256112</id><published>2009-08-15T18:33:00.001+09:00</published><updated>2009-08-15T18:36:06.889+09:00</updated><title type='text'>今夏もめげずに｢高三盆踊り｣</title><content type='html'>　ここ最近、異常気象があったり、寝苦しい夜が続いたりと、体調維持にひと工夫が必要な日々が続いておりますが、皆様は如何お過ごしでしょうか、心より残暑お見舞い申し上げます。&lt;br /&gt;　この暑い8月は、豊島区内のあちこちで、様々な熱いイベントが行われておりますが、中でもこの時期のイベントで、誰もが楽しみにしていて、地域の親睦を図るにはもってこいのものと言ったら、基本的に町会ごとに実施・展開されている｢盆踊り｣ではないでしょうか。&lt;br /&gt;夏の夜の風物詩とも言える「盆踊り」。そのイメージも、現代社会においてはむしろ単純明快に理解されており、お盆の時期の夜、音楽にのって浴衣の集団が踊るといった感じではないでしょうか。東京音頭とかをはじめとして、新民謡と呼ばれる曲で踊る民謡踊りや、子供向けにアニメキャラクターの盆踊りの曲なども登場して、大人から子供まで、老若男女問わず楽しめる娯楽的な踊り・イベントとのイメージが定着しているみたいです。&lt;br /&gt;　最も、今もって町会長が不在で、とりたてて商店街もないがゆえに商店会長不存在の、集団指導体制下の高三町会では、そもそもこの夏にまた盆踊りをするかどうかが、5月に行われる総会で改めて議論されます。他町会さんからすれば、町会の盆踊りはもう既定の方針であり、その実施は当然の事として暗黙の合意があるかと思いますが、こと私のいる高三町会におきましては、毎夏、実施の有無・立ち上げから議論しなければならない状況になっているのであります。もっとも、総会ではなんだかんだと意見は沢山出たりはしますが、今申しましたように、毎年夏、老若男女が楽しみにしているイベントの一つでもありますし、また、住民相互の親睦やコミュニケーションを図るにはきわめて効果的ですから、結局はこの夏もやりましょうということになっていきます。ただ、それなら老若男女が楽しみにしなくなってきたら、この盆踊りそのものは一体全体どうなってしまうのか。私達は、そんな心配もしてしまう今日この頃なんです。まずは、楽しみを越えた存在・存続理由を、盆踊りに見出して、それを伝えねば…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;～盆踊りは、仏教行事の一つである盂蘭盆会（うらぼんえ）に迎えた祖霊を慰め、再び送るために大勢の人が踊る「念仏踊り（ねんぶつおどり）」が源流。南無阿弥陀仏（なむあみだぶつ）の名号に節を付け、唱えつつ踊るもの。盂蘭盆会はお盆の正式名称。「盆」「盆会」「精霊会（しょうりょうえ）」「魂祭（たままつり）」などとも呼ばれる。施餓鬼や盆飾り、精霊流しを行うなど、現在でも日本古来の民族風習が色濃い行事。斎明天皇の治世である657年に盂蘭盆会を設けたことが史実上初めて登場。８世紀頃には夏場に祖先供養を行うという民俗風習が日本で確立。以来1300年もの歴史を持つ。旧暦７月１５日を中心として行われている。この日は十五夜、すなわち満月にあたり、月明かりの下で夜通し踊ることができるほど明るかった。盆踊りの場は、あの世との境界・接点となる。その踊りには、霊と踊り手が親しみ、通じ合うことを表す所作が盛り込まれている。月明かりや篝火のほの暗い幻想の中、踊り手はあの世に行った人々の姿を別の踊り手に重ね合わせ、精霊と一緒に踊っているような錯覚に陥り、故人を偲ぶ～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ちょっとこの路線では、何ゆえ盆踊りを実施・存続するのかを理由付けるには、あまりにもお堅いかも知れません。勿論、盆踊りの存在理由とも言える｢祖先供養｣を外す事はできません。そのことはしっかりと子供達に伝える事が大事で、それを暗黙の了解事項に仕立て上げつつ、なにか娯楽的な潤いと装いを付け加える事が大事ではないかなと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;～盆踊りの直接的な起源を遡ると、元々は儀式的な色合いが強い。がやがて太鼓などが用いられ、娯楽的な要素が時代を下るごとに大きくなる。挙句はて騒ぎが昂じて、室町時代から明治時代までの間、盆踊り禁止令が度々出されることに……～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　盆踊りで騒ぎすぎてしまった挙句、禁止令が出ていた時代があったなんて知りませんでした。でも、なんとなく理解できるような気がします。盆踊りそれ自体が、地域をあげての一大行事ですし、また夜開催されるところから、特に昔は、若い男女が村の日常性から解放され、｢恋愛活動の自由｣を謳歌する場所でもあったわけですから…。ここにまた、お酒などのアルコール類が入ったら、もうどうにも止まらないといった感じでしょう。因みに、高三の盆踊りでは、来賓の方に対してだけ接客の際にビール等のアルコールを出するのみで、ビール等を販売する出店は一店舗たりともありません。また、昔から盆踊り会場内は禁煙を徹底しています。そこから、若い夫婦が安心してお子様を連れて会場に足を運んでくれています。未成年らしき者がビールを飲んで大騒ぎしていて迷惑だとか、歩行喫煙者の存在によって大事なわが子が火傷を負いかねないとかの心配がないのが高三盆踊りなんです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;～盆踊りの系統には大別して２つの流れがある。「伝統踊り」と「民謡踊り」　と呼ばれるもの。「民謡踊り」は、戦後に発展したもの。｢伝統踊り｣のような生演奏はなく、民謡カセット（レコード・ＣＤ・etc）を流して街の公園や公民館などで集団で踊るのが一般的。昭和初期、中山晋平の作曲で大ヒットした「東京音頭」に代表される「新民謡」の興隆により、戦後、地域交流の場として盆踊りが見直された時、それらの最新ヒット曲が活用され、その後も「ドラえもん音頭」など次々と盆踊りのための新しい曲と振りが作られた。現在、民謡・歌謡民謡をはじめ、アニメ・子供向けキャラクター・バラエティ番組・テレビドラマなどから多彩な曲が用いられている。また、各々のグループ・組織別に浴衣・衣装を揃えたり、仮装したりと観衆を意識した見どころが多いことも特徴的である～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　子供向け人気アニメ番組に流れている主題歌をもっともっと活用した曲作りとか、また、｢志村けんのバカ殿｣、二コレットのテレビコマーシャルに出てくる｢全身タバコ｣とか、定番の浴衣姿とは違った｢仮装｣で踊るといった工夫に、新しい盆踊りの幕開けがあるのかもしれません。&lt;br /&gt;　そういえば、｢ニュー盆踊り｣と叫ばれていますよね。本区で……。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2845001066402256112?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2845001066402256112/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2845001066402256112' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2845001066402256112'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2845001066402256112'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/08/blog-post_15.html' title='今夏もめげずに｢高三盆踊り｣'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2825935289581337057</id><published>2009-08-15T18:16:00.013+09:00</published><updated>2009-08-15T18:44:41.033+09:00</updated><title type='text'>グレイトなピアニスト</title><content type='html'>　7月3日から始まった、10日間にも及ぶ東京都議会議員選挙もようやく終わりを告げ、街の中にもゆったりとした空気の存在を感じている今日このごろ、過日の｢バン･クライバーン国際ピアノコンクール｣で、日本人として始めて優勝した｢辻井伸行｣さんと、幸運にも面会する運びとなりました。&lt;br /&gt;何せ国際的にも評価の高いコンクールでの優勝者・チャンピオンです。その後も色々な形でスケジュールが入り込んでいるでしょうから、当日の｢お見えになりましたよ｣といった旨の案内が私のところにくるまでは、｢本当に会えるのかな｣と、心配というか、気が気ではありませんでした。と言いますのも、既に私の家族が、7月7日にあった｢七夕○○○○｣(何でもこれは毎年行われているコンサートらしいです)というリサイタルと言いますか、コンサートに、ようやくチケットを入手して、そのピアノに感銘を受けて帰って来たと共に、彼自身がこれからかなりのスケジュールをこなし続けるとの情報を得ていたからです。&lt;br /&gt;一たび時の人になると、やっぱりこういう流れになっていくのですね･･･。&lt;br /&gt;さて、そうこうする間に、予定の時間より20分も早く、｢辻井氏来る｣の報を受けました。ワクワクしながらも面会場所に駆けつけましたが、そのお隣には、｢辻井いつ子｣さん、つまりピアニスト辻井伸行さんのお母様も同席されていました。&lt;br /&gt;　当日の辻井伸行さんとの面談参加者は、何も私だけではありませんでしたから、様々な角度からの意見交換がなされましたし、その意見交換･面談の節々から、私が今まで会ったこともないような、素晴らしい精神性と美意識を持った若者像が浮かび上がってきました。何よりも嬉しかった事は、この豊島区にお住まいである事は勿論でしたが、会話のところどころに、｢何か私でお役に立つことがありましたら、おっしゃってください｣とのフレーズが数多くでてきた事です。｢このような謙虚な姿勢を同世代の若者に見せてやりたいな｣、そう思ったのは私だけではないと思いますし、事実、彼がこの言葉を口にする度に、列席者の皆さんが、自身の一挙手一投足を、あるいは又呼吸を、止めるがごとき静謐な雰囲気に包まれていたようでした。&lt;br /&gt;　と同時に、このような姿勢を持つわが子に育て上げたお母さんに対して、関心を抱かないはずもなく、私からの話は、お母さんに向けたものになっていました。&lt;br /&gt;そこで、ここまで息子さんを立派に育ててきたお母さんに、｢欧米と日本とで、ピアニストとして育てるにあたり、その環境に格差みたいなものはあるのでしょうか｣、と聞いてみました。それは、かねてから私は、欧米の音楽、特にクラシックというものの年代的な厚みに関心を持っておりまして、モーツァルトやベートーベンといった音楽は、日本で言うと江戸時代にも当たる頃の音楽です。それが未だにかく家庭で、それぞれの街中で流れていて、それを未だに自然と聞いている文化に尊敬の念を持っているからです。今の日本で、はたして江戸時代の音楽をかくご家庭で流して聴いているといたことは、まずはありえないでしょう。&lt;br /&gt;　そう力んで聞いては見たものの、そのご回答は極めてあっさりしたものでした。&lt;br /&gt;｢特に格差を感じたことはありませんし、今はむしろ、アジアの方が音楽に熱心かもしれませんね･･･｣、といったものでした。&lt;br /&gt;　最もこの質問から、辻井伸行さんが関連して話された事が興味津々で、ある意味で、すべての芸術家やアスリートに通じる事かもしれません。&lt;br /&gt;｢いつも中国や韓国のピアニストが最後のほうにまで残ってくるし、彼らは絶対優勝してやるんだといった気迫が物凄いんです。もうそれは彼らが弾いているピアノの音色でまず伝わってきます｣｢そういった中で、僕はいつも自分自身がピアノを弾くことを楽しんでやっている。自分らしいピアノ、自分のピアノをやることに集中することが、大切なんです｣｢特に、楽しんでやることがとても大事なんです｣&lt;br /&gt;そういった話を、身をゆすりながらしてくれました。&lt;br /&gt;　既に、グレイトの域に達している感がありました。&lt;br /&gt;　この若者の未来がとっても楽しみになってきましたし、この子を育てたお母様には、全国をめぐってわが子の才能を発見し、それを伸ばしたお話を講演してもらいたいものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※　辻井伸行さんプロフィール&lt;br /&gt;昭和63年生まれ。&lt;br /&gt;平成2年　　2歳　ピアノに触れる。2歳3ヶ月、母の口ずさんだ｢ジングルベル｣　　　　　　　に合わせておもちゃのピアノで演奏。&lt;br /&gt;平成8年　　8歳　モスクワ音楽学院大ホールで演奏。&lt;br /&gt;平成10年　10歳　ピティナ･ピアノコンペティションD級で金賞。&lt;br /&gt;　　　　　　　 アメリカ(カーネギーホール)、チェコ、台湾(国家音楽庁)などでも　　　　　　　演奏。&lt;br /&gt;平成12年　12歳　サントリーホールで初リサイタル。&lt;br /&gt;平成14年　13歳　フランスで佐渡裕指揮のラムルー管弦楽団と共演。&lt;br /&gt;平成14年　14歳　東京オペラシティ･コンサートホールで東京交響楽団と共　　　　　　　　演。&lt;br /&gt;平成15年　15歳　やまと郡山城大ホールでピアノリサイタル。&lt;br /&gt;平成16年　16歳　東京交響楽団の定期演奏会のソリストに抜擢。&lt;br /&gt;平成17年　17歳　第15回ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド･ワルシャ　　　　　　　ワ)に最年少で出場。「ポーランド批評家賞｣受賞。&lt;br /&gt;平成19年　19歳　デビューアルバム発売。&lt;br /&gt;平成20年　20歳　第13回バン･クライバーン国際ピアノコンクール(アメリカ･テ　　　　　　　キサス)で優勝。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;※ バン･クライバーン国際ピアノコンクール&lt;br /&gt;アメリカで開催される国際的なピアノコンクールで、チャイコフスキー国際コンクールの第1回の優勝者、バン･クライバーンを祝して、昭和37年より、原則4年ごとに開催されている。開催地はテキサス州フォートワース。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;※ 同優勝者一覧&lt;br /&gt;1962　ラルフ･ボダペク。&lt;br /&gt;1966　ラドゥ･ルプー。&lt;br /&gt;1969　クリスティーナ･オルティーズ。&lt;br /&gt;1973　ウラディミール･ビアルド。&lt;br /&gt;1977　スティーブン・デ･クローデ。&lt;br /&gt;1981　アンドレ＝ミシェル・シューブ。&lt;br /&gt;1985　ホセ・フェガーリ。&lt;br /&gt;1989　アレクセイ・スルタノフ。&lt;br /&gt;1993　シモーネ・ペドローニ。&lt;br /&gt;1997　ジョン・ナカマツ。&lt;br /&gt;2001　スタニスラフ・ユデニチ。&lt;br /&gt;　　　　オルガ・ケルン。&lt;br /&gt;2005　アレクサンダー・コブリン。&lt;br /&gt;2009　辻井伸行。&lt;br /&gt;　　　　チャン・ハオチェン。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2825935289581337057?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2825935289581337057/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2825935289581337057' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2825935289581337057'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2825935289581337057'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/08/blog-post.html' title='グレイトなピアニスト'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-716904675435980351</id><published>2009-07-02T18:31:00.000+09:00</published><updated>2009-07-02T18:32:21.527+09:00</updated><title type='text'>法要がつづきますね…。</title><content type='html'>ここ最近の私のスケジュール帳の中には、公務以外にも、意外と多くの法事が組み込まれておりまして、そこには｢これだけはついうっかり忘れない様に…｣と赤で丸印が付いています。&lt;br /&gt;その法事も、確かに、私自身の仕事の関係上のものも、あるにはあります。がしかし、私の家族関係・親族関係に連なる方の法事が多いのが現状で、今は只その多さに驚いているのが正直な気持ちです。特に、7月には、私の父の一周忌と兄の7回忌があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;つい最近あった法事は、私の叔父の一周忌でした。この叔父は、私の母の弟に当たる存在です。&lt;br /&gt;私が小さい頃、特に小学生の夏休みに、この叔父のいる田舎に泊りがけで何十日と遊びにいったものでした。その際、近所にある川に釣りに連れて行ってくれたり、また、叔父はボーリングが得意だった事から、その手解きをしてくれたりと、色々と面倒を看てもらった記憶が今でも鮮明に残っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;私にとってこの叔父の法事は、決してランキングがあるわけではありませんが、とても大事な一周忌といえました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;正午からの法要に間に合うようにと、午前10時台の池袋駅発湘南新宿ラインに飛び乗り、まずは最寄り駅に向かいました。ここ最近の私は、都内・区内での行動が中心でしたから、車窓から見ることの出来る景観の移ろい(都会のビル群―田園住宅―田んぼや畑―山々)は、しばし都会の喧騒から逃れることができたような気分でした。&lt;br /&gt;最寄り駅からはタクシーで、法要が営まれるお寺さんに向かいます。若干遅参したものの、ツクネンと椅子に座り、やがて静寂の中、法要が始まりました。前方には、叔父の遺影が飾られています。もう一周忌か…。早いな…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;叔父の家業は、そば粉の製粉会社でして、叔父は3代目としてマイペースで家業を切り盛りしていました。切り盛りと言いますと、大そう儲けていそうに聞こえますが、実際は異なりまして、叔父の父、つまり私の立場から言いますと、私の母方の父、祖父ということになりますが、その祖父が、｢我が家で作る蕎麦粉は、大量生産して大量販売するのではない｣｢魂込めて・丹精込めて、少量でもいいから納得のいく蕎麦粉を作って販売する｣｢販路拡大も、口コミによる程度にとどめて、なにもわざわざ、チラシとかをつくって宣伝・広報をしたりもしない｣との考えの持ち主でして、その考えを実直に叔父も守っていたのが実情です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;因みに、我が豊島区内にも、叔父の製粉会社の蕎麦粉を使ってくれているお蕎麦屋さんが、未だに2件あるんですよ…。その一軒は西池袋に、もう一軒は巣鴨にあります。｢このお蕎麦屋さんに行けば、叔父さんの作った蕎麦が食べられる｣と思うと嬉しくて仕方がありません。&lt;br /&gt;長期滞在中は、子供ながらに蕎麦粉の配達を、叔父さんにくっついて手伝ったりした事がありますが、ある時は桐生方面に行ったり、またある時は宇都宮方面に行ったり、そしてまたある時は、何故かこの巣鴨方面に来てしまったりと、関東狭しと異動しまくったことがあります(この影響もあってか、大学時代の中心アルバイトが、観光バスの添乗員でした…。バイト代が出て、あちこち行けて、ご当地の食事が食べられる…、楽しかったですね～)&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ある日のこと。｢決して工場の建物の中に入ってはいけないよ｣との叔父や祖父の言いつけを破って、従兄弟(叔父さんの子供)と一緒に工場建物内に侵入したことがあります。&lt;br /&gt;当然のことながら叔父に見つかってしまい、大変キツク叱られた事があります。最も、叱られる前に、有無をも言わせずに蕎麦の実を保冷している倉庫に放り込まれるのが通例でした。この中がまた怖くて怖くて仕方がありませんでした。何せ中は真っ暗で、たった一つの、妙にぷーら・ぷーらと揺れてなかなか落ち着かない裸電球が頼りです。しかも、周りにあるのは蕎麦の実がたっぷり入った、あたかも巨大枕ともいえる蕎麦袋が幾重にも山積みされていて、しかも時折、｢チュー・チュー｣といった鳴き声が聞こえます。実は、都内の我が家でも全くといってよいほど見かけないネズミが(しかもデッカイ)この倉庫の中にはいたんです。｢倉庫の中に入ってろー｣　と言われて入れられてしまった以上は、子供心には、｢一体全体いつになったら出してくれるのかなぁ…｣｢ひょっとしてずぅーとこの中に入れられっぱなしかなぁ…｣｢ネズミにかじられないかなぁ…｣　そんな恐怖心で一杯一杯です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;話を工場に…。&lt;br /&gt;当時の叔父の製粉工場は、古い型の機械類が多く、同時に、子供ながらに見て、かなり異様でした。と言いますのも、例えば、真夏でも工場建物内はひんやりとしていて、あたかも霊気がダダよっているみたいであること、また、工程としては、蕎麦の実を挽いていって、最終的には蕎麦粉にしていく訳ですから、天井近くに蕎麦の実をごっそりと入れ込んだ大きな木箱が装着してあり、それがふるいのような動きをして次の工程へと落としていくわけですが、このふるいの動き方がダイナミックで、異様な唸り音・響きを立てていること、さらには、工場内がそれら一連の工程を行うべく、ありとあらゆる機械・装置同士が回転ベルトで連環していて、そこに引き込まれたり、巻き込まれたりする危険があることなどなど……。&lt;br /&gt;今思えば、小学生あたりがここに入っては確かに危険ですし、何時頃からか、もう叱られるのがイヤで入らなくなったことと、今度は大きくなってから、いわばお墨付きを得て見学しに入って行ったことがあるくらいです。&lt;br /&gt;その後は、大学を出てからは、叔父の元へ遊びに行く回数はめっきり減りましたっけ…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;どうやら法要がおわりました。次は、順番にお焼香です。&lt;br /&gt;独特の煙と香りが会場内を曇らせます。&lt;br /&gt;哀悼の8月15日まで、こういった機会が多い私のスケジュールです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-716904675435980351?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/716904675435980351/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=716904675435980351' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/716904675435980351'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/716904675435980351'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/07/blog-post.html' title='法要がつづきますね…。'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-6018813213206287568</id><published>2009-05-21T20:54:00.001+09:00</published><updated>2009-05-21T20:54:37.351+09:00</updated><title type='text'>ガーデニング・ウィーク</title><content type='html'>　5月というと、真っ先に気になってしまうのは、大型連休をどのようにして過ごすか、この一点ではないでしょうか。はたして皆さんはこの5月のゴールデンウィークをどう過ごされたのでしょうか、お聞きしたいところですね。もっとも、大型連休とは言うものの、昨今、世上を賑わす｢新型インフルエンザ｣の影響もあって、思っていたより遠出をする人は少なめではなかったかと推察致します。但し、海外旅行組は、大型連休に入る直近で｢新型インフルエンザ｣騒動が起きても、｢せっかく休みをとったのだから、今さら海外行きは止められません｣と言ったところでしょうね。そこから例年の如く、成田空港は賑わいを見せていたのではないかと思います。&lt;br /&gt;さて、今年のゴールデン・ウィーク、我が家では一体何をして過ごしたかといいますと、ちょっとお恥ずかしいのですが、普段の日常生活で困っている事の解決、日常品として足りていないものの購入をはじめとする｢生活リメイク行動｣(私が勝手につけましたが、要はお買い物です)に勤しんだところです。特に、私自身に関して言えば、｢長靴｣の購入です。&lt;br /&gt;「えっ、長靴？今時いつ履くの？」といった感じかもしれません。&lt;br /&gt;確かに、私も小さい頃は、「あんな長靴なんてダサイ、絶対履くものか」などと言ってはいました。しかし、私も今年で4回り目に入った年男です。いつまでも、そのような容姿・ルックスにこだわりをもつ年でも無くなってきました（う～、寂しいねぇ～）。例えば、私自身通勤や地元回りの際には、自転車（ママチャリ）を利用するのですが、雨の降りしきる日に自転車に乗っていると、どうしてもペダルを漕ぐ足元、特に踝近くがどうしても雨でぬれてきてしまい、そのジットリ感は余り気持ちのいいものではありません。長靴があれば、靴下もズボンの裾も濡れませんし、そもそもこれまで履いていた革靴が濡れて痛むという事も無くなります。「うーむ、これは倹約にも繋がるワイ」なんて感想を漏らしながらも、｢何でもっと早くから長靴を履かなかったんだろう｣なんて感想を漏らす年頃です。また、私の趣味の中の一つに｢観賞魚飼育｣というのがありますが、この冬、我が家の池の掃除に際して使う長靴が水漏れをするので、気持ち的にも冷たくかつ寒い状況下で池の掃除をしなければならない有り様でした。&lt;br /&gt;ここまで話してきますと｢もっと早くに、さっさと長靴を買えばいいじゃない」といわれそうです。確かにおっしゃる通りでして、いつも道を歩いていて靴屋さんを見かけて立ち寄っては、お店のご主人に｢長靴はありませんか？｣と尋ねたりしていたのです。しかしいつも、｢長靴は、今はもう置いてないんですよ～｣と言われるのが大半で、ごく偶に｢ハイ、ありますよ｣と言われ、｢やった!｣と喜んでみても、それが調理場用の白い長靴だったりしたものでした。結構売ってないものです。いま時、長靴は…。&lt;br /&gt;この大型連休に入る前に、たまたま新聞折込チラシを見ていて目に留まったのが、我が家からそう遠くないところにある大規模な・何でも有り的な｢某ホームセンター｣のカラー刷り広告です。そこにしっかりと載っているではありませんか、ナ・ガ・グ・ツ。しかも写真からして見事な黒光り・光沢を放っています。&lt;br /&gt;｢これですよ、これ。もう買いに行くしかない｣&lt;br /&gt;大型連休に入るや否や、荷物の沢山積める軽四自動車で買い出しに向かいました。何せ、大型連休中です。開店時間の午前10時にはしっかりと混みはじめるだろうとの予想のもとに自宅を出発し、開店とほぼ同時にこの大規模ホームセンターの屋上駐車場に滑り込んでいきました。もう次から次へと車が滑り込んでいきます。こういった光景は、よくテレビの画面で見かけるなと思いきや、日本の自動車を海外に輸出する為に、港に停泊中の大型輸送船舶に、次々に大量の自動車を積み込むときがそうですね。&lt;br /&gt;満車になる手前ぎりぎりで車を置く事が出来て一安心した後、その後は早速買い物用カートを押しながら、辺りを物色し始めました。一番のお目当ては、広告にあった｢紳士軽半長靴｣と我が家の池の掃除用としての｢紳士カラーブーツ｣です。発見次第直ぐ購入したわけですが、このときの心境は、やっと目的を達成したといわんばかりの、あたかも登山家が登頂に成功した時の心境です(何で山登りをしない私がその心境がわかるのか、ちょっと不思議…)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お目当ての買い物が済んで、後は適当にホームセンター内を見回り、さっさと帰えろうと思って外に出てみたが最後、あるわあるわ植木が、家庭果樹の苗木が、綺麗な花々が、赤玉土が、腐葉土が、堆肥が…。こうなってしまうと、私の趣味の中の一つ｢家庭果樹栽培と園芸｣への熱い思いが込み上げてきてしまうわけです。しかも今年は、園芸を少しでもかじっている方ならお分かりの特別な年なんです、アニバーサリーなんです。ディズニーランドの25周年にも匹敵するかも知れませんよ!!(実は、ディズニーランド、ディズニーシーの遊園も趣味です)。&lt;br /&gt;実を言いますと、今年は｢サフィニア20周年｣なんです。&lt;br /&gt;｢サフィニア｣とは、春から秋にかけて咲き続ける花のことです。&lt;br /&gt;～鮮やかな花色、丈夫で豪華、秋まで長く咲く｢サフィニアパープル｣の衝撃的なデビューからはや20年。年々サフィニアを愛する者は増え続け、それに比例するかのように、毎年数々の、花への思い入れ、花との出会いからエピソードまでが育まれる。20周年を迎えた今も、新しい色、新しい商品が生まれ続け、そのラインナップは止まることを知らない。とりたてて園芸好きでない方も知っているはず。街角を歩いて周囲を見渡していると、必ずと言ってよいほど目に飛び込んでくる花。ある時は、殺風景な家の周りを華やかにし、ある時は、毎年道路沿いのフェンスに吊り下げ式で飾りたてる。日本国内はもとより、テニスの国際大会のウィンブルドンの会場や、南フランスの街に溢れている光景は定番とも言える。それほどまでに世界中で愛されている花、それがサフィニア～&lt;br /&gt;大分大袈裟になってきましたね。今回私が久しぶりに買い求めてしまったのは｢イエロー｣｢ストロベリースカッシュ｣｢ディープパープル｣の3色ですが、ものはついでにと言う事で、今回始めてチャレンジすべく｢ミリオンベル・チェリーピンク｣｢同・プラチナピンク｣も購入してしまいました。それと後は、赤玉土25リットルを一袋買うだけです。腐葉土や堆肥・肥料だけは我が家にありますから…。&lt;br /&gt;さあ～、咲かせ続けますよ～、サフィニアとミリオンベル!!&lt;br /&gt;今回のゴールデンウィークは、ガーデニングウィークとなってしまいました。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-6018813213206287568?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/6018813213206287568/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=6018813213206287568' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6018813213206287568'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6018813213206287568'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/05/blog-post_21.html' title='ガーデニング・ウィーク'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-1527659792087444085</id><published>2009-05-21T20:51:00.001+09:00</published><updated>2009-05-21T20:53:41.446+09:00</updated><title type='text'>桜を愛でることができるなんて・・・</title><content type='html'>　お花見シーズンもこの東京では一段落して、ほとんど葉桜になってしまっている桜の木に、もはや道行く人々もあまり関心をもたない時期となりました。元来お酒やタバコを嗜まない私も、今年はたった一回こっきりではありますが、3月28日の土曜日の夕方、豊島区営グラウンドで行われた「さくら祭り」に参加してきました。&lt;br /&gt;この「さくら祭り」も、昭和50年代の半ば頃に地元町会の人たちが集まって、毎年3月の最終土曜日に実施したのがきっかけと聞いております。その「さくら祭り」ですが、今回の私が参加しますグループの集合時刻は、午後7時と聞いていましたので、その10分前位に行ってみたところ、既にブルーシートがあちこちに敷かれ、その中心部前方には、特設ステージが設営されていました。当日は結構な肌寒さでしたし、また桜の花それ自体が2分咲き程度でしたので、「こりゃきっと参加者もまばらだな」と思っていましたが……、いやいやどうして、なぜかくも桜は日本人を引き付けてしまうのかと思い知らされるような参加者でした。しかも、ブルーシートの前には、何やら白っぽいプラカードが立ててあり、何か書かれています。「何が書かれているのだろう」と思って覗き込んでみると、参加町会と各種団体の名前が書かれていました。第2地区区政連絡会から4町会が、第12地区区政連絡会から２町会がそれぞれ参加し、陣取っていました。また、会場が区営グラウンドですから、豊島区体育協会のプラカードもあり、体協役員の皆さんの顔ぶれも目立ちました。&lt;br /&gt;　いざ宴会に入って、私はぶるぶると震えながら、冷たいビールと日本酒、そしてお弁当を頂戴したわけですが、こういう状況ではいくらアルコールを飲んでも体が温まらないことが分かりましたし、その一方で、ほろ酔い気分で会場内をふらついている人がうらやましくも感じちゃいました。特に、しこたま飲んだ後「あの後は覚えちゃいね～」という人がいるかと思いますが、私からすれば、そういう人は、人生の達人に見えてしまいます。&lt;br /&gt;会場内ステージではカラオケやコーラスで盛り上がっています。こっちは寒いぃ～。でも、お呼ばれした形での参加でしたので、むやみに帰れない経緯も抱えています。つくづく夜桜見物の場合は、時間・場所等から、しっかりと出・欠を決めなければ…、そう感じた夜でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今年、東京での桜の開花の具合は、特に学校などの入学シーズンに、どんぴしゃと言えるでしょう。新年度を、桜の花を愛でながら気持ちよくスタートを切った方は、さぞかし多かったかと思います。&lt;br /&gt;新年度の豊島区の公立小・中学校の入学式は、4月の6・7日に行われましたが、ずれの日も桜満開の中で執り行うことができました。これも、私の記憶では珍しい部類に入る現象だと感じていますし、私自身、自分の小・中の入学式は雨の日だったと記憶しているので、うらやましい思いを抱きながら、母校の高松小・千川中の体育館内にて、音楽に合わせ手拍子をとりながら入場してくる新入生を迎えました。&lt;br /&gt;この公立小・中の入学式の前になりますが、4月の2・3日と、母校の立教大学の入学式が、池袋西口にある東京芸術劇場を会場として執り行われました。大学の入学式ですから、保護者の方の数も当然増えますし、立教はこのところ学部を新設した経緯もありますので、会場の東京芸術劇場にも一度では入りきれず、各学部に分けたことは勿論、期間も2日間にわたって実施しました。このときの池袋西口公園の桜が、ぱっと見た目ですが、8分咲きといったところで、しっかりと咲き誇っている様が、その日のあっぱれな快晴とも相まってとても美しく見えました。&lt;br /&gt;両日とも、豊島区やとしま未来文化財団をはじめ、地元の各種団体さん（NPO法人ゼファー池袋まちづくり、池袋西口商店街連合会、そして豊島立教会）が、新入生は勿論その保護者の皆さんに対し、さまざまな歓待を展開しました。&lt;br /&gt;私は両日とも、池袋西口公園内にて毎年恒例の新入生歓迎無料ソフトドリンクのサービスをしていました。今回も、各学部の入学式が終わって、会場から出てくる新入生の波に洗われるが如くでしたが、ふと気がつくと、公園内の円形の噴水の方から、人の列が風船につながっている紐のように伸びてきていることに気がつきました。なんだろうと思って近づいてみますと、噴水の前に、白字で「立教大学『祝』入学おめでとうございます」と書かれた、紫色（立教カラー）の立て看板があり、噴水とその後方にある桜の大木を背景として記念撮影をしているのでした。「これは確かに素晴らしい思い出の一コマが撮れるな」と感じたと同時に、先端の方では既に母校の先輩が並んでいる人達の気持ちを察して、回転をよくしようと、カメラマンをしてあげていました。「本橋君も手伝いなさい!!」。先輩に促され、私も早速カメラマン(下手なんです、私)ということになりました。先輩とそれぞれ手分けして、次の撮影を待っている方のカメラマン役を順繰りに務めるという形が、誰彼と言われることなく自然と出来上がりました。&lt;br /&gt;ファインダー越し(デジタルカメラ越し？)に視界に入ってくる新入生の何と初々しいことか。また、ご自身のお子さんの大学入学を祝う親御さん達の何と晴れがましい表情と雰囲気か。当日の快晴、空に向かって溢れ出る噴水の音、そして背景にそびえる桜。その場を包みこむすべてのものが、私たち新入生歓迎部隊のメンバー一同をも包み込んで、楽しくも晴れやかな気持ちにしてくれました。初日の4月2日は所用のため途中で抜けてしまったのですが、翌日もまた同様に記念撮影の列ができだろうと推測し、混雑を見込んで、私の事務所に出入りしているの若者を3人を、急遽カメラマン役として動員しました。一人は学習院大学3年生、もう二人は同じ中央大学2年生といったメンバーでしたが、三人とも一様に、自分達の頃の入学式について感想を漏らしていました。先ほどの初々しさもさることながら、こうしてOB・OGがテントを張ってまでして無料ドリンクを配ってくれるなんてなかった旨の感想を漏らしていました。&lt;br /&gt;さて、新入生達が夢と希望を持って入学した後、真っ先に話題になる事柄は、なんと言っても東京6大学野球ではないでしょうか。4月の11・12日が春季リーグ第1週ですが、わが母校立教大学野球部は慶応大学と対戦、初戦は勝ったものの、第二戦を落とし、一勝一敗で迎えた第三戦の13日、慶応の投手に散発4安打に抑えられてしまい、結局12対0で大負けを喫してしまいました。&lt;br /&gt;12対0かぁ～。今年は桜を十分愛でることができたし～。こんな桜の花の散り際のような負けっぷりも……、今年は許せちゃう…かも。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-1527659792087444085?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/1527659792087444085/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=1527659792087444085' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1527659792087444085'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1527659792087444085'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/05/blog-post.html' title='桜を愛でることができるなんて・・・'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-3530967188607519758</id><published>2009-03-26T17:37:00.000+09:00</published><updated>2009-03-26T17:39:25.587+09:00</updated><title type='text'>教室パトロール</title><content type='html'>1月の下旬から2月の中旬にかけて、いわゆる｢学校参観週間｣と｢道徳授業地区公開講座｣が、豊島区内の小･中学校において行われました。これに参加された方々もいらっしゃるかと思いますが(どういう感想をもたれましたか？)、私自身も、2月6日に行われたそれらに、事務所に来ている若者達を連れて、午前中は区内某中学校のを、そして午後は2つの区内某小学校のを、それぞれ参観してまいりました。&lt;br /&gt;そこで何を見て、何を感じたかと言いますと････。&lt;br /&gt;いやいや、今の子供たちを取り巻く環境は甚だ厳しいものがある、そう巷で言われて久しいですが、こと教育の基本中の基本ともいえる｢学校教師の質｣の劣化を大きく問題視せざるを得ない、と言いますか、それはもう危機的状況･危険水域に来ていると体感してまいりました。&lt;br /&gt;本区で熱心に展開しているこの学校参観週間ですが、これは｢授業の様子を公開する事で、学校･家庭･地域の連携を深め、開かれた学校づくりを一層推進することが目的｣とされてはいるものの、余り成功しているとは思えません。今回のは、第3学期ですが、私自身、暇を見つけては第1学期・第2学期と、地元の母校の小･中学校をはじめとして、その周辺にある小･中学校(隣接校)までつぶさに参観しておりますが、如何せん参観者が少なすぎます。ここでは、毎度御馴染み(失礼!)のいつもの方々(ＰＴＡの役員･青少年育成委員･民生委員･町会役員)がふらっと来て、さくっと参観して、ハイおしまい、といった具合で終わっているのが殆どです。もっともっと工夫の余地が、大いに有りといえます。いっそのこと、としまケーブルテレビでも入れて、今行われている授業風景を放映して、多くの区民の皆さんにも見てもらって、｢生徒としてわきまえなければならないこと｣｢先生としてなさねばならないこと｣、これらを一緒に考えてもらう機会が必要ではないでしょうか。それ位の事をしなければ、戦後の日本の発展を下支えした教育は溶解していくに違いありません。&lt;br /&gt;何か、本橋さん大袈裟じゃないですかぁ～。一体全体何が授業中行われているんですか？&lt;br /&gt;そう聞かれそうですね。まあ、行われている(作為)、と言うより、行われていない(不作為)のが問題と言う事でしょうか。詳しくはこの後の、一緒に参観した若者の感想に委ねたいと思いますが、端的にいいますと、公立の小･中学校の先生におかれましては、もっともっと毅然とした態度を生徒に対してとってほしいと言う事です。これは男性教諭･女性教諭を問いません。兎に角生徒に対して甘すぎると言う事です。しかも、若者の書いた出来事は、その時間内なら、何時でも･誰でもが参観することの出来る、学校参観時の出来事ですから、これが、そうではない普段の授業の時だったら、一体全体教室内はどうなっちゃっているんだろうと不安で仕方がありません。いっそのこと教室パトロール(○○エンジェルスみたいな？)でもしたい位です。&lt;br /&gt;平成19年2月5日に、文部科学省は、現場の教師が少しでも毅然とした｢指導｣が出来るようにと、いわゆる｢体罰｣基準を通達しました。その詳細は避けますが、肉体的苦痛を与えるものでない限り、放課後の居残り指導や、授業中の今日室内での起立命令を体罰としないなど、生徒を指導するにあたって先生が萎縮しないように、分かりやすくポイントを示しております。勿論、杓子定規的･画一的に大鉈を振るえるものではなく、現場がケース･バイ･ケースで判断するという大原則が極めて重要である事には変わりがないでしょうが、現場の先生におかれましては、この通知を熟読吟味していただき、生徒指導にブレることなく、毅然とした姿勢でもって臨んでいただきたいと、切に願う次第であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;学校参観&lt;br /&gt;辻　綾香(中央大学)&lt;br /&gt;豊島区立某中学校一年二組の国語の授業を参観しました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;生徒→教室に入る前からざわついていた。入ってしばらくは、私たちの存在が気になったようだが、しばらくすると友人との私語に没頭し始めた。さらに、隣だけにとどまらず、列を超えてまで、私語をしている。その私語の声も大きく、私たちがはっきりとその内容を、聞き取れるほどであった。特に、後ろのほうにいた男子生徒三人は、先生に背を向けるような形で、体系を組んでおり、聞きたくもない話題で盛り上がっていた。完全に、授業そっちのけであった。他にも、あちこちで私語のグループができており、はっきり言って、生徒たちのやりたい放題という印象を受けた。教師が授業の途中で、教科書の音読テープを流してからも、私語の多さは変わらなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;教師→先ほど前述したように、教室に入る前からとても騒がしかったので、てっきり自習なのかと思っていた。しかし、教壇には教師が立っていた。教師は、「静かに」と言うのでもなく、ただ淡々と自分の業務である授業を、こなしているだけ、というふうに私の目には映った。それが、あまりに私語が多くて、手に負えない状況にまで、きているからなのだろうか。教師は半分私語を、というか生徒を無視しているようにもみえる。また、比較的教師の近くにいるおとなしそうな前方の生徒には、働きかけをするが、私が一番目についた後ろの方の男子三人には、一度も注意はしなかった。私が、この教師の立場だとしたら、確かにあまり関わりあいをもちたくはないグループではあるが。注意すべき生徒が、注意をしにくい後ろの方にいる席順にも問題があるのでは、と感じた。そして、生徒の私語に教師が加わって、一緒になって楽しんでいる場面も見受けられ、教師としての風格が、既に危うくなっていた。&lt;br /&gt;　感想→私の中学校は、とても規則が厳しかったので、この学校を視察して、カルチャーショックを感じた。鞄指定、キーホルダー禁止、ブレザーを着ずにセーターで授業を受けるなど、言語道断という学校で育った私からすると、この学校の習慣？を受け入れることは、難しい。どちらがいいとは言えないが、もう少し、教師が権限を使って注意をするくらいはいいと思った。学校に入った時は、とても、綺麗で清潔、明るい色調も手伝って開放感に満ち溢れており、よい印象を受けただけに、授業の質とのギャップを色濃く感じてしまった。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-3530967188607519758?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/3530967188607519758/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=3530967188607519758' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/3530967188607519758'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/3530967188607519758'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/03/blog-post_26.html' title='教室パトロール'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-5012090630276275436</id><published>2009-03-26T17:35:00.000+09:00</published><updated>2009-03-26T17:37:18.568+09:00</updated><title type='text'>同期の結婚式にて</title><content type='html'>つい最近、私の高校・大学時代の友人の結婚式が、フォーシーズン・ホテルで執り行われました。当日の天気は？と言うと、あたかも二人の幸せぶりを私も見たいといわんばかりに、お天道様も覗き込んでいる、そんな良い天気でした。&lt;br /&gt;開演時刻よりも前に到着すると、既に懐かしい仲間達がワイワイと話し合っています。新郎は高校時代野球部でしたので、野球部関係の知り合いが大きな集団を形作って思い出話をしていました。運動部仲間として私も分け入って会話に参加していると、これまた懐かしい高校の野球部の監督が到着し、会話に加わってくれました。私自身は、アメリカンフットボール部でしたので、この監督さんとは部活でのご縁はなかったのですが、それでも私には忘れられない思い出が、ご恩が、この監督さんにはあります。&lt;br /&gt;～昭和49年春、豊島区立高松小学校を卒業した私は、そのまま地元の公立中学校である豊島区立千川中学校に入学。小学校時代から、学内では球技クラブを、地元の地域では、高松少年野球会に所属し、特に野球に熱中する。千川中学校に入学直後、私は我が目を疑う、いや茫然自失する。何と、野球部がない。最も、数年前までは野球部はあったとの事。しかし何故野球部が廃止されたのか、その理由は未だに謎。それまで地元の原っぱ、城北公園内にあるグラウンドにて野球三昧で過ごしてきた私にとって、心と、体が真空に。だが、発想の転換を考える。｢無いものは、作れば良い｣と～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;入学してから驚く方がお粗末とも言えそうです。兎に角、入学直後は他のスポーツをするわけでも無く、まったりと静かにしていたものの、やがて、中学2年になると、野球部の設置に向けた活動を起こし始めました。野球好きの連中が集まり、話し合い、計画を立て、体育の先生は勿論のこと、野球やスポーツに造詣の深い先生への陳情行動を熱心に始めました。その甲斐もあってか、その効果があったのか、私が中学3年生の春から、野球部が復活する事が決まりました。その後は、廃部になった理由が、チームが弱くて一勝も出来なかったからだ等、私たちを焦らせる情報も飛び交ったり、当時の私たち部員は、こりゃ負けたらまた廃部になるぞとの危機感を持って、ようやく割り当てられたグラウンド使用日に、必死になって練習したのを思い出します。但し、悲しいかな、千川中学校の校庭の狭さと、現在のように防球ネットが無い事から、打撃練習を始め、外野へのノックも出来ないといった有様でした。そして私自身こりゃ参ったというのは、中学一年生の頃は身長が145センチメートルしかなかったのが、3年生ともなると、175センチとなり、30センチも身長が伸びており、かつてのユニフォームが着れないことでした。ユニフォームぐらい直ぐ作ったら良いのにと言われそうですが、こちらは何年振りかの野球部なんです。兎に角、体操服やジャージでも良いから練習に打ち込みたくて仕方が在りませんでした。その挙句に、練習試合の時には、少年野球をしていた時の後輩からユニフォームを借りたりしていましたっけ(ちょっと高圧的だったかも)。