2009年8月15日土曜日

今夏もめげずに「高三盆踊り」

 ここ最近、異常気象があったり、寝苦しい夜が続いたりと、体調維持にひと工夫が必要な日々が続いておりますが、皆様は如何お過ごしでしょうか、心より残暑お見舞い申し上げます。
 この暑い8月は、豊島区内のあちこちで、様々な熱いイベントが行われておりますが、中でもこの時期のイベントで、誰もが楽しみにしていて、地域の親睦を図るにはもってこいのものと言ったら、基本的に町会ごとに実施・展開されている「盆踊り」ではないでしょうか。
夏の夜の風物詩とも言える「盆踊り」。そのイメージも、現代社会においてはむしろ単純明快に理解されており、お盆の時期の夜、音楽にのって浴衣の集団が踊るといった感じではないでしょうか。東京音頭とかをはじめとして、新民謡と呼ばれる曲で踊る民謡踊りや、子供向けにアニメキャラクターの盆踊りの曲なども登場して、大人から子供まで、老若男女問わず楽しめる娯楽的な踊り・イベントとのイメージが定着しているみたいです。
 最も、今もって町会長が不在で、とりたてて商店街もないがゆえに商店会長不存在の、集団指導体制下の高三町会では、そもそもこの夏にまた盆踊りをするかどうかが、5月に行われる総会で改めて議論されます。他町会さんからすれば、町会の盆踊りはもう既定の方針であり、その実施は当然の事として暗黙の合意があるかと思いますが、こと私のいる高三町会におきましては、毎夏、実施の有無・立ち上げから議論しなければならない状況になっているのであります。もっとも、総会ではなんだかんだと意見は沢山出たりはしますが、今申しましたように、毎年夏、老若男女が楽しみにしているイベントの一つでもありますし、また、住民相互の親睦やコミュニケーションを図るにはきわめて効果的ですから、結局はこの夏もやりましょうということになっていきます。ただ、それなら老若男女が楽しみにしなくなってきたら、この盆踊りそのものは一体全体どうなってしまうのか。私達は、そんな心配もしてしまう今日この頃なんです。まずは、楽しみを越えた存在・存続理由を、盆踊りに見出して、それを伝えねば…。

~盆踊りは、仏教行事の一つである盂蘭盆会(うらぼんえ)に迎えた祖霊を慰め、再び送るために大勢の人が踊る「念仏踊り(ねんぶつおどり)」が源流。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)の名号に節を付け、唱えつつ踊るもの。盂蘭盆会はお盆の正式名称。「盆」「盆会」「精霊会(しょうりょうえ)」「魂祭(たままつり)」などとも呼ばれる。施餓鬼や盆飾り、精霊流しを行うなど、現在でも日本古来の民族風習が色濃い行事。斎明天皇の治世である657年に盂蘭盆会を設けたことが史実上初めて登場。8世紀頃には夏場に祖先供養を行うという民俗風習が日本で確立。以来1300年もの歴史を持つ。旧暦7月15日を中心として行われている。この日は十五夜、すなわち満月にあたり、月明かりの下で夜通し踊ることができるほど明るかった。盆踊りの場は、あの世との境界・接点となる。その踊りには、霊と踊り手が親しみ、通じ合うことを表す所作が盛り込まれている。月明かりや篝火のほの暗い幻想の中、踊り手はあの世に行った人々の姿を別の踊り手に重ね合わせ、精霊と一緒に踊っているような錯覚に陥り、故人を偲ぶ~

 ちょっとこの路線では、何ゆえ盆踊りを実施・存続するのかを理由付けるには、あまりにもお堅いかも知れません。勿論、盆踊りの存在理由とも言える「祖先供養」を外す事はできません。そのことはしっかりと子供達に伝える事が大事で、それを暗黙の了解事項に仕立て上げつつ、なにか娯楽的な潤いと装いを付け加える事が大事ではないかなと思っています。

~盆踊りの直接的な起源を遡ると、元々は儀式的な色合いが強い。がやがて太鼓などが用いられ、娯楽的な要素が時代を下るごとに大きくなる。挙句はて騒ぎが昂じて、室町時代から明治時代までの間、盆踊り禁止令が度々出されることに……~