&lt;br /&gt;～千川中学校の野球部はこうして再び再起動し、夏の大会の大会に向けて練習に明け暮れる。やがて夏の大会の抽選が行われ、初戦の相手が、豊島区立中学校適正配置計画にて今は無き、第十中学校(現在は明豊中学校)と決まる。私は、5番：ショートで先発出場。試合は、ある意味で、投手戦となる。結果は、4対1で敗戦。私の中学校での野球人生は、一敗の歴史を刻んで終わりを告げる～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今でこそ｢肘を壊す｣といった理由で、小中学生の投手は、カーブをはじめとした変化球を投げる事は禁止されていますが、当時は今と違って、変化球オーケーの時代でした。十中のピッチャーですが、ストーレートもコントロールもいまいちのピッチャーで、これはオーケーかなとも思っていたのですが、チョコチョコと微妙に曲がる小さなカーブ(今で言うスライダーとカーブのあいのこで｢スラーブ｣)を、器用に且つ要所要所で投げてきました。私への勝負球は必ずといってよいほど、このスラーブで、結局のところ3打数ノーヒット、しかもセカドゴロ2つといった、散々足る有様でした。&lt;br /&gt;～中学時代の野球で不完全燃焼だった私は、高校時代は野球をやり、甲子園を目指そうと決意(ほんとに目指すだけ…)。高校受験は、第一志望群は大学受験進学校を、第二志望は東京六大学の付属を狙い、都立高校を滑り止めに。最も、都立高校を滑り止めというのも、都立さんに対して失礼な話。実際は、男女共学の都立がイヤだったのと(これまた失礼)、中学時代をやんちゃに過ごしてきたせいか内申が低く、第41群の小石川・竹早が若干厳しかったのが真相～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;昭和52年春、高校一年生の私は、両翼99メートルもあるグラウンドのレフト側にある土手に座って、野球部の練習を熱心に見学していました。高校受験でしばらく遠ざかっていた懐かしいあの掛け声、そして当時高校野球に導入されたての｢金属バット｣の打球音がグラウンド中に響き渡っていました。ここで野球が出来るんだなと思うと、胸がワクワクしましたし、それまでの運動不足がいっぺんい吹き飛ぶような気がしました。その時です。監督が近づいてきて、話しかけてくれました。熱心に見学しているこちらの思いを察してくれたのでしょうか。早速矢継ぎ早に質問が飛んできました。｢君は中学の時はどこを守っていた?｣｢何番を打っていた?｣｢100メートルは何秒で走る?｣。イヤイヤ、さすがに元旦以外は休み無く、日々甲子園を目指して練習している野球部の監督さんです。その目は、私がはたして使えるか使えないかの目をしていました…。&lt;br /&gt;その一方、かねてから、どうしても私に来て貰いたいと言ってくれていた部がありました。それがアメフト部です。結果的には、自分自身と折り合いをつけ、急旋回する形でアメフト部に入部し、やがて高校2年生の時に全国大会ベスト16になりました。その年野球部の方は、夏の甲子園の埼玉県大会決勝に迄いったものの、決勝戦で所沢商業に負け、あと一歩で全国大会の甲子園を逃してしまったのです。結果的には我がアメフト部の方が優ったことになります。&lt;br /&gt;あの時の監督の真摯で熱心な質問攻めが無かったら…。&lt;br /&gt;それから30年後の今、目の前にいる監督さんに有難くも、懐かしさの思いを込めた御挨拶と握手をさせてもらいました。&lt;br /&gt;この年齢になってからの同期の結婚式って、こういった出会いがあるから嬉しいですね。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-5012090630276275436?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/5012090630276275436/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=5012090630276275436' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5012090630276275436'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5012090630276275436'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/03/blog-post.html' title='同期の結婚式にて'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-8803885035000734003</id><published>2009-01-16T18:02:00.001+09:00</published><updated>2009-01-16T18:04:43.360+09:00</updated><title type='text'>また大河ドラマ…始めますか</title><content type='html'>新春を迎え、名店街ニュースをお読みの皆様方におかれましては、益々ご健勝の事とお慶び申し上げます。もっとも、アメリカのサブプライム・ローン問題に端を発した世界的な金融危機は、需要の減少や株価の下落をもたらし、企業や消費者の心理は冷え込んでしまっているのが現状です。名店街の皆様方におかれましては、言葉では語り尽くせない非常に厳しい現実の真っただ中におられるかと思います。ただただ実りの多い丑年になります事を祈念いたしております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;  &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   さて、昨年のNHK大河ドラマは、薩摩藩の島津家から徳川13代将軍「家定」の正室・御台所となり、夫の死後も激動の幕末を徳川の人間として生き抜いた「天璋院篤姫」の波乱に満ちた人生を描いたものでした。&lt;br /&gt;～幕末の動乱期。薩摩の大地で桜島の噴煙を見ながら錦江湾で遊ぶ純朴で活発な少女がいた。やがて彼女はいきなり徳川家将軍の正室になり、俗に3000人の女性がいるという大奥を束ねる人生を歩む。藩主の島津斉彬からは将軍のお世継についての密命をも帯びる。もっともこのお世継問題は思うようにはいかず、一年半で夫に先立たれてしまう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   密命とは違う後継将軍家茂に嫁いできた孝明天皇の妹・和宮との関係に悩みながら、実家の薩摩藩の軍勢に攻め立てられる徳川家を必死で守ろうとする。&lt;br /&gt;　自分の身内である天皇家と敵対することになってしまった和宮との関係も和らぎ、今度は共通の敵となってしまったかつての身内（薩摩軍と管軍）に対して、二人は一緒に、必死に徳川家を守り抜こうとする。その結果、江戸城の無血開城。徳川家の血筋の死守。そして、後継者の育成に余生を捧げ、47歳の生涯を閉じる～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   このNHK大河ドラマの「篤姫」ですが、かなり視聴率も良かったらしく、年末恒例の総集編も「分かってるけど見ちゃったよ～」といった方も多かったのではないでしょうか（私もはじめて総集編で「篤姫」を見たクチです）。この「篤姫」ですが、皆さんはどのような思い入れをしながらご覧になられたのでしょうか。&lt;br /&gt;　えっ。そう言うお前はどうだったのかって?　私はと言いますと、実はここ数年、NHKの大河ドラマはパスしていたところがありました。と言いますのも、なんだかんだと言いましても、大河ドラマ、特に歴史上の人物をダイナミックに取り扱う長編歴史時代劇の分野においては、何よりもキャスティングの面と、史実にかなった時代考証に注目するところがありまして、ここ数年は配役に重厚さが感じられなかったり、その時代考証と認識に戸惑いを覚えたりして…、加えて、私自身が最後に夢中になって見た大河ドラマが、西郷隆盛や大久保利通など、薩摩藩士が続々と出てくる「飛ぶが如く」（司馬遼太郎作）で、これでもう幕末・明治期のものはいいかな、そんな印象を持ってもいたからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;  今回もシーズン中は全くと言ってよいほど「篤姫」を見てはいませんでしたが、「えっ、面白いですよ」とか、「なんだ、お前見てないの」といったご意見をいただきましたので、安直ではありますが、総集編で視聴させていただいた次第なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   それにしても、なぜ「篤姫」だったんでしょうかね。これまでの大河ドラマを見て私なりに感じていることは、「国取り物語」や「天と地と」、そして「風林火山」といったものに代表されるように、あくまでも主役は信長・秀吉・家康の３大スターから、源義経・足利尊氏・武田信玄・上杉謙信・赤穂浪士・伊達政宗などの超有名人であって、「篤姫」の存在は、少なくとも私からすれば、「マイナー」でしかありませんでした（「篤姫」ファンの皆さんゴメンナサイ）。それは、例えば「和宮様御留」（有吉佐和子作）を読んでみても分かります。「篤姫」は、江戸城で孤立するかわいそうな皇女・和宮に辛く当り散らす、言ってみれば姑根性丸出しの嫌みな女性という印象がすでに定着しているともいえ、大衆的人気とは程遠い存在と言ってよいのではないかなと……。&lt;br /&gt;そうした中で、ポイント・視点のおきどころが、今回の「篤姫」の脚本担当者のコメントにあると私は思っております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   ～この国が混乱を極めていた時代に、最後まで「誇り」と「覚悟」を失わな&lt;br /&gt;かった女性、篤姫。愛する故郷である薩摩が、そして皮肉にも婚礼の仕度&lt;br /&gt;役だった西郷吉之助（隆盛）が刃を向けて来た時、実家よりも婚家を守り&lt;br /&gt;通そうとしたその姿勢に、日本人が失ってしまった、そして今の日本人に&lt;br /&gt;何よりも必要な「何か」が秘められているのではあるまいか～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   この「篤姫」脚本担当者のコメントを読んだ時に、私がフッと思い出したことがあります。それは高校・大学時代の頃よく読んだ「福田恆存」の言葉でした。（うろ覚えではありますが…）「生産という局面で人はつながり、消費という局面で人は孤独になる」　例えば、家業が魚屋さんだとして、そこではお父さんがお店の奥で魚をさばいたり・焼いたり、お母さんは店先でお客さんを呼び込んだり、品物の受け渡しをしたり、夕方になって家に帰って来た子供は、お店にいるお父さん・お母さんを手伝ったり、あるいはお母さんに代わって夕飯の準備をしたり、まさに親御さんの仕事・家業のお手伝いをしたりする。こういった生産という関わり合いがあって、親子の絆・紐帯といったものが育まれたりする…。他方、家業の手伝いもせずに、ただ単に学校に行っているだけ、そして家に帰ってきたら自分の部屋でパソコンをいじっているだけの子供を想像した時、そこに生まれるものは独立しあった・解体された個の存在でしかない…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   家とか家族というものには、プライベートな面（消費的）がある事は勿論ですが、それ以外にも公的な面（生産的）も併せ持った、社会を構成する人間集団の最小基本単位であることを私達は再認識しなければならないということや、現代の複雑な社会構造のなかにあって、家とか家族はどうあるべきかを考えるきっかけにしたい。このあたりが「篤姫」という大河ドラマの見所だったのではないかと、私なんぞは感じております（今年は我が家でこの答えを見つけ出したいものですね）。&lt;br /&gt;いやいや、総集編でこれだけ大河ドラマにはまってしまいますと……。&lt;br /&gt;今年始まったばかりの「直江兼続」も楽しみになってしまいました。&lt;br /&gt;また大河ドラマを見はじめましょうかね…。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-8803885035000734003?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/8803885035000734003/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=8803885035000734003' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8803885035000734003'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8803885035000734003'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2009/01/blog-post.html' title='また大河ドラマ…始めますか'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-5621792556601370766</id><published>2008-12-26T14:05:00.005+09:00</published><updated>2008-12-26T14:14:14.672+09:00</updated><title type='text'>街まもり・街づくり</title><content type='html'>　今年も残り僅かとなりましたが、名店街ニュースをお読みの皆様方は、いつも年末をどのようにお過ごしになるのでしょうか。&lt;br /&gt;私の方は、今年もほぼ例年通りといった感じでありまして、先ずは、毎年、年末の大晦日前の五日間を通して実施される地元町会の歳末警戒での火の用心活動(主に拍子木打ちを担当してま～す)、そしてお決まりの事務所や自宅の大掃除などに、ほとんど費やされてしまいます(特に、今我が家では男手が足りないんですよね～)。&lt;br /&gt;　さて、この歳末警戒に私が本格的に参加したのは、若干18歳・高校3年生の時でしたが(これ以前、子供向けバージョンがあったのを覚えています)、これ以降ほぼ毎年参加している状況が続いております。ある意味、これへの参加なくしてはカウントダウンが始まらないとも感じておりますし、参加し続けていればいる程、町会という組織の中の人間模様にも、なかなか味わい深いものがあることが分かってきました。&lt;br /&gt;　特に、町会の役員の皆さんから歳末警戒本部(高三会館)に届く差し入れがとても楽しみで、これを肴として飲む熱燗に、思わず舌鼓を打ってしまう参加者も多くいらっしゃいましたっけ。思えば、私が、はじめて、日本酒の熱燗が美味しいかな?と感じたのも、この年末の歳末警戒の場でありました。&lt;br /&gt;　私がまだ大学生の頃に町会活動に参加してくれる役員の皆さんの出身地は、とてもバラエティに富んでおりまして、ある方は北陸地方、ある方は北九州、そしてある方は北海道と言った具合に、ほぼオール・ジャパンと言いますか、ウィングの広さがありました。そういった方々から、その差し入れた商品がお祝い金と共に館内に大々的に張り出されることも手伝って、お国自慢といいますか、お国の特産品と言いますか、私達、特に拍子木うち実行部隊にはめぐってくるのであります。&lt;br /&gt;　その中で、私が毎年楽しみにしていたのが、新島出身の方からの、｢くさや｣の差し入れでした。このあぶってちぎられたものを肴にしてやる熱燗は、もともとお酒やタバコをたしなまない私にも、美味しいかな?と思うところが極めて大なのであります。最も、その差し入れをしてくれた方は、もう既に他界されてしまいましたので、今はもうくさやで一杯と言う事は滅多にありませんが、今ではとても楽しい思い出となっております。&lt;br /&gt;　こうして一杯やって、体を温めて、寒い夜警に繰り出して行くことを通じて感じたことは、この気忙しい時期に、町会の人達が一体感を持って街を守る、それは極めて尊い営みではあるまいか、と言う事です。&lt;br /&gt;　　&lt;br /&gt;　街を守る事も勿論ですが、街を再生していく事も大切です。&lt;br /&gt;　私の地元も、新築された都営住宅や副都心線千川駅・要町駅の開業、そしてこれからのコミュニティバスの運行をキッカケとして、町会の基盤がどのように変遷していくのかが楽しみです。&lt;br /&gt;最も、豊島区はなんと言っても池袋が中心ですから、池袋駅を中心としてその周辺地域の都市再生がとても大事になってくる事は言うまでもありません。ここ数年が勝負とされている、この地域を中心としたエリアに対する都市再生緊急整備地域の指定に、注目と期待が一点に集中すると言うものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　平成２０年を振り返ってみますと、豊島区それ自体にとって大きな変化の流れを感じた年ではなかったでしょうか。&lt;br /&gt;その一番は何といっても、６月14日の副都心線の開業でしょう。池袋、新宿、渋谷が一つの鉄道で結ばれ、わずか十数分程度で行き来ができるようになったわけですから。&lt;br /&gt;　最初の頃、池袋駅東西のデパート群では、顧客の流出が懸念されましたが、幸いにも、西早稲田や東新宿から、新しいお客様が来店するようになったという話しを聞いています。その一方で、三越池袋店が、平成21年５月をもって５０年間続いた営業に幕を下ろし、閉店するというショッキングなニュースがありました。豊島区が｢未来戦略推進プラン｣という政策に示しております、「文化と品格を誇れる価値あるまち」の実現にあたり、そのあとの活用は非常に重要であり、行政側も頭を悩ますところと言えます。それは池袋・新宿・渋谷を始めとした、都市間競争の激しさを増したことを実感する出来事でもあり、池袋副都心が、これまで以上に「住んでよし、訪れてよし」という街の魅力を発揮する必要性を皆さんが感じたところではないでしょうか。&lt;br /&gt;　池袋駅周辺に対する都市再生緊急整備地域の指定は、こうしたことへの街づくりの手段の一つとして大きく期待されており、この名店街ニュースをお読みの皆さんをはじめ、地元の各種団体からも早期指定の要望が極めて強いものでありましょう。都市再生緊急整備地域ともなりますと、都市計画事業を進めるに当たり、容積の割り増しなどの緩和策があり、公共貢献を伴う民間開発を誘導していくことにもなり、池袋の価値と魅力を、さらに高めるための、創造的なプロジェクトを生み出すことが可能になると言われております。池袋駅から新宿駅方面を眺めて見ますと、白い模様のコクーンタワーと呼ばれるビルが新しく建設されましたが、この建築物も、都市再生緊急整備地域の指定の中で計画されたものです。&lt;br /&gt;　現在、池袋では、池袋駅東西デッキ構想の推進に併せて、周辺地域において、民間による都市開発事業の機運が高まりつつあると思いますので、こうした動向をさらに促進させるためにも、早期に都市再生緊急整備地域の指定が必要です。と言いますのも、そもそもこの根拠規定となる都市再生特別措置法は、平成２４年３月までの時限立法なので、早急に民間と行政が総力を結集し、人と環境への優しさをコンセプトとした都市づくりを進め、都心部や臨海部ではなく、新宿や渋谷とも異なる個性を放ち、東京の中での役割をしっかりと果たせる魅力ある池袋副都心を築いていかなければならないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　話が地元の事から池袋の事へと飛躍してしまいましたが、これからも街の皆さんと共に歩んでまいりたいと存じます。ラン・ウィズ・ユー（run・with・you）。今年はこれをもちまして、つたない読み物(?)を終わらせていただきます。この一年、誠に有難う御座いました。&lt;br /&gt;　みな様、良いお年をお迎え下さい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-5621792556601370766?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/5621792556601370766/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=5621792556601370766' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5621792556601370766'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5621792556601370766'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/12/blog-post.html' title='街まもり・街づくり'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-6327990572605407703</id><published>2008-11-18T14:33:00.000+09:00</published><updated>2008-11-18T14:36:35.469+09:00</updated><title type='text'>児童買春・児童ポルノ撲滅</title><content type='html'>撲滅などと大そうな言い回しを使ってしまいましたが、最近の新聞報道からしても、子供たちをめぐるわいせつ関連事件の多さと言ったら、目をそむけたくなる程の勢いがあります。何時ごろの記事だったかは覚えていませんし、それが新聞だったか、週刊誌だったか、あるいはサピオ(これ好きなんですよね～)かは忘れましたが、いまどきの女子高校生の多くが、将来の職業として何になりたいか、との問いに対し、｢キャバ嬢｣との答えが一番多かった旨の記事を見たことがありました。冗談半分の、お笑いをとる意味も込めた設問だったのかは分かりませんが、昨今の世情からすると、笑って済ませる事は出来ない感じがします。特に最近目立つ事は、児童ポルノ関連の摘発事件の多さではないでしょうか。&lt;br /&gt;～ファイル交換ソフト:イーミュールを通じて児童ポルノ動画が国内外のユーザーに提供されていた事件で、埼玉県少年捜査課は12日、都内に住む36歳の会社員を｢児童買春･児童ポルノ禁止法｣違反容疑(提供目的所持)で逮捕。これに関する逮捕者は3人目。同容疑者が提供した動画は約10ヶ月で25万回ダウンロードされていたとの事。警察当局の取調べでは、同容疑者は10月16日頃、世界中の不特定多数に提供する目的で、児童ポルノの動画ファイル1個をイーミュールの共有フォルダーに保存した疑い。3容疑者のフォルダーには、猥褻動画や画像が約2千個保存されており、それぞれが5万から25万回ダウンロードされていたとの事～。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて、児童買春・児童ポルノに係る行為等の処罰および児童の保護等に関する法律(通称:児童買春･児童ポルノ禁止法)というのがありまして、これは平成11年(１９９９年)という、ごくごく最近に施行されたもので、１８歳未満の児童ポルノ画像の｢販売｣｢頒布｣｢撮影｣｢インターネット上での画像提供｣を、主に規制対象としております。当初はこの法律が大活躍して、児童ポルノ画像の規制を通じて、子供達を商業的性搾取から救ってくれるものと信じられましたが、なかなか事はそう単純にいきませんで、オミットされる事柄･局面がボロボロと出てくるといった状況があるようです。&lt;br /&gt;そこから、ようやく平成16年(２００４年)の児童買春･児童ポルノ禁止法改正により｢販売などの目的｣がなくとも、児童のわいせつな画像を｢交換｣し合う行為も処罰の対象に加わりました。&lt;br /&gt;この法改正は、一定の効果をあげてはおりますが、依然として児童ポルノに関する犯罪件数は、何度も言うようですが、年々増加する傾向にありまして、しかも個人を特定することも困難な状況にあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;では、諸外国での児童ポルノ規制に関する取り組みは、どうなっているのでしょうか。&lt;br /&gt;海外の取り組みを見てみますと、我が国と比較して、かなり大胆かつ思い切った取締りをしていると言う事ができると思います。&lt;br /&gt;特にアメリカのＦＢＩの児童ポルノの摘発作戦はお見事でして、｢イノセント･イメージス｣や｢オペレーション･キャンディマン｣など、コードネームまである始末です。&lt;br /&gt;実効性のあるやり方の一つに、｢単純所持｣(｢持っているだけ｣という状態)の者の罪を問う事が出来るようにする事です。勿論、単純所持が違法化された場合、いくつかの問題と危険性はでてくるでしょう。&lt;br /&gt;しかし、現に日本国内で、唯一単純所持を違法として罰している奈良県の条例:｢子どもを犯罪の被害から守る条例｣が平成17年(2005年)7月1日に公布･10月1日に施行されて、何か大きな問題が生じたでしょうか。&lt;br /&gt;むしろ、訳知り顔をして、やれ｢罪刑法定主義｣の中の｢明確性の理論｣とか、｢表現お自由｣とかを持ち出して、単純所持の規制を問題視して、児童買春･児童ポルノの氾濫を座視していることの方が罪深いのではないでしょうか。&lt;br /&gt;加えて、先進８カ国(Ｇ８)で｢単純所持｣を処罰対象としていないのは、日本とロシアのみであります。今日、グローバル化が進みまして、国際社会において各国が足並みを揃えて協力していかなければならない情勢の中、これは非常に残念なことでもあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢単純所持｣を規制していない現行法の問題点は沢山あると思いますよ。&lt;br /&gt;先ず、前述した事件でお解かりのように、現行法ではインターネット上に児童ポルノ画像を、掲載する（アップロードする）ことが違法ではないことから、違法画像がインターネット上にアップロードされることで不特定多数のインターネット利用者の手に行き渡ってしまい、結局のところ児童ポルノ画像の拡大、増加につながってしまうという最悪の事態を引き起こしています。&lt;br /&gt;次に、被害者に関しても、無数に･永遠に、自身のポルノ画像が存在すると考えることで、不幸にも被害に遭われた当該児童の立場としては、周囲の人に自分のポルノ画像を見られたのではないか･･･、と永遠に恐怖に怯えていなければならず、不当に大きな精神的苦痛を強いられることになります。&lt;br /&gt;さらに、児童ポルノ画像がインターネット上に散乱しているために、児童ポルノ画像を潜在的性犯罪者が目にすることで、児童に対する性犯罪を引き起こす引き金となってしまう危険性が常に存在します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;これらを予防するためにも｢単純所持｣だけでも規制されるべきではないでしょうか。パソコン内あるいは実際に手元に児童ポルノを所持する「単純所持」を規制することで、多様な問題や犯罪の危険性を根本から解決できる方向に向かうと信じております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最近若いアメリカ大統領が出ましたね～。&lt;br /&gt;イエス･ウィ･キャン(バラク･オバマ)でいきましょう!!&lt;br /&gt;昔骨のある牧師が居ましたね～。&lt;br /&gt;ウィ･シャル･オーバーカム(マーチン･ルーサー･キング)ですすめましょう!!&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-6327990572605407703?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/6327990572605407703/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=6327990572605407703' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6327990572605407703'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6327990572605407703'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/11/blog-post.html' title='児童買春・児童ポルノ撲滅'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-8241058041996608158</id><published>2008-10-19T17:37:00.001+09:00</published><updated>2008-10-19T17:41:21.985+09:00</updated><title type='text'>この夏の若者たち</title><content type='html'>　この夏、私の事務所の門を叩いた若者は、男子8名･女子7名の総勢15人で、過去最高を記録すると共に、どの若者も個性的でかつ能力がありました。ある若者が、トッフルだか、トイックかは忘れましたが、920点近い点数である事が知れると、周りの若者達からネイティブ扱いされたり、またある若者は、大学生になって今まで一度もアルバイトをしたことがないことを告げると、みんなからお坊ちゃま扱いされたり、その一方で、ある若者は、色々と家庭に複雑な事情を抱えながらも大検に受かって今大学生をしていたりと、まさに十人十色、様々な境遇の若者がやってまいりました(一つ特徴的な事として、今回は何故か、愛知県出身の若者が4人もいたことですかね～)。&lt;br /&gt;　今回も色々なところに若者を連れて回りました。先ずは区議会で行われる各種会議への参加は勿論ですが、私自身今仰せつかっている役目上、永田町にある自民党本部にもあしげく通ってもらいました。因みに党本部では、普段党幹部がプレス発表する場所に、自身もポーズを取ってみたり、また4階の自民党総裁の部屋に連れて行ってその椅子に座って記念撮影したのはいい思い出でした。&lt;br /&gt;この夏は色々な出来事に出くわすと共に、良いめぐり会わせもありました。その一つが、まだ記憶に新しい｢自民党総裁選｣です。若者の研修期間中にまさか総裁選があるとは思いませんでしたし、ここに小池ゆりこ陣営のメンバーとして参画したことは、まさに一生に一度の体験でしょうから、ほとんど全ての若者が興奮していたと共に、喜んでくれていました。&lt;br /&gt;もう一方で大事な活動が、私の地元で行われる諸々の催しへの参画です。ここでの鍛え上げがあってこそはじめて、若者に対して現場で行われている｢裸の政治｣を伝える事が出来るのです。地元町会の会合への出席は勿論の事、地元町会の盆踊りのお手伝い、地元の氏神様のお祭りのお手伝いなどなど、若者達には地域の中での人間の営みや、人と人との絆を感じ取ってもらいます。現場では特に、｢理屈で人は動かない｣｢助けは求めるものではない｣などなど、容赦なく本橋語録が飛び交ってきます(うるさいオヤジだな～、さぞかしそう思った事でしょうね)。&lt;br /&gt;最も、この夏の若者には申し訳ないことがありました。それは、研修期間中に私の父が亡くなり、葬儀･告別式と相成って、若者達の面倒を見れなくなってしまった事です。一度はみんなを集めて研修の中断を相談し合ったのですが、むしろ逆に、それも皆で手伝おうと言う事になってしまい、私としては恐縮するやら嬉しいやら、この夏の良い思い出です(あんときゃ、泣けてきたねぇ～)。&lt;br /&gt;こうして四季を通じて若者の育成に全力をあげて取り組んでいる私ですが、その評価はと言いますと？いやいや、これはやはり第三者に委ねたいですね。その第三者とは、地元町会の人たち、私の後援会の人たち、そして名店街ニュースをお読みの皆様方です。&lt;br /&gt;今回も無事、事件事故もなく、15人の若者達が一応巣立っていきました(居残り組みも多いんです)。その代表的若者の言葉を紹介させていただき、私と今の若者が何を目指しているかを汲み取って下さいますと、有り難いです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　『壁』　　　　　　　中央大学3年　大島宏介&lt;br /&gt;「議員」と「市民」。そこには小さくない壁を感じてきた。言ってしまえば「議員」は特別な人で、「市民」とは違う人種とまで思っていた。しかしそれは当然おかしなことだ。民主主義の構造上、議員は庶民の代表であり、庶民の声の代弁者であるべきなのだから。だが、20歳となり選挙権を得たことで、私の政治への意識が高まり、そういった論理を理解していても感じてしまうこの障害の認識を変えたくなった。政治家、特に国会議員は普段の生活の視点から言えば、新聞の文字やテレビのニュース、ワイドショーで目にする、いわばテレビタレント同然の位置にある存在であった。実際に目にするのも選挙活動やビラ配りくらいのもので、他にどういった活動をしているのかなんて想像もできなかった。だから、区議団幹事長をしている本橋さんが地元の夏祭りの手伝い・裏方の仕事をしているなんて思いも寄らなかった。&lt;br /&gt;振り返ってみると、最初の驚きは、本橋議員に初めてお会いした面談のときのことであった。「議員事務所」。この言葉から皆さんはどういった建物、部屋を想像するであろうか。私はテレビドラマのような、無機質にきちんと整った部屋を思い浮かべてしまっていたのだが、その予想はいい意味で大きく裏切られることとなった。本が壁一面の棚に並べられた和室。たったこれだけのことではあったが、私と「議員」の間の壁はそのときから少しずつ薄くなり始めていた。&lt;br /&gt;今回多くのことを経験させていただくことができた。議員の方々が主に使用する区役所のフロアを案内していただけたり、普段は行われていることすら知らないような、しかし重要な協議会を傍聴させていただけたり、町内会夏祭りの運営側のお手伝いをしたり、また、より政治的な活動としては街頭演説でのビラ配り、ポスター貼りのお願いに回ることなど、日常生活では遠い位置にあったさまざまなことを経験した。そして、それらのことから私は多くのことを学んだ。とても原初的な、隣人との関係・隣人への気遣いが政治という局面においても重要視されていることには驚きを感じずにはいられなかったし、またビラ配りやポスター貼りでは、今までは受け取る側・お願いされる側しか知らなかったが、手渡す側・お願いする側を経験できたことはとても貴重な体験であった。また、必要とされるマナーや言葉遣いはそれなりに自信があったのだが、その自信が打ち砕かれたことは就職し社会人になることを一年半後に控える僕にとって非常にありがたいことであった。ときどきではあるが、本橋議員と直接お話を出来たことも貴重な経験であった。一番心に残っている言葉がある。これは面談後の言葉だったと記憶しているが、本橋議員の事務所の本の多さについて私が話した時に、演説等をする際の知識量について本橋議員が語ったものである。「ああいうところで話すのにはしゃべっている内容の１０倍の知識がないとしゃべれないんだよ。」この言葉は常日頃、自身の知識の不足を嘆いている私にとっては大変な驚きであったし、過密な日程の中、徹夜で作業することもあったようだが、いつそういった膨大な量の本を読んでいるのか不思議に思い、また若い頃からの積み重ねの賜物なのかなと感じたことを覚えている。「議員」。私はこの言葉に以前ほどの壁を感じなくなった。これが一番の収穫かもしれない。これから先、私がどういった形で政治と関わっていくのかはわからないが、今回の貴重な経験が私の糧となり、「政治」「議員」というものを考えていくに当たって大きな役割を果たしていくことになるであろうことは自信を持って、言える。　　　　　　　　　　　　以上&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-8241058041996608158?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/8241058041996608158/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=8241058041996608158' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8241058041996608158'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8241058041996608158'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/10/blog-post.html' title='この夏の若者たち'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2429637826217077092</id><published>2008-09-17T12:56:00.001+09:00</published><updated>2008-09-20T16:00:38.680+09:00</updated><title type='text'>カンボジアにて</title><content type='html'>　過日、私が所属する会派(自民党豊島区議団)を中心としまして、カンボジアまで行ってまいりました(いや～、暑かったですぅ～)。&lt;br /&gt;　この名店街ニュースにて幾度となく言及しましたように、豊島区が再生自転車を海外譲与して、かれこれ20年が経過しております。この20年を一つの区切りと受け止め、そもそも我が街豊島の再生自転車が、一体全体海外、特に今回はカンボジアにおいて、どのように活用されているのか、果たして本当にカンボジアの保健ボランティアの皆さん達に喜ばれているのか、これら一連の事柄を見て･聞いて･知っておく事は、未だに放置自転車ワースト二位･三位(大塚駅･池袋駅)を維持してしまっている豊島区にとって、かつ本区が『品格』と謳っている意味においても、極めて重要であると思ったからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;恐縮ですが、ここでおさらいをさせて頂きますと、この再生自転車海外譲与事業は、昭和63年に豊島区が、引き取り手のない放置自転車のうち、優良な自転車375台を整備して、母子保健向上に苦慮している開発途上国に送ったことをきっかけに始まった、国際貢献事業です。そして、平成元年、豊島区が発起人となり、23区や近県各市の自治体と家族計画国際協力財団（ジョイセフ）と共に、「再生自転車海外譲与自治体連絡会(ムコーバ)｣を立ち上げ、今年で活動20周年を迎えることができたわけです。この再生自転車の譲与は1台で600～800人の村人の健康管理をすることができ、現地では二輪救急車や家庭訪問活動などに利用されています。また、｢命を救う足｣とも呼ばれ、非常に感謝されており、20年間の活動の中で発展途上国における母子保健向上に多大なる貢献をしてまいりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さて、私自身「豊島区自転車駐車対策協議会」を通してこの事業と出会い、この事業を分析して参りまして、これは金銭的支援とは異なり、支援を本当に必要としている人のもとに届く、草の根活動だと思うに至っておりますし、地方分権が叫ばれる今の時代、国ばかりに頼らない、自治体だからこそ出来る、息の長い草の根活動が必要だとも思っております。現在でも発展途上国では、自転車という交通手段を含めた物資の不足により、母子保健がまだまだ遅れている状況が歴然としてあります。そこから、さらなる再生自転車海外譲与事業の拡大化が必要と思っておりますし、今後もこの事業の普及促進を通して、継続的に途上国の母子保健向上に努め、自治体として国のODAなどでは成しえない草の根活動によって、母子保健向上に向かったムーブメントを起こしていきたいと考えております。その目的は、発展途上国の母子保健向上のためであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最も、その意義･目的は分かって頂けたとしても、その前に豊島区の課題は山積しているわけですから、海外の事よりもこっちの方の解決が先でしょ、とのご意見が出てきそうですね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ただ、戦後日本は高度経済成長を果たし、その効果もあって途上国なみだった乳児死亡率や妊産婦死亡率が低下するとともに、人口増加率も安定し、戦災による焼け跡から急速に復興を成し遂げたアジアの国として国際的に注目されたという歴史的経緯があります。資源の乏しい日本としては、国際協調･国際貢献は極めて重要な国是であるはずですし、国際社会からはその経済成長の経験を、発展途上国へ支援という形で生かすよう求められるのは必定であります。そうであるならば、日本の・東京の・我が街豊島も、そのための一翼を担う動きを、言われてからするのではなく、こちらから積極的にアクションする責務があると、私なんぞは思うのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;また、支援する環境も整っているのが昨今ではないでしょうか。&lt;br /&gt;昭和43年には、途上国の人口増加に伴う食糧危機、保健医療や貧困問題、人口増加と開発のバランス等についての国際協力を行う、家族計画国際協力財団（ジョイセフ）が創設されました。ジョイセフは、これらの母子保健の活動を続けながら、本年創設40周年を迎え、長期にわたり母子保健福祉に貢献しております。　&lt;br /&gt;昭和63年7月には、豊島区は母子福祉分野で国際協力を行っているジョイセフの協力を得て、母子保健等のボランティア活動の交通手段に限定して、引き取り手のない放置自転車のうち優良なもの375台を整備して、マレーシア、フィリピン、ザンビアに送っております。&lt;br /&gt;平成元年には、豊島区は、このような保健福祉分野の国際貢献事業の普及促進と、撤去されて引き取り手のない自転車の有効利用を図るため、本事業の発起人となり23区や近県の各市に呼びかけ、豊島区、文京区、大田区、世田谷区、川口市、大宮市（現さいたま市）の6自治体とジョイセフで「再生自転車海外譲与自治体連絡会（ムコーバ）」を発足しております(何度も言って恐縮です)。本連絡会では、平成元年の発足以来20年間で、90カ国56,225台の再生自転車を途上国の医療、保健福祉分野で活躍する方々の交通手段として譲与し続けてきました(平成8年には、本連絡会の加盟自治体が15自治体まで増えたものの、現在は13自治体となり、そのうち2自治体は休止状況となっております)。&lt;br /&gt;現在、自治体以外では、この趣旨に賛同した財団法人自転車産業振興協会と財団法人東京都道路整備保全公社、株式会社ロッテより助成金、日本郵船グループよりコンテナをいただいております。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;カンボジアの現地の村の奥にまで行って見て、母子保健･福祉衛生の説明を聞くほどに、まだまだ母子福祉医療分野は遅れていることは厳然たる事実であることが分かりました(特に、若い女の子の妊娠は深刻です)。また、現地でも他国産の自転車は販売されているものの、日本の再生自転車の方が遥かに丈夫で長持ち、しかもスペアタイヤ付きで海外譲与しますから、至れり尽くせり。大勢の現地保健ボランティアの方が再生自転車を求めていました。&lt;br /&gt;視察の三日目、プノンペンの現地の母子保健センターで、豊島区が送った150台の再生自転車の贈呈式典が盛大に行われました。席上、私たちは、再生自転車が活用され、カンボジアの保健福祉衛生面の向上に貢献している事を誇りに思うと共に、これからも支援の手を差し伸べる旨を伝えました。他方、それを受けて、隣に座っていたカンボジア保健大臣が豊島区に対して感謝の念を述べました。　&lt;br /&gt;その後、再生自転車一台一台を、会場を埋め尽くした150人の保健ボランティアの一人ひとりに渡していきました。その譲り受ける際の、嬉しさで輝くような瞳を見るに付け、日本そして豊島区は期待されていると肌で感じました。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2429637826217077092?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2429637826217077092/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2429637826217077092' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2429637826217077092'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2429637826217077092'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/09/blog-post_3928.html' title='カンボジアにて'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-5784311996996555946</id><published>2008-09-17T12:55:00.001+09:00</published><updated>2008-09-17T12:56:40.991+09:00</updated><title type='text'>子供とネット</title><content type='html'>　最近の新聞でも特集をしていましたが、PHSを含む携帯電話は、もはや通話目的だけではなく、GPSやメール、そしてインターネットなど、様々な用途に使われるツールとしての「ケータイ」となっており、児童や子供達にとって多大な影響力を及ぼしていることは周知の事実と言う事が出来るでしょう。&lt;br /&gt;　報道によりますと、日本のPTA全国協議会の調査で、「深夜でもメールのやり取りをする」が小学校5年生で11％、中学校2年生で51％。「返信がないととても不安になる」が小学校5年生で18％、中学校2年生で24％もいるとの事であります。しかも、私もはじめて聞き及びましたが、子供の世界には、なんでも「30分ルール」というものがありまして、この時間内に返信をしないと、お互いの友情が崩れてしまうそうであります。そこから、子供達は、食事中も、入浴中も、四六時中携帯を手放せない状態に置かれるそうです。「嫌われたくない」という強迫観念が、自分自身の脳裏や心の襞に埋め込まれてしまい、常に精神的に緊張状態を強いられている今の子供達を見るとき、それはある意味｢残酷｣である、と言っても宜しいのではないでしょうか。小学生・中学生の頃は、何よりも｢大自然の摂理｣に従って、五感を研ぎ澄ますことが大切な時期であるのにもかかわらず、いつも「ピコピコ」と電波が入ってきて「今何しているの？」と用もなく聞かれてしまう。これでは人間がデジタル化してしまい、極めて危険ですし、かつ由々しき事態です。お互い顔を合わせて話す機会が減れば、その表情から微妙なニュアンスを読み取る力が育たず、親御さんの言葉さえ十分に受け止めることが出来なくなり、一家の団欒にも、ひいては家族の絆にまで悪影響が出てしまうと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　｢一般社会｣というような大きな括りで言えば、そこには商売なら商法が、裁判であれば訴訟法が、自動車なら道路交通法がといった具合に、分野ごとに明確なルールを見つけることが出来ますが、こと｢ネット｣の分野は、ある意味では無法地帯と言えます。少し前から言われるようになった「メディア・リテラシー」と言う言葉は、テレビや新聞、雑誌、インターネットなど、あまたの情報媒体から自分が摂取すべき情報を正しく取捨選択する能力のことを言うわけですが、判断能力の乏しい児童や子供に、このリテラシーを要求するのは不可能ではないでしょうか。そうだからこそ、出会い系サイトを通して性犯罪に巻き込まれたり、学校裏サイトと言われる掲示板で、陰湿な苛めにあったり、ブログに「死ね」とか「キモイ」とか書き込まれて、正しく受け止められず、自殺してしまう痛ましい事件・事故が起こるのではないでしょうか。自我が未発達な児童や子供は、同年代の影響を受けやすく、携帯の正しい使い方を教えても、きちんとはコントロールすることもままなりません。いっその事、携帯から開放してあげる事が、子供を守る最も適切な対策かもしれませんね。福田首相も同じような認識で、政府の教育再生懇談会に対して、「そもそも持つ必要があるのか議論してほしい」と指示し、今年5月にまとまり、5月26日に福田首相に提出された教育再生懇談会報告書では、「必要のない限り、小中学生が携帯電話を持つことがないよう、保護者、学校はじめ関係者が協力する」「安全確保の面から持たせる場合でも、通話やＧＰＳ機能のみの機種を推進する」などが盛り込まれました。久しぶりに良いことを言うなと感じましたっけ。是非、社会総がかりで子供を守るメッセージとして、国民全体が真剣に受け止め、携帯を買い与えようとする親御さん達が考える切っ掛けとなってほしいところです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　報道によれば、サイト管理者の問題が指摘されていました。学校裏サイトの管理者が問題のある書き込みの削除を怠ったとして、苛めを受けた原告が訴訟を起こしている例もあるとのことです。こうした管理責任を問われるのは当然としても、例えば、ブログの場合は、自分が管理者となるところから、管理責任さえ問えばよいという問題でもないことを認識する必要があります。これだと言う簡潔明瞭な解決策は見い出しにくいものの、その包括的な解決策を見つける上で大切なことは、「子供は保護されるべき存在」であると言う認識が徹底される事です。そして、その責任を負うのが、まさに父母などの保護者・親御さんであり、学校であり、地域、団体、企業、メディア、行政機関、そして立法機関です。社会総がかりで、有害情報から児童・子供、若者、ひいては家庭を守らなければなりません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そのような意味では、6月11日に、参議院本会議で賛成多数で可決、成立しました「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」（通称：青少年ネット規正法）は、間違いなく一歩前進と言うことが出来ます。しかし、そこには、「子供は保護されるべき存在」である、との認識の下、まだまだ乗り越えなければならないハードルがあると考えます。成立した新法では、18歳未満の子供がネット上の有害な情報を閲覧できないようにする為、携帯電話事業者にフィルタリングサービスの提供を義務付けたり、ＰＣメーカーにはフィルタリングソフトの利用を容易にする措置を義務付けたりしていますが、これらの規制の多くが、努力義務であり、罰則が設けられていない為、その実効性に大いなる疑問があります。そこから、子供にせがまれてフィルタリングを解除する親も多いと聞いております。また、新法では、有害性の判断は、民間の第三者機関に委ねられ、国の主体的関与は排除されております。児童ならびに子供達は国の宝ですから、その宝を守るためにも、例えば、内閣府内に第三者機関を設置し、有害かどうかを判断するといった、毅然としたシステムを作る事が必要です。&lt;br /&gt;6月6日の衆議院本会議での可決に際して、新聞協会は「有害情報の定義について、表現の自由の観点から、国が関与すべきではない」との懸念を表明したとのことですが、保護されるべき子供への規制が、表現の自由の侵害になるという協会側の主張は、所謂「拝金主義的」とのそしりを免れないものと、言う事が出来るのではないでしょうか。&lt;br /&gt;日本の資本主義は倫理観あってのものであり、ある経済人曰く「道徳という土なくして、経済という花は咲かず」なのであります。&lt;br /&gt;今こうしている間にも、例えば、出会い系サイトとか、硫化水素自殺を助長する自殺系サイトとか、諸々の有害サイトに影響された事件・事故がどんどん起ています。我々大人達は今、厳しいネット環境に放り出されている児童・子供達を、有害情報・サイトから守るべく、更なる実効性あるシステムを積み上げるべきなのであります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-5784311996996555946?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/5784311996996555946/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=5784311996996555946' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5784311996996555946'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5784311996996555946'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/09/blog-post_6008.html' title='子供とネット'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-5281607749046909433</id><published>2008-09-17T12:52:00.003+09:00</published><updated>2008-09-17T13:02:00.285+09:00</updated><title type='text'>拉致があかない</title><content type='html'>　7月12日、北朝鮮の核問題をめぐる6カ国協議の首席代表会合が、｢消化不良｣のまま閉幕してしまいました。拉致事件の早期解決のため北朝鮮に対する経済制裁措置の一部解除に反対する行動が全国各地で起こっているなかにあって、この会合の内容を新聞報道で知ったとき、何かシラッとしたものを感じたのは私だけではなかったのではないでしょうか。と言いますのも、北朝鮮の核計画申告の検証方法は、細部にわたってまで合意出来なかったわけですし、そうなると日本政府はかねてからこの細部についての合意作りが先決問題としていたわけですから、必然的に検証の時期も遅れてしまうことになります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、先月の11日と12日に、約9ヵ月ぶりとも言える、日朝公式実務者協議が北京で開かれました。当時の私の記憶には、昨年の9月に、拉致問題を「私の手で解決したい」と、ご本人としては珍しく断定調で明言された、当時首相就任直前の福田康夫自民党総裁の言葉が強く残っています。そこから、先月の北京での実務者協議で、「拉致問題」の解決をはじめ、これからどう日朝関係が進展していくのかを、日本人の一人として大いに期待していたところでした。&lt;br /&gt;　しかし、実際はどうでしたでしょうか。&lt;br /&gt;　すでにご案内のように、北朝鮮は「拉致は解決済み」という立場を変更して「再調査」をすること、また日航機「よど号」乗っ取り犯とその家族を引渡すことを約束し、他方、我が国は、経済制裁措置の一部解除を実施することを約束しました。これを受けて、米国政府は、6月26日に、テロ支援国指定解除を議会に通告したとのことであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「拉致問題の再調査」と「よど号犯とその家族の引き渡し」で、制裁を一部解除する。これを聞いて唖然とした人は多かったのではないでしょうか。何度も聞かされ、ある意味騙されてきた「再調査」で、なぜ我が国は制裁を一部ではあれ解除するのか、と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そもそも「再調査」という言葉自体が詭弁ではないでしょうか。例えば、誰か日本人が北朝鮮で登山をしていたところがけ崩れに遭い行方不明になったという場合なら、北朝鮮側に捜索をお願いしたり、それでも見つからないから「再調査」をお願いするというのならわかります。しかし、そもそも誘拐犯自身が「自分が誰を誘拐したか再調査する」というのでは話になりません。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　「拉致問題の解決」とは、我々が全く知らない人も含め、拉致被害者をすべて取り返すということであります。勿論、その後、真相究明やこれに関わった関係者の処罰が必要なのは言うまでもありませんが、兎に角、拉致被害者を全員取り返すことが先決事項であります。そして、これらの人を取り返すためには北朝鮮で誰もが自由な意思表示をできるようにしなければなりません。「自分が拉致被害者である」と名乗る事ができるようにし、あるいは自由な調査ができるようにすることが大切であって、そうする為には、北朝鮮の体制変更が必要になるでしょう。&lt;br /&gt;　政府の責任は、あくまで「拉致被害者全員を救出する」ことであります。その中の一つの手段として「北朝鮮との交渉で帰国させる」が入るのでなければなりません。もし話し合いができないのであれば、別の物理的力を使ってでも取り返すという選択肢が存在するのは当然ではないでしょうか。勿論、北朝鮮からシリアに核拡散した今、イスラエルがシリアの核施設を空爆した選択肢は、現時点では、我が国は採ることは出来ないでしょう。ただ、北朝鮮が従来の立場を変更して、拉致問題での協議に臨んできたのは、この間の我が国と国際社会からの圧力が効果を上げたからである、との見方がもっぱらであります。そうであるなら、政府においては、「拉致問題の解決なくして、国交正常化はない」との方針の下、むしろ経済制裁措置の期限延長や、追加制裁措置の実施など、なお一層の効果を上げるための圧力強化のカードを切ることの方がより重要なのであって、未だに拉致被害者全員の帰国が実現していない中で、一部ではあれ経済制裁措置を解除することは絶対にあってはならない事なのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　実務者協議の出席者の一人の斉木昭隆・外務省アジア大洋州局長は、6月13日に行われた、拉致被害者家族会への報告の終わりの頃、「（交渉は）出発点に戻った。交渉のプロセスを動かすために布石を売っている。あとは向こうがどう行動を起こすか」と発言されたとのことです。&lt;br /&gt;その場に居合わせた方に、その時の雰囲気を報道機関が取材しており、その伝えるところによれば……。&lt;br /&gt;「この言葉を聞いた家族会の人の表情からは失望というか落胆というか、なんともいえない思いが感じられました」&lt;br /&gt;「また初めからやると言うのか、家族会ができてからこれまでの十一年はなんだったのか、という感情が何人もの家族から見て取れた」&lt;br /&gt;との事です。&lt;br /&gt;横田めぐみさんの拉致が分かってから、9.17小泉総理の第1回訪朝までが約6年弱、そしてそれから現在までがまた約6年弱です。ここでまた我々は重大な、「停滞」という壁に突き当たろうとしています。&lt;br /&gt;横田めぐみさんの母・早紀江さんは、この拉致問題の風化が一番怖いとして……。&lt;br /&gt;「核問題も拉致問題も、人間のいのちを台無しにする大変な問題です。どちらもいのちの問題として、一つの力で訴え続けて」&lt;br /&gt;このように、政府と我々にいつも呼びかけています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　拉致問題は我が国の国家主権と、我々のいのちと安全・安心にかかわる重大な犯罪あります。&lt;br /&gt;何度でも申し上げますが、政府は、「その解決なくしては北朝鮮との国交正常化はない」との方針を是非とも貫徹すべきですし、北朝鮮に対しすべての拉致被害者の安全確保と速やかな帰国を強く求め続けなければなりません。&lt;br /&gt;それまでは、「対話と圧力」「圧力と交渉」との観点から、引き続き経済制裁措置を行う事が絶対に必要なのであります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-5281607749046909433?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/5281607749046909433/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=5281607749046909433' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5281607749046909433'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5281607749046909433'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/09/blog-post_17.html' title='拉致があかない'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-8920752490799614585</id><published>2008-09-17T12:12:00.005+09:00</published><updated>2008-09-17T12:52:38.755+09:00</updated><title type='text'>氷解</title><content type='html'>　あれは高校３年生の夏、二学期の始め頃でしたでしょうか？担任の先生(体育と陸上部の先生です)から休み時間に頂戴したお小言がありまして、それは未だに忘れずに覚えております。&lt;br /&gt;　｢なんだぁ、本橋はまだ小学生気質が抜けないのか｣&lt;br /&gt;そう言われた時は、先生が一体全体どういう意味で、何を、如何させようとしてそのように言われたのかが、はっきり言ってピンときませんでした。ただ、ひとつだけその時感じた事は、担任の先生が、その時の私の｢イデタチ｣を、シゲシゲと見ながら言われたので、どうやら私の体育着の短パン姿に着目して小言を言ってるな、ということです。&lt;br /&gt;　当時の私は、アメリカンフットボール部の強面の副主将として、主将が皆に対して言えないことも、あえてズケズケと言う、所謂ヒール役を演じていました。当時の後輩達は、さぞかし本橋先輩は怖い、との印象を持っていた者が多かったと想像します。もっとも功績もありまして、あまり意味も無いしごきを適宜廃止していったことで、シゴキに嫌気がさして退部する者がグッと減った事であります。その意味では、当時のＯＢ達からしますと、私は｢改革派｣と見られていたようです。ＯＢが練習を見にきて、ソレを求めてきても、私達の代は拒絶した事が多かったと思います。&lt;br /&gt;　ただ、どこかの相撲部屋の親方ではありませんが、私自身は、ある一定程度の｢可愛がり｣は必要だと思っています。さもなければ、上手くは成っても、強くはなりませんから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、３年生ともなると、かなり高校生活の要領も心得ておりまして、朝の電車も、遅刻という事態が生じないように、遅くとも池袋発午前７時４５分の準急に乗って登校してくるようにとの学校側の生徒指導も軽んじて、自宅から歩いて最も近い駅である｢大山駅｣発午前８時ちょい前の各駅停車を使うようになっていました。なぜなら、これだと確実に座席に座る事ができて、かつゆったり出来るからです(お年寄りぃ～)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　同時に、構内での態度も１･２年生の頃よりは確実に大きくなってきまして、１･２学期の夏期などは、朝登校してきて自分の机の上に荷物を置いた後(この荷物も部活の着替えぐらいでして、教科書・ノート類はロッカーに常駐)、直に、制服である学生ズボンを脱ぎ(今、何でも母校は私服だとか)、体育の授業ではく短パンにはき替えるのを常としていました。ですから、授業は短パン姿で受けていたのです。なぜそうするのかと申しますと、少しでも、放課後の部活の為に余力を残しておこうという配慮の一点に尽きまして、特に暑い日などは、上に来ているボタンダウンのワイシャツも、襟をさらに外側に倒す･折り曲げる等して、少しでも涼しくして過ごすことだけを考えていました。&lt;br /&gt;　先程の担任の先生は、まさにその姿･格好を見て、本橋は小学生のままだな的発言をされたわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　過日、母校である高校の、附属小学校に視察行ってまいりました。　この小学校は、児童の安全確保をトコトン追求しており、その観点から、全国的にもかなり早くから、児童のランドセルにＩＣタグを取り付けた実績があります。｢ＲＦＩＤで登下校時の完全把握｣とのスローガンを掲げ、この小学校では、ランドセルに取り付けたＩＣタグの電波を正門のアンテナで受信し、児童の登下校の時刻を完全把握しており、正門をただ通過するだけで、学内のコンピューターに、児童の登下校時刻が記録されます。携帯電話やコンピューターのメールアドレスを登録された保護者の皆さんには、児童の登下校時刻を知らせてくれたりもします。教職員と保護者の両者が協力して児童の登下校時刻を把握する事で、安全確保のレベルを高めてもいるわけです。また、ＩＣタグには、シリアルナンバー以外の情報は登録されておらず、万が一紛失したとしても、個人情報漏洩の危険性は最低限に抑えられているのです。さらに、｢学内の安全向上｣とのスローガンから、有人監視として正門に警備員の常駐所を設け、児童の在校時間中警備にあたるのは勿論、学内の死角になる場所には防犯カメラを設置し、モニターを警備員が常に監視しています。同時に、下校時には、保護者の方々が交代で、路線別の通学路の見回りをも行っているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　豊島区立の小学校にも同じようなシステムの導入が必要です。それは｢大阪大学附属池田小学校児童殺傷事件｣を思い出して頂ければ明らかであり、しかも、ついこの間の｢秋葉原無差別殺傷事件｣に見られるように、誰が何時どこからどのような手段で攻撃してくるか予想も付かない時代になってしまっているからであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　&lt;br /&gt;　これらの事を視察して回っていながらも、未だかつて母校の高校の附属小の建物内は見学した事がありませんでした。ものはついでにと思い、授業風景を見させてもらうべくお許しをもらい、各教室を見て回りました。その時、私の目に飛び込んできた光景は、なんと全生徒が体操服で授業を受けているのです。どうやらこの小学校では、登校するや否や、体操服･体育着に着替え、それでもってすべての授業を受ける事に決まっているのです。&lt;br /&gt;　私は勿論、豊島区立の小学校出身者です。こんなことはありませんでした。つまり登校した時の服で授業を受けていたのです。そこで初めて担任の恩師の発言の真意が分かりました。つまり、恩師は私がこの付属小から上がってきた生徒であると勘違いされたことを。&lt;br /&gt;　私、この付属小には入り、かつ出られるほどの｢おぼっちゃま｣ではありませんけど･･････。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-8920752490799614585?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/8920752490799614585/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=8920752490799614585' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8920752490799614585'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8920752490799614585'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/09/blog-post.html' title='氷解'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-7973738437447375503</id><published>2008-06-03T20:19:00.000+09:00</published><updated>2008-06-03T20:20:21.816+09:00</updated><title type='text'>ムコーバ</title><content type='html'>豊島区が放置自転車対策の一環として、海外に向けて再生自転車を譲与し始めてから今年で20年が経ちましたが、このことを住民の皆さんに説明しても、いま一つピンときてくれないところがあります。&lt;br /&gt;   それは、放置自転車と言いますと、それが道路隅にズラッと並んで放置されていれば、救命救急の時や災害の時の救援救助の邪魔になりますし、また、それが黄色い点字ブロックの上に跨っていれば、目の不自由な方々にとって通行の邪魔者でしかありません。その意味で、放置自転車の一言からくる、ネガティブな印象が根本原因かもしれません。&lt;br /&gt;　ところが、この国内において邪魔者の放置自転車も、一度お色直しをして国外に出してみるとかなりいい線をいっており、この大活躍ぶりを知っている方はそう多くはないようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   そもそもムコーバ(MCCOBA)と言いますのは、日本語で言う｢再生自転車海外譲与自治体連絡会｣を、英文で表記した場合に並ぶ単語の頭文字だけを摘んだもので、その目的は、撤去された放置自転車の中で、引き取り手が無く且つまだまだ十分使えるものをメンテナンスし、再生自転車として｢アジア｣｢アフリカ｣｢中南米｣等の開発途上国に無償で譲与し、保健医療福祉関係に携わる人達の交通手段として利用してもらい、各国の福祉衛生の向上・発展に少しでも寄与して、日本の国際貢献・国際協力を高めるところにあります(次ページ資料図を参照)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   現在ムコーバに加盟している自治体は、全国約1800自治体ある中で13自治体と極々少なく、23区では豊島区を始め文京区・練馬区など…、また遠くの方では広島市などです。この13自治体の中で豊島区が全国に先駆けて放置自転車対策の中に｢海外譲与｣というオプションを設け、その実績を基に｢ムコーバ｣という組織を作り上げました。自治体別海外出荷台数を見ても、この20年間の総出荷台数53,175台の内、豊島区が第一位の10,656台で、第二位の川口市の7,046台、第三位の武蔵野市の4,724台を軽く押さえて、ダントツの五桁を記録しているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   ただし海外での評判は、何も豊島区から来た再生自転車が一番良いということはありません。それは決して残念なことではなく、むしろ｢お色直し｣がしっかりと、均等に出来ているからに他なりません。13自治体共通の｢自転車再生整備基準｣というのがありまして、海外に譲与するには、例えば、サドルが汚れていれば取り替える事とか、スタンドは必ず両立てスタンドにする事とか、後部荷台を必ず取り付ける事とかが事細かに決まっているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   こうして機能的に仕立て上げられた自転車が開発途上国で役に立たないわけがありません。各国には、看護師さんや助産婦さんが、素足で（？）且つ時間もかかって駆けつけていた方面が沢山あるでしょうし、また、急に容態の急変した人がいても、住民が戸板でもって人力で診療所等に運び込むことが多いでしょう。そこから、再生自転車は現地の人達から｢動く宝石｣｢二輪救急車｣｢命を助ける足｣、そして｢神様の贈り物｣とまで呼ばれ、最大級の賛辞を戴いてるとの事です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   これぞ豊島区が他の自治体に、ひいては世界に誇れる国際貢献といえるものですし、こうもヨイショされていると、是非ともこの目で現場を見てみたいものです。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-7973738437447375503?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/7973738437447375503/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=7973738437447375503' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7973738437447375503'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7973738437447375503'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/06/blog-post_4548.html' title='ムコーバ'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-3465719015103215651</id><published>2008-06-03T20:16:00.001+09:00</published><updated>2008-06-03T20:18:28.778+09:00</updated><title type='text'>お花見</title><content type='html'>4月5日、快晴の土曜日、私は生まれて始めてと言って良い、定型的な｢お花見｣というものに行ってまいりました。｢生まれて始めて｣と言いますと、｢ちょっとそれ、大袈裟じゃない？｣とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも基本的にアルコールやタバコ類を嗜まない私にとりまして、4月のまだ肌寒い時期に、しかも屋外で、桜を見ながら一杯やるといったことは、かなりと言いますか、ある意味思いっきり｢想定外｣の出来事なのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   実際、毎年4月の第1日曜日に、私の母校の豊島区立千川中学校校庭を使って、｢４町青年会対抗ソフトボール大会｣が開催され(私も高松三町目青年会のメンバーとして主に内野手で出場)、そのソフトボールの試合が終わった後、昼食をとりながら校庭にある桜を愛でることはありますが、最初から最後まで目的それ自体が桜の花を愛でながらの観光・飲食という事は、未だかつてしたことはないのであります。他方、私の家族はと言いますと、毎年4月、｢千鳥が淵｣に花見に行く様でして、帰ってきますと、｢すごく綺麗だったよ。桜の木が見事に生い茂っていて、空が見えないくらい｣との感動話を聞きます。察するに｢桜ドーム｣といわんばかりのその場所に私は行ったことがないのですが、もし私が見に行くとするなら、それは｢靖国神社｣の桜ではないか、と思っております。その靖国神社にも多くの桜がありますが、ここにある桜の内、3本のソメイヨシノ桜が、気象庁予報部の採用する｢桜前線｣の到来を伝える｢標準木」でして、桜の開花宣言を行うための目安であることは既にご案内の通りかと存じます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   ただ、この3本のうちの1本のソメイヨシノ桜に格別思いをはせてしまうのであります。その桜の木の名は、｢神雷桜｣と言います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   ～～～大東亜戦争末期、敗色が色濃く見え始めた戦局の中にあって、己の命と引き換えにした作戦が編み出される。｢桜花｣。人呼んで｢人間爆弾｣。｢神風特攻隊」｢回天特攻隊｣と並び、ひとたび出撃すればもう帰還することはないという究極の作戦。｢桜花｣は、全長6メートル、幅5メートルの飛行機型の特攻機。約1，2トンの炸裂弾を前頭部に装着。その機体を一式陸攻爆撃機の下部に装着。敵艦を発見次第母親機から分離し、猛スピードで敵艦に体当たり攻撃をする。海軍の最高機密とされたこともあり、未だに全容は解明されておらず、なぞのベールに包まれている。&lt;br /&gt;この｢桜花｣｢一式陸攻爆撃機｣｢戦闘機｣などで構成した部隊が、海軍きってのエリート集&lt;br /&gt;団とも言われた｢神雷攻撃隊｣。この部隊に所属する人達の合言葉である｢靖国で会おう｣、その英霊達の集う場所が、靖国神社神門をくぐって右手にある3本のうちの1本、「神雷桜」。｢靖国で会おう(あの神雷桜のもとで)｣～～～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   私自身、日本の桜について感じることは、その花びらの散り際の美しさであり、同時にその花びらの散り際の美しさと、自ら散華していった英霊の皆さん方の生き様との重なり合いです。その意味では、「お花見」自体一つの日本の文化として、これからも続いていって欲しいと考えております(私自身、宴会形式ではない散策形式のお花見は続けます)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   また、日本では4月が｢新年度｣といった形で一つの区切りとなっております。そこから3月・4月となりますと、ある生徒は卒業式を迎え、ある少年は入学式を迎える。&lt;br /&gt;   とある若者は入社式を迎え、またとある高齢者は退職を迎えるといったことが全国一斉に行われます。日本ではたまに、ある外国の例に見られるように、｢9月入学｣などを実施してみてはどうか、という議論が起きたりしますが、その都度曖昧に葬られてきましたし、それはむしろ自然な事と言うことができます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   ｢靖国で会おう｣といって散華していった英霊達、特に｢神雷桜｣に集う英霊達のいない時期に、｢入学式｣や｢入社式｣そして「卒業式」などを移行させてどうするのですか。英霊達にその後の日本の｢新陳代謝｣を、きちんと報告できる季節がまさに4月であり、桜が開花した時期なのではないでしょうか。&lt;br /&gt;　　　　　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   4月5日のお花見場所は、千葉県幕張にあります｢幕張さくら広場｣で、ここには｢ソメイヨシノ桜｣が505本も植えられ、まさに桜一色の公園となっておりました。幕張新都心あります、松下電器社有地32,000平方メートルを、環境や地元の為に有効活用したいとの意図で、平成18年の4月に開園しました。設計者は、現代を代表する建築家の｢安藤忠雄｣氏で(同氏は元ポロボクサーとのこと…)、知名度とも相俟って、最近は日本で最も新しい桜の名所として話題のスポットとなっているとの事であります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   実際足を踏み入れてみますと確かに素晴らしく、505本の桜づくしによってあたり一面が淡いピンクの空間になり、そこに閉じ込められたようで気分も朗らかになっていくのを感じずにはいられませんでした。ただ惜しむらくは、505本の桜の木の殆どは、まだまだ若い樹木であることから、辺りはいわゆる植林したてのほやほやといった感じがつきまとい、天を仰げば青空が見えてしまうといった状態で、決して千鳥が淵の桜のように、天空を桜で覆うが如し、といったところがないところでしょうか。いずれにせよ5・6年先は楽しみなスポットではあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   当日は、新進気鋭の｢ソメイヨシノ桜の観光大使｣の女性が花を添えてくれました。これは、豊島区観光協会が、豊島区を全国に発信するための起爆剤のひとつとして、豊島区発祥のソメイヨシノ桜をヒントに、過日行われた「ミス桜コンテスト」で優勝した女性を観光大使として任命したものです(任期は1年)。桜の観光大使の女性も、まだ任命されて日が浅いからか、しぐさの一つ一つに若干のぎこちなさがありましたが、それが返って評判を呼び、当日は記念撮影のラッシュが続いたようでした(さくら大使さんには、ソメイヨシノ桜を起点にして、豊島区を全国的に有名にして欲しいものです)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   さらに、当日のお花見に利用したバス11台のうち4台が、｢天ぷら油の廃油で走る観光バス｣でして、これはまだ日本には4台しかなく、いかにして燃料として使用する、使い終わった天ぷら油を回収するか、についてまだまだ課題があるものの、幾ら走っても大気汚染の原因となる硫黄酸化物はゼロで、しかも黒鉛は軽油の半分以下といったエコもの、じゃなくて、優れもの。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   国内旅行は勿論のこと、各国世界への観光ツアーはこういったエコの観点から再度組み立てられていくことが大事と感じました。それがまた愛する祖国を守る為に散華していった英霊の皆さんの気持ちにも合い通じていくと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   今年も靖国の｢神雷桜｣は美しかったと聞いております。そこでは確実に凛とした英霊達の出会いが在ったことでしょう。合掌。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-3465719015103215651?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/3465719015103215651/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=3465719015103215651' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/3465719015103215651'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/3465719015103215651'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/06/blog-post_03.html' title='お花見'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-8716946165700510422</id><published>2008-06-03T20:11:00.004+09:00</published><updated>2008-06-03T20:24:16.369+09:00</updated><title type='text'>冷凍肉まん君まで!!</title><content type='html'>中国河北省の天洋食品の｢冷凍餃子｣君から農薬が検出されてから、安全で安心できる｢食｣の確保が注目を集めているわけですが、そこに今度は｢毒入り肉まん｣が登場するという、大変残念で痛ましい事態となってしまいました(中華まん好きの私としてはちっとも大袈裟ではありません)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;     一連の中毒事件が、単なる天洋食品という一工場の、これまた｢毒入り餃子｣という一種類の食べ物の問題に止まらず、そもそも何故こうも中国社会において悪質食品・有毒食品が出てしまうのかという意味において、事件は更なる広がりと長期化の様相を帯びてまいりました。&lt;br /&gt;　 メタミドホスが入っていたこの肉まんは、実は平成１８年８月２日に製造されており、1年半後の今年の２月２日が賞味期限に設定されておりました。今年の１月３１日と２月１日（いずれも賞味期限内）に肉焼まん計１２個を食べた広島県内の７３歳の男性が、めまいを感じて2月１日に医療機関を受診した結果、軽症ということで済んだところから事件が発覚したとのことです。実際、事件のおきた広島県では、念のためということで調査したところ、食べ残しの肉まんから０・６４ｐｐｍ、未開封の同肉まんから０・５５ｐｐｍのメタミドホスが検出されたとのことであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;    ～～広島県は、この冷凍肉まんは大阪市の輸入業者ニッキートレーディングが輸入販売したものであることから、この結果を大阪市に通報。大阪市は、早速、同日（平成18年8月2日）製造の冷凍肉まんの在庫品や自主回収分を対象に検査を実施。 この結果、皮や具などから ０・２２～０・６４ｐｐｍのメタミドホスが検出。なお、袋からの検出はないとのこと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   これらの結果から、大阪市と広島県は、2月１９日にそれぞれ記者会見を実施。『大阪市の食品輸入会社「ニッキートレーディング」が、中国・山東省の「山東仁木食品」から輸入し、広島県内などで販売した平成18年８月２日製造の冷凍「青島ニラ肉焼まん」から、０・２２～０・６４ｐｐｍの有機リン系殺虫剤「メタミドホス」を検出した』と発表。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   なお、「山東仁木食品」は「ニッキートレーディング」のグループ会社である平成18年８月２日製造分の商品は同年８月２１日に２５００袋（１袋２０個入り）が輸入され、大阪府など６府県の１０業者に販売された。ニッキー社は今年２月１７日までに７４袋を自主回収したが、残りは消費されたとみられる(なんてこったー!!)～～&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   私の幼少の頃は、中華まんといえば肉まんとあんまんの2種類だけでして(確か?)、今のように様々な種類の中華まんがあって、その中からお好みで選ぶことが出来るといったことは考えられませんでした。しかも当時は、いわゆる駄菓子屋さんが根強い人気スポットとして君臨しておりまして(高松3丁目には駄菓子屋さんが2軒もありました)、中華まんでも買って食べようぜ!!と言ってのける子供は、当時としてはリッチな家庭・子供の部類に入っていたと思われます(私なんかよく友人と2人で一つを買って半分づつ、というパターンでしたっけ)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   その中華まんですが、これはそもそも小麦粉、水、塩、酵母などをこねて発酵させたふわっとした皮で、具を包んで蒸し上げた｢饅頭｣でして、中国で「包子」(パオズ bāozi)と呼ぶものに相当するとのことです。豚肉などを入れた肉まん(地方によっては「豚まん」と呼ばれることがある)や小豆餡のあんまんが代表格であるわけですが、最近のピザまん、カレーまん、海鮮中華まん、餃子まんなど、多様な変り種の中華まんも根強いファンをゲットしており、私もたまに食べてみますが、さらに美味しくなったな、今の子供たちは恵まれているな、と感じます。 また、まだ食べていませんが、｢○○ロール｣と呼ばれる細長い形状の種類もあるみたいです(?)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   その饅頭ですが、中国の明の時代に完成しました、いわゆる｢三国志｣(学生時代によく読みましたっけ…)の後半の部分に、実はこの｢饅頭｣の話が出てまいります。そして、この饅頭が、中華まんの原型であるとされております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   ～～三国志に出てくる、蜀の国の元首：劉備玄徳の軍師：諸葛亮孔明は、国家3分の計(劉備玄徳の蜀・孫権の呉そして曹操の魏)を一応実現した後、周辺諸国の平定に乗り出す。やがて南蛮に到着すると、その地で「川の氾濫を治めるためには野蛮人の頭を川に投げる必要がある」との言い伝えを聞く。孔明はこの言い伝えに納得がいかず、人の頭を模した饅頭を作り、それを川に投げ込ませる。すると不思議な事に氾濫は治まってしまう。以来川の氾濫を防ぐため饅頭が投げられた。もちろん人の首を入れれば川の氾濫は静まるというのは迷信。孔明は、川の氾濫がいつの季節・時期に起きて、いつ静まるかを知っていたと思われる。同時に孔明は、蛮族を服従させるには武力より、そのような手段を用いた方が得策考えた～～&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   歴史的には(三国志演義はフィクションが多いですが…)多くの血を流さないですむようにといって発案された饅頭、そしてその後の中華まんが、今日では逆に人命を脅かす食べ物として認識され、警戒されてしまったことに、とても憤りを感じますし、加えて悲しいことは、今回の一連の冷凍餃子中毒事件に関して、中国語のインターネットサイトの掲示板で、｢日本人の体質は毒に弱すぎ｣とか、｢日本人の生活環境は甘すぎ、ちょっとした事でも大袈裟に言う｣とかの発言が出ていることです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   これからもまだまだこういった事件は続くでしょうが、その根本原因はどこにあるのかを私なりに探りますと、中国社会における①言論・報道・表現の自由と②司法の確立・自律・独立の２点が重要でしょう。現在の中国社会では殆ど報道の自由といったものがないため、報道機関として｢正しい情報を伝える｣｢不正に対する監督機能を果たす｣という使命が達成されていないですし、むしろすべての報道が党宣伝部にコントロールされてしまっております。そこから例えば、国内でのいくつかの雑誌や新聞社の編集長は頻繁に更迭されているとの事です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   また、司法の独立も依然未発達で、裁判・検察・警察の３作用は党中央ないし地方の政法委員会に属しています。そこから例えば、党幹部と太いパイプを持てば、法律で罰せられる対象外となり得、そこから社会の公正さは失われていき、悪質食品事件が揉み消されているといわれております。これらの二点が克服されませんと、依然として中国製品・中国食品の安全・安心性は世界から認められないのではないでしょうか。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   今回もまた私は叫びます。冷凍肉まん君、ガンバレ。君も決して悪くない。君の汚名を晴らす為に、僕は君を食べ続けながら、いつでもポワロやコロンボになる覚悟だ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-8716946165700510422?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/8716946165700510422/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=8716946165700510422' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8716946165700510422'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8716946165700510422'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/06/blog-post.html' title='冷凍肉まん君まで!!'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-4244836762383429904</id><published>2008-02-28T15:46:00.002+09:00</published><updated>2008-02-28T15:52:04.134+09:00</updated><title type='text'>冷凍餃子君</title><content type='html'>　毎日行動する上で欠かせない手帳から、いよいよ【新年会】【新春の集い】といった催し物が少なくなってまいりました。例年ですと、酒もタバコも一切と言って良いほど嗜まないのにもかかわらず、お付き合いと称して杯を重ね、帰り際には良い心もちになっていた私ですが、今年は出席する会の多さから車での移動がやたらと多く(勿論、私が運転手兼ナビゲーターです。最近うちに来る塾生はオートマ限定が多過ぎるゾ!!マニュアルをとらんかいー)、当然のことながらお酒は控えましたので、体調面・記憶面(若年痴呆？)でも、かなりしっかりとした新年会シーズンを過ごすことができました。また今年は有難くも、いろいろな団体様からお声掛けをいただき、可能な限り出席させていただいただけではなく、挨拶までさせていただけた団体さんが例年よりも多くありました。ありがとうございます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「………さて、毎年恒例の｢今年の漢字｣に、｢偽｣が選ばれてしまい、その後の二位以下にも、｢食｣｢嘘｣｢疑｣が続いてしまった事にも象徴されますように、この五年間というものは、まさに日本人の食べ物に対する｢安全･安心｣が厳しく問われ、国民の皆様から強い叱責を受ける時代でありました。その潮流の中にあって、当協会の食品関係営業者の皆様におかれましては、｢消費者の信用を勝ち取る為に!!｣、また｢ご自分で自身のお店を守る為に!!｣、更には｢自主的衛生管理を実践するお店創りをする為に!!｣を合言葉に、毎日弛むことなく鋭意努力･活動されて来た事と存じます。特に、会員施設の食品衛生の向上と、自主的衛生管理の確立のために、昼夜を違わず、会員施設を巡回して衛生管理の指導･普及に取り組んでおられる｢食品衛生自治指導員｣の皆様方に対しましては、そのご尽力振りにただただ頭の下がる想いで一杯であります。引き続きましてのご活動に期待いたしますと共に、力強い支援システムの構築が急務と考えております。………私自身、当協会は勿論の事、ひいては食品業界全体に対しまして貢献できるよう、豊島区の保健福祉部や池袋保健所等と緊密な連携を図り、当協会会員の皆様に対しまして、食品衛生等の情報を幅広く提供してまいる覚悟であります。………」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　【食】の安全と言いますと、昨今は、【毒入り餃子】【殺人餃子】の話題が世上をかなり賑わしておりますが、この餃子の歴史は大変古く、中国の春秋時代（紀元前6世紀頃）の遺跡からはすでに食べられていた痕跡が見つかっているとのことですし、敦煌の唐代の墳墓では、副葬品として壺に入った餃子が乾燥状態で発見されたとのことです。その餃子発祥の地は中国、しかも華北の料理とされ、中国東北部で特によく食べられていたものが、戦後満州を経由して我が国に流入してきたとのことですが、物語っぽくなってしまうものの、日本で初めて餃子を食べた人物は徳川光圀とされており、亡命していた朱舜水(誰ですかね？)から教わった、と伝えられております。&lt;br /&gt;　日本では米飯のおかずとして食されることが多いですが、これは日本独自であり、他の国では一般的ではないようです。と言いますのも、中国の華北で食べられる餃子は主食を兼ねたものが多く、皮は厚めにして湯に入れて茹でる食べ方の水餃子が主流で、焼き餃子はあまり食べられない。焼き餃子は残り物の餃子を焼いて食べるものであって、あまり上品な食べ物とは思われていない、と言った経緯があるからです。&lt;br /&gt;　もっとも経緯とか歴史を調べて見ますと、餃子はその中国語での発音が交子（子を授かる）と同じであることや、清代の銀子の形に似ていることにから、縁起の良い食べ物としても珍重されており、また「交」には「続く、末永し」という意味もあり、春節には長寿を願い食されます。また皇帝も王朝と社稷の永続を祈願し春節のときだけ餃子を食したといわれています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本の自治体の中には、栃木県宇都宮市のように、この餃子を使って町興しをしているところがあります。その宇都宮市の餃子の始まりは、かつての陸軍、しかも宇都宮出身の将兵が、満州からの帰国の際に本場の餃子の製法を持ち込んだのが始まりといわれており、現在市内には餃子専門店と餃子を扱う料理店が合わせて約200軒もあり、一般的な販売価格は1人前150～200円程度と低廉で学生がおやつ代わりに食べることが出来る価格帯となっているとのこと、加えて、タレは酢だけで食する、宇都宮スタイルといわれるものがあるそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;～～平成2年ごろ、町興しにつながるキーワードを探していた市の職員が、総務省の「家計調査年報」において「餃子購入額」で同市は常に上位に挙がっていることに注目。餃子による町興しを提案したのがきっかけで、以来観光PRに力を入れる。平成3年には業者団体として「宇都宮餃子会」が発足。行政と民間で協力して様々な企画を仕掛けたことが功を奏し、かつて国際観光都市「日光・鬼怒川」への通過点だった宇都宮が、餃子という大きな観光資源を得ることに大成功。任意団体として発足した宇都宮餃子会は、平成13年に協同組合となり、登録商標「宇都宮餃子」の管理や組合直営店「来らっせ」3店舗（宇都宮2店、東京1店）の運営管理なども実施。現在の組合加盟店舗数は70軒を超える。JR宇都宮駅東口広場には、地元産出「大谷石」の業者によって無償で制作されたオブジェ『餃子像』が設置。ヴィーナスが餃子の皮に包まれた姿を表現したユニークなもので、観光客の人気撮影スポットとなる。同時に、宇都宮駅が駅弁発祥の地(これは初めて知りました)であることから「宇都宮餃子駅弁」も企画・販売。宇都宮駅構内の立ち喰いそば屋には餃子そばというメニューがあった。秋には宇都宮餃子会を中心とする市民手作りのイベント「宇都宮餃子祭り」が定例化。協賛餃子店が市街で屋台を開き、1人前1皿100円の餃子が振る舞われる。「宇都宮餃子祭り」は毎年10月下旬～11月初旬の土日に実施。～～&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　餃子一つでこれだけのインパクトを町に、そして全国に醸し出せるとは意外ですし、それはまた餃子というものを日本人の誰もが好物としているからでもありましょう。その食べた後の口臭が気になるという女子学生はいても、私の周囲にいる方でも餃子が嫌いな人はおりません。&lt;br /&gt;　このように戦後中国から入り、日本に広まった餃子は数十年の時を経て、日本の食文化の１つとして日本流の餃子になっていると言えるでしょう。中国と日本の文化の架け橋であり、日本人が愛してきた餃子に毒が入っていたなんて、残念で仕方がありません。冷凍餃子君、君は悪くない。君の汚名を晴らす為には私はいつでも明智小五郎や金田一耕介になる覚悟だ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-4244836762383429904?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/4244836762383429904/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=4244836762383429904' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/4244836762383429904'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/4244836762383429904'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/02/blog-post_28.html' title='冷凍餃子君'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-1928297560186368587</id><published>2008-02-07T21:42:00.000+09:00</published><updated>2008-02-07T21:52:22.708+09:00</updated><title type='text'>舞良戸(まひらど)</title><content type='html'>　　新しい年を迎え、気持ちも新たにして原稿を書いておりますと、｢時折穴もあけるけど、よくもまあ続いているなぁ｣と、自分で感心するときがありますし、書きたまったものを纏めて出版したら、という言葉をかけてくれる方もいます。誠に嬉しいことではありますが、いやいや、私なんぞの原稿を纏めて出版したところで読めた代物ではありません。しかも、もし三島由紀夫が生きていて、その本を読んだとしたら、私はどうされちゃうでしょうか？想像しただけでもゾッとします(私が介錯されちゃう!!)。といいますのも、彼の遺作評論であり、文学的遺書とも言える(私が勝手に思ってる？)｢小説とは何か｣(新潮社)の五を読む限り、とてもとても、私なんぞ本とか出版とか、口にすることすら出来ないと思うのであります。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;    　　三島はその中で、小説と戯曲とを比較しながら、｢小説の特徴は…生・自然・人間(動物である場合もある)のすべての表現が、言語を通じてなされており、かつ、言語を持って完結している、…｣と述べ、「言語表現による最終完結性」こそが、芸術としての小説のもっとも本質的な要素であるといった発言をしております。そこから、三島は｢小説は、実に自由でわがままなジャンルと考えられているだけに、この点の認識をなおざりにして書かれたものが実に多く、古い日本語の教養が崩れてゆくに従って、この認識自体が小説家の内部で日に日に衰えつつあるように思われる｣と当時の小説作品群の出来映えの傾向を嘆きつつ、ひとつの家の造りのある部分を取り上げて、以下のように自説を展開しているのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;  &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;  &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;    　　｢たとえば、物には名がある。名には、伝統と生活、文化の実質がこもっている。一例をあげよう。『舞良戸（まひらど）』という名の戸がある。横に多数のこまかい棧のある板戸のことである。こんな戸は今では古い邸や寺などに見られるだけで、近代和風建築にはめったに見られず、ましてマンションやアパートの生活ではお目にかかれない代物である。しかし小説はマンション生活ばかり扱うべきだという規則があるわけではなく、小説家自身の過去の喚起が、小さな事物をも重要な心象たらしめるから、現代小説にだって、舞良戸が登場することは免かれない。そういうとき小説家は、言語表現の最終完結性を信ずる以上、第一にその『名』をしらねばならない。名の指示が正確になされれば、小説家の責任はおわり、言語表現の最終完結性は保障されるからである。……(略)……伝統によって一定期間存続され且つそれに代わる名稱ないようなものについては、作家はその『名』を指示すれば、満足すべきなのであって、それが言語表現の最終的完結性というものを保障する一つの文化的確信であるべきである。極端なことをいえば、日本歴史を信ぜずして日本語を使うことなどできよう筈がない。私は明らかに、舞良戸は、ただ『舞良戸』と書くことを以って満足する小説家である。