 盆踊りで騒ぎすぎてしまった挙句、禁止令が出ていた時代があったなんて知りませんでした。でも、なんとなく理解できるような気がします。盆踊りそれ自体が、地域をあげての一大行事ですし、また夜開催されるところから、特に昔は、若い男女が村の日常性から解放され、「恋愛活動の自由」を謳歌する場所でもあったわけですから…。ここにまた、お酒などのアルコール類が入ったら、もうどうにも止まらないといった感じでしょう。因みに、高三の盆踊りでは、来賓の方に対してだけ接客の際にビール等のアルコールを出するのみで、ビール等を販売する出店は一店舗たりともありません。また、昔から盆踊り会場内は禁煙を徹底しています。そこから、若い夫婦が安心してお子様を連れて会場に足を運んでくれています。未成年らしき者がビールを飲んで大騒ぎしていて迷惑だとか、歩行喫煙者の存在によって大事なわが子が火傷を負いかねないとかの心配がないのが高三盆踊りなんです。

~盆踊りの系統には大別して2つの流れがある。「伝統踊り」と「民謡踊り」 と呼ばれるもの。「民謡踊り」は、戦後に発展したもの。「伝統踊り」のような生演奏はなく、民謡カセット(レコード・CD・etc)を流して街の公園や公民館などで集団で踊るのが一般的。昭和初期、中山晋平の作曲で大ヒットした「東京音頭」に代表される「新民謡」の興隆により、戦後、地域交流の場として盆踊りが見直された時、それらの最新ヒット曲が活用され、その後も「ドラえもん音頭」など次々と盆踊りのための新しい曲と振りが作られた。現在、民謡・歌謡民謡をはじめ、アニメ・子供向けキャラクター・バラエティ番組・テレビドラマなどから多彩な曲が用いられている。また、各々のグループ・組織別に浴衣・衣装を揃えたり、仮装したりと観衆を意識した見どころが多いことも特徴的である~

 子供向け人気アニメ番組に流れている主題歌をもっともっと活用した曲作りとか、また、「志村けんのバカ殿」、二コレットのテレビコマーシャルに出てくる「全身タバコ」とか、定番の浴衣姿とは違った「仮装」で踊るといった工夫に、新しい盆踊りの幕開けがあるのかもしれません。
 そういえば、「ニュー盆踊り」と叫ばれていますよね。本区で……。