……(略)……しかしこのごろ新人の、いや新人のみならず中堅に及ぶ作家の中にも、『舞良戸』が出てきたと仮定した場合、次のような表現をとる事例に、私はしばしばぶつかるのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;①「横棧のいっぱいついた、昔の古い家によくある戸」&lt;br /&gt;②「横棧戸」&lt;br /&gt;③「まひらど、というのか、横棧の沢山ついた戸」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;    　　このうち私が検事であれば、③にもっとも重い罪を課する筈であるが、それは追って説明するとして、①のように書く作家は、物を正確に見ており、過去の喚起力を持っているけれども、それだけを作家の素質と考えている怠け者であり、言語表現の最終完結性について、すなわち小説の本質について、ぞろっぺえな考えを持っているのである。彼は字引を引くこと自体を衒学的な行為と錯覚しているにちがいない。②の作家は平気で造語をする。『横棧戸』などという、サンドウィッチの一種のような言葉は日本語にはない。彼は言葉の伝統性について敬謙さを欠いた考えの持主であり、あるいは忙しすぎて、表現の厳密性に注意を払わない作家である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;    　　一事が万事、こういう作家に限って、決してユニークな感覚的表現はできず、他の個所では、きっと『彼女は悲しくなるほど美しい微笑をうかべて』など、使い古されたルーティーンな表現を平気で多用している筈である。彼はただ忙しいのである。③の作家にいたっては論外である。なぜ論外かというと、こういう表現をするには、いくつかの心理的蓋然性が考えられる。一つは、彼の頭に『舞良戸』という名が浮かぶには浮かんだが、字引なり何なりで確かめる労を省いて、その労を省いたという心理的経過をそのまま売り物にして、『というのか』と、責任を他に転嫁しているのである。もう一つは、実は彼が『舞良戸』という名をちゃんと知っていながら、作者自身あるいは登場人物の呑気な正確表現として、『というのか』を入れたほうが、表現が柔らかく親しみ易いものになると考えているのである。三つ目は、すべてが無意識な場合である。彼は表現の凝縮性も正確性も考えず、ただ、あいまいな心理状態を外界に投影して、外界自体をあいまいな『というのか』で満たしており、しかもすべてを無意識にやっているのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;  &lt;br /&gt;    　　私のすべての中で、この③の第三番目の場合をもっとも悪質だと思う。③の第一番目は文士気質を売り物にしているから悪く、第二番目はわざとらしい無智の衒いを、作中人物の呑気さの性格表現に利用しようと考えている点で、キザな心掛けが悪く、第三番目は、言語表現の自律性についての無反省において、作家としての根本的な過誤を犯しているからである。&lt;br /&gt;私はこれらの例をすべて『言語表現の最終完結性』についての小説家の覚悟のなさという罪名に於いて弾劾する。何を些細なことを、と言われるかもしれないが、一方、もし劇作家がト書の中で、『下手に舞良戸』と指定すれば、職人はすぐに意を承けて舞良戸を制作するに決まっており、單なる技術的指定として使われた言語が、舞台ではちゃんとした物象として存在するにいたるのである。そして小説とは、そのような、ちゃんとした物象、役者がよりかかったぐらいではグラつかない本物の物象を、言語で、ただ言葉のみで創造していく芸術なのである」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   　　～ は初めて｢まひらど｣というのを知ったわけですが、もし自分がこれを読者に伝えるとしたらどのような言語表現を用いていたでしょうか？おそらく三島検事の最も嫌う③のように記述していたかなと思います。決して私はここで小説を書いているのではありませんが、この三島の言説に触れる度に、日本語・その概念・その文章は美しいけれども難しいと、つくづく感じますと共に、私が本を出すなんて……トンデモナイー、と叫ぶのであります。&lt;br /&gt;今年もまた拙いエッセイ(間違っても小説はかけません)にどうぞお付き合い下さいませ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;                                                      　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2008年1月&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-1928297560186368587?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/1928297560186368587/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=1928297560186368587' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1928297560186368587'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1928297560186368587'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2008/02/blog-post.html' title='舞良戸(まひらど)'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-5217629026352512168</id><published>2007-12-22T13:47:00.000+09:00</published><updated>2007-12-22T15:58:21.405+09:00</updated><title type='text'>テロ得？</title><content type='html'>　今からちょうど2ヶ月前の10月17日、日本政府は、11月1日に期限が切れる「テロ対策特別措置法」に代わる、「新テロ対策特別措置法案」を閣議決定し、国会に提出致しました。勿論、提出してはみたものの、その後の帰趨はどうなっているかと言えば、まさに予断を許さない感じがあります。それは、直近の各新聞やテレビで報道されている世論調査結果が如実に物語っているところであります。&lt;br /&gt;　そこで、新法案は一体全体どういう内容のものかといいますと、国際社会の「テロとの戦い」や、わが国の生命線である原油とシーレーンの安全確保という国益の観点を踏まえた上で、引き続いてインド洋、とりわけアラビア海海域での海上自衛隊の支援活動を、給油と給水活動に限定し、その給油先も、武力行使に従事する軍艦への補給活動を排除し、テロリストの移動や武器、麻薬などの輸送を監視･摘発する海上阻止活動にかかわる他国軍の艦船に限定したものとなっております。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; 　そこから新法案は、①ここでの海上阻止活動が、国際法に基づいた乗船検査などの海上警察活動を指しており、決して武力攻撃をするものではないこと、また、②給油先も限定したことで、対イラク作戦などに対する燃料の転用防止の徹底にもつながっていること、さらに、③その期限は、文民統制をより強いものにするという意味で、1年としていること等から、現在の「テロ対策特別措置法」にも増して、国民の支持を得られるものになっていると思います。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そもそも、「テロ対策特別措置法」のもとでの、海上自衛隊の艦艇による洋上給油活動の戦略的意味は、「テロとの戦い」に取り組んでいる多国籍海軍の海洋安全保障にとって極めて重要な意味を持っていることは間違いありません。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　といいますのも、わが国の海上自衛隊の艦艇が洋上給油している各国艦艇の受け持っている海域は、ペルシャ湾からホルムズ海峡、アラビア半島の沿岸海域、紅海からソマリア海域と極めて広範囲に及んでおりますが、もしここで洋上給油という手段を失ったとしたならば、一体どうなるでしょうか。是非、皆さんも想像して頂ければ有難いです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私なりに想像してみますに、洋上での給油がなくなれば、各国の艦艇は、いちいち予め定められた補給港に寄港し、燃料補給作業を行うことを余儀なくされ、その結果、時間的に大きなロスを生じさせると共に、各国の艦艇の作戦行動が当該補給港に縛られてしまい、ひいてはテロリスト達に、海上阻止活動の警戒網をくぐり抜けた、各種洋上活動を許してしまうことになると思いますし、それは我が国にとって、「テロとの戦い」の成否に関わる軍事的な欠陥をさらけ出すことを意味すると考えますが、いかがでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　数年間にわたって続けられているインド洋上、とりわけアラビア海海域での海上安全保障活動で摘発されたテロリストやテロ集団と関係する船舶数は、公開情報に限ってみますと極めて少ないことが分かります。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこから、「テロ対策特別措置法」に基づく海上安全保障作戦が、テロの根絶にどの程度貢献したのか！とか、実質的に役立ってはいないのではないか！とか、費用対効果が低くて実行価値がないのではないか！といった声が聞こえてまいります。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし、このような発言は、わが国の安全保障にまつわる軍事的な専門領域までをも、いわゆる商業、商い的視点でしか判断できない、いわゆる「平和ボケ」の典型例の一つでありまして、わが国独特の現象といわざるを得ないと思います。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　といいますのも、摘発ないし捕捉されたテロ分子が極めて少ないということの意味は、各国の艦艇による哨戒・警戒活動によって、テロリスト側の、洋上での活動が大幅に制約されている、抑止効果がもたらされている、と言うことが出来るからであります。各国の艦艇がアラビア海海域を常時パトロールしているがゆえに、テロ分子達による、テロリストの移動や武器弾薬の増強、麻薬や人身売買による資金稼ぎのための密貿易を抑止出来ている、という成果が上がっているという意味において、確実な「貢献」がそこにはあると、私は考えます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　加えて、現在、各国の艦艇に対して洋上給油を行う為の部隊を展開させる能力を持っているのは、世界各国の軍事バランス上、わが国の海上自衛隊だけであり、わが国政府が国連によって支持されている「テロとの戦い」そのものを支持している以上、海上自衛隊の補給艦が各国の艦艇に給油などの支援をすることは、まさにわが国の特性を生かした、外交努力の結果生まれた国際貢献と言う事が出来ると思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかも、より重要なことは、わが国の生命線である原油とシーレーンの安全確保という国益を見据えて、今回の問題を議論することであります。わが国が輸入している原油のうち89.5パーセントは、ペルシャ湾からホルムズ海峡を抜けて、アラビア海を通過してインド洋から日本へと向かっておりますし、残りの10.5パーセントのうち、4.2パーセントは、紅海からアラビア海を横断しインド洋から日本へと向かっています。つまり、わが国が輸入する原油の93.7パーセントは、「テロとの戦い」のもと、多国籍海軍の艦艇が安全を確保してくれている海域･シーレーンを通過してもたらされてくるものです。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もしもわが国の海上自衛隊の艦艇による洋上給油活動がなくなり、各国の艦艇による海上安全保障活動が停滞し、アラビア海海域でのテロリストの活動が活発になりますと、最悪の場合は、93.7パーセントの原油を、わが国は手に入れることが出来なくなる恐れが生じます。そして、わが国が常時備蓄している約半年分の原油を消費してしまった後は、生産活動も交通機関も完全に麻痺してしまい、国民の健康で文化的な生活は到底望めなくなってしまいます。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　わが国としましては、引き続いて各国の艦艇に対する洋上給油活動を展開することによって、自らの原油とシーレーンの安全確保という国民生活の生命線を守り、原油の安定的な獲得の維持という我が国の国民生活に直結した国益を守るという観点を常に持ち続けていかなければならないと思いますが、いかがでしょうか。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　海上自衛隊の洋上給油活動の継続は、わが国が国際社会の一員として、「テロとの戦い」に貢献するという国際的な責任を果たす意味でも、また、海上交通の安全確保というわが国の国益にも合致するという意味でも、政治的に正しい決断であると、私なんぞは思っておりますが･･･。　　　&lt;br /&gt;少なくとも、テロリスト達が得しない方策を考え続けましょう。&lt;br /&gt;～～～本年も拙いエッセイ(？)にお付き合い下さり、誠に有難う御座いました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;良い年をお迎え下さい。～～～　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2007年12月&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-5217629026352512168?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/5217629026352512168/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=5217629026352512168' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5217629026352512168'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5217629026352512168'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/12/blog-post_22.html' title='テロ得？'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-8585719543831685562</id><published>2007-12-04T21:15:00.000+09:00</published><updated>2007-12-22T14:06:00.650+09:00</updated><title type='text'>ガンバレ柏崎</title><content type='html'>　 11月11日、日曜日の午前、豊島区総合グラウンドで、第4回「TEPCOフレンドリーカップ2007」という、豊島区と新潟県柏崎市との少年野球交流大会が開催されました。&lt;br /&gt;この大会は、東京電力株式会社の大塚支社と柏崎刈羽原子力発電所が主催し、財団法人:社会経済生産性本部の首都圏エネルギー懇談会の共催を得て、私どもの豊島区少年野球連盟と新潟県柏崎学童野球連盟が協力するもので、首都圏で使われる電力の約2割をまかなっている柏崎刈羽原子力発電所立地地域である新潟県柏崎市という｢電力の生産地｣と、私達が住む首都圏の真っ只中にあります東京都豊島区という｢電力の消費地｣とを、少年野球というスポーツで結び合うことによって相互理解を深め、ひいては日本のエネルギー事情に小さい頃から関心を持ってもらいたいという願いを込めて行われているものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 当日は、困ったことに朝から生憎の雨模様でして、雨による大会への影響を少しでも抑えようと、開会式を簡潔に済ませる等して予定時刻より早目にプレイボールとしたのですが、一回の表を終わった時点で無常にも強い雨脚となり、審判部の判断でやむなく中断、選手達はアンダーシャツを取り替えてジャンパーを着るとともに、ベンチで雨が止むのをひたすら祈るという状況が2･30分続いてしまいました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 わざわざ新潟県柏崎市から一泊二日の行程で、監督･コーチ･ご父兄の皆さん、そして選手達の総勢約60名(柏崎スターズと松浜少年野球団の2チーム)が来てくれているのです。ホスト側の豊島区少年野球連盟をはじめ、大会関係者は、雨脚が衰えたと判断するや、一目散にグラウンドに飛び出して行き、水溜りの除去や砂の入れ替え等をはじめとするグラウンド･キープ作業に取り掛かりました。内野のところの水溜りをレイキやブラシで、ファウルグラウンドのほうまで押し流してゆく人、たいして大きくもないスポンジをグラウンドに押し付け水を吸い取ってバケツに捨てている人、乾いた砂をピッチャーズ･マウンドやバッターズ･ボックスに運び、ぬかるんだ砂と入れ替えている人、各大会関係者が暗黙のうちに役割分担し、プレイ再開への道筋をつけてくれています。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　それらの光景を、私も手伝いながら拝見して感じたことは、わざわざ柏崎市から来てくれている、それだけの理由ではこの一連の動きぶりは出てこないな、という事でした。&lt;br /&gt;大会前日の11月10日、土曜日の夕方、今大会の前夜祭とも言える｢ふれあい交流会｣が、サンシャインシティ･プリンスホテルの特別協力のもと、ワールドインポートマート9階さくらルームで行われました。懇談に入る前の、オープニングセレモニーでは、まず、主催者の東京電力の役員の方から、今回の新潟県中越沖地震による被災者の皆さんへのいたわりの言葉と、柏崎刈羽原子力発電所の罹災よる影響を、子供達が一生懸命取り組み、楽しみにしているこの少年野球交流大会に及ぼしてはならない旨の決意が述べられ、次に、乾杯の発声をした柏崎学童野球連盟の役員の方からは、今回来たチームの中に中越沖地震で被災したご家族が多数含まれている旨のご挨拶がありました。この時、ご挨拶した方々とそれを聞いていた皆さんに共通して去来したものは何か、それを私なりに想像しますと、様々な形で被害を受けた柏崎への優しさと労わりの想いもさることながら、日本人としてとても大切な事に無関心でありすぎたし＆ありつづけたという反省の想いではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　7月16日午前10時13分、新潟県中越沖地震が発生してから、柏崎刈羽原子力発電所の地震被害の映像は連日連夜テレビで報道され、｢何故、地震多発国に、原発を作ったのか｣とか、｢原発の安全性には多大な疑問があるといわざるを得ない｣といった批判が相次ぎましたが、そもそも私達は、はたして＆どこまで原発についての正しい知識を持ち合わせていたでしょうか。私達は今、原発についての無関心を卒業し、国民一人ひとりが認識を深め、思考する時期がやってきたのではないでしょうか。現にアメリカでは、1979年のスリーマイル島の事故以来、原発の建設がなされてこなかったのにもかかわらず、いよいよ新たな建設計画を策定しましたし、現在世界的に、原発政策が見直されています。　&lt;br /&gt;　　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　特に資源に恵まれない日本では、原子力発電には、①少ない燃料で大きな発電量を作り出せること、②一度原発を建設してしまえば後はランニングコストが安いこと、③政情が安定している先進諸国から安心してウランを確保できること、④ＣＯツーの抑制効果が大きいこと、そして⑤燃料をリサイクルでこること等のメリットがあることから、2006年に｢原子力立国計画｣が策定され、あらためて国家戦略としての原発推進が確認されています。ところが、現実の私達の対応はどうでしたでしょうか。テレビ画面が映し出す柏崎刈羽原発の施設(実際は原子炉本体ではなく変圧器施設)から立ち上がる黒煙を見て、単純にチェルノブイリ原発事故に結び付け、そこから、海と大気へ放射能が漏れたと即断したのではないでしょうか。加えて、当時の新聞報道の姿勢はどうでしたでしょうか。新聞が持つべき、冷静に物事の事態を把握するという役割と、根拠のない不安ならばそれを取り除くという使命は、果たされなかったと評価していいでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　実際のところは、この道の専門家とも言える｢IAEA｣による調査で、東京電力が充分すぎるほどの耐震強度設計をしていた為に、地震被害が原子炉の安全性に影響を与えず、原子炉が安全に停止したことが分かり、その点が高く評価されておりますし、放射性物質の漏洩も基準値をはるかに下回るものであることも確認されています。いずれにしても、日本の原子力技術の高さが世界に証明されたわけでして、後に残ったのは、過度の風評被害でした。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　　やれ｢原発の放射能が心配｣とか、｢あふれる核燃料プール｣などの風評が飛び舞った結果、新潟のホテルのキャンセルが多数あり、柏崎では遊覧船が運航を停止し、花火大会も中止。さらには、ある新聞報道が海外メディアの｢ヘラルド･トリビューン｣紙に転載されたことも手伝って、千葉県に来る予定だったセリエＡのカターニャの訪日まで中止になる等、不必要な見出しにより社会不安が醸し出されてしまいました。こうして柏崎の人達が、世間から受けた損害は甚大なものがあったといえますし、特に子供達にとっては多くの楽しみが奪われてしまったことでしょう。だからこそ、一瞬でも早いプレイボールが大切だったのでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　私達がなすべきことは、感覚的に常識として広がってしまっている原発に対する間違いを、日本のエネルギー事情を前提に、幅広い情報と科学的見地に触れる努力をすることによって見直し、そして理解を深めることです。そのときの合言葉たりうるのは、｢ガンバレ柏崎｣です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2007年11月&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-8585719543831685562?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/8585719543831685562/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=8585719543831685562' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8585719543831685562'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8585719543831685562'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/12/blog-post.html' title='ガンバレ柏崎'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-7002647653572994054</id><published>2007-11-06T16:06:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T16:09:41.059+09:00</updated><title type='text'>福田康夫首相登場</title><content type='html'>　　9月12日、安倍晋三内閣総理大臣（首相）が突然の退陣を表明されました。その第一報を私が知ったのは、同僚議員と豊島区役所内において、廊下トンビをしていた時で、同僚議員の携帯電話に飛び込んできた情報からでした。まったくの冗談かと思いつつも、豊島区役所4階の自民党控室に戻り、すぐさまテレビをつけてみますと、既に午後2時より、退陣についての説明をする総理記者会見が行われる、との段取りも出来ていることが分かりました。その後の流れは既に皆様方もご存知の通りです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　～～９月23日、自民党本部において党大会に代わる両院議員総会が開会。総裁選挙の結果、福田康夫氏が第22代自民党総裁に選出される。「信頼の回復」を!!、福田新総裁は、就任後初めての記者会見でこのことを繰り返し強調するとともに、「着実に、誠実に、国民の皆様方の期待にこたえられるよう、真正面から取り組んでいくしかない」と訴え、「正攻法」で取り組んでいく方針を表明。その上で福田新総裁は、「時間はかかるかもしれない。しかし、一致結束して取り組めば、そう遠くない時期に必ず信頼は取り戻せる」との認識を示し、全党員･党友の協力を呼びかける～～。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　当日の自民党本部の総裁選会場内にいた同志の若手衆議院議員の何人かから、実際その場で福田新総裁は何と言われたのかを聞いたことをまとめてみますと、大体こんな感じのことをおっしゃられた模様です。「そう遠くない時期」と言われたようですが、衆議院議員に残された任期はもう2年足らずですから、そう悠長な姿勢ではいられないでしょうし、その意味では、自民党に残された時間は限られているはずです。加えて、参議院で野党の皆さんが過半数を占めたわけですから、真に必要な法案を与党･政府が成立させていくにはどうしたらよいか等など、福田新総裁におかれては、もう少し周辺事態の深刻さに対するご認識と、この厳しい難局を乗り切っていく強い心構えを、もっとご自身の言葉で訴えて欲しかったな･････というのが、下々で支えているつもりでいる、私の感想なのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　～～9月25日、福田康夫自民党新総裁は国会で指名され、天皇陛下からの任命を受け、第91代内閣総理大臣となる。福田康夫首相は、昭和11年生まれの71歳。町村派。身長は171センチ、体重は70キロ。早稲田大学政治経済学部を卒業。趣味はクラシック音楽の鑑賞。「幻想交響曲」などの代表作があるフランスのベルリオーズ、ハンガリーのバルトークの作品などが好み。読書は分野にこだわらず多読するが、幕末から明治にかけて活躍した政治家:勝海舟が好み。歴史小説が中心。昭和53年、日中平和友好条約を締結した福田赳夫第67代内閣総理大臣のご長男。平成2年、父の政界引退後に同じ選挙区から衆議院議員に立候補、そして初当選。森内閣、小泉内閣ではともに官房長官を務める。明治18年、日本の内閣制度が出来て初の親子2代での内閣総理大臣～～。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　先程述べました23日の総裁選に先立つ、9月21日、私が所属する自民党青年局主催で、「福田康夫・麻生太郎、自民党総裁選公開討論会」が実施されましたが、そこで配られた内部資料にあった福田氏の紹介です。自民党青年局の親友達も、私の事を良く知ったもので、早速「勝海舟」のところに反応し、数名が私の顔を覗き込んでおりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　私自身、勝海舟の成し遂げた功績は数多くあると思います。特にその際たるものは、西郷隆盛との協議によって実現させた、慶応4年4月11日の江戸城の無血開城でしょう。同時に、彼の著作物を通じて、例えば「氷川清話」や「解難録」、そして「断腸の記」から大変多くのことを啓蒙されました。しかしそれでも、私は彼の生き方･生き様をつぶさに追っていく中に、どうしても納得できないところがあるのです（海舟ファンの方ゴメンナサイ）。といいますのも、勝海舟は、旧幕府時代には幕府の中枢に地位を占めていたわけですが、それが戊辰戦争に際しては、日本国内の平和を最優先にすべきと述べて、官軍側に抵抗しないことを訴え、自らがそのイニシアティブをとり、先程述べた江戸城無血開城などを成し遂げていきました。いわば自分自身が帰属している幕府に対して引導を渡したわけであります。勝海舟が日本国内の平和という高い理念を掲げ、江戸の民衆を戦火から守った結果･成果は最大限評価いたします。しかし、明治維新後も海軍卿を歴任する等を始め、かつての敵方である薩摩･長州の人達と共に行動を共にしつつ、かつ地位･名誉にも与る生き様に、私は納得がいかないのであります。この勝海舟と対極的な生き様をしたのが山路愛山で、彼は幕府天文方の子に生まれ、戊辰戦争の混乱の中で彰義隊に参加した父親と生き別れ、幕府崩壊後は徳川家に従い、静岡に祖父母と共に移住し、辛酸を嘗め尽くす青春時代を送るのです。私が申し上げたいのは、自分が帰属する国や地域の共同体が危機や滅亡に瀕した場合、たとえ勝算が乏しい場合であっても、その局面打開に際して、多大な苦痛や負担、それどころか己の命を棄て去る覚悟をもって努める精神が大事ではあるまいか。それは、ひとえに主君のお家の存続と名誉を求め続けて奮戦し続ける山路愛山的生き様の中に、骨太の精神として君臨しているのではあるまいか。それに対して、勝海舟的生き様は、この精神を著しく損なうものではあるまいか、ということなのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　この点、大東亜戦争末期の昭和20年の東京大空襲を例に考えてみますと、この空襲によって何十万人もの非戦闘員の日本人が亡くなったわけですが、今の平成の時代に生きている私達からしますと、この昭和の大戦時代に生きていて、そして空襲で亡くなられた人達とは、個人としてはほとんど面識がないということが出来ます。それが、空襲で死亡ないし被災された方達を、私達と同じ日本国民であるとして自然と包み込み、60年以上も前の東京大空襲をあたかも私達に対する加害行為であるかのごとく受け止めてしまうのは一体何故なのか、を考えていただければ有難いです。私達は、純粋に「個人としての自己」のみで生活しているのではなく、「国民としての自己」という観点を多いに保持しながら生活していることが分かると思いますが如何でしょうか。山路愛山的生き様は、まさにこの「国民としての自己」を脈々と保ち続ける為にはどのような気構え･精神が必要かを私達に訴えているのではないでしょうか。他方、勝海舟的生き様は、えてして短期的なタイムスパン内での「個人としての自己」の便宜や、脆弱で邪まな性根を、あたかも標本として後世に伝えるだけではないでしょうか？。福田首相が、趣味的にしかも読書空間の中だけで勝海舟が好きだ、と言われるだけでしたら、私は何も言いません。しかし、その勝海舟的生き様に共感し、これからの国政運営に生かす乃至重ね合わせるところがあるとしたら、それは日本という国家と日本国民の危機を招くのではないかと私は思っております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;2007年10月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-7002647653572994054?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/7002647653572994054/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=7002647653572994054' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7002647653572994054'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7002647653572994054'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post_7127.html' title='福田康夫首相登場'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-3145527275766143250</id><published>2007-11-06T16:04:00.000+09:00</published><updated>2008-01-16T02:29:18.462+09:00</updated><title type='text'>若者を連れて</title><content type='html'>　　多くの方から、『議員さんって、普段は何してるの？』と聞かれて、その回答または説明にとても困る時があります。といいますのも、区議会が開会されている時や、各級の選挙がある時は、『今コレコレの委員会に所属しておりまして、コレコレこういったことを審議してますよ』とか、『今回の参議院選挙も、私は保坂三蔵さんを応援･お手伝いをしているのですが、なかなか厳しくてね』とか、案外具体的かつストレートにお答えすることができるのですが、それらの刻みの間の活動といいましたら、まさに萬相談請負人状態でありまして、それに私自身のボキャヒンが加わりますから、なんと説明したらいいのか非常に難しくなるのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　もっとも、当然の事ながら、党員として議員として、私なりの問題関心･意識をもった事柄にまつわる活動もありますから、それはそれとして説明することは出来るのですが、それ以外の活動について説明したとしたら、多くの場合は、『ええっ、そんなことまで議員さんってするの？大変だね』といった驚きの声が返ってくるのかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　夏の期間について、意外と多くの区民の皆さんが議会のない事をご存知で、この夏は何してたの？･どこ行ってきたの？的な質問攻めにあうことがよくあります。&lt;br /&gt;勿論、この夏もまた例年同様、事務所の若いスタッフと共に、私は豊島区のあちらこちらを徘徊乃至出没しておりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　さて、豊島区にはエポック10という「男女平等推進センター」がありますが、これは一体全体何かといいますと、いわゆる男女共同参画社会を実現する為に、区民の皆さんが集い、そして出会い、さらには学び、新しい生き方を創造していく拠点でありまして、バラエティーに富んだ数多くのメニューを用意した施設でもあります。具体的には、男女平等推進乃至男女共同参画社会の形成促進にまつわる講座･講演会を開催したり、また啓発･啓蒙誌の発行や学習相談などを実施したり、さらにはドメステッック･バイオレンスなどをはじめとした女性を取り巻く様々な問題の相談を受け付けています（これはほんの一部の説明です）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　そして、その講座･講演会の一環として実施されている中の一つに、「エポック10シネマ」というものがありまして、私はこの8月、エポック10シネマ第5回上映会、ウェイン･ワン監督：スーザン･サランドン主演の映画『地上より何処かで』(2000年:アメリカ)を、うちの若者数人と一緒に視察･鑑賞してまいりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　私の問題関心は、この映画の中で、まず男性はどのように描かれているか、次に女性はどのような境遇に置かれているか、さらにその親達や子供達の立ち位置はどうなっているか、そして家族にはどういった絆を与えているのか、というところにありました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　それでは、今回の映画の感想はと言いますと、･･････････。&lt;br /&gt;　　いやいや私からは止めておきましょう。その代わりといってはナンですが、うちの若者達には映画を見た後、それぞれ感想文を提出させておりますので、その中で私が「良し(？)」と思った、Ｔ大学Ｌ学部1年の谷麻衣さんの感想文をお示ししたいと思います。宜しくお願いします。&lt;br /&gt;今回もご一読ありがとう御座いました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　                   　平成19年9月５日&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　                　文責：谷　麻衣&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　「地上より何処かで」を鑑賞して&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　８月22日水曜日、豊島区立男女平等推進センター（エポック10）の４階研修室2にて、午前10時から「地上より何処かで」という映画が上映された。男女平等を推進し、女性の地位向上を目指している事業のエポック10では、「映画の中の女たち」というテーマで、様々な女性の生き方が描かれた作品がいくつか定期的に上映されている。映画の中の女性たちを通して、女性の多様な生き方を考えるというのが目的のようだ。&lt;br /&gt;　　「地上より何処かで」という映画では、派手で奔放な性格の母アデルと、現実的で聡明な娘アンという、考え方も服の趣味も、何から何まで正反対の二人の女性を中心に、ストーリーが展開されていく。鑑賞者も女性が多く、映画の内容も、どちらかというと女性向けといった印象を受けた。&lt;br /&gt;　　退屈な田舎暮らしに我慢できず、再婚した夫テッドや老いた母、姉夫婦らに別れを告げ、憧れのビバリーヒルズでの暮らしを夢見て、アデルは娘のアンを連れてロサンゼルスへと向かう。夢の門出にふさわしいと、中古のベンツもなけなしの金をはたいて購入した。アデルはそれが全て娘のアンのためと思い込んでいる。だがそれも全て裏目に出て、いつも的外れな言動で娘を悩ませてしまう。そんなある日、アデルは歯科医師のジョシュと知り合い、夢中になる。だが突然連絡が取れなくなり、家の前に行ってみると、別の女性と一緒のところを見てしまう。またアンも、友人に勧められ別れた父親に電話するが、金を無心するアデルの差し金と思われ傷つく。ビバリーヒルズでの生活は、夢とはかけ離れたものばかりだった。母の愛はわかっていても、そんな母が自分の人生を台無しにしたと、憎く思い、自分の道を踏み出したい娘のアン。アンが自分で決めた大学に行きたがっていると知り、最初は大反対していたアデルだが、お金が足りないから行けないという事実を知ると、お気に入りのベンツを売ってお金を作るという、最後に母親らしい一面も見せる。アンも最初は「母が憎い」と言っていたが、最後には「いないと退屈」だと、母親の存在が絶対的なものへと変わっている。&lt;br /&gt;　　この映画では、依存的だった母と娘が自立していく過程と同時に、家族の感動的な絆が描かれている。だがそこに男性の影は薄い。それどころか、女性を傷つける加害者的な立場で描かれている。アデルが母親らしい愛情を見せ、最後はアンにとって絶対的なものへと変わっているのに対し、父親は久しぶりに電話をかけたアンを心無い言葉で傷つける、ひどい父親で終わってしまっている。エポック10としては、弱い女性の立場を主張する事で、男女の不平等を示唆し、女性の地位向上への意識を高めようとしたのかもしれない。&lt;br /&gt;　　また、非現実的で無茶ばかりしているように見えるが、周囲の目を臆することなく、自分の夢に向かって突き進む姿は、子育てや仕事に追われ、自分の事に割く時間の無い人にとっては、羨ましいともとらえられるかもしれない。だがそんなアデルのふるまいは、ラスト以外は決して母親らしいものではなかったように思う。現代の働く女性の間でも、自分の趣味などとはもちろん、仕事と子育ての両立はとても難しい問題だ。少子化で労働力不足に陥る日本にとっても、経済的な発達といった面からいえば、女性の地位向上を目指し、ジェンダーフリーを掲げる事も、過剰に反応したり、行き過ぎなければ良い事かもしれない。だが子を持つ親となった時、それはどうなのだろうか。父親の存在、母親の存在、子どもにとってはそれぞれ共に重要で、お互いに片方は持ち得ない役割というものがあるはずだ。それはお互いに協力し合い、補い合っていく必要があり、そうする事で平等となりえるものだと、私は思う。今回の鑑賞を通して、女性の地位向上、そして男女平等を目指す一方で、これまでに形成されてきた父性と母性の役割も、大事にしてゆける日本でありたい、そう思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;2007年9月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-3145527275766143250?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/3145527275766143250/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=3145527275766143250' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/3145527275766143250'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/3145527275766143250'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post_7646.html' title='若者を連れて'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2774535833792365410</id><published>2007-11-06T15:59:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T16:03:22.362+09:00</updated><title type='text'>「公」「私」混同克服の『道』</title><content type='html'>　　今から三年位前でしょうか。イラクで日本人3名が、テロ集団に人質として身柄を拘束され、自衛隊の派遣・撤退が大きな争点としてマス･メディアを騒がせたことがありました。当時イラクで人質になった日本人3名は、外務省が既に十数回も「退避勧告」を出し、出来るだけのチャンネルを使って｢渡航の自粛｣も呼びかけていたのにも関わらず、自ら進んでイラクという危険領域に向かったのでした。それはあたかも「登山禁止令が出ている雪山への登山をあえて実行するようなもの」と言われ、そこから当時流行したのが『自己責任』と言うものでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="left"&gt;　　当時の名店街ニュースに、これを題材に原稿を載せてもらいましたが、そこでは『自己責任』論よりも、むしろ『公私峻別』論を語らせていただいたと記憶しております。当時の原稿には次のような一節あります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　『私』という字のノギヘンですが、これはそもそも「稲とか麦とかの穀物類の収穫」を意味します。ツクリは『ム』ですが、これはまっすぐな釘が途中真ん中で折れたことを意味しています。まっすぐな釘は「まったく私心のないこと」を象形文字の世界では意味しますから、ツクリの『ム』とは、「その意志がくじけてよこしまな考えを持つ」と言うことになります。そこから『私』とは「収穫した作物類を全部自分のもの、つまり独り占めする」ということです。&lt;br /&gt;『公』とは、『ム』の上に『ハ』が乗っかっているところから、「よこしまな心を上から押さえつけ表に出さない」と言うことを意味します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つい最近、世間様を賑わせている話題の一つに、いわゆる「大相撲横綱朝青龍関問題」があります。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;　　･････久しぶりに東西両横綱がそろって行われた大相撲名古屋場所。新進気鋭の新横綱白鵬が登場したことで大相撲人気が上昇。最近負けこんでいる横綱朝青龍関も焦りを隠せない。もっとも千秋楽、朝青龍関は白鳳関との横綱対決を制し、3場所ぶり21度目の優勝を飾り、その存在感を天下に示す。さすが朝青龍関！と思えたのもつかの間、そそくさと母国モンゴルに帰国してしまう。腕と腰の治療で全治6週間とされ、それを母国モンゴルで治す為の帰国かと思いきや、見事なセンター･ホワードぶりを発揮してサッカー遊びに講じてしまう。ゴーーーール。ここから、｢仮病疑惑｣はもちろん、国技と言われる大相撲の精神･心への無理解が、日本人の反感を買ってしまう。現在、２場所連続出場停止などの処分を受け、「急性ストレス障害」と診断された朝青龍関。自宅謹慎が今も続いているものの、いまだに本人はもとより、「公」益法人(財団法人):日本相撲協会の記者会見も行われないまま、ただ月日だけが虚しく過ぎ去っている･････。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;　　ここでも、問われているのは「公」と「私」の関係ではないかなと、私なんかは考えておりますが皆さんは如何でしょうか。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;　　朝青龍関の立ち居振る舞いですが、在日モンゴル大使館が日本相撲協会に対して「治療の為帰国していた朝青龍関が、サッカーに参加せざるを得ない状況を作ってしまった。大変なことになり日本相撲協会と朝青龍関にお詫びします」という謝罪文を提出していることからも伺われるように、横綱としての職務ないし公務とはまったく異なる類の、いわゆる｢お遊び｣であったことは確かです。しかも、その遊びの種類が、普段馴染みのないボールを使っての、体重移動の激しい、ある意味では｢力士｣としての生命(？)も脅かしかねない性格を持ったサッカーという球技に講じていたわけですから、国技とは、大相撲とは、そこでの横綱の使命とは何かがまったく分かってなかったと言うことが出来ます。この一連の行為は、まさに｢公｣よりも｢私｣をはるかに優先するものとして言語道断、決して許されるものではありません。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;　　そもそも大相撲の歴史は大変古く(古墳時代にまで遡れるとの説もあります)、しかもカミとの係り抜きには語ることが出来ません。｢力士｣という｢ちからびと｣が、拍手(かしわで)で邪悪をはらい、四股(しこ)で大地を踏み込むことにより五穀豊穣をお祈りする、究極的の神事･公的行事です。その太古から続く祈りや祈る心･精神を現代の私達にまで紡ぐ為に、｢力士｣たるものは髷というものを結い、土俵という｢ハレ｣の舞台にあがる。ついでに言えば、このカミとの係りがあるからこそ、女性が土俵へ上がることは許されないのです。朝青龍関は、この深淵なる日本の伝統文化について、早急に学ばなければなりません。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;　　サッカーが出来るコンディションであったのにも係らず、大相撲夏「巡業」を軽視したことは重大問題です。日本全国を練り歩く巡業は、まさに神事として五穀豊穣の願いを地方へ伝播･普及することにほかならず、それは横綱が先頭になって取り組まなくてはならない、これまた究極の｢公｣の営みです。これをないがしろにしたところに、多くの批判が集中することになるわけです。&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;　　もっともその夏巡業も、当初は朝青龍関不在がどう影響するかが心配されましたが、おおむね順調のようです。特に、今回の巡業の中には、財政破綻した夕張市も含まれており、ここでの巡業は勧進元をおかず、日本相撲協会自身が出資･運営し、しかも力士達は自分たちの休養日を割り当てて、切り盛りしているとの事です。この事実を朝青龍関は知っているのでしょうか？&lt;br /&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt;　　先月の7日と8日の二日間、豊島区池袋本町3丁目にあります氷川神社境内で、幼児から中学生までが参加する、第34回青少年相撲大会が行われました。7日は区内小学校の5校による対抗戦、8日は個人戦がそれぞれ行われ、豆力士たちが熱戦を繰り広げたと共に、土俵際で観戦していた親御さん達の悲鳴交じりの声援が境内に木魂しました。それは、一見すると子供達が主役の単なる｢余興｣にしか過ぎないと思われるかも知れません。しかし私からすると、巡業の来ない地域の精一杯のささやかな公的な営みに思えて仕方がありません。豆力士から大銀杏を結う大横綱が誕生してほしいと願うばかりです。そこでこの度の名古屋場所後、新大関琴光喜が誕生しましたが、彼が相撲に取り組んだのが、小学校1年生からでした。愛知県一宮市内の佐渡ヶ嶽部屋で大関昇進を伝える使者を迎えた琴光喜関の口上は、｢如何なる時も力戦奮闘し、相撲『道』に精進します｣というもの。朝青龍関におかれては、日本における「公」とは何かから始めて、日本の国技である大相撲というものを、単に武術的に強ければいいと捉えるのではなく、カミとの繋がりを持った武術･体育･精神の修養、世に処する方法などを兼ねた修行として捉え、一つの『道』を極めて貰いたいものです。&lt;/div&gt;&lt;div align="left"&gt; &lt;/div&gt;&lt;div align="right"&gt;2007年8月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2774535833792365410?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2774535833792365410/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2774535833792365410' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2774535833792365410'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2774535833792365410'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post_5772.html' title='「公」「私」混同克服の『道』'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-4240425773583292789</id><published>2007-11-06T15:56:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T15:59:50.470+09:00</updated><title type='text'>まんが･アニメは精神文化？</title><content type='html'>　　最近、知り合いの仲間たちとの雑談の中で、一泊二日で石巻市に視察に行ってきたときの話しが出ました。行きがこうで･････、帰りがこうで･････、あそうそう途中で･････と、視察の中身を面白おかしく話してくれましたが、聞いている私の方はといいますと、このところ家族サービスが出来ていない事から、申し訳ないな･････、まずいな･････、という家族に対する想いが常に頭をよぎってしまい、話し相手に対して終始ぎこちなく、しかもワンテンポ遅れた相槌をしているといった有様でした(この夏は、何とか頑張って海にでも連れて行ってあげなくちゃ････、早く参議院選挙終わらないかなー)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　一通りお話を聞いた中で、特に私が関心を持ったところは、どうやら石巻市は、漫画家の｢石ノ森章太郎｣氏とその作品群を前面出だしながら(石ノ森萬画館)、それを街の活性化戦略に組み込んでいる･････、という部分でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　著名な漫画家とその作品を街づくり、特に来街者の呼び込み･取り込みに組み入れている自治体は、何もこの石巻市に限っているものではなく、このほかにも、水木しげる氏とその作品群、例えば｢ゲゲゲの鬼太郎｣などを前面に出している鳥取県境港市をはじめ、いくつか存在しており、それなりの成果を挙げているとの報告を聞いております。中でも、マンガ・アニメという性格上、子供達からの支持は絶大なものがあるらしく、修学旅行で立ち寄るのか、あるいはお別れ遠足会で立ち寄るのかは分かりませんが、かなり遠方からも観光バスで乗り込んでくるとの事です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　新撰組を謳って街のPRをしている｢日野市｣、武田信玄を打ち出している｢茅野市｣、家康の湯で売り出している｢熱海市｣といったように、いわゆる過去の歴史上の組織や人物を取り上げて、ある時はおらが村の誇り、またある時はおらが街の自慢とすることは古くから行われてきたところですが、このアニメを取り入れての街興しはここ十年位で急速に着目され始めたようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　私の場合は、｢ミュンヘンへの道(いきなりマニアックですね･･･)｣｢巨人の星｣｢あしたのジョー｣｢キャプテン｣｢プレイボール｣｢おれは鉄兵｣に始まり(まだまだ沢山続きますよ･････なにせマンガが好きだった兄がいましたから･････)、｢エースを狙え｣｢ガラスの仮面｣｢あさきゆめみし｣等など(二人姉がおります関係でマーガレット･少女フレンド･りぼん、よく読みましたっけ･････)、若かりし頃、特に中学生・高校生あたりまで、家に帰れば何がしかの種類の週刊マンガ本が転がっているという状況も手伝って、暇さえあれば数多くのマンガや作品に触れるといった生活でした。例えば｢巨人の星｣です。主人公の星飛雄馬は、元読売巨人軍の名3塁手の父:星一徹に感化(※)され小さい頃より野球に打ち込むものの、生来的に球質が軽いことから、単なるミート打撃で長打を浴びてしまう、そこから、そもそもミートすらさせないようにするにはどうしたら言いかを模索、その結果大リーグボール１号を開発、一世を風靡するもやがてはライバルの阪神タイガースの花形満にホームランを打たれてしまうものの、そこからさらに這い上がり、大リーグボール2号(消える魔球)を開発、これが通用しなくなると最後に大リーグボール3号を開発、この魔球でライバルになってしまった中日ドラゴンズの伴宙太を討ち取り、完全試合を達成させると同時に、左前腕にある筋を切ってしまう･････、といった様にすぐさま頭にストーリーがよぎってしまいます(この後の新巨人の星もグッときてしまいますよね、ホント)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　このマンガが私に与えた影響は、意外と大きいと言うことが出来ます。もちろん野球好きの4歳年上の今は亡き兄の影響もありますが、私自身、単に野球を始めたことだけではなく、打ち込み始めたことに対して全力を傾けること、途中であきらめないことを始め、数多くの人生の構えをここから感じ取ったと言うことが出来ます(ちょっと、大げさ？)。&lt;br /&gt;※星一徹の妻で飛雄馬とその姉の明子の母｢星春江｣は、星一徹とお見合い結婚をしたのですが、飛雄馬が物心つく前に病気で亡くなってしまいます(この病名が分からないんだよなー、どなたか知っていたら教えてくださいね)。&lt;br /&gt;　　したがって、明子には母の記憶はありますが、飛雄馬には記憶がありません。&lt;br /&gt;　　そして、実は、春江がまだ赤ん坊の飛雄馬のために縫った読売巨人軍のユニホームが、一徹に飛雄馬のスパルタ教育を決意させたのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　自治体が有名な漫画家とその作品を街づくりに活用することは結構なことかもしれませんが、その場合でも、単に有名なマンガやアニメだからとか、最も人を呼び込めるマンガやアニメだからとか、そのような観点からのみ取り入れてしまうのはいかがかなと思ってしまいます。そこには、やはりその自治体のトップたちが、住民にそして国民に対してどのようなメッセージをその漫画家･作品群を通して発信するかといった観点をきっちり打ち立てた上で企画してほしいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　加えて、作品それ自体の持つ分かりやすさも大事かなという気が致します。例えば、宮崎アニメの一つ｢魔女の宅急便｣です。親元から自立して、綺麗な海の良く見えるパン屋さんに下宿しながら宅配の仕事をする主人公｢キキ｣、ある時あるお婆さんから、自分の孫のお誕生日のために私の焼いたパイを届けてほしいと頼まれる。キキが受け取りに行ったものの、電機のオーブンが壊れていた為に諦めることに･････、そのとき、釜のオーブンがあることにキキは気がつく。何とか薪を焚いてパイを時間通りに作ろうと懸命に努力、しかもお婆さん家の時計が10分遅れていることに途中で気がつく。おりしも雨が降る中、パイを濡らさないように着ている黒のワンピースのなかにパイをケースごといれ超特急。滑り込みセーフで孫の家に送り届けることが出来たものの、そのお孫さんからは、このパイ要らないのに・私このパイ嫌いなのよ、との返事受け、キキは呆然と立ち尽くす。さらには、そのお孫さんが友達のトンボの遊び仲間として再会したとき、キキの気持ちは怒りとなって心の中に現れる。その後キキの魔力は急速に衰えていくことに･････。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　このあたりまで来ると、多分に私の主観が入ってきてしまっていることに気づかされます。キキの魔力が衰えてきたのは、私は他者への憎しみや怒りがそうさせてしまったと解釈しておりますが(スターウォーズの中での、フォースの力とダーク･サイドの関係と似ている)、もしかしたら定期的な魔力の維持・鍛錬不足が原因だったのかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　それらの読み込み方は十人十色の感があるともいえそうですね。なかなか、マンガやアニメ、ひいては芸術というものを街づくりに活用するのは難しいと言えそうです。&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;&lt;/div&gt;&lt;div align="right"&gt;2007年7月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-4240425773583292789?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/4240425773583292789/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=4240425773583292789' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/4240425773583292789'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/4240425773583292789'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post_9810.html' title='まんが･アニメは精神文化？'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-4057177106128682273</id><published>2007-11-06T15:48:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T15:51:36.511+09:00</updated><title type='text'>「山本勘助」もいいけれど</title><content type='html'>平成19年も早二ヶ月が過ぎてしまいました。特に一月は新年会が多くある関係で、月日の経つスピードもなおさら速い感があります。加えまして、今年は春まで、わたくし的には大変忙しい年となっております。例年ですとこの時期、好きな歴史小説も数冊読んでしまっているのにもかかわらず、今年の場合は、今の所僅か一冊、しかも中途半端に読んだだけという、とても寂しい状況となっております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「本橋さんは、歴史小説、好きですよね･････」&lt;br /&gt;「そうね、以前は、時代小説だったけど･････」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   私も昔は司馬遼太郎さん、池波正太郎さん（？）をはじめとして、時代小説をよく読んだものでした。ただ、時代小説の場合、長年親しんでいくに従い、なんだかロマンチック過ぎるところがある、といいますか、微妙にしかも理由なく美し過ぎるところがある、といいますか、そういう意味でここ違うんじゃないかなという思いを個人的に抱き始めたのをきっかけに、今は主に、第一次･第二次歴史資料に忠実に従いながら構成しつつ、作家の創作部分が最小限に抑えられている歴史小説を好んで読んでおります。例えば、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』で言いますと、この中では、秋山兄弟を中心に据えながら、あくまでも日露戦争は日本国民が戦ったものだという視点が強すぎるのではないか、なぜこの作品の中には「天皇」が登場してこないのか、なぜ天皇の御前会議(当時の開戦ものを描く場合には、必ず触れるべきものでは？)が出てこないのか、これなくしてどうして当時の日本の国柄と日本人の気風を現代に伝えられるのか等々、多くの違和感を私自身は持たずにはいられないのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;    事務所の一角には、時代小説も若干あるものの、歴史小説オンリーの本棚がありまして、細切れの暇さえ見つければ、相も変わらずに山本周五郎さん、早乙女貢さん、そして中村彰彦さんと、気に入った作家の歴史小説に触れております。そしてこの度、新しく本棚の仲間入りをしたのが、火坂雅志さんの『天地人』です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「それって、どんな内容ですか？」&lt;br /&gt;「これは『直江兼続（なおえかねつぐ）』の話だよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   作家の火坂雅志さんご自身、越後出身の歴史小説家であり、意外と戦国乱世の時代を生き抜いていった武将の生き様を探りつつ、真の武将とは、真の為政者とはいかなるものかというテーマを掲げ、それを現代人に問いかけるといった筆致がお好きなのかなと察しましたが、この作品では、越後上杉家の執政としてまさに時代の変革期を駆け抜け、戦国きっての知将とまで言われた「直江山城守兼続（なおえやましろのかみかねつぐ）」の生涯がダイナミックに書かれております。ちなみに今、ＮＨＫの大河ドラマで『風林火山』が放映されており、そこでは武田信玄の参謀の「山本勘助」の生涯が描かれておりますが、時代区分的には戦国乱世で重なりつつも、直江兼続の方が、山本勘助より後に登場するといった感じでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   さて、武田信玄生涯の敵とまで言われた上杉謙信と直江兼続が共に過ごした時期はそう長くはありません。上杉家の養子となったあるじ景勝（謙信の甥っ子）と共に、十代半ばで春日山城に引き取られてから、天正６年（1578年）に謙信が病死するまで、僅か4,5年ほどにしか過ぎません。しかし、最も多感な青春時代を、戦国きっての義将のもとで学んだことは、その後の直江兼続の人生に大きな影響を与えたことは言うまでもないでしょう。その義将たる上杉謙信自身は、織田信長より4歳年上で、多少の時間差はあるものの、信長と同じに、ルール無用の、下克上の申し子たちが跳梁跋扈する時代を生きている中にあって、次のようなことを言い残しているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「大将の根底とするところは、仁義礼智信の五つを規とし、慈愛をもって衆人を憐れむ･･････『北越軍談付録　謙信公語類』」（※武将にとって兵馬の道は無論大事だが、それだけでは人の上に立つ資格があるとは言えない。仁義礼智信の精神で自らを厳しく律し、慈愛の心で民を憐れむのが、真の為政者である）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   直江兼続の、特に、義の心は、突然生まれたのではなく、そこには、彼自身が思想上の師とする上杉謙信という大きな存在がいたからに他ならないということができます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;    では、義の精神とは何ぞやですが、作家の意図するところを私なりに申し上げますと、この世の中、欲のない人はいない、との前提に立ち、その出世欲とか、名誉欲、権力欲、金銭欲が人間を突き動かし、この社会を形作っている。しかし、欲得だけでは人間はケモノとなんら変わるところはない。そこで大事になってくるのが、目先の利に心を曇らされず、不利益を承知の上で背筋を伸ばして生きること。これこそが義の精神である、といったところでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「なんだか『りんごの木の物語』を思い出しますね」&lt;br /&gt;「同感だよ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;   これは、りんごは与えるばっかりで、少年はもらうばっかりのお話ですが、この物語を日本、韓国、スウェーデンの子供達に読み聞かせて、感想文を「守屋慶子」という方がまとめた『子どもとファンタジー』という本があるのですが、その中で今の子供達を象徴しているようなデータが出ております。それは、小学校1,2年生までは、どこの国の子供達の感想文もほぼ同様で、「与えるりんごは幸せだ」と言っていますが、これが3,4年生あたりから、日本の子供達だけが「与えるりんごは損をしている。貰うばかりの少年にはムカつく」と書いてあるのです。つまり、損得の価値観が入ってしまっているわけです。他にも、例えば、永六輔さんが『女性セブン』に書いていた「いただきます論争」。これは、ある手紙を永六輔さんがＴＢＳラジオで紹介したことに端を発しております。その手紙の内容は、ある小学校で母親が申し入れをしました。「給食の時間にうちの子にはいただきますといわせないでほしい。給食費を支払ってるんだから、言わなくてもいいではないか」というものです。その後は、反応も非常に多く、その3割は「ちゃんとお金を支払っているのだから、別にいただきますと言わなくてもいい。」という意見だったとの事です。さらには、とある自治体では、親と子の温もりとか、温かさを感じること、それが幸せの原点であるとの想いから、月に一度お弁当持参の日があったのですが、これが行政側の判断でなくなってしまった。それは「給食費を支払っているのに、弁当を作れというのならお金を返してください」と言って来る親が出てきたからとの事です。損得勘定では、本当の意味での豊な人生は送れないのに･････。兼続の呟きが聞こえて来る世の中です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;2007年3月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-4057177106128682273?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/4057177106128682273/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=4057177106128682273' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/4057177106128682273'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/4057177106128682273'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post_7535.html' title='「山本勘助」もいいけれど'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-7204056806756081758</id><published>2007-11-06T15:42:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T15:45:34.885+09:00</updated><title type='text'>お賀状いろいろ</title><content type='html'>｢本橋さんだと、沢山年賀状が来ますでしょ｣&lt;br /&gt;｢そうでもないよ。でも、沢山くればくるほど嬉しいもんだよね｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年もまた、それぞれ何がしか意味深い年賀状を受け取られた事かと思います。それは、ごく親しい友達からのは勿論、職場の上司や部下、又先生や恩師など様々な方々より、その人間関係でこそ始めてメッセージ性を高められる年賀状が何枚も届いたのではないでしょうか。年賀状の一枚一枚を読み進めていくことで気が付くことは、これによって、自分と相手方との付き合い等の記憶の喚起、又親交の中身の再確認と更なる･新しい絆づくりが繰り広げられるという事でます。しかも、面白い事に、毎年必ずと言って良いほど、｢あれっ｣と思う人から年賀状が来ることです。私自身、今年頂いたものの中に、昨年気まずい関係になってしまい、もうこの方との交友はないのかな、と思っていた人から年賀状を頂いたりしまして戸惑うと共に、｢自分が思っているほど人は気にしては居ない｣のだと感じたりしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢塾生のはどんなもんでしたか｣&lt;br /&gt;｢うん、いいもんだね･････｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　年賀状はどのような人から頂こうと嬉しいものですが、特にもらって嬉しくかつ楽しいのが、私のところの若者達からもらった場合です。私のところでマスメディアを通さない裸の政治を見て育っていった若者がその後どの様に青春を送っているかは知りたいところですし、きわめて端的に表現し伝えてくるその一文一文から、その若者との間にあった出来事が思い返され、そしてその思い出の上に、今まさに年賀状にしたためられている事が乗っかっていく、と言った感じでしょうか。勿論、｢ああ、あの子らしい生き方をしているな｣と思える場合もあれば、｢えっ、あの子が｣という場合もあって、トータルでとても微笑ましくなります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢何人かの教えてくださいよ｣&lt;br /&gt;｢じゃ、二人だけね｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　①田中さんは明治大学の2年生の頃に私の門を叩きました。彼女からの年賀状には、｢昨年は本学塾(注:本橋弘隆と共に学び育つ塾)塾生としての活動に参加できず、申し訳ありませんでした。今年は、積極的に参加したく存じます｣と書いてあります。この文章はそれ自体、何の変哲もない、ごく普通の文章と評されてしまうのでしょうが、私からすると、非常に意味深いものなのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　田中さんは、私のもとでの研修で、特に自分自身、積極性を作り出すことに腐心していた方でした。別の言い方をすれば、自分に自信を持ちたいということです。因みに、彼女が、私の下での研修を一段落させた後書いた感想文を読み返してみますと、そこには次のように記されております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢本橋さんの下での研修においては、むやみに『できない』と言わない事が大事だ。自分に与えられた仕事を拒否する事で何か良い事があるだろうか。いや、ない。自分の可能性が狭まるだけだ。そもそも本橋さんはこちらが学生であり、まだ仕事ができないということを理解した上で、それ相応の仕事を与えてくれているのだから、無理な要求はしていない。又、ある本に出てきた言葉だが、『不可能をつぶしていくと可能になる』のである｣と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　このような感想を読むと、本当にいい加減な研修メニューは用意出来ないなとつくづく感じます。&lt;br /&gt;引き続いて彼女には(この感想文を読んではじめて私は気づかされたのですが)、こんなエピソードをしまっていたのでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　｢本橋さんの下での研修では、『聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥』だ。2月の上旬の自民党区議団主催の集会の後、来てくださった人々に、私がお礼の電話かけを行う仕事を頼まれた。そのときに本橋さんが『零発信でかけるんだよ』とおっしゃったが、私には何のことか分からないまま『はい』と返事をして作業に取り掛かった。しかし、電話をかけれど一向につながらず、一時間ほど経ってようやく私は本橋さんに零発信の意味を尋ねた。そうすると本橋さんは苦笑しながら『分からなかったらすぐに聞いて』とおっしゃった。これこそОＮ=ＴＨＥ=ＪОＢ=ＴＲＡＩＮＩＮＧなのだろう。私はもう二度と『零発信』の意味を忘れないだろう。｣と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　ちょうど区役所の4階、自民党控室での出来事でした。私達が各種団体さんをお招きして、意見交換をしたわけですが、わざわざ来て下さったのですからお礼の電話かけをしようということになり、その日はたまたま田中くん一人、しかも、区役所備え付けの電話を使うのが始めてといった状況でした。区役所の電話は、まずは内線がメインですから、外線を使うには、相手先の電話番号の頭に、｢0｣を打たないといけません。それを、意味とやり方を説明せず、簡単にしかも次の動作をしながら田中くんに伝えただけでした。その結果がこうです。この一件以降、私も教え伝え方が進歩してきた事は事実です(ホント?)&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　②吉田くんは早稲田大学の2年生の頃に私の門を叩きました。彼からの年賀状には、｢昨年は、サークルでの出雲大社～佐賀市役所徒歩合宿(八月)とインド旅行(11月)が良い思い出です。｣と書いてあります。私は読んだとたんに噴出してしまいました。と言いますのも、彼は早稲田大学精神昂揚会と言うサークルの幹事長で、その会が年一回実施する、早稲田大学本庄キャンパス～高田馬場キャンパス大隅講堂前までの100キロハイキングの優勝者なのであります。この早稲田の百ハイは、昭和39年に第一回が実施されてから既に45回の歴史を刻むもので、｢早慶戦｣｢早稲田際｣と並んで、早稲田3大イベントの一つとなっているものです。その彼が、この百ハイに関し、熱い思いを語ったメモがありますので、ついでにご紹介しましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　｢最初期の百ハイはスタート地点で一枚の地図を渡され、それを頼りに大隅講堂までひたすら歩くというもので、道中には休憩所もなく、食事も出ず、参加者は夜通し歩き続けるという、まさに『己の体力の限界に挑戦する』と言うシュールかつストイックなイベントだった。そんな状況も回を重ねるごとに改善されていくが、この百ハイが現在のように『祭り』の要素を持つようになるにはまだまだ時間がかかるのである。その為には一人の男の出現を待たなければいけない･････｣｢そして1988年･･･、一人の男が百ハイに参加する。彼の名前は大阪太郎!!ピンクの学ランに角帽で毎日登校すると言う彼の強烈な個性はこの百ハイでも強烈に発揮された!。1988年の『第26回百キロハイク』において周りがジャージと言う普通の服装の中、ただ一人、顔面真っ白の『バカ殿メイク･白鳥バレリーナ』の格好で登場!。そしてそのまま100キロを歩き切るという偉業を達成!。この彼の偉業により百ハイに『仮装』と言う新たな要素が組み込まれることになる。これを通称、『百ハイ88年革命』という｣と。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　イヤー、若いっていいですねー(インドのどの辺歩いたんだろう？)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それでは、名店街ニュースをお読みの皆様、本年も拙いエッセイを刻む私･本橋ひろたかをどうぞ宜しくお願い申し上げます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;2007年1月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-7204056806756081758?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/7204056806756081758/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=7204056806756081758' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7204056806756081758'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7204056806756081758'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post_198.html' title='お賀状いろいろ'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-1797453502080641880</id><published>2007-11-06T15:38:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T15:41:14.531+09:00</updated><title type='text'>師走の掃除</title><content type='html'>｢本橋さん、いよいよ暮れも押し迫ってきて、何か気忙しくなってきましたね｣&lt;br /&gt;｢そりゃ、『師走』って言うくらいだからね｣&lt;br /&gt;｢本橋さんもやっぱり、走ってばかりですか？｣&lt;br /&gt;｢いや、走ったりもするけど。あとは上ったり、潜ったり･････｣&lt;br /&gt;｢はあっ？｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　何と無く例年より暖かい冬のような気はするものの、寒がり屋の私にとりましては、風を引かないように気をつけている日々を送っております。しかも最近は、なんでもノロウィルスとか言う新手の感染症が広がりを見せる気配がありますので、なおさら、毎日のうがい･手洗いを欠かさぬよう気をつけております。皆様方は如何でしょうか。大事になさってください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　さて、12月にも入り、走り回る原因といいますと、何といってもこの時期恒例となっている、各種もろもろの関係･シガラミ(？)からくる｢忘年会｣のハシゴでしょう。今日ぐらいはお酒をやめて、休肝日にしようと思っていても、ついついアフターファイブになると『のど湿し』『チョー軽(カル)』なら、｢まいっか｣と思ったが最後、｢もう一軒、もう一軒｣と言った具合で、気が付いたら午前2時ごろにビールとラーメンといったご経験、つまりは最後のところが｢チョーカル｣だったということが多いのではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　ことは忘年会だけに止まらないでしょう。自宅の大掃除をいつにするかとか、暮れも押し迫る前にあそこの掃除だけは済ませておこうとか、色々と｢掃除｣も大きなテーマとなってと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢本橋さんも掃除ってするんですか？｣&lt;br /&gt;｢あたぼうよ！！｣&lt;br /&gt;｢いつも事務所の掃除は僕ら塾生にやらせるのに･････｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　この時期、私にとっての掃除･清掃は、非常につらいものがあるのです(塾生は見てないもんね)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　そのキングオブ清掃原因が、樹齢300年近くになる我が家の欅です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　この間までは、その落ち葉はきの季節が来たなと言う事が、近所のお年寄りの、毎朝午前7時ぐらいからの竹箒ではく音で分かったものでした。それを聞いて、すぐさま私も家の前の道路に飛び出て、欅の落ち葉をはき始めると言った事が何年も続いたものでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　ある時、黙々と欅の落ち葉をはき続けているそのお年寄りに、｢毎朝すみません、うちの欅のせいで･････、落ち葉はきをしていただいて･････｣と話しかけたところ、そのお年寄りは、｢いや、関係ありません。関係ありません｣と言う返事をしてくれました。この事を両親や近所にいる親戚に話すと、そのお年寄りは、どうやら旧日本陸軍の将校を勤め上げた人物だとの事です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　勿論、様々な事情があるものの、やれ邪魔になったとか、落ち葉はきがいちいち面倒くさいからとって、ある程度年輪を重ねた樹木を簡単に切ってしまう風潮が見られる中にあって、私からは、そのお年寄りの姿勢が、今も強く印象に残っております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢で、本橋さん、登るって事は、その欅に登って毎年伸びた枝を切るって事ですか？｣&lt;br /&gt;｢違うよー、屋根に上るんだよ｣&lt;br /&gt;｢はあっ？｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　何せ樹齢が樹齢ですから、高さが数十メートルあります。ですから、葉っぱが、四方八方に飛んでいくわけでして、自宅の屋根上は勿論、他人様の御家の屋根上とか、さらに三階建て住宅(今多いよなー)の屋根の上とか様々です。そういったご家庭に梯子を持って伺っては(お店をハシゴするのと意味は勿論、姿格好も全く違う)、毎年この時期、ノーギャラで落ち葉はきをするわけであります。この作業も20歳台の頃は体育会系のノリの延長ですませてこれましたが、最近40歳を過ぎてからは、高いところが妙に怖くなりまして、寂しい気持ちになってまいりました。いずれはこの作業も誰か引継いでくれると助かるのですが(ダスキン様如何？)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　落ち葉の量も半端ではありません。多少年季のいった欅一本分の落ち葉でしょと言う無かれ、かなりの量になるものでして、11月中旬頃から始まって、毎朝約45リットル入りゴミ袋で3袋位、これが12月下旬頃まで続くのであります。もっとも、今年は暖冬のせいか、大体2袋位で済んでおります。しかし、今もこの原稿を書いている12月中旬、欅を見上げてみますと、まだ三分の一の紅葉がありますから、年明けまで落ち葉はきは続きそうです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢全くもう、困った欅ですね。切ってしまおうとは思わないんですか｣&lt;br /&gt;｢そりゃないよ｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　縷々申し上げた欅ですが、これを憎いとか、切ろうとか思ったことは一度もありませんし、また、かつて区側より｢保護樹木｣として登録しませんかと言うお誘いもありましたが、これも丁重に断っております。と言いますのも、私が小さい頃、よく祖母から｢男の子が、何だこれしきの事で泣いたりして｣とか、｢そんなことしてたら神様から罰が当たるよ｣とか、｢ご先祖様がちゃんと見てくれているよ｣とか言われて育ってきた経験があるのですが、その祖母もなく、他方でそれなりに一応の分別を持っていると自分では思っている今、祖母の発した言霊に変わるもの、ひいては本橋家の黙示の家訓ともいうべきものを、常に私に照射してくれているのがこの欅だと感じているからです。高校入試で頑張っていたときの自分、高校時代アメリカンフットボールで全国大会出場を決めて喜んだときの自分、その大会で一回戦負けして悔しがっていた自分、父親になった喜び･感動に包まれていた自分、これらをじっと見守り続けてくれていたのがこの欅だと、私は感じるのです。木肌をさすってみると何か気持ちが落ち着くことが多々ありますし、わが子が泣きじゃくっているとき、大きな欅を見せて、｢ほら、そんなことで泣いてると、あの大きな欅さんに嫌われちゃうぞー」と言ってあやすと、子どもが泣き止んだりします。大樹が持つ目に見えない力にはは凄いものがあるなと感心します。その極めつけの一つが、伊勢神宮ではないでしょうか(赤福が楽しみですよね)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢で、本橋さん、もう一つの、潜るって何ですか？｣&lt;br /&gt;｢イヤー、それはー、実は池の掃除の事だけど、この話はまた今度ね｣&lt;br /&gt;｢(まだ塾生達に錦鯉の魅力は分からないだろうな･････)｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　名店街ニュースをお読みの皆様、今年一年私の拙いエッセイをご愛読いただきまして、誠に有難うございました。来年が皆様にとりまして飛翔の年となりますよう、心より念願しております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　どうぞ、良いお年をお迎えください。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;2006年12月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-1797453502080641880?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/1797453502080641880/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=1797453502080641880' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1797453502080641880'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1797453502080641880'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post_3362.html' title='師走の掃除'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-6244740585017876741</id><published>2007-11-06T15:32:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T15:37:11.636+09:00</updated><title type='text'>「品格ある街｣</title><content type='html'>｢わたし、住むんだったら自由ヶ丘か、吉祥寺がいいわ｣&lt;br /&gt;｢いや、僕なら、横浜だね｣&lt;br /&gt;｢なに言ってんの、二子玉だよ｣(二子玉川のこと、初めて知りました)&lt;br /&gt;｢みんな聞いて!!、わたしは、たまプラーザ｣(何処それ、との指摘あり)&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この秋口、私の事務所に通っている研修生達の会話に聞き耳をたてていたところ、どうやらみんなで｢住んでみたい街｣一位を決めているようでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　大変残念なことに、最後の最後まで、わがまち豊島区･池袋という地名は出てきませんで、それだけ、わがまち豊島区･池袋はいまどきの若者達、特に学生達の視野･眼中には入って来ないところなのかもしれません(何で？)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　因みに、これは何か一言いわねばなるまいと思い、肩をイカラセながらその会話に介入した私が、「それじゃあ、君達が働いてみたいと思う街は一体何処なの？」と、問いかけてみたところ、一位が丸の内、二位が銀座、そして三位が新宿と言った具合でした。ここでもわがまち豊島区･池袋を揚げる若者は一人もおらず、私自身、あえなく自爆してしまったところです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ただ、こうなると私も益々黙ってはいられません。手につけていた作業を放り出して、目の前にいる若者達が、｢なぜそこに住みたいのか｣、また、｢なぜそこで働きたいと思うのか｣、を聞かないわけにはいきません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、若者達のこの点に関する返事を聞く限り、私自身、池袋を中心とした豊島区も、あながち対抗できないわけではないと感じてきます。と言いますのも、横浜に住みたいと答えた若者の、｢横浜は、おしゃれで、何よりも海が近いから｣と言うのは別としても、｢自由が丘は、おしゃれな街だから｣とか、｢吉祥寺は、交通面や生活面で便利だから｣と言った理由を聞く限り、あながち池袋も一工夫凝らす事で(もっとも、これが一番難しいのですが)、これらの街と戦う事ができるなと感じたからです。また、｢何でそこで働いてみたいの？｣との問いかけに対して返ってきた答えが、｢丸の内には、ステータス感があるから｣とか、｢銀座だと、アフター５が充実してそうだから｣とか、さらに、｢新宿は、何より商業施設が充実してるから｣と言った具合ですから、わがまち豊島区･池袋も、これらの街と勝負できることがはっきりしてきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢ところでもう一つ聞かせてよ、品格のある街一位は何処？｣&lt;br /&gt;｢品格ある街って言われても･････｣&lt;br /&gt;｢はじめて聞きますよね、そういう表現･････｣&lt;br /&gt;｢本橋さん、それで住みたい街とか、働きたい街とかは決めませよ･････｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　事務所に来る若者達にこう切り替えされ、なんとなく意気消沈してしまったわけですが、このときの若者達を支配していた雰意気は、品がある･気品漂う･品格がある、と言う事によって、一体なにを計ることができるのかと言う不透明感だったような気がします。商業施設が充実している街で働きたい、それは新宿である、したがって私は新宿で働きたい。おしゃれな街に住みたい、それは吉祥寺である、したがって私は吉祥寺で生活したい。この一連の流れの中で、｢品格｣というものを取り上げて、優しく抱きしめ、育て上げていくことは、かなりの努力と工夫が必要である気が致します。｢品格のある街で働きたい｣｢品格のある街に住みたい｣と言うことの中に、どのような意義を見つけ出すことが出来るのか、その事を考える事自体が、今の若者達にとっては気の重たい作業なのかもしれません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　実際、若者達は最後まで、｢品のある街｣｢気品漂う街｣｢品格の誇れる街｣のイメージすらつかむ事ができないと言った感じでしたが、そのような彼ら彼女らに対して、私は、大正末期から昭和初期にかけて、駐日フランス大使を務め、詩人でもあるポール･クローデルの日本人論を話してみました。幕末から明治にかけて、多くの欧米人が日本を訪れ、彼らの多くが日本人の道徳性の高さに驚嘆したのですが、その中にあって、ポールの日本人論がひときわ光っていると思うので、いつも私は若者達に紹介しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『諸君、私がどうしても滅びてほしくはない一つの民族がある。それは日本だ。あれほど古い文明をそのまま今に伝えている民族は他にはいない。日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではない。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのだ。どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はない。しかし日本にはその資格がある。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのだ』&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『彼らは貧しい。しかし高貴である』&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　また、今回は次のような話もしてみました。それは、今をさかのぼる事約一世紀、日露戦争の最中に、愛媛県松山市の俘虜収容所にある病院を訪れた、イギリス人写真家、ポンティングのコメントです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『松山で、ロシア兵達は、優しい日本の看護婦に限りない称賛を捧げた。寝たきりの患者の、かわいらしい守護天使の動作一つ一つを目で追う様子は、明瞭で単純な事実を物語っていた。何人かの兵士が病床を離れるまでに、彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼らの胸に突き刺さっていたのである』&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　ポールと言い、ポンティングといい、僅か60年前、100年前のわれわれの父祖達はその道徳性の高さをこのように欧米人達に高く評価されていました。しかし、大変残念ながら、これが遠い過去の話になろうとしています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　私達は今こそ立ち上がり、その復権に取り組み始めては如何でしょうか。そうするところに、｢品格｣とは何か？を察していく構えが出来上がっていくのではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　｢品格｣なるもの。それは、｢カリスマ｣(これは、対象を見ている側が錯覚し、その存在を思い込んでしまう場合)とは違い、対象それ自体にその存在が確認されてはじめて意味のあるものです。従って、その｢品格｣作りには、もちろん近道などは無く、一歩一歩着実に、堅実に、そして誠実に(三実主義、私の父の哲学です。紹介させて下さい)突き進んでいくところに、知らず知らずの内に積み上っていくものだと思います。品格ある街それは･････あれっ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢あったあった、ここだ、たまプラーザ｣&lt;br /&gt;｢やっと見つかったねー、本橋さんも地図見ますか？｣&lt;br /&gt;｢おいおい、ちょっと、塾生たちー、みんな聞いてるのー、私のお話･････｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;2006年10月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-6244740585017876741?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/6244740585017876741/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=6244740585017876741' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6244740585017876741'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6244740585017876741'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post_5302.html' title='「品格ある街｣'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-689404142645882538</id><published>2007-11-06T15:28:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T15:32:15.360+09:00</updated><title type='text'>皇室｢戦犯｣会議</title><content type='html'>｢いやー、悠仁親王のお誕生、喜ばしいですね｣&lt;br /&gt;｢この日を待っていたよ、ホント｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年の2月7日、秋篠宮紀子さまに第3子御懐妊の兆候が見られるという報道があってからの私は、｢男の子でありますように｣｢親王であられますように｣と、ひたすらお祈りする毎日を過ごしてまいりました。その一方、常に頭をよぎる事は何かと申しますと、女の子だったら、さぞかし皇室の皆様方は御辛いだろうなということ、特に、皇室典範改正作業が再燃するであろうことは確実ですから、女性天皇･女系天皇容認の皇室典範改正案の政府内での検討―――閣議決定―――同案の国会への提出―――国会での成立、と進めば、嫌が上でも天皇陛下が｢公布｣しなくてはならなくなり、その時の天皇陛下の心境を私なりに勝手に解釈しますと、まさに心中察するに余りある、と言ったところです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢なんか、本橋さん、大袈裟ですよー｣&lt;br /&gt;｢何言ってんの、これぞまさしく『代表的日本人』でしょうが｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　平成16年12月27日、当時の、細田官房長官が、唐突に｢皇室典範に関する有識者会議｣の設置を発表しましたが、それ以来、これからの皇室はどのように皇統が維持されていくのか、が世論の関心事の一つとなりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　最大の心配事は何かと申しますと、その会議体の構成メンバーにあることは言うまでもありません。当初の、小泉首相の決裁文によりますと、｢皇位継承制度などについて、高い見識を有する人々の参集を求め、検討を行う｣としていたのですが、実際はどのようなメンバーが参集したかといいますと、皇室専門家と言えるのは、日本古代史専攻で、｢平安の朝廷｣などの著書がある笹山晴生氏、皇室の重要事項を審議する皇室会議議員を努め、｢皇室法概論｣の著書がある園部逸夫氏くらいです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　また、座長を務めた吉川弘之氏のご専門は、ロボット工学であり、こと｢皇室｣に関しては、大変失礼ながら｢門外漢｣と申し上げても宜しいかと思います。現に、吉川座長の発言で、私が新聞報道などを通じて、未だに記憶に留めているのは、平成17年6月30日の第8回会合の後に行われた記者会見です。この第8回の会合では、5月から6月にかけて実施された有識者(この中に、私の好きな小堀桂一郎先生が入られたのは良かった･････)からの意見聴取で出て来た、｢離脱した宮家を復帰させて、男系男子の継承を維持すべきだ｣との主張を受け、安定的な皇位継承策として、これまで議論の中心部分をなしてきた｢女性天皇の是非｣だけではなく、｢皇籍離脱した皇族の復帰などによる宮家の創設｣も検討する事が決定されました。その会合後、吉川座長曰く、｢皇位継承者を増やす方法は『新たに宮家を設置する』というのと、『女系天皇を認める』というのと、二つに大別されますが、どの制度ならどの程度安定するかの『安定化要因』と、社会に受け入れられるかどうかの『受容化要因』を考慮して、制度を設計したい｣と。いかにもロボット工学の第一人者らしい発言をしているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこには、女系天皇を認めてしまえば、皇室は「万世一系」という物語を失ってしまうのではないか、と言う心配･畏れ。全ての人は平等であり、民主的に物事は進み･選ばれると言った世の中にあって、天皇という絶対的な地位を守るためには悠久の歴史物語が必要なのではないか、皇祖皇統の悠久の歴史物語(神武天皇以来の血統を維持する為の営み)が失われてしまえば、天皇が天皇である由縁が不分明となってしまい、時代を経るにつれて皇室制度が不安定になるのではないか、と言った歴史や伝統に対する見識は、少しも感じ取る事はできないのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢こうしてみると、有識者会議の座長は問題でしたね｣&lt;br /&gt;｢座長だけじゃないよ｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　皇室典範有識者会議の中には、政府の男女共同参画審議会会長を務め、女性学の重鎮といわれている岩男寿美子氏が入り込んでおりましたが、この方がまさに女性天皇･女系天皇容認論を終始リードすると共に、以前ご自身が編集長を務める海外向けの英文雑誌｢ジャパンエコー｣2月号の中で、女性天皇･女系天皇に異論を唱えられた寛仁親王殿下に対し、失礼極まりない痛烈な批判をくわえたのであります(つい最近、謝罪めいた対応をとりましたね)。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこでは、まず寛仁さまについて、｢天皇のいとこで、女性が皇位を継承できるようにすることについて疑問の声を上げ、旧宮家や皇室の側室制度の復活を提案してきた｣と指摘し、次に、｢彼の時代錯誤には驚くしかない｣と主張しているわけですが、しかし、寛仁さまが御自身のお考え･異論を載せた、ある福祉団体の会報の、問題とされた部分を虚心坦懐に読みますと、側室制度に言及されてはいるものの、｢国内外共に、今の世相からは少々難しいかと思います｣と仰っており、決して｢提案｣などはしてはいないのであります。