グレイトなピアニスト

 7月3日から始まった、10日間にも及ぶ東京都議会議員選挙もようやく終わりを告げ、街の中にもゆったりとした空気の存在を感じている今日このごろ、過日の「バン・クライバーン国際ピアノコンクール」で、日本人として始めて優勝した「辻井伸行」さんと、幸運にも面会する運びとなりました。
何せ国際的にも評価の高いコンクールでの優勝者・チャンピオンです。その後も色々な形でスケジュールが入り込んでいるでしょうから、当日の「お見えになりましたよ」といった旨の案内が私のところにくるまでは、「本当に会えるのかな」と、心配というか、気が気ではありませんでした。と言いますのも、既に私の家族が、7月7日にあった「七夕○○○○」(何でもこれは毎年行われているコンサートらしいです)というリサイタルと言いますか、コンサートに、ようやくチケットを入手して、そのピアノに感銘を受けて帰って来たと共に、彼自身がこれからかなりのスケジュールをこなし続けるとの情報を得ていたからです。
一たび時の人になると、やっぱりこういう流れになっていくのですね・・・。
さて、そうこうする間に、予定の時間より20分も早く、「辻井氏来る」の報を受けました。ワクワクしながらも面会場所に駆けつけましたが、そのお隣には、「辻井いつ子」さん、つまりピアニスト辻井伸行さんのお母様も同席されていました。
 当日の辻井伸行さんとの面談参加者は、何も私だけではありませんでしたから、様々な角度からの意見交換がなされましたし、その意見交換・面談の節々から、私が今まで会ったこともないような、素晴らしい精神性と美意識を持った若者像が浮かび上がってきました。何よりも嬉しかった事は、この豊島区にお住まいである事は勿論でしたが、会話のところどころに、「何か私でお役に立つことがありましたら、おっしゃってください」とのフレーズが数多くでてきた事です。「このような謙虚な姿勢を同世代の若者に見せてやりたいな」、そう思ったのは私だけではないと思いますし、事実、彼がこの言葉を口にする度に、列席者の皆さんが、自身の一挙手一投足を、あるいは又呼吸を、止めるがごとき静謐な雰囲気に包まれていたようでした。
 と同時に、このような姿勢を持つわが子に育て上げたお母さんに対して、関心を抱かないはずもなく、私からの話は、お母さんに向けたものになっていました。
そこで、ここまで息子さんを立派に育ててきたお母さんに、「欧米と日本とで、ピアニストとして育てるにあたり、その環境に格差みたいなものはあるのでしょうか」、と聞いてみました。それは、かねてから私は、欧米の音楽、特にクラシックというものの年代的な厚みに関心を持っておりまして、モーツァルトやベートーベンといった音楽は、日本で言うと江戸時代にも当たる頃の音楽です。それが未だにかく家庭で、それぞれの街中で流れていて、それを未だに自然と聞いている文化に尊敬の念を持っているからです。今の日本で、はたして江戸時代の音楽をかくご家庭で流して聴いているといたことは、まずはありえないでしょう。
 そう力んで聞いては見たものの、そのご回答は極めてあっさりしたものでした。
「特に格差を感じたことはありませんし、今はむしろ、アジアの方が音楽に熱心かもしれませんね・・・」、といったものでした。
 最もこの質問から、辻井伸行さんが関連して話された事が興味津々で、ある意味で、すべての芸術家やアスリートに通じる事かもしれません。
「いつも中国や韓国のピアニストが最後のほうにまで残ってくるし、彼らは絶対優勝してやるんだといった気迫が物凄いんです。もうそれは彼らが弾いているピアノの音色でまず伝わってきます」「そういった中で、僕はいつも自分自身がピアノを弾くことを楽しんでやっている。自分らしいピアノ、自分のピアノをやることに集中することが、大切なんです」「特に、楽しんでやることがとても大事なんです」
そういった話を、身をゆすりながらしてくれました。
 既に、グレイトの域に達している感がありました。
 この若者の未来がとっても楽しみになってきましたし、この子を育てたお母様には、全国をめぐってわが子の才能を発見し、それを伸ばしたお話を講演してもらいたいものです。


※ 辻井伸行さんプロフィール
昭和63年生まれ。
平成2年  2歳 ピアノに触れる。2歳3ヶ月、母の口ずさんだ「ジングルベル」       に合わせておもちゃのピアノで演奏。
平成8年  8歳 モスクワ音楽学院大ホールで演奏。
平成10年 10歳 ピティナ・ピアノコンペティションD級で金賞。
        アメリカ(カーネギーホール)、チェコ、台湾(国家音楽庁)などでも       演奏。
平成12年 12歳 サントリーホールで初リサイタル。
平成14年 13歳 フランスで佐渡裕指揮のラムルー管弦楽団と共演。
平成14年 14歳 東京オペラシティ・コンサートホールで東京交響楽団と共        演。
平成15年 15歳 やまと郡山城大ホールでピアノリサイタル。
平成16年 16歳 東京交響楽団の定期演奏会のソリストに抜擢。
平成17年 17歳 第15回ショパン国際ピアノコンクール(ポーランド・ワルシャ       ワ)に最年少で出場。「ポーランド批評家賞」受賞。
平成19年 19歳 デビューアルバム発売。
平成20年 20歳 第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクール(アメリカ・テ       キサス)で優勝。

※ バン・クライバーン国際ピアノコンクール
アメリカで開催される国際的なピアノコンクールで、チャイコフスキー国際コンクールの第1回の優勝者、バン・クライバーンを祝して、昭和37年より、原則4年ごとに開催されている。開催地はテキサス州フォートワース。
 
※ 同優勝者一覧
1962 ラルフ・ボダペク。
1966 ラドゥ・ルプー。
1969 クリスティーナ・オルティーズ。
1973 ウラディミール・ビアルド。
1977 スティーブン・デ・クローデ。
1981 アンドレ=ミシェル・シューブ。
1985 ホセ・フェガーリ。
1989 アレクセイ・スルタノフ。
1993 シモーネ・ペドローニ。
1997 ジョン・ナカマツ。
2001 スタニスラフ・ユデニチ。
    オルガ・ケルン。
2005 アレクサンダー・コブリン。
2009 辻井伸行。
    チャン・ハオチェン。