事実とは全く異なることを記述し、かつ批判してまで、自分が深く関わった有識者会議の報告書を自画自賛する様は、異様としか思えません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢なるほど、やっぱりそういうリード役がいたんですね｣&lt;br /&gt;｢あとは、まとめ役もね｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　内閣官房副長官を8年7ヶ月も務めて、首相官邸にパイプが太く、関係省庁に睨みの効く古川貞二郎氏が、この会議の最終的なまとめ役と言われていました。と言いますのも、今ではもう関係者の証言で明らかにされていますが、この問題は実は、有識者会議の設置に先立つ7,8年も前から、内閣官房内のグループによって研究されていた事柄であり、有識者会議は、事実上、この先行していた政府の非公式研究を下敷きにした｢始めに結論ありき｣機関で、この一連の流れを最もよく知っているのが古川氏なのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　他にもまだ問題のある方を指摘できそうです。例えば、久保正彰氏ですが、この方はギリシャ･ローマ文学を専攻･専門としており、そもそも何ゆえメンバーに選ばれたのか、皇室研究者のあいだでも判ってはおりません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢なんだか、東京裁判っぽくなってきましたね｣&lt;br /&gt;｢ほんと、『文明の裁き』が必要だよ｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　私達は、神武天皇以来の皇祖皇統の歴史が、男系天皇で紡いできたことを、改めて重く受け止めるべきだと思います。と同時に、｢悠仁｣さまというお名前に込められた、｢ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでほしい｣との願いは、余りにも拙速すぎた皇室典範改正問題を、優しく封印してくれたことに感謝すべきではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;2006年9月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-689404142645882538?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/689404142645882538/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=689404142645882538' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/689404142645882538'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/689404142645882538'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post_8190.html' title='皇室｢戦犯｣会議'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-3797882518787025659</id><published>2007-11-06T15:21:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T15:26:58.335+09:00</updated><title type='text'>英霊の言の葉</title><content type='html'>「小泉総理は、今年どうするんですかね。靖国・・・・・」&lt;br /&gt;「8月15日の参拝のこと？　是非公約をはたして欲しいよね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年もまた鎮魂の夏がやってきましたが、小泉総裁の任期が、今年の9月までとあって、自民党総裁選で公約した、8月15日の靖国神社公式参拝問題がヒートアップしています。8月15日に行くのか否か。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　小泉総理自身、どれだけ靖国神社のことを理解しているのかは、はなはだ心もとないところがありますが、単なる政権維持のためのパフォーマンスだけで発言しているわけではなさそうです。と言いますのも、小泉総理自身が、かつて特攻隊の基地のあった知覧を訪ねた際、英霊達の遺品等をつぶさに見学した折に大粒の涙を流し、それを拭うこともしなかったという経緯を持っておられ、そのときの熱い思いが、その後の自民党総裁選の公約:靖国神社公式参拝へと、結晶化されていると思うからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もっとも、小泉総理自身、靖国に関して、俄か仕立ての感は否めません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「それはまた、どの辺りですか？」&lt;br /&gt;「例えば、国立追悼施設・国立墓地を検討する、とか言ってたでしょ。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　小泉総理は、総理総裁就任当初、「靖国問題を解決するに当たっていわれている、国立墓地ですが、色々意見をもっている方がいるから、もし創るんだったら、いいものを作りたい。私も前から考えていた。」とか、アメリカに政府要人が行った際、よく行われるアーリントン墓地での献花を思い出してか、「外国の要人が来日した際に、何の問題も無く献花できるように・・・・・」とか言われておりますが、そもそも、なぜ靖国神社ではだめなのか、私には解らないのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　国立墓地を作ったとして、これは全くの「無宗教」なのでしょうか。そうだとしますと、そもそも国立であれ、何であれ「墓地」と言うものは「無宗教」で成り立つのでしょうか。国立墓地を作って、献花するなり、お参りするなりして、何か儀式めいた事をしたら、それはもう確固たる「宗教」ではないでしょうか。「墓地」を作ることそれ自体、その前提として、死者の霊魂を信じている事の証なのではないでしょうか。もし「無宗教」にこだわるとするなら、「墓地」を作ること自体意味がないと言えるのではないでしょうか。靖国神社には遺骨も位牌も無く、あるのは御神体(御剣と御鏡)だけですから、もし、国立墓地を作るとすると、その中には、遺族の下にある戦死者のお墓を掘り起こして、少し遺骨を分けてもらって、それを埋めるのでしょうか。そうした上で、「無宗教」と言う立場にたってかんがえると、遺骨の埋められた墓地は、どのような形式で慰霊されるのでしょうか。神道でもなく、キリスト教でもなく、そして仏教でもない形式というものが、はたして現世にあるのでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;｢なるほど、ずいぶんと無茶な話ですね｣&lt;br /&gt;｢でしょ。無茶な表現だってあるよ｣&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　小泉総理が靖国神社を参拝する際に、よく使う理由に、「『心ならずも』、先の大戦に赴き、亡くなられた方へ、哀悼の誠を捧げ、『不戦の誓い』をするために参拝する｣というのがありますが、この「心ならずも」という表現に、私は違和感を抱いてしまいます。と言いますのも、「心ならずも」という表現自体に、英霊達の私的言語空間に目が奪われる一方、英霊達の公的言論空間を無視していると思うからです。　　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　誰だって、本音を言えば、神風特別攻撃隊に選ばれたく無かったでしょうし、遺族の側も、もろ手を挙げてわが子を国にささげるという方もいないでしょう。私(わたくし)的には、何で俺なんだ。何でうちの子供なんだ。そういった思いがあってしかるべきです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　私達が気をつけなくてはならないのは、英霊や遺族達の、私的発言と公的発言を良識を持って区別し、公的発言はどれかをしっかりと受け止める事です。そこには確実に、この国を守るため等、その礎となるべく進んで散華していくに際して発せられた公的言論空間があるはずです。一国の総理たるもの、公的な場においては、彼らの公的発言を斟酌すべきであり、私的発言を展開すべきではないと思います。それは、昨今の、いわゆる｢富田メモ｣にも言えることだと思います。どのような状況で昭和天皇のご発言をメモされたのかは分かりませんが、歴代の宮内庁の幹部の方々が指摘されるとおり、富田氏が他界されるに当たり、そのメモが公的空間に出ないよう、万全の処置･処分を講じておくべきだったと思うのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もう一つ。小泉総理は、「不戦の誓い」と言われますが、果たして、「テポドン・ノドン・スカッド」と言ったミサイル狂想曲を奏でる国がお隣にいるのに、はたして「不戦の誓い」を立ててしまってよいのかということです。不戦というと、あたかも国際法上当然の権利として認められている、自衛のための武力行使まで差し控えるというメッセージを、他国に送ることになりはしないかと心配です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　小泉総理におかれては、粛々と8･15に靖国参拝し、英霊達とお会いして欲しいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　靖国神社社務所が編集兼発行している【英霊の言の葉】(8)85頁に、昭和20年5月28日、沖縄にて戦死された、群馬県勢多郡出身の、陸軍少尉：瀬谷隆茂命の｢靖国で会ひませう｣というのがあります。&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;「御父さん、お母さん愈々隆茂は明日は敵艦目がけて玉砕します。&lt;br /&gt;沖縄まで○○粁を翔破すべく落下タンクを吊り○○○キロの爆弾を抱いた機が、緑の飛行場で武者震ひして自分の乗って呉れるのを待つて居ります。&lt;br /&gt;明日会ふ敵は戦艦か？　空母か？　それとも巡洋艦か？･･････。&lt;br /&gt;きつと一機一艦の腕前を見せてやります。&lt;br /&gt;明日は戦友が待つて居る靖国神社へ行く事が出来るのです。&lt;br /&gt;日本男児と生れし本懐此れに過ぐるなし。&lt;br /&gt;御父さん、お母さん、隆茂は本当に幸福です。&lt;br /&gt;では又靖国でお会ひしませう。&lt;br /&gt;待つて居ります。&lt;br /&gt;最後に、御両親様の健勝を切にお祈りいたします。&lt;br /&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　隆茂&lt;br /&gt;御両親様」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　ここには、この緑美しい国を守る固い決意がにじみ出ていると共に、我が愛する家族のため、自ら進んで戦地に臨んで行った先達の熱い想いが綴られていると思われますが、如何でしょうか。｢心ならずも｣という言い方や「不戦の誓い」は、一国の総理が軽々に口にするものではないと、私は思うのですが･･････。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　8月15日、靖国でお会いしましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;2006年8月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-3797882518787025659?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' 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src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-420215104320155344</id><published>2007-11-06T15:15:00.000+09:00</published><updated>2007-11-06T15:28:05.111+09:00</updated><title type='text'>我、テレビ出演ヲ『決断』ス</title><content type='html'>　名店街ニュースをお読みの皆さん、平成18年、新年明けましておめでとう御座います。本年も拙いエッセイを掲載していただけます事に、心から感謝御礼申し上げる次第で御座います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、昨年、衆議院選挙がありました9月辺りから、執筆出来ない月もあり、関係各位の皆様方に多大なご迷惑をお掛けいたしました。失礼を致しました。本年はそのような事のないように努力いたしますので、引き続いてのご愛顧を心よりお願い申し上げます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「本橋さん、見ましたよ！12チャンネルの『ザ･決断』」&lt;br /&gt;「どうだった？」&lt;br /&gt;「なかなかのモンでしたよ、本当に」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　平成18年1月1日、32年ぶりにテレビ番組に出演させてもらいました。それは、12チャンネルのテレビ東京で、元日の午前10時から約1時間半放送される『ザ･決断』という番組です。既にこの番組も、毎年元日のこの時間帯に放送されるようになって5回目位となり、他局がお正月もの番組を放送している中にあって、唯一といって良いほどお堅い内容のノンフィクション番組となっております。番組のコンセプトは何かと申しますと、その番組名の通り、ある時代において有名な出来事で、かつ人生において正に勝負に打って出る瞬間に焦点を当て、その時その主人公を取り巻いている状況をドラマ化しながら、関係者の貴重な証言を交えて、分析・展開していくといったところです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年は何を放送したかといいますと、一つ目が「田中角栄氏の昭和47年自民党総裁選への出馬」、二つ目が、私が出演しました「小池百合子環境大臣の東京10区への選挙区替え」、三つ目が「幣原喜重郎の憲法制定」でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「そもそも、何で本橋さんが出演できたんですか？」&lt;br /&gt;「だって小池選対の遊説責任者だったもの」&lt;br /&gt;「そういえば衆院選中よくテレビに映ってましたね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　昨年、8月8日に衆議院が解散され、いわゆる『刺客候補』が話題を独占しました。ここ東京10区においても、自民党本部の意向で『小池百合子女史』がまいりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私としては、自民党の代議士が現にいることをどのようにふまえるか大変でしたが、とにもかくにも、自民党公認候補を応援する、そこで小池百合子環境大臣が自民党公認候補として決定した以上は、この方をやるのが組織に所属する者の道理だと思い、これ以降は小池大臣を支えていく事にいたしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、小池選対において、何故か私が遊説担当責任者のお役を頂き、小池選挙のコミュニケーション戦略の司令塔として選挙戦を展開することになり、週刊誌やテレビ局との接触も数多くありました。そこで、テレビ局側が選挙戦中に交換した名刺から、たまたま私に白羽の矢を立てたといった感じだと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「実際の収録ってどんな感じですか？」&lt;br /&gt;「どうって事ないさ」&lt;br /&gt;「またまた、緊張したんじゃないですか？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 元日に放送された私のシーンは合計3回でしたが、実際は5つのシーンを収録しております。テレビ局には番組の編集方針がありますから、ストーリー性にかんがみて、他の2回のシーンは没にしたのでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　もっとも、収録をする1ヶ月前には番組製作者、監督、カメラマン等が私のところに来て、カメラを回しながら約2時間ぐらい、小池選挙のいきさつについて取材しており、この時の私の話を踏まえてストーリーを組み立て、ウラを取り、さらに他の人の証言を取るという作業をしておられます。ノンフィクション番組の制作ですから、私も手元に手帳を見ながら、客観的事実を時系列に沿ってお伝えしました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 そこで、実際の収録では、もう既に番組のストーリーはほぼ出来上がっておりますから、私の役割は、かつて私が取材を受けコメントした中で、テレビスタッフが必要としているコメント部分を再び証言する事となります。しかもご丁寧に、私がコメント部分を忘れた場合を想定し、取材時の私の発言資料も用意され、「この部分を話してください」ということになるわけです。ですから収録時間は、大体30分ぐらいの早さでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「本橋さん、まさに時代の証言者のようでしたよ」&lt;br /&gt;「そうかな」&lt;br /&gt;「今度の出演は何時ですか？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 今回はたまたまこの東京10区が全国一の注目区になった事からこのような流れになったのですが、向こう20年はこのような激しい選挙戦はないと思いますし、またあってはならないとも思っております。私のようなシモジモの議員はたまったものではありませんから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「さっき32年ぶりと言いましたけど、昔、子役でもしてたんですか？」&lt;br /&gt;「そ、それは・・・・・・」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　 その昔、私が小学6年生位の頃ですから、昭和48年頃だったと思います。当時はボーリングブームでして、ありとあらゆる方がマイ・ボールを持って我が家の近くの「ハタ・スポーツプラザ」に通っていたとともに、ボウリングのテレビ中継も盛んでして、ちょうど私が原っぱ（現在の千川豊寿園のあるところ）でみんなと野球をしていたところ「○時よりハタ・スポスポーツで○○○○○」（番組名はもう忘れてしまいました）があります、とのアナウンスを聞いて、ハタ・スポーツセンターに駆けつけ、友達とテレビに常時映る座席をゲットして、観客としてテレビにただ映っただです。カメラに向かって「Ｖサイン」はしてませんから。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　本年の皆様方のご健康・ご多幸を祈念しつつ･････。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div align="right"&gt;2006年1月&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-420215104320155344?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/420215104320155344/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=420215104320155344' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/420215104320155344'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/420215104320155344'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/11/blog-post.html' title='我、テレビ出演ヲ『決断』ス'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-7755519389237763820</id><published>2007-10-16T02:33:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T02:37:03.531+09:00</updated><title type='text'>竹岡に招かれて</title><content type='html'>「本橋さん、竹岡健康学園って何です？」&lt;br /&gt;「色々と歴史があって一言で説明するのも難しいな・・・」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　平成17年11月12日、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Eq%82%C7%82%E0" target="_blank" ad_k_id="%8Eq%82%C7%82%E0" ad_l_id="1"&gt;子ども&lt;/a&gt;文教委員会委員長をおおせつかっております関係で、千葉県富津市竹岡380番地にあります、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%96L%93%87%8B%E6" target="_blank" ad_k_id="%96L%93%87%8B%E6" ad_l_id="2"&gt;豊島区&lt;/a&gt;立竹岡健康学園の開園７０周年記念式典・&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Aw%8FK" target="_blank" ad_k_id="%8Aw%8FK" ad_l_id="3"&gt;学習&lt;/a&gt;発表会・記念祝賀会に出席してまいりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この竹岡健康学園の歴史につきまして、あまりご存じない方がおられると思いますので、簡単にご説明させて頂きますと、昭和１０年７月２１日、皇太子殿下ご誕生記念事業の一つとして、現在の地に「豊島区立竹岡臨海学校」という名前で開校され、主に、水泳指導や海辺の自然環境を生かした理科学習の指導などを主な目的とし、夏季臨海学校として昭和１４年まで機能しておりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その翌年の昭和１１年の冬に、いわゆる「２・２６事件」が発生したわけですから、竹岡の歴史のスタートは、まさにこの日本が激動の昭和を迎えるのと時を同じくしていたということが出来ます。&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;昭和１４年５月２７日からは、「東京市立竹岡養護学園」として生まれ変わり、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%93%8C%8B%9E" target="_blank" ad_k_id="%93%8C%8B%9E" ad_l_id="4"&gt;東京&lt;/a&gt;の虚弱児童の健康増進と体位向上を図ることを主な目的として開園されました。時はまさに第二次世界大戦が勃発した年であり、日本ではこの2年後の昭和１６年１２月８日に「大東亜戦争」が開始されたわけであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その後の日本は、緒戦の勝利に酔ってしまい、この先をどのようにするかはっきりとした見通しもなくズルズルと戦争を遂行し、昭和１７年６月のミッドウェー海戦での連合艦隊の敗北や、昭和１８年２月のガダルカナル島からの撤退が転機となり、日本の敗戦色が濃くなりはじめたわけですが、この影響は当然の事ながら竹岡養護学園にも及んでいきました。すなわち、昭和１９年４月１日、東京都の学童疎開の必要性の高まりに迫られるような形で「東京都立竹岡疎開学園」が誕生したのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ただし、この疎開学園は、終戦直前の昭和２０年６月２０日、開園の目的である、戦時中における日本の学童疎開と児童の管理・物資の調達のあり方の研究資料の提示という役割を終了したために閉鎖されました。時はまさに２ヶ月前の昭和２０年４月の&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83A%83%81%83%8A%83J" target="_blank" ad_k_id="%83A%83%81%83%8A%83J" ad_l_id="5"&gt;アメリカ&lt;/a&gt;軍の&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%89%AB%93%EA" target="_blank" ad_k_id="%89%AB%93%EA" ad_l_id="6"&gt;沖縄&lt;/a&gt;本島への上陸と激しい戦闘の開始があり、また、日本は戦艦大和を繰り出して最後の海上特攻隊を出撃させるも、逆に猛攻を受け、結局大和は沖縄に到達できずに撃沈されるということがあり、さらに、沖縄の大地では鉄血勤皇隊の少年達やひめゆり部隊の少女達の勇敢なる戦闘行為（沖縄では最終的には、一般住民約９万４０００人・戦闘員約１０万人が戦死した）があったころでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「まさに時代に翻弄されたといった感じですね」&lt;br /&gt;「翻弄されながらも、時代は確実に『竹岡』を必要としていたよね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　昭和２１年５月２７日、終戦直後の日本の児童の体位低下は甚だしいものがあり、豊島区は『教育&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%96L%93%87" target="_blank" ad_k_id="%96L%93%87" ad_l_id="7"&gt;豊島&lt;/a&gt;』の名の下、様々な問題をクリヤし、他区に率先して戦後初めて養護学園を開園しました。「豊島区立竹岡養護学園」の誕生です。この学園の位置づけとしては、「仰高小学校」をはじめとして、「朝日小学校」、「&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%92r%91%DC" target="_blank" ad_k_id="%92r%91%DC" ad_l_id="8"&gt;池袋&lt;/a&gt;第一小学校」、「千早小学校」のそれぞれの分校という形で歴史を刻んでいくことになりました（今日では、「仰高小学校」の分校という位置づけとなっております）。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　昭和５３年４月１日、いよいよ今日の名称である「豊島区立竹岡健康学園」となりますが、これは、単に虚弱体質児童の体位向上だけに止まらず、喘息や&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%94%EC%96%9E" target="_blank" ad_k_id="%94%EC%96%9E" ad_l_id="9"&gt;肥満&lt;/a&gt;、さらには&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83A%83%8C%83%8B%83M%81%5B" target="_blank" ad_k_id="%83A%83%8C%83%8B%83M%81%5B" ad_l_id="10"&gt;アレルギー&lt;/a&gt;や偏食の子供達をも受け入れ、調和のとれた健康教育・内容豊かな健康教育を目指すところからきております。　もちろん、豊島区立の小学校の分校ですから、普通のカリキュラムに基づいた学習指導も行われます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「よく分かりました」&lt;br /&gt;「で、当日はどうでした？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　当日の記念式典は、周年行事ではお決まりのパターン（失礼）、つまり、「開会の言葉」「国歌斉唱」「学園長挨拶」「豊島区長挨拶」「来賓祝辞」「来賓紹介」という進行でしたが、約２０名の在校生の式典の最中の姿勢の良さに驚かされました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　たいていの式典（他の周年行事はもちろん、入学式・卒業式など）でよく見かける光景は、複数の生徒が、隣の生徒とお喋りをしたり、椅子に座っているときに足を前のほうに投げ出したり、また、きちんと椅子に座っているようで両手を両膝に置いていなかったりするなどですが、ここ竹岡ではそれらが全くなかったということであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、「来賓紹介」のすぐ後に、「お祝いの言葉――在校生からの呼びかけ」があり、これまたお決まりのもので（失礼）、全在校生が一人づつ大きい声で台詞をつないで１つの文章を奏でるものですが、その一人ひとりの声がしっかりと出ていたこと、加えて、歌の部分もたった２０人で歌っているとは思えないほどの声量には感嘆させられました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それだけではありません。この第一部の記念式典が終わった直後に、第二部として学習発表会があり、３・４年生、５年生、６年生による演劇を交えての怒涛の学習成果報告、それが終わった直後に、第三部として園庭における全在校生による一輪車の演技、それを終えるや否や、寄宿舎のフロアーにてご父兄とともに迅速に昼食をとり、第四部祝賀会のなかで「全在校生アトラクション」、その表現の部で「よさこいソーラン」を、合唱の部で「虹が」「この地球のどこかで」がそれぞれ元気よく行われました。　　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私は、このスタミナ・体力・気力が一体どうやって育まれるのか不思議でなりませんでしたが、その訳も控え室の中でウロチョロしていて目に留めた「生徒生活時程」を見て分かりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　全在校生は毎朝６時３０分には起きて、毎夜９時００分には消灯という生活を送っているのです。規則正しい生活習慣の存在と継続が健全な精神力と肉体を育むことを思い知らされました。夜更かし朝寝坊をしていては、満足に声も出ないでしょうし、ましてや一輪車などに長時間上手に乗れるわけがありません。本当に。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　竹岡の精神を是非とも区内小学校の生徒たちに伝えたいと思った一日でした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2005/11/1(火)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-7755519389237763820?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/7755519389237763820/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=7755519389237763820' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7755519389237763820'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7755519389237763820'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_9915.html' title='竹岡に招かれて'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-803856184690214755</id><published>2007-10-16T02:28:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T02:32:45.454+09:00</updated><title type='text'>家族防弁慶たらん</title><content type='html'>「本橋さん、『&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%96L%93%87%8B%E6" target="_blank" ad_k_id="%96L%93%87%8B%E6" ad_l_id="1"&gt;豊島区&lt;/a&gt;&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Eq%82%C7%82%E0" target="_blank" ad_k_id="%8Eq%82%C7%82%E0" ad_l_id="2"&gt;子ども&lt;/a&gt;権利条例』」って一体何ですか？」&lt;br /&gt;「正確に言うと『豊島区子どもの権利に関する条例』と言って、今年の3月にようやく素案が区長に提出されたんだよ」&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　現在、豊島区では「豊島区子どもの権利に関する条例(素案)」が提案・制定されようとしております。これは、政府が平成6年に署名・批准した「児童の権利に関する条約」の理念を受け止め、子供達をめぐる諸問題に取り組む上で、区の基本的立場を明らかにすると共に、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Eq%8B%9F" target="_blank" ad_k_id="%8Eq%8B%9F" ad_l_id="3"&gt;子供&lt;/a&gt;にまつわる施策全体に「子どもの権利」という視点を反映させようとするものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;この条例(素案)の報告書は、今年の秋の第3回定例会での提案・制定を目指し、平成15年の12月から「豊島区子どもの権利条例(仮称)検討委員会」による議論を経て、今年の3月28日に区長に提出されました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この条例(素案)の問題点は沢山あるので、その全部をここにお示しすることは出来ませんが、代表的な問題点を申し上げますと、①そもそもこの条例（素案）の策定・検討過程が「はじめに子どもの権利ありき」で始まってしまっていること、したがって、その筋の専門家がこの条例の「検討委員会」のメンバーの中に入っており、しかも、こともあろうに「公募区民」３人の枠の中におさまっていること、②子供達に対して必要以上の、過度の「自己決定権」「自律権」を認めてしまっていること、③この条例(素案)で設置される「子どもの権利擁護委員」は、あたかも「人権擁護法案」で言う「権利擁護委員」と同様の問題性を持つこと、などです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「一体、どんな方が『公募区民』の中に入ってしまったんですか？」&lt;br /&gt;「『ＤＣＩ日本支部』の会員で、『子どもの権利』を専門に研究している学者さんだよ。何でまたこういう人がって感じだよね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　豊島区は、平成15年12月から平成17年3月まで、約一年半にもわたる活動期間を持ち、かつこの条例(素案)の策定を担っている「豊島区子どもの権利条例(仮称)検討委員会」に、法律学や教育現場の専門家などに加えて、３名の「公募区民」をいれました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　検討委員会の中に公募区民を入れる本区の理由は、「条例案策定の過程において、区民が積極的に主導権を持って参画していくことを重視し、・・・また、区民主体で条例案を練ることで、意見を言います的発想から脱却し、当事者能力を養っていくことを意図した『区民参加型』の手法を採用していること・・・・」、ということであります。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　「公募区民」とは、区の政策の選択・策定を、つねにその道の専門家に独占させてしまうことによる弊害を未然に防ぐと共に、一般区民が持っている素人的・常識的感覚を積極的に活用する制度だと思います。例えば、豊島区の子育て支援策を考えるにあたって、本区在住の専業主婦の方にお越しいただいて、その方がお持ちの子育ての経験や生活の知恵を最大限出していただいて、それを政策に反映させるといった具合です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ところが、このたびの「豊島区子どもの権利条例(仮称)検討委員会」の「公募区民」3名の内の一名の方は、「子どもの権利」に関する専門的研究をされており、加えて、子供のための国際ＮＧＯ、「ＤＣＩ日本支部」の会員として活動をされております。条例案の起草部会や検討委員会の会議も終始この方のリードで進められていったと言っても過言ではなく、起草から素案の完成に至るまでかなりの影響が及んでいます。そこから、今回の条例案の策定と内容には、かなりの偏りが生じてしまっています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「その『ＤＣＩ日本支部』というのは一体？」&lt;br /&gt;「豊島区に日本支部事務所があって、この団体の代表者がまたね・・・」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ＤＣＩとは、「子どもの権利のための国際ＮＧＯ」で、「子どもの権利」を守り、発展させていくことを目的として活動しています。ただし、この団体の日本支部の代表者は、「人権」を盾にとってオウム真理教を擁護する発言をしています。勿論、オウム真理教信者に「人権」が無いとは言いません。しかし、あれだけのテロ事件を起こし、大多数の無実の人々の「人権」（特に生命・身体）を侵害した教団を「人権」と言う言葉で守ろうとするのは筋違いも甚だしいと思います。オウム真理教という、社会的制裁を受けるべき集団を擁護することに使われる「人権」という概念に対し、強い懸念を抱いてしまいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「だけど、子供にも人権や権利があるのは当たり前だと思うんですけど・・・・」&lt;br /&gt;「そこが大事で、『子どもの権利』の中身を整理しないと議論がドンドンこんがらがっちゃうんだよね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;①保護や教育を受ける権利・法的地位（肯定）広義の「子どもの権利」&lt;br /&gt;②狭義の「子どもの権利」（否定）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　議論の前提として大変重要なことを確認しておく必要があります。それは、一言で「子どもの権利」と言いましても、そこには大きく異なる二つの意味（①と②）があるということと、この①と②の意味の区別をしっかり認識しなくては、正しく「子どもの権利」を理解することが出来ないということであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　上記のように、①子供は子供であるがゆえに、大人から保護されるべき存在であり、その保護されるべき「権利」を「子どもの権利」というのか、あるいは、②子供も大人と同じ自立的存在であり、それゆえ大人と同じ市民的権利を享受することが出来る、その&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8E%91%8Ai" target="_blank" ad_k_id="%8E%91%8Ai" ad_l_id="4"&gt;資格&lt;/a&gt;を「子どもの権利」というのか、同じ「子どもの権利」と言いましても、このように意味は全く異なるのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（次号つづく）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2005/6/1(水)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-803856184690214755?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/803856184690214755/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=803856184690214755' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/803856184690214755'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/803856184690214755'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_10.html' title='家族防弁慶たらん'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-8482747686133624729</id><published>2007-10-16T02:16:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T02:21:57.055+09:00</updated><title type='text'>地域防弁慶</title><content type='html'>「本橋さん、『人権擁護法案』の問題点って何処ですかね」&lt;br /&gt;「何処ですかって、沢山あって面白いから自分で調べてみたら」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　最近の新聞紙面でもうお馴染みのこの法案は、２年前に既に登場しておりまして、この時は廃案になっております。それが今回は、マスコミなどをはじめとする報道機関による批判をかわすためか、「メディア規制条項」をいわば凍結して再提出しております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この法案は、本来ならば、今年の３月１０日の自民党法務部会で了承されて、その後はお決まりのコースとして、政策審議会、総務会などを経て閣議決定、そして国会提出ということになっていたのですが、事はそうすんなりと進みませんでした。その理由は様々あるでしょうが、私自身感じますことは、自民党の若手保守派グループがこの法案の危険性・問題性に気がつき、急遽、３月８日の夜、若手グループが集まり、この法案についての分析と問題点の洗い出し作業を始めたこと、これに安倍晋三先輩が先頭にたちはじめた事が大きいと思っております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;『はい、本橋です』&lt;br /&gt;『あっ本橋さん？ちょっとこっち来て手伝ってくれない？』&lt;br /&gt;『おいおい、今何時だと思ってるの』&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その若手グループの中には、かつての自民党都連青年部時代の議員仲間がおり、２日後に迫った法務部会での法案承認を阻止すべく、猫の手も借りたいと言った状況を説明し始め、この法案について、憤懣やるかたない気持ちを得々とまくしたてると同時に、終始、何時ごろ党本部（永田町）に着きそう？といった感じでした。が、夜も遅く、既に寝床に潜り込んでいた私は、当然の事ながら動きようもなく（実はめんどくさかった？）、その辺のところを詫びながら&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Cg%91%D1" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%8Cg%91%D1"&gt;携帯&lt;/a&gt;を切った事がありました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　その後の流れですが、３月１０日、自民党法務部会が開かれ、保守派反対グループが徹夜で作り上げた論点整理レジュメを元に大論陣を張った結果、直ぐに了承というわけにいかなくなり、その後４・５回法務部会が開かれましたが、この法案はおかしいと主張し続け、現在のところまだ法務部会で論議中という状況になっております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　前述の都連青年部時代の友人と話をしていて、お互いに一致する問題点はどこかといいますと、それはズバリ「人権の定義は何か、またそもそも人権とは何か」という事です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　思いますに、「人権とは何か」と人様に問われて一体何人の方が即座に、しかも明確に答えることができるのかなぁと思うくらい、この問題は実に奥深く、しかも広い意味合いを持った概念だと思います。ここらあたりを深く思索して、考え抜いた人達がその人権を語るのならともかく、そうではない一般の国民において、安易に人権という概念を使って社会生活一般を規制していく法体系を構築していくという&lt;a class="affiliate-link" 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href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83p%81%5B%83Z%83%93%83g" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%83p%81%5B%83Z%83%93%83g"&gt;パーセント&lt;/a&gt;「ノー」、ゆえにその侵害というものはありえない、という立場を崩してはおりません。人権擁護委員の方におかれては、我良かれとして行動してみても、人権が侵害されたというとき、その侵害された人権が、そもそも本当に・正当に保護されるべき人権かどうかは、やはり司法の場でしか明らかにならないと思いますが、違うでしょうか。そのことをこの法案に出てくる「人権委員会」という所でおこなってしまってよいのでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこから、この「人権委員会」が二番目の論点となるでしょう。ここでは、なんと裁判所の令状がなくても、独自に関係各所の立ち入り検査ができるようになっており、加えて、関係者の出頭要請、事情聴取や資料の押収なども出来る様になっているのです。この点について法案推進派は、これは強制ではなく、拒否することも出来るとは言ってはおりますが、正当な理由なくして拒否すれば過料が科されてしまうからくりになっており、これはあたかもはじめから言うことを聞きなさいと言ってるようなものなのです。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに問題は、法案推進派は、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%97c%8E%99" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%97c%8E%99"&gt;幼児&lt;/a&gt;や高齢者の虐待など、特定の人権侵害に限定的かつ慎重に運用する、と言っておりますが、法案反対派の主張、つまり幼児や高齢者の虐待については個別の法律で対処すればいいことであって、これほど問題のある法で、様々な人権問題に対して、包括的・網羅的に規制の網をかける必要はないとする意見のほうが&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%90%E0%93%BE%97%CD" target="_blank" ad_l_id="5" ad_k_id="%90%E0%93%BE%97%CD"&gt;説得力&lt;/a&gt;があるでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ここまでくると、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%96L%93%87%8B%E6" target="_blank" ad_l_id="6" ad_k_id="%96L%93%87%8B%E6"&gt;豊島区&lt;/a&gt;の『&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Eq%82%C7%82%E0" target="_blank" ad_l_id="7" ad_k_id="%8Eq%82%C7%82%E0"&gt;子ども&lt;/a&gt;権利条例』に・・・、何か似てるな・・・」（続く）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2005/5/1(日)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-8482747686133624729?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/8482747686133624729/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=8482747686133624729' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8482747686133624729'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/8482747686133624729'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_2865.html' title='地域防弁慶'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-6647932471287087256</id><published>2007-10-16T02:12:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T02:16:28.875+09:00</updated><title type='text'>発つ鳥あとを濁さず</title><content type='html'>「本橋さん。飛ぶ鳥あとを汚さずじゃないですか？」&lt;br /&gt;「いや、これでいいのさ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　塾生にこのように切り返されて、「これでいいのさ」と言ってみたものの、実際この二つの言い方にどのような違いがあるのかは、私にはわかりません。ただ、私のイメージとしては、「発つ鳥跡を濁さず」の方は、あたかも水鳥が物静かに水面を進んでいたところ突然飛び発っていく感じなのに対して、「飛ぶ鳥あとを汚さず」の方は、大地の上で餌をついばんでいる鳥が、ある時突然羽ばたいていく感じです。つまり、前者は『水面』から、後者は、『陸地』からそれぞれ飛び立っていく場面をイメージすることが出来ると思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、皆さんはどのように違いをお考えでしょうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「で、本橋さん。今回の話はいったい何ですか？」&lt;br /&gt;「そうそう、本題に入らなくちゃね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ＡＰ通信によりますと、旧日本軍による「南京事件」（昭和12年）を題材とした『ザ・レイプ・オブ・南京』（ベイシック・ブックス社）の著者、中国系アメリカ人のアイリス・チャン（36）さんが、&lt;a class="affiliate-link" 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/&gt;　南京事件といいますのは、日中戦争の初期、昭和１２年１２月１３日に、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%92%86%8D%91" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%92%86%8D%91"&gt;中国&lt;/a&gt;の当時の首都であった南京が陥落した翌日から６,７週間の間に、女・子供を含む一般市民や無抵抗な中国軍兵士、捕虜など約３０万人以上が、日本軍によって殺害されたと一般に広く言われる事件で、平成１５年現在でも、これは、日本が&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83A%83W%83A" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%83A%83W%83A"&gt;アジア&lt;/a&gt;諸国に対して侵したとされる最大の残虐行為事件と喧伝されている事件です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　加えて、「南京大虐殺」について、日本政府が「あったもの」としての姿勢をとったため、昭和５７年夏に起きた教科書誤報事件（教科書検定において当時の文部省の検定官が「侵略」を「進出」に書き換えさせたという報道）をキッカケに、日本の全教科書に掲載される事になってしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本政府が教科書に記述させることを指定、つまりは認定してしまったのです。それだけではありません。平成６年８月には、社会党出身の村山富市首相による戦後５０年談話、いわゆる「お詫び談話」において南京大虐殺を含め、アジアでの侵略行為すべてを政府見解として認めてしまったのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「やっぱり酷い事したんですね」&lt;br /&gt;「違うちゅーの」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』の登場は、これらの一連の流れの延長線上にあると思われます。本人の話によれば、彼女自身が幼い頃に両親から聞かされていた話、つまり当時の中国の首都南京が陥落すると、日本軍兵士達によって、女・&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Eq%8B%9F" target="_blank" ad_l_id="5" ad_k_id="%8Eq%8B%9F"&gt;子供&lt;/a&gt;を含む一般市民が残虐な行為によって皆殺しにあったという話を聞かされていたものの、まだ、実際には歴史資料を調べてもいなかった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし、平成６年、在米華僑によって開催された日中戦争当時のものとされる残虐行為&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8E%CA%90%5E" target="_blank" ad_l_id="6" ad_k_id="%8E%CA%90%5E"&gt;写真&lt;/a&gt;を見て、後世に残すためにこの本を世に問うた、との事です。　　しかし、事件が起きた当時に記録された第一次歴史資料を集めて読んでみても、例えば、南京は、陥落当時は２０万人の人々がいただけで、３０万人など殺害しようがない事などが今日判明してます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、南京が陥落した際に避難民を管理運営していた１５人の外国人が、陥落直後から翌年２月９日までの間に記録した日本軍による暴行事件や苦情についての記録を見ても、殺人は４９件のみしか確認できず、しかもこれらは全く現場検証されておらず、中国人による一方的な訴えを書き記しただけのものでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　加えて、後にその訴えの一部を検証した南京日本大使館員は、訴えにあるような形跡すらなかったと証言しています。さらに、平成７年に、陥落翌日から翌年までの間に、南京市および周辺を克明に記録した記録&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%89f%89%E6" target="_blank" ad_l_id="7" ad_k_id="%89f%89%E6"&gt;映画&lt;/a&gt;『南京』も発見され、その映像には、語られるような数十万人もの虐殺が行われた町とは到底考えられない、平和な南京の様子が記録されていたのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2004/11/1(月)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-6647932471287087256?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/6647932471287087256/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=6647932471287087256' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6647932471287087256'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6647932471287087256'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_7974.html' title='発つ鳥あとを濁さず'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-7688210737659334301</id><published>2007-10-16T02:05:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T02:11:51.596+09:00</updated><title type='text'>続・ベトナム研修を終えて</title><content type='html'>「本橋さん、ベトナムの『国家としての現状』も教えてくださいよ」&lt;br /&gt;「いいとも。だけどこの手の話はお堅いものになるけど・・・」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　先月号で私がベトナムに視察に行ったことはご報告いたしましたが、ベトナムの現状を知りたいという方がいらっしゃったので、つまらないとは思いますがご報告させていただきます。&lt;br /&gt;&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;―――ベトナム社会主義共和国の現状―――&lt;br /&gt;1 人口・・・約８,０００万人&lt;br /&gt;2 国土・・・約３３万平方キロメートル（日本から九州を除いた面積）&lt;br /&gt;3 ＧＤＰ／Ｐ・・・４２８ドル（２００２年）&lt;br /&gt;4 政治体制&lt;br /&gt;①共産党党員・・・２６４万人（人口比約３％）。政治局・・・１５名。中央委員会・・・１４８名。書記長はノン・ドゥック・マイン（北部出身）。&lt;br /&gt;②国家主席（元首）はチャン・ドゥック・ルオン（中部出身）。&lt;br /&gt;③行政府首相はファン・バン・カイ（南部出身）。副首相・・・３名。閣僚・・・２３名。&lt;br /&gt;④国会議員数・・・４９８名（任期５年）。議長はグエン・バン・アン。&lt;br /&gt;5 内政&lt;br /&gt;①１９８６年以来ドイモイ（刷新）政策を堅持。１９９０年代半ばまで年率８～９％の成長実現。９７年アジア経済危機により９９年には４,８％まで減速。２０００年、６,８％まで回復。２００２年、７％。２００３年、７,３％達成。２００４年は７,５％を目標。&lt;br /&gt;②共産党一党独裁支配の下、思想・表現・情報など厳しく管理。&lt;br /&gt;③地域間・個人間における貧富の格差の拡大や汚職問題などが徐徐に顕在化しつつあるも、着実な経済発展が続く限り、今のところ社会不安の芽は大きくない。&lt;br /&gt;④積極的対外開放政策に基づく観光客の増大がある（１９９５年約１３５万人、２００２年約２４０万人）。&lt;br /&gt;⑤外国直接&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%93%8A%8E%91" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%93%8A%8E%91"&gt;投資&lt;/a&gt;などの結果、一般犯罪は増加しつつも、テロ・誘拐などのいわゆる政治犯罪あるいは反政府運動の兆しはない。&lt;br /&gt;6 外交―――戦略的かつ現実的外交の展開&lt;br /&gt;①ＡＳＥＡＮ重視・・・アセアンこそは国際社会一般との重要な接点・窓口と認識。&lt;br /&gt;②日本・&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83A%83%81%83%8A%83J" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%83A%83%81%83%8A%83J"&gt;アメリカ&lt;/a&gt;・&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%92%86%8D%91" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%92%86%8D%91"&gt;中国&lt;/a&gt;・ロシアとの関係を最重要視・・・まずロシアとはベトナム戦争以来の伝統的友好関係のほか、武器体系、人的関係を通じた関係は依然として強力だが、経済面での関係は年々希薄化している。つぎに中国とは歴史的・地理的関係に基づく安全保障上(中越国境問題、南沙問題)及び経済上の観点が強い。さらにアメリカとは１９９５年国交正常化後、２００１年の通商協定締結というように順調に発展(２００３年の対アメリカ輸出が飛躍的に増大し、対日輸出を超え№１)。双方とも戦争に起因する憎悪関係はもはや希薄。特に来年はベトナム戦争終結３０周年。政治関係は徐々に正常化。ベトナム首相の訪米も俎上に。もっとも民主化問題・人権問題もあり、微妙な距離感が必要。最後に日本とは余計な懸念なしに信頼し、頼れる関係を目指し、ここ数年のベトナム側の対日重要視姿勢が顕著。それは『自然の同盟関係』『戦略的パートナーシップ』と表現される。&lt;br /&gt;―――　以　上　―――&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「なんとなくベトナム国家のイメージがつかめました」&lt;br /&gt;「そう？でも『ベトナム戦争』っていうイメージがまだ強いでしょ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　日本人はベトナムという国についてどのようなイメージをお持ちでしょうか。来年はベトナム戦争が終結して３０周年となりますが、いまだにこの戦争のイメージが強いのではないでしょうか。ベトナムという国家は既に申し上げたとおり大変な親日国家ですし、日本の国益上、対中国投資に絡むリスク分散先として大きな魅力を持っています。ですから何とか両国がきっちり結び合える『もの』が必要と考えますが、そう思っていた時に私がふと思い出したのがベトナム航空の機体に描かれていた『蓮の花』です。『蓮の花』はもともと仏教の花であり、仏様は蓮の台座に座っておられます。ベトナムは人口の９０％は仏教徒であり、しかも東南アジアでは珍しく日本と同じ『大乗仏教』です。またベトナム人は日本人同様「&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%82%A8%92%83" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%82%A8%92%83"&gt;お茶&lt;/a&gt;」が大好きで、なかでもベトナム人にとって最も風流な「お茶」のたしなみ方は、「蓮の花のつぼみに溜まった露」、あるいは「蓮の葉っぱに溜まった露」を使ってお茶をたてることです。さらにベトナムで最も愛されているホーチミンは１８９０年５月１９日、ベトナム中部ゲアン省の「ランセン」という村で生まれましたが、この村の名前がベトナム語ではズバリ「蓮の村」という意味なのです。今回訪問したベトナムのイメージが『戦争』から平和の象徴『蓮の花』となることを祈ってやみません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2004/9/1(水)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-7688210737659334301?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/7688210737659334301/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=7688210737659334301' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7688210737659334301'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/7688210737659334301'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_1167.html' title='続・ベトナム研修を終えて'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-1901364821422088967</id><published>2007-10-16T01:53:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T02:05:15.391+09:00</updated><title type='text'>ベトナム研修を終えて</title><content type='html'>「７月の半ば頃、ぜんぜん連絡がつきませんでしたけど・・・」&lt;br /&gt;「うん。ちょっとベトナムに研修しに行ってたのさ」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今年は日露戦争で日本がロシアに勝利してから100年になることは申し上げましたが、ベトナムにおきまして、やはりちょうど100年前に、「東遊運動」(ドンズー運動)といわれる、いわば「日本に学べ運動」が沸き起こりました。それはマハティールの「ルック・&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83C%81%5B%83X%83g" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%83C%81%5B%83X%83g"&gt;イースト&lt;/a&gt;政策」より前の事です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83t%83%89%83%93%83X" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%83t%83%89%83%93%83X"&gt;フランス&lt;/a&gt;は、1800年代からベトナムへの侵略を開始し、1833年フエ条約により保護国とすることによって完全な植民地としました。1904年、極東の小国、しかも長い鎖国から開国して間もない日本が、大国ロシアを打ち破ったことに感激した&lt;a class="affiliate-link" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%83A%83W%83A"&gt;アジア&lt;/a&gt;の諸国民は少なくありませんでしたが、ベトナムでは、「ファン・ボイ・チャウ」という青年が立ち上がりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「誰ですか、その方。初めて聞く名前ですけど」&lt;br /&gt;「まあ、聞きなさいって」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;1904年、彼は、抗仏運動のための「維新会」を結成し、翌1905年、日本の援助を求めるために日本に渡り、そこで&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%92%86%8D%91" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%92%86%8D%91"&gt;中国&lt;/a&gt;の亡命革命家「梁啓超」の紹介で、「大隈重信」「犬養毅」「&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%95%9F%93%87" target="_blank" ad_l_id="5" ad_k_id="%95%9F%93%87"&gt;福島&lt;/a&gt;安正」「根津一」といった人物と知り合うとともに、ベトナムから日本へ留学生を送り込み、これらの留学生と語らって、｢ドンズー運動｣を展開しました。留学生の数は、1905年にはたった3名でしたが、1908年には200名を超え、これらの留学生は、振武学校、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%93%8C%8B%9E" target="_blank" ad_l_id="6" ad_k_id="%93%8C%8B%9E"&gt;東京&lt;/a&gt;同文書院、成城学校などで研鑽をつみました。ファン・ボイ・チャウは、当初、日本からの軍事援助を目的としていましたが、自らの目で日本の現状を見るうち、人材育成の重要性に気づいたからです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　こうして日本で火の手の上がった抗仏運動に危機感を抱いたフランス政府は、ベトナムにおいて日本に留学をさせている家族に対して弾圧を加える一方、日本政府に対して、日本で維新会のメンバーとしてドンズー運動に加わっているベトナム人の逮捕・引渡しを要求しました。日本政府は当時日本に滞在していた、維新会の盟主に祭り上げられていた、ベトナム・グエン王朝のクオンデー候の引渡しは拒否したものの、1909年、多くのベトナム人留学生の国外退去処分を実行しました。ファン・ボイ・チャウも、日本に大きな失望と幻滅を感じたまま、国外に退去せざるを得なくなりました。　&lt;br /&gt;　&lt;br /&gt;　ファン・ボイ・チャウは、その後、中国の広東において、中国の革命勢力とも協力しながら抗仏運動を続け、1917年、再び訪日しましたが、日本が欧米列強と同様に植民地帝国主義になりつつある現実を目の当たりにして、大きく失望し、滞在日数わずか二ヶ月あまりで日本を離れてしまいました。彼は、その後1925年、上海でフランス当局に逮捕され、ベトナムに連行された上で終身刑の宣告を受けましたが、ベトナム民衆の全国規模の助命嘆願運動の結果釈放され、1940年に亡くなるまでの間、フエで軟禁生活を余儀なくされました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「どこの国でも『国造り』って大変ですね」&lt;br /&gt;「でも、これって『男子の本懐』だよね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　1900年代初頭、欧米列強に追いつかなければ自分たちが植民地にされてしまうという危機感があった日本にとって、近隣アジア諸国の独立を願う声に耳を傾ける余裕などなかったかもしれません。ただ、当時の日本の国家目標から判断して、結果的にはやむをえないプロセスをたどったとはいえ、もう少しうまい方法で支援することができたのではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、それから100年、長い抑圧と戦争を乗り越えたベトナムは、現在、懸命に国家造りに励んでおります。この間に登場したのが、現代ベトナムの国父とも言える故ホーチミン主席ですが、実を言いますと、故ホーチミン主席とファン・ボイ・チャウには接点があります。ファン・ボイ・チャウも故ホーチミン主席も、ベトナム、ゲアン省生まれで、故ホーチミン主席の父親とファン・ボイ・チャウとは交流があったとの事、いわばファン・ボイ・チャウの遺志が故ホーチミン主席に引き継がれたともいえるでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ベトナムは、現在、日本を最大の&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83p%81%5B%83g%83i%81%5B" target="_blank" ad_l_id="7" ad_k_id="%83p%81%5B%83g%83i%81%5B"&gt;パートナー&lt;/a&gt;として位置づけ、われわれ日本も多額のＯＤＡをはじめ、民間の&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%93%8A%8E%91" target="_blank" ad_l_id="8" ad_k_id="%93%8A%8E%91"&gt;投資&lt;/a&gt;、技術移転などにより、力強くベトナムの経済発展に貢献しております。そして、ベトナムからの日本への留学生も最近急激に増えており、現在1300名にも達しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　100年前、われわれ日本人は、ベトナムの民衆の声に耳を傾けることをしませんでしたが、もう同じ誤りを繰り返してはいけないと思います。歴史のめぐり合わせといいますか、ベトナム人が今そのように語っているわけではありませんが、私には100年を経た現在がベトナムの｢第二のドンズー運動｣に思えて仕方ありません。私たち日本人は、100年越しのベトナム人に対する借りを返す絶好の機会と考えます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「いやー、もうバリバリの親越家ですねー」&lt;br /&gt;「そう、日本のОＤＡもやっぱり『親日国家』をメインにしないとね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2004/8/1(日)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-1901364821422088967?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/1901364821422088967/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=1901364821422088967' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1901364821422088967'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/1901364821422088967'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_4080.html' title='ベトナム研修を終えて'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2911944168214281542</id><published>2007-10-16T01:49:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T01:52:54.307+09:00</updated><title type='text'>乃木ビールが飲みたい</title><content type='html'>「本橋君は、『東郷ビール』を飲んだことがあるかね？」&lt;br /&gt;「えーと。『養老&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83r%81%5B%83%8B" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%83r%81%5B%83%8B"&gt;ビール&lt;/a&gt;』なら飲んだことがありますが・・・」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　あちこちで様々な地域活動団体の総会が開催され、それぞれの団体が新年度のスタートをスムーズに切られたことかと思います。私自身、いくつかの団体の総会に出席させていただき、今年もまたドキッとする話をして下さる方との&lt;a class="affiliate-link" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%8Fo%89%EF%82%A2"&gt;出会い&lt;/a&gt;を頂戴し、改めて自分の浅学非才ぶりを思い知らされました。とくに御高齢の方が多くおられる団体となるともう近現代史の授業状態になってしまいます。80歳代半ばの方でしたら「大東亜戦争」をご存知でしょうし、その年代のお父さんともなると「日露戦争」をご存知かと思われます。そういえば今年は確か「日露戦争百周年」にあたりますね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8AC%8AO%97%B7%8Ds" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%8AC%8AO%97%B7%8Ds"&gt;海外旅行&lt;/a&gt;をしていて、鮮烈な思い出が2回ほどあるんだなー」&lt;br /&gt;「どんな思い出ですか？」&lt;br /&gt;「うん、一つは『&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83t%83B%83%93%83%89%83%93%83h" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%83t%83B%83%93%83%89%83%93%83h"&gt;フィンランド&lt;/a&gt;』に行ったとき、あんときゃ一瞬心臓が止まるような感じがしたな」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;私も話を聞いて驚きましたが、その方が20年近く前、「フィンランド」を訪れたとき、空港からヘルシンキに向かう途中、真っ白い大きな工場とおぼしき建物の上に、「東郷平八郎元帥」の巨大な肖像画が立っていたので、思わず添乗員に「あれは何だ」と聞いたところ、フィンランドでは「アドミラル・トーゴー」と名付けたビールが製造されており、大勢の国民に愛飲されているとのことです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　フィンランドは約1500キロの東の国境線をロシアと接し、１９世紀を通じて大国ロシア帝政の圧制に苦しみ、100年後のロシア革命によってようやく独立するわけですが、独立するまでは、いつも自分達の目の前を居丈高に徘徊していたロシアのバルチック艦隊を疎ましく思っていたことでしょう。そのバルチック艦隊を日本海海戦で一瞬のうちに海底の藻屑に葬った海将東郷平八郎をたたえ、それが『東郷ビール』誕生のきっかけとなったわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「二つ目は『トルコ』に行ったときだな、あんときゃ度肝を抜かれた」&lt;br /&gt;「どんな事があったんですか？」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私も話を聞いて感心しましたが、その方が同じく20年ぐらい前、「トルコ」を&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%97%B7%8Ds" target="_blank" ad_l_id="5" ad_k_id="%97%B7%8Ds"&gt;旅行&lt;/a&gt;したとき、高台に「黒海」を眺望できる公園があると聞いたのでエッチラ・ホッチラ上っていったところ、銃を肩に掛けた２人のトルコ兵の若者と出会い、２人の若者はニコニコしながら近づいてきて話しかけてきたとの事です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;『貴方は日本人か』&lt;br /&gt;『そうだ』&lt;br /&gt;『日本人は偉い、ロシアをやっつけたのだから』&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　トルコもまたロシアと国境を接し、かつてオスマン・トルコ帝国時代は黒海の奥深くにまで勢力を伸ばしていましたが、１９世紀に入って黒海を巡る両国の争いが絶えなくなり、特に、トルコ帝国を「貧窮の病人」と呼んだニコライ１世はその分割を画策し、次々とトルコの勢力圏を侵食し、ついに１９世紀半ばにクリミヤ戦争が勃発します。その結果、トルコ艦隊は黒海海戦でロシア艦隊に全滅させられたのですが、その苦い国家の歴史をその若い兵士達は知っているわけです。その事を踏まえた上で、クリミヤ戦争から約50年後、極東の名もなき小国がトルコの宿敵ロシアに勝利し、あまつさえロシアの大艦隊を潰滅させた日本への畏敬の想いがこの若者の口をついて出たのでしょう。また、トルコの街には「東郷通り」・「児玉通り」そして「乃木通り」と名付けられた道路があるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「この2つの国の国民の歴史観・歴史認識はたいしたもんだと思うよ」&lt;br /&gt;「私もお話を聞いて共鳴するところがあります」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　20年ぐらい前と言うと私はまだ大学生ぐらいでしたが、当時の私の歴史認識はお粗末なものだったと言えますから、さきのトルコ兵の若者と議論しようものなら「歴史観喪失の透明人間」と思われてしまうかもしれませんし、また、もし今現在の日本の大学生と議論させようものなら、「それ」が空中に浮遊していると受け止められかねないでしょう。まさに近現代史教育を意図的に回避してきたツケがまわってきたといえますし、逆に『トルコ』はそこをしっかりとやってきたのでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　司馬遼太郎は、明治の日本人、特に日露戦争までの日本人は偉かったと評価しながらも、日露戦争後から昭和20年の終戦までを「奇胎」の40年間と表現してこの頃の日本人、とくに国家指導者層を痛烈に消極評価していますが、歴史的事実は見る人によって大きく変化しますし、同じ人物についても異なったいくつもの小説が生まれたりします。司馬の「殉死」などによる評価がいわゆる「乃木希典愚将論」なるものを生み出しましたが、現在は新しい史料が発見されこのような評価は払拭されようとしています。もし『フィンランド』なら、間違いなく『乃木ビール』が誕生し、『東郷ビール』とのハーフ・アンド・ハーフも発売されているかも知れませんね！！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「本橋君は、『染井桜』を飲んだことがあるかね？」（えっ、まだ続くの・・・）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2004/6/1(火)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2911944168214281542?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2911944168214281542/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2911944168214281542' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2911944168214281542'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2911944168214281542'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_4937.html' title='乃木ビールが飲みたい'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-5112919318923499791</id><published>2007-10-16T01:44:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T01:48:46.311+09:00</updated><title type='text'>｢官民格差是正｣もホドホドに</title><content type='html'>「本橋さん。こりゃないですよー」&lt;br /&gt;「ほんと。私たち公務員志望としてはガッカリです」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私の事務所に通う学生の多くは公務員志望ですが、どうやら彼ら彼女らは、&lt;a class="affiliate-link" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%96L%93%87%8B%E6"&gt;豊島区&lt;/a&gt;が向う２年間職員採用を&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83X%83g%83b%83v" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%83X%83g%83b%83v"&gt;ストップ&lt;/a&gt;したことが気に入らないみたいです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　確かに、「自治体」とは、社会的実在として存在し、これを祖先からしっかりと世襲して、未来の子孫に引き渡さなければならず、その大切な担い手を２年間に亘って採用しないと言うことは極めて由々しきことです。採用自体をしなければ、有能な人材との&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Fo%89%EF%82%A2" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%8Fo%89%EF%82%A2"&gt;出会い&lt;/a&gt;もないわけですし、職員構成も高齢化の&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83s%83%89%83~%83b%83h" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%83s%83%89%83~%83b%83h"&gt;ピラミッド&lt;/a&gt;構造を増幅させてしまいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「本橋さん。何とかしてくださいよー」&lt;br /&gt;「そうですよ。私は本橋さんがいる豊島区志望なんですから」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかし、平成１６年度予算特別委員会における私との質疑応答において、この「２年間新規採用ゼロ」については、理事者として「苦渋の決断」をしたことがうかがえましたし、また公務員それ自体の人員削減は必要であるとの国民合意があると思われる昨今では、豊島区の方針はぎりぎりのところで合理性を見出せると思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;｢えっー、それじゃ本橋さんは公務員の給与削減・勧奨退職も賛成ですか？｣&lt;br /&gt;「もう本橋さんの所で学ばないからー」&lt;br /&gt;「そうだー、公務員志望者の敵！！」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ここまで過激なことを私に向かって言うこの学生達はいったい何者かといいますと、私自身これからは学生の段階で「裸の政治」を見せたい・伝えたいとの想いから、５年前より日本全国から学生を「本学塾(本橋ひろたかと共に学ぶ塾)」塾生として受け入れており、ここで上下関係なしで「裸の政治」を語り合ったりしております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回平成１６年春季では8名の若者が私の塾の門をたたき、面接の結果全員合格となり、私の下で政治を学んでおります。（平成18年3月現在、4名）特に、この時期は第１回定例会と重なり、塾生には私が所属している｢区民都市整備委員会｣｢予算特別委員会｣のすべてを傍聴させ、彼ら彼女らはそこでの公務員のありのままの仕事振りを見て、｢やりがいがある｣｢時代の歯車を動かす仕事だ｣などの感想を私に伝えてきました。塾生たちはどうやら｢公務員｣と言う職業に感情移入してしまったようです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　それはそれとしまして、私は｢勧奨退職｣についてはこの場では言及いたしませんが、｢職員給料削減｣については一言だけ言わせていただきたいと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　平成八年、厚生省(今は厚生労働省)の汚職事件が発生しました。それは、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8D%E9%8B%CA%8C%A7" target="_blank" ad_l_id="5" ad_k_id="%8D%E9%8B%CA%8C%A7"&gt;埼玉県&lt;/a&gt;の特別養護老人ホームの建設をめぐって、厚生省内の汚職疑惑が発覚し、業者から&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83%7D%83%93%83V%83%87%83%93" target="_blank" ad_l_id="6" ad_k_id="%83%7D%83%93%83V%83%87%83%93"&gt;マンション&lt;/a&gt;購入&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8E%91%8B%E0" target="_blank" ad_l_id="7" ad_k_id="%8E%91%8B%E0"&gt;資金&lt;/a&gt;を受け取ったなどとして、岡光序治事務次官(当時)が逮捕されたと言うものです。何故に厚生省の事務次官ともあろう人物が個人的な蓄財に走ってしまい、挙句の果てには法に触れることまでやってしまったのか。そこをしっかりと分析して、今後に展開することが大事だと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　私は、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83%7C%83C%83%93%83g" target="_blank" ad_l_id="8" ad_k_id="%83%7C%83C%83%93%83g"&gt;ポイント&lt;/a&gt;は昭和６１年に行われた「公務員共済組合」の年金の引き下げにあると見ております。改定前の公務員年金は、退職時の俸給が基準となって算定されていましたが、改定によって在職期間の平均俸給額によって決められ、退職時の役職とはあまり比例しなくなってしまいました。加えて、改定前に採用された人の年金も引き下げられたことは、あたかも｢遡及処罰禁止の原則｣に現れている法の精神にもとると言えます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　年金を下げられると、公務員としては国家・国民のために懸命に働いたとしても、こと退職後となると悠々自適に暮らせないわけですから、ついつい将来のことを考えて行動してしまうことは無理もないとおもいます。　もちろん、岡光次官の一件は犯罪であり、決して許されるものではありません。しかし、彼を批判するだけでは何の解決にもつながらないと言うことです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そもそも日本の官吏に対しては、一般人にはない年金(恩給)が与えられていましたが、これはなぜかと言えば、まさに天下・国家のために老後の心配もなく懸命になって働いてもらえるようにする、私利私欲や下品な立ち居振る舞いをしないようにする。この目的からすれば、公務員の年金を一般の社会福祉の視点で考え、「官民格差是正」という錦の御旗の見地からいじることは如何なものかと思います。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　また、岡光事件をもう少し見てみますと、彼は大体６０００万円の蓄財をしたわけですが、そのための手段として、特別養護老人ホームの建設などに絡んで約１０億円もの余計な補助金を国家に使わせてしまっております。彼の不正蓄財には１０億円の税金が原資となっているわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このような構図は、いわゆる｢特殊法人｣への天下りについても言えるでしょう。例えば、天下り先で年間１０００万円の給料が支払われているとすれば、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83I%83t%83B%83X" target="_blank" ad_l_id="9" ad_k_id="%83I%83t%83B%83X"&gt;オフィス&lt;/a&gt;の経費や、お抱え運転手や秘書の人件費と言った具合に、それ以上のお金が使われているわけです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　汚職や天下りを防ごうとするのならば、公務員が蓄財に走らずに職務をまっとうできる環境を作る必要があります。そのためには、むやみやたらと公務員の給料や年金を下げてはいけません。むしろ大幅な人員削減をしながら、給料や年金を上げる方策を考える方が得策だとおもいます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「さすが本橋さん、公務員の味方！！」&lt;br /&gt;「私、これからも本橋さんの下で学びます」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;おいおい、この上げ下げは何なの？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2004/3/1(月)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-5112919318923499791?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/5112919318923499791/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=5112919318923499791' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5112919318923499791'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/5112919318923499791'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_5259.html' title='｢官民格差是正｣もホドホドに'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-6367349338043183348</id><published>2007-10-16T01:41:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T01:44:29.606+09:00</updated><title type='text'>街づくり＆国づくり</title><content type='html'>「あっ、安倍さんがしゃべってるー。次は小泉さんだー。」&lt;br /&gt;「なんだ、安部晋三幹事長、小泉純一郎総裁を見るの初めて？」&lt;br /&gt;「そりゃそうですよ。なんてったって、僕達まだ学生ですから」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　平成16年1月16日、第70回自由民主党大会が、JR&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%95i%90%EC" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%95i%90%EC"&gt;品川&lt;/a&gt;駅西口にある新高輪プ&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83%8A%83%93%83X" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%83%8A%83%93%83X"&gt;リンス&lt;/a&gt;&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83z%83e%83%8B" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%83z%83e%83%8B"&gt;ホテル&lt;/a&gt;で開かれ、かねてより一緒に行きたがっていた学生たちを連れて参加してきました。その日の安倍幹事長の挨拶や小泉総理の演説は、自衛隊のイラク派遣が国論を二分し、かつ秒読み段階に来ていることもあってか、ボルテージがひと際上がったものとなっており、特に小泉総理がしゃべっているとき、前列に陣取っている多数の国会議員が「そうだー」などと合いの手を入れ、会場の雰囲気はいやがおうにも熱くなりました。これらの光景を目の当たりに見た学生たちも党大会の熱気に戸惑っておりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「おっ、安倍さんがこっちに来たー。」&lt;br /&gt;「向こうで小泉さんと記念&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8E%CA%90%5E" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%8E%CA%90%5E"&gt;写真&lt;/a&gt;が撮れるって、行こう、行こう」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;私自身は党大会には何度も出席しているのと、都連の青年部の副部長をている関係で、党の幹部とは会う機会があるので、取り立てて感動はなかったのですが、初めて参加した学生たちにとってはとても新鮮で且つ刺激的だったことは確かでしょう。第1部の党大会に引き続いて、第２部の懇親会では、会場の一角に小泉総裁との写真撮影&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83R%81%5B%83i%81%5B" target="_blank" ad_l_id="5" ad_k_id="%83R%81%5B%83i%81%5B"&gt;コーナー&lt;/a&gt;が設けられ、ある学生は一緒に記念撮影をするどころか、小泉総理と握手をして会話も楽しんでくる始末です。それでもここへ来て多くの第一線で活躍している政治家を生で見て、生の声を聞いて、この学生たちは何かをつかんでくれるだろう。私にはない新しい感性でこの時空を捕らえてくれるに違いない。後で話を聞くのがとても楽しみだ。そう思って私は&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83e%81%5B%83u%83%8B" target="_blank" ad_l_id="6" ad_k_id="%83e%81%5B%83u%83%8B"&gt;テーブル&lt;/a&gt;に陣取って彼らの荷物の見張り役をしておりました。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「いやー、楽しかったです」&lt;br /&gt;「いい思い出になりました」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この党大会についてどう思ったか後で自由に喋ってもらったときに出てきた彼らの多くの感想です。これ以上は彼らのためにもここでは申し上げることはできません。と同時に、それは常日頃の私の彼らに対する教え方・導き方が悪かったことを意味します。ここで、「なぜ」、と思ってみても仕方がありません。私の学生に対する政治の伝え方の幼稚さに原因があるわけですから・・・・・・・。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ただ、私が学生たちに期待したことをここであえて申し述べさせていただくと、それは自民党の幹部達の話を聞いて、「この国のかたちをどうするのか」という問いかけへの、彼らなりの挑戦の言葉・言説を聞かせてもらいたかったという点につきます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　昨年の11月の総選挙を思い起こしてみますと、そもそも政治というものが、国家の基本・土台となるべき事柄に取り組むことが主眼であって、政権公約に関しても、そのためにどうするかが議論されてしかるべきでしょう。その意味では、当時の総選挙における格闘の政権公約は、いかにして濃く見抜けするかが最大関心となってしまっていたのではないでしょうか。公約の1番目が「高速道路の無料化」という占拠というのは、ある意味では異常としかいえません。本来なら、わが国が国際社会の中でどのような役割を果たすのか、その原則をしっかりと明記すること、大きなテーマは憲法改正ですが、9条の解釈をわかりやすいものにし、同時に自衛隊の存在と役割をここにしっかりと位置づけること、そして国家が存続していくためには教育の問題に取り組まなくてはなりません。日本人が持っている粘り強さとか、我慢図よさとか、この持ち味を失ってはならない、その意味で、教育基本法の改正や現場の教育の問題が重要な論点と成っていることです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　加えて、さらに突っ込んだ議論をいたしますと、あくまでも現実を踏まえたうえで議論を構築してほしいということです。えてして、憲法改正と9条を絡めると、やれ「自分たちの国は自分たちで守ろう」とか、「小型核兵器ぐらい持つことによってわが国も核抑止力を持つべきだ」とかいった議論が出てきてしまいがちです。しかし、わが国のおかれたさまざまな現実を踏まえるならば、「自分たちの国は自分たちで守る」という近代国家の建前を踏まえつつも、これからの安全保障の実態は「自分たちの国は自分たちだけで守れるわけではなく、他国との強調を必要とする」という結論に至るでしょう。テロリズムへの対応は、まさにその典型的な事例です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さらに、「この国のかたち」を形成していくに当たっては、もう国民意識の中の「亀裂」めいたものを消して温存させてはならないということです。この典型的な事例が、いわゆる集団的自衛権の問題ではないかと思います。現在の政府公式見解は「集団的自衛権は保有してはいるものの、その行使は憲法上禁止されている」というものですが、これ自体まさに、広範な国民の合意を形成しきれないでなし崩し的にことを進めてきてしまった結果でしょう。現に、その亀裂のせいで安全保障政策の領域で本来は必要とされる選択を下せないという局面がいくつも続いたことを忘れてはなりません。また、内閣法制局に解釈させてしまってよいのかということも大問題です。やはり政治家が直接国民に語るべきです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「本橋さん、何ぶつぶつ言ってるんですか？」&lt;br /&gt;「別にー、今日は楽しかったねー。これから事務所に帰って&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%95%D7%8B%AD" target="_blank" ad_l_id="7" ad_k_id="%95%D7%8B%AD"&gt;勉強&lt;/a&gt;しようね」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2004/2/1(日)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-6367349338043183348?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/6367349338043183348/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=6367349338043183348' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6367349338043183348'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/6367349338043183348'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_9296.html' title='街づくり＆国づくり'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2905516870069798554</id><published>2007-10-16T01:34:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T01:40:38.179+09:00</updated><title type='text'>新暦ライフに旧暦を</title><content type='html'>昨年は私にとりましてはまさに変転の年で御座いましたが、皆さんにとりましてはどのような一年でしたでしょうか、お伺いいたします。私自身、何とか無事に乗り切ることが出来ましたが、これも皆々様のお陰だと感謝御礼申し上げる次第です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今年もどうぞ宜しくお願い致します。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「本橋さん、僕の地元の&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83J%83%8C%83%93%83_%81%5B" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%83J%83%8C%83%93%83_%81%5B"&gt;カレンダー&lt;/a&gt;持って来ました。使って下さい。」&lt;br /&gt;「ありがとう。使ってみるよ。」&lt;br /&gt;「このカレンダーは地元ですごい人気なんです。」&lt;br /&gt;「へぇー、そう。あれっ…、これ平成16年の9月までしかないじゃない。」&lt;br /&gt;「当たり前じゃないですか。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;この時期になりますと、とかく真新しいカレンダーが世の中をでまわり、今年一年どのようなカレンダーを使おうか、頭を悩ます方もいらっしゃるかと思いますが、皆さんはもうお決まりになったでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ちなみに私の場合は、色々なカレンダーを収集するのが一種の趣味なのですが、実際のところは毎年使うカレンダーを某生命保険会社発行のものと決めておりまして、そのカレンダーが到着するや否や、まずすべてをバラしてしまい、１月から順番に１２月までのすべてを事務所の和室の欄間のところに一気に張り巡らせております。こうすることによってその一年の活動スケジュールが頭の中でまるで宙を飛び交うようになって非常に便利なのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　さて、今まで様々なカレンダーを集めてきましたが、そのほとんどは、新年の１月が一枚目にきて、その後順番にその年の12月までが綴じられたものとなっております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　しかしこの度、私の「本学塾」に愛媛県西条市出身の学生さんが入塾しまして、その学生が私にくれたカレンダーが、なんと前年の10月が一年のスタートで、翌年の９月が一年の終わりとなっているのであります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「あれっ、本橋さん。こういうカレンダー見るの初めてですか？」&lt;br /&gt;「もちろんはじめてだよ。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　意外と知られてはいないとのことですが、愛媛県西条市の「西条まつり」は、毎年１０月の１４・１５・１６日に行われる歴史と由緒ある秋祭りです。「新居浜まつり」と並んで「西条まつり」は、まさに愛媛を起点として日本全土を熱くすると言ってもいいのではないでしょうか。「太鼓台」10台、「だんじり」100台、「御神輿」4台そして「&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Eq%82%C7%82%E0" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%8Eq%82%C7%82%E0"&gt;子ども&lt;/a&gt;太鼓台」6台が街にくりだす様は豪快の一言で、それらに参加する人の数は1万人、見物客が毎年約15万人で、西条市の人口の3倍もの人が、この3日間に集中するとのことです。特に、「だんじり」においては担ぎ手が酒をアオッテからくりだすためとても危険で、一昨年には死傷者を出しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今年、私はこれにぜひ参加したいと思っております。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「沢山カレンダーが在りますねー。本橋さん、これは何ですか？」&lt;br /&gt;「旧暦カレンダーだよ。今お薦めだよ。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　バブルがはじけた頃でしょうか、旧暦が見直されるようになり、ここ一・二年、様々な趣向を凝らした旧暦カレンダーが出回っております。実のところ、私自身、旧暦ファンでして、初めは私の生活に旧暦を組み入れて、私だけの秘密として楽しんでおりましたが、今は親しい友人たちとも感動を共にするようにしておる次第です。（ちょっと、大げさですかね・・・）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　月の満ち欠けを基準にして太陽の運行による季節の変化を取り入れた旧暦は、古代&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%92%86%8D%91" target="_blank" ad_l_id="3" 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href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%97%E2%92g%96%5B" target="_blank" ad_l_id="7" ad_k_id="%97%E2%92g%96%5B"&gt;冷暖房&lt;/a&gt;も控えられるので「自然にやさしい生活」が送れるのではないでしょうか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　自然のサイクルにあった「スローライフ」を送ってみてはいかがでしょうか。そのためにも旧暦はとても役に立つと思いますし、使い方を工夫すれば、きっと暮らしの中に何か新しい発見、感動、そして別の世界が見えてくること間違いなしです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;新年は是非「旧暦&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83%89%83C%83t" target="_blank" ad_l_id="8" ad_k_id="%83%89%83C%83t"&gt;ライフ&lt;/a&gt;」を楽しんでみて下さい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2004/1/1(木)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2905516870069798554?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2905516870069798554/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2905516870069798554' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2905516870069798554'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2905516870069798554'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_658.html' title='新暦ライフに旧暦を'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2900706912102802342</id><published>2007-10-16T01:29:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T01:33:34.644+09:00</updated><title type='text'>ロシアから反省を込めて</title><content type='html'>――本橋さん、ロシアに行ってきたんだって？&lt;br /&gt;――行ってきたよ。初日２日目はウラジオストックで、３日目４日目がハバロフスクだったけど、ロシアはとにかく良かったよ～。萩生田部長は行った事ある？今度の自民党青年部の海外研修はロシアにしようよ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　毎年夏、私達自民党&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%93%8C%8B%9E" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%93%8C%8B%9E"&gt;東京&lt;/a&gt;都連青年部は海外視察研修を行います。しかし今年の研修はは色々な事情が加わって冬季に延期実施することになりました。実際のところ、この夏には重要な市長選挙が都内にいくつかあったため、選挙活動の最前線に駆り出される私たち青年部員にとってはかえってこの決断は良かったのではないかと思います。そして、青年部長で&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%94%AA%89%A4%8Eq%8Es" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%94%AA%89%A4%8Eq%8Es"&gt;八王子市&lt;/a&gt;選出の萩生田光一都議会議員が、この度の衆議院議員選挙に自民党公認で出馬することになりました。青年部副部長として長年部長を支えてきた私にとっては、海外視察によって忙殺されることなく後援会活動に専念することが出来て良かったなと思っています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（ちなみに、萩生田光一都議は学生時代に当時の黒須隆一都議の秘書として活躍した後、若干27歳で八王子市議会議員、38歳で都議会議員となり、まさに自民党の若手ホープの中心人物です。思想的にも地域や国の&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%93%60%93%9D" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%93%60%93%9D"&gt;伝統&lt;/a&gt;や慣習そして歴史を大切にしつつもこれをしっかりと子孫に伝えていく事が大事であるという立場の政治家です）　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――ロシアの極東を視察してみて何か得ることはあった？&lt;br /&gt;――あったよ。あの時はドキッとしたね。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　今回の視察行程の中で特に楽しみだったのはハバロフスク市の初等学校への訪問でした。ここは日本でいういわゆる『小・中・高一貫教育』をしている公立教育機関であり、世に言う『&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%95%D7%8B%AD" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%95%D7%8B%AD"&gt;勉強&lt;/a&gt;の出来る、いいところのおぼっちゃま・おじょうちゃま』の通っている学校とのことです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　ドキッとしたこと。それは確か高校の方の授業風景を見学していた時でしたが、ある教室内で一通り授業の進め方など説明を受けた後、我々に対して何か質問がありますかと担任の先生が生徒達に言ったところ、ある女子生徒がすうっと手を挙げ『日本ではいつの段階から哲学を学びますか？』と聞いてきました。こちらとしてはその質問の趣旨がどういう事であるか痛いほど分りながらも、『大学からが一般ですが、私立高校では選択科目として哲学があります』と応えるのが精一杯だったような気がします。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　時はいまだに北朝鮮問題が大きく議論されており、日本政府は最近、北が核実験をした場合の対応を発表したところですが、それよりもまして何故日本は主権国家として拉致されてしまった自国民を救出せずに放置したままだったのか。拉致の事実を北が認めたのだから救出しに軍隊を派遣しないのか。軍隊がないのなら、あっても派遣できないなら国家として溶解しているとしか言いようがないのではないか。また、そもそも日本は国家としての哲学があるのですかと。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　他方で時はまさに衆議院議員選挙実施へと確実に向かっておりますが、こと選挙におけます自民党の候補者選びについても考えるべき点があるのではないかなといった感があります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;-----えっ、本橋さん、俺じゃ駄目って事？&lt;br /&gt;------いやいや、萩生田部長はＯＫだよ。青年部あげて応援するさ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　つい最近土屋義彦知事の辞職に伴う&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8D%E9%8B%CA%8C%A7" target="_blank" ad_l_id="5" ad_k_id="%8D%E9%8B%CA%8C%A7"&gt;埼玉県&lt;/a&gt;知事選挙が行われ、自民党の候補者は惨敗をしてしまいました。当のご本人は&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%96L%93%87%8B%E6" target="_blank" ad_l_id="6" ad_k_id="%96L%93%87%8B%E6"&gt;豊島区&lt;/a&gt;立時習小学校の卒業生でしたので私も親近感を持って応援した次第であります。ところでこの選挙の候補者の中には、いわゆる『ジェンダー・フリー知事候補者』も存在していたのであり、自民党の一部県議の中にはこの候補者を擁立しようという動きを見せていた事実があります。もっとも、結果的には、この候補者が&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8D%E9%8B%CA" target="_blank" ad_l_id="7" ad_k_id="%8D%E9%8B%CA"&gt;埼玉&lt;/a&gt;県副知事の頃、逮捕された土屋知事の娘の市川桃子と極めて親しい関係があったことが理由となって,この話はつぶれたわけですが、知事選でも閣僚人事でも、スキャンダルの後は女性を起用して&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83_%81%5B%83e%83B" target="_blank" ad_l_id="8" ad_k_id="%83_%81%5B%83e%83B"&gt;ダーティ&lt;/a&gt;・イメージからの回復を図ると言う手法は如何なものか。今回はたまたまダーティな土屋親娘に近すぎたからこの『ジェンダー・フリー知事候補者』の擁立を自民党は見送りましたが、もし仮にこのような事情がなければ擁立していたと言うことであり、それはつまり選挙に勝てればフェミニスト知事だろうがジェンダー・フリー知事だろうが構ったことではない。勝てば官軍、負ければ賊軍。自民党はかくも哲学のない政党になってしまったのでしょう。大変残念で仕方ありません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本政府・自民党に哲学を。&lt;br /&gt;そのために、本橋ひろたかに力を。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2003/9/1(月)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2900706912102802342?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2900706912102802342/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2900706912102802342' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2900706912102802342'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2900706912102802342'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_4049.html' title='ロシアから反省を込めて'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-366897722857347686</id><published>2007-10-16T01:23:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T01:28:49.892+09:00</updated><title type='text'>オニギリＶＳおむすび</title><content type='html'>（2002年08月　名店街&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83j%83%85%81%5B%83X" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%83j%83%85%81%5B%83X"&gt;ニュース&lt;/a&gt;より）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――作業終了～。休憩！！昼飯！！&lt;br /&gt;――いやぁ、腹減った。さ～て、オニギリ、オニギリ&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この8月の上旬、私は富山県で山林の草刈りボランティアをしてまいりました。大自然の山の中に、碁盤上の交差点のように杉の木の苗木が植えられていて、その成長が下草によって妨げられないようにするための活動です。林業の世界では欠かす事のできない作業です。草刈りはとてもきつい肉体労働であり、また危険で、汚い作業です。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　なぜか私は参加した先の草刈部隊の副隊長に任命されてしまいました。なんでだろ…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――副隊長、飯食わないの？&lt;br /&gt;――食べるよ、おむすび。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この草刈ボランティア活動の昼食メニューはいつも『おむすび』、しかも一人2個と決まっておりまして、ただひたすら下草刈り作業をしている我々にとって唯一のお楽しみなのです。当日の食事当番の方はその唯一のお楽しみの『おむすび』を、ごはんの程よい炊き加減・海苔の巻き加減と塩の配分に気を遣いながら、頬張り易い三角形に作っていきます、まさに気持ちを、心を込めて、手に盛ったごはんを両手で結ぶのです。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――きょうのオニギリは最高！&lt;br /&gt;――うん、このおむすびは美味い！！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　最近の日本語の乱れ方は『大変困った』を通り越して、『一体どうするの』、といった感があります。本屋さんに行くと『声に出して読みたい日本語』『皆さんこれが敬語ですよ』といった書籍が入り口近くの&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83R%81%5B%83i%81%5B" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%83R%81%5B%83i%81%5B"&gt;コーナー&lt;/a&gt;に今もって平積みされている事からも分かります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　たしかに言語は時代によって変遷してゆきます。とりわけ最近はグローバル・&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83X%83%5E%83%93%83_%81%5B%83h" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%83X%83%5E%83%93%83_%81%5B%83h"&gt;スタンダード&lt;/a&gt;などどいった横文字を始めとした文化が日本語の領域にまで進出してきています。困った事ではありますが、この言葉でなければ伝えきれないというものならば、横文字でも止むを得ないでしょう。しかし、日本にいて日本語で表現できる事柄ならば是非とも日本語で表現してもらいたいのです。私が主張したいことは、同じ事柄を複数の日本語で表現することができる場合であっても、さらにその中からより日本の&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%93%60%93%9D" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%93%60%93%9D"&gt;伝統&lt;/a&gt;や慣習、日本人の魂や心に応えてくれる表現・言葉を採用して欲しいと言うことです。　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――副隊長、オニギリを『おむすび』と言おうが、『オニギリ』と言おうがカマへンヤないですか。同じ事でっしゃろ。&lt;br /&gt;――いやいや、これはやっぱり『おむすび』だよ。&lt;br /&gt;――なんででっかいなー。関東だからでっか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　『オニギリ』と言う呼び方は、私のような感性の持ち主からするとどうしても納得する事のできないものなのです。ちなみに、適当な辞書で調べてみると、その多くが「握り飯の丁寧語、おむすび」となっていますが、そのなかの小学館・2001年2月20日発行の日本国語大辞典第2版第2巻によれば、「自分の手を握り締める事をいう幼児語」となっており、その後に続けて、藤森秀夫の童謡「手のなるもみぢ、お握り上手」が載っていました。つまりは、『オニギリ』は、&lt;a 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/&gt;　加えて、「にぎる」は、本来片手を使う「つかむ」に類似の片手の動作を示します。そこから、「にぎりめし」は、ご飯を片手でわしづかみにしてほおばる食べ方と、その食べ物をしめす表現手段として最適と言えます。　他方で、片手ではなく両手を使う動作は「むすぶ」が最適でしょう。　また、食べ物で「にぎり」は、一般には江戸前の「にぎりずし」の「すし」を言いますし、しかも、先ほど申し上げた乳幼児の話もあることから、関東方面では『オニギリ』では変な感じになってしまい、そこから『おむすび』が本流となったと思います。対して関西方面では、「すし」と言えば「押し&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8E%F5%8Ei" target="_blank" ad_l_id="8" ad_k_id="%8E%F5%8Ei"&gt;寿司&lt;/a&gt;」の事を一般に指し、「江戸前の握り寿司」がなかったから『オニギリ』が本流となったのではないかなと思われます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;遠足の日や運動会の日など、『おむすび』は母と子・祖母と孫達の心を結び。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;お祭りの日にあっては隣近所・地域の人達の心を結ぶ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;又あるときには自然災害の時など、見知らぬ人達同士の心を結ぶ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それは、米で育ち、米で生きてきた日本人にとってかけがいのない食べ物。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;命を支え、活動の力を生み、人と人、心と心を結びつける食べ物。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;作る人と食べる人との心を結ぶ最高・最良の食べ物。だから私は『おむすび』なのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――副隊長、もう分りました。これからは『おむすび』でいきましょ。私のほうから隊のみんなにいっときましょ。&lt;br /&gt;――分ってくれたか。よし、休憩止め―――。作業開始―――。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2003/8/14(木)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-366897722857347686?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/366897722857347686/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=366897722857347686' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/366897722857347686'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/366897722857347686'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_7710.html' title='オニギリＶＳおむすび'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2697723491067204944</id><published>2007-10-16T01:17:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T01:22:42.440+09:00</updated><title type='text'>夫婦別姓の罠</title><content type='html'>――去年だったかなあ。法務省が自民党に出してきた『夫婦別姓・選択制案』、あれはどうなったの？&lt;br /&gt;――平たく言えば、ポシャリました。&lt;br /&gt;――なんで？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この案について説明しましょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　夫婦は自由意志で同姓・別姓を選択でき、どちらを選択しても対等の扱いが保障される。そして&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;①&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Eq%8B%9F" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%8Eq%8B%9F"&gt;子供&lt;/a&gt;の姓は第一子の出生時に決め、兄弟姉妹の姓は同じにする&lt;br /&gt;②一度届け出た後は、別姓――同姓、同姓――別姓への変更は認めない&lt;br /&gt;③既婚者でも制度導入後2年以内に届け出れば別姓夫婦になれる&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;というものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　確かに、自民党内でも、夫婦による選択制である点を高く評価し、一人っ子の家庭が増える中で&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8C%8B%8D%A5" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%8C%8B%8D%A5"&gt;結婚&lt;/a&gt;促進策になるという意見もありました。しかし、その時点では、そもそも基本の選択制を真っ向から否定する意見が強かったため、案は結局了承されませんでした。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――それじゃあ、現時点ではどういう政治状況になってるの？&lt;br /&gt;――今は、今年の4月に法務省から自民党に出された『例外的夫婦別姓制(案)』を検討している、といったところです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この案は、夫婦の自由意志で同姓か別姓かを決める、という基本を堅持しながらも、まず同姓が原則で、別姓は例外とする。そして、上述②の『姓の変更』のうち、別姓から同姓への変更だけを認める、というものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　最も今のところ、この法務省案をこのまま了承するような雰囲気ではありません。この法案に対して好意的な立場の人達も、さらに手直しをして、&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　　（明・砲浪板躡枷十蠅竜・弔・・廚任△・&lt;br /&gt;　◆‐綵勠・痢崙麈・崗鮃燹廚郎鐔盛ぁｦ　&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;という案を提示しています。他方で、この法案に対して反対の立場に立っている人達の意見は、そもそも夫婦別姓を認めないというものから、別姓それ自体は認めるものの、それは民法の改正ではなくして『旧姓の通称使用を認める戸籍法の改正』でいくのがよいのではないかというものまで、いろいろあります。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――いろいろな意見が出てくるけど、キチンと結論付けはしないとね。これまでのような『問題先送り政治』はもう流行らないでしょ。&lt;br /&gt;――そうだよね…&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　この問題は、結婚によって主として姓の変わる女性の不便や不利益を救済するものとして提議されてきたものです。しかしより根底には、家族をめぐる価値観の問題が横たわっていると思います。そして私が何よりも残念でならないことは、今の夫婦別姓論には『家庭の中における&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8Eq%82%C7%82%E0" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%8Eq%82%C7%82%E0"&gt;子ども&lt;/a&gt;の教育の問題』について触れられていない、その意味では、夫婦別姓論は大人中心の議論のように思えてならない、ということです。今日の子どもの教育・家庭教育の重要性を踏まえたうえで、夫婦同姓か別姓かの議論を是非とも展開してもらいのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこで、『子ども』に目を向けてみましょう。家庭の中における子供の教育の要諦はどこにあるのかと言えば、家庭教育というものが、家族が一緒になって実生活をする事によって行われるものである以上、『生活が教育する』というところにそれはあると思われます。しかも、家族が一緒に生活するという『一緒に』が家庭教育にとってきわめて重要だと思います。ちなみに、ここで言う『一緒に』という事の意味は、例えば、親が子供と一緒に食事をして、一緒に&lt;a class="affiliate-link" 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ad_k_id="%82%A8%95%EA%82%B3%82%F1"&gt;お母さん&lt;/a&gt;）と姓が違うのだろうと疑問を抱かない方がむしろおかしいでしょう。こうした違和感・疑問が家族の一体感、『一緒に』の精神、ひいては『愛』にヒビ割れを生じさせる事になってしまうと思います。姓は別でも心は一緒と反論されそうですが、物心ついたばかりの子供にそれが通じるはずはないと思います。また、そのことを子供に納得させること自体、寂しいものを感じてしまうのは私だけでしょうか…。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2002/10/1(火)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2697723491067204944?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2697723491067204944/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2697723491067204944' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2697723491067204944'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2697723491067204944'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/blog-post_7127.html' title='夫婦別姓の罠'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' height='16' src='http://img2.blogblog.com/img/b16-rounded.gif'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-1516338513258767795.post-2532865372503484583</id><published>2007-10-16T01:12:00.000+09:00</published><updated>2007-10-16T01:16:25.482+09:00</updated><title type='text'>日本海VS東海</title><content type='html'>　（名店街ニュース　２００２年９月より）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――♪♪夢にー、敗れぇー、恋にもー敗れぇー、傷つきぃーながらぁー、一人ぃーしょんぼりぃー、夜汽車に乗ったー♪♪♪&lt;br /&gt;――何の歌、それ？&lt;br /&gt;――北島三郎の『日本海』だよ。&lt;br /&gt;――へぇ、久しぶりだね。本橋の演歌。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　最近カラオケボックスに行くと、私はよく北島三郎の『日本海』という演歌を歌います。&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8C%8B%8D%A5" target="_blank" ad_l_id="1" ad_k_id="%8C%8B%8D%A5"&gt;結婚&lt;/a&gt;するまでの&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8F%5C%94%AA%94%D4" target="_blank" ad_l_id="2" ad_k_id="%8F%5C%94%AA%94%D4"&gt;十八番&lt;/a&gt;は新沼謙二の『嫁に来ないか』だったのですが、実際に嫁さんが来てくれてからはラルクアンシエル、Ｔ―ボラン、&lt;a class="affiliate-link" target="_blank" ad_l_id="3" ad_k_id="%83O%83%8C%83C"&gt;グレイ&lt;/a&gt;等々の中で気に入ったものを適当に歌っているといった感じです。しかし、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%8A%D8%8D%91" target="_blank" ad_l_id="4" ad_k_id="%8A%D8%8D%91"&gt;韓国&lt;/a&gt;との間でおきている『日本海』の名称問題が最近&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83N%83%8D%81%5B%83Y" target="_blank" ad_l_id="5" ad_k_id="%83N%83%8D%81%5B%83Y"&gt;クローズ&lt;/a&gt;アップされるようになってからは、もっぱら昔のど演歌時代に戻り、サブちゃんのこの歌を気に入って歌っているフリをしながら、仲間たちに対してさりげなく日本の国家主権意識を今まで以上に持ち合わせてもらおうと画策しているのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　&lt;a name="more"&gt;&lt;/a&gt;海の名称については世界中でさまざまな論争が巻き起こっています。例えば、イギリスが『ドーバー海峡』と呼ぶ海峡を、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83t%83%89%83%93%83X" target="_blank" ad_l_id="6" ad_k_id="%83t%83%89%83%93%83X"&gt;フランス&lt;/a&gt;では『カレー海峡』と主張しています。中東の『ペルシャ湾』については、イランの対岸のアラブ諸国は『アラビア湾』と呼んでおり、&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%92n%90%7D" target="_blank" ad_l_id="7" ad_k_id="%92n%90%7D"&gt;地図&lt;/a&gt;などに名称の併記を要求しています。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　このような動きを見れば、日本も韓国側の要求を受け入れて、『東海』とするか、または譲歩案として『日本海・東海』の併記とするかといった提案が、一見もっともらしく出てきそうではあります。しかしこのような結論は断じてあってはなりません。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――おいおい、俺たち&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%83J%83%89%83I%83P" target="_blank" ad_l_id="8" ad_k_id="%83J%83%89%83I%83P"&gt;カラオケ&lt;/a&gt;しに来てるのに。&lt;br /&gt;――なんか、演説会っぽくなっちゃたな。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そもそも『日本海』の名称問題が表面化したきっかけは何でしょうか。それは、国際水路機関（ＩＨＯ）が、来年改訂予定の海図『大洋と海の境界』の最終稿から『日本海』を載せたページを削除し、８月10日頃にＩＨＯ加盟72カ国に対してその内容の是非を問う書簡を配布した事に始まります。もちろん、その背後にあるのは韓国政府の働きかけです。彼らの主張は『日本海という呼称が正式登録された1929年のＩＨＯ会合当時、朝鮮半島は日本の植民地支配下にあり、独立国としてそもそも異議を唱える事が出来ず、そのまま日本海という名称が一般化してしまった。歴史的には、日本海より、東海・東洋海・朝鮮海の呼称が古くから使われていた。』というものです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　これに対して、日本政府の主張は『日本海は17世紀初頭、イタリア人宣教師の手による世界地図に登場し、その後、18世紀までは&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%92%86%8D%91" target="_blank" ad_l_id="9" ad_k_id="%92%86%8D%91"&gt;中国&lt;/a&gt;海・東洋海・朝鮮海などの表記もあったものの18世紀末以降は日本海が定着しているといった歴史がある』というものですが、果たして&lt;a class="affiliate-link" href="http://www.seesaa.jp/afr.pl?affiliate_id=200869&amp;amp;keyword=%90%E0%93%BE%97%CD" target="_blank" ad_l_id="10" ad_k_id="%90%E0%93%BE%97%CD"&gt;説得力&lt;/a&gt;があるでしょうか。ましてやこの問題を扱うのはどこかと言えば、外務省です。外務省はかつて、国際的認知のある『東シナ海』を、中国側が自国の視点からのみ名付けた名称である『東海』と呼んでいるからといってあっさりとそれに従い『東シナ海』を『東海』としてしまったと言う前科があるのです。韓国政府はこの事実をしっかりと見抜いた上で日本にプレッシャーをかけ続けることでしょう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;――それじゃぁ、『東シナ海』が中国の『東海』となってるとすると…&lt;br /&gt;――まいったな、『日本海』は韓国の『東海』になっちゃうんだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　そこで諦める事はありません。やれ何世紀までは何と呼ばれていたとか、何世紀からはどこと併記されていたかとか、細かく歴史書を調べ上げてまで研究し、理論武装しなければならないと言う問題ではないと私は考えます。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　地球上のいわゆる5大陸が出現し完成するまでの地殻変動を想像してください。大昔、日本はユーラシア大陸とくっついたままでした。その時存在したのは『太平洋』だけです。やがて地殻変動が続き、ユーラシア大陸から日本が離れてゆき、同時に徐々にユーラシア大陸と日本との間に一定の面積をもった『海域』が出来てきます。それが今の『日本海』です。すなわち、日本が出来なければそこに在るのはただの『太平洋』であり、日本が出来たがゆえにある海域が生じたわけなのです。従って、日本が出来た事が原因で発生した海域という意味で『日本海』と命名されるのは当たり前だと私は考えるのです。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;　外務省が是非ともこの当然の事実を韓国政府に対して主張する事を私は願ってやまないのですが、果たしてどうなる事やら…&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;2002/9/1(日)&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/1516338513258767795-2532865372503484583?l=motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/feeds/2532865372503484583/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://www.blogger.com/comment.g?blogID=1516338513258767795&amp;postID=2532865372503484583' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2532865372503484583'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/1516338513258767795/posts/default/2532865372503484583'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://motohashi-hirotaka-jijiixtuteki.blogspot.com/2007/10/vs.html' title='日本海VS東海'/><author><name>本橋ひろたか</name><uri>http://www.blogger.com/profile/01276965821420641401</uri><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='16' heig
