2008年10月19日日曜日

この夏の若者たち

 この夏、私の事務所の門を叩いた若者は、男子8名・女子7名の総勢15人で、過去最高を記録すると共に、どの若者も個性的でかつ能力がありました。ある若者が、トッフルだか、トイックかは忘れましたが、920点近い点数である事が知れると、周りの若者達からネイティブ扱いされたり、またある若者は、大学生になって今まで一度もアルバイトをしたことがないことを告げると、みんなからお坊ちゃま扱いされたり、その一方で、ある若者は、色々と家庭に複雑な事情を抱えながらも大検に受かって今大学生をしていたりと、まさに十人十色、様々な境遇の若者がやってまいりました(一つ特徴的な事として、今回は何故か、愛知県出身の若者が4人もいたことですかね~)。
 今回も色々なところに若者を連れて回りました。先ずは区議会で行われる各種会議への参加は勿論ですが、私自身今仰せつかっている役目上、永田町にある自民党本部にもあしげく通ってもらいました。因みに党本部では、普段党幹部がプレス発表する場所に、自身もポーズを取ってみたり、また4階の自民党総裁の部屋に連れて行ってその椅子に座って記念撮影したのはいい思い出でした。
この夏は色々な出来事に出くわすと共に、良いめぐり会わせもありました。その一つが、まだ記憶に新しい「自民党総裁選」です。若者の研修期間中にまさか総裁選があるとは思いませんでしたし、ここに小池ゆりこ陣営のメンバーとして参画したことは、まさに一生に一度の体験でしょうから、ほとんど全ての若者が興奮していたと共に、喜んでくれていました。
もう一方で大事な活動が、私の地元で行われる諸々の催しへの参画です。ここでの鍛え上げがあってこそはじめて、若者に対して現場で行われている「裸の政治」を伝える事が出来るのです。地元町会の会合への出席は勿論の事、地元町会の盆踊りのお手伝い、地元の氏神様のお祭りのお手伝いなどなど、若者達には地域の中での人間の営みや、人と人との絆を感じ取ってもらいます。現場では特に、「理屈で人は動かない」「助けは求めるものではない」などなど、容赦なく本橋語録が飛び交ってきます(うるさいオヤジだな~、さぞかしそう思った事でしょうね)。
最も、この夏の若者には申し訳ないことがありました。それは、研修期間中に私の父が亡くなり、葬儀・告別式と相成って、若者達の面倒を見れなくなってしまった事です。一度はみんなを集めて研修の中断を相談し合ったのですが、むしろ逆に、それも皆で手伝おうと言う事になってしまい、私としては恐縮するやら嬉しいやら、この夏の良い思い出です(あんときゃ、泣けてきたねぇ~)。
こうして四季を通じて若者の育成に全力をあげて取り組んでいる私ですが、その評価はと言いますと?いやいや、これはやはり第三者に委ねたいですね。その第三者とは、地元町会の人たち、私の後援会の人たち、そして名店街ニュースをお読みの皆様方です。
今回も無事、事件事故もなく、15人の若者達が一応巣立っていきました(居残り組みも多いんです)。その代表的若者の言葉を紹介させていただき、私と今の若者が何を目指しているかを汲み取って下さいますと、有り難いです。

               『壁』       中央大学3年 大島宏介
「議員」と「市民」。そこには小さくない壁を感じてきた。言ってしまえば「議員」は特別な人で、「市民」とは違う人種とまで思っていた。しかしそれは当然おかしなことだ。民主主義の構造上、議員は庶民の代表であり、庶民の声の代弁者であるべきなのだから。だが、20歳となり選挙権を得たことで、私の政治への意識が高まり、そういった論理を理解していても感じてしまうこの障害の認識を変えたくなった。政治家、特に国会議員は普段の生活の視点から言えば、新聞の文字やテレビのニュース、ワイドショーで目にする、いわばテレビタレント同然の位置にある存在であった。実際に目にするのも選挙活動やビラ配りくらいのもので、他にどういった活動をしているのかなんて想像もできなかった。だから、区議団幹事長をしている本橋さんが地元の夏祭りの手伝い・裏方の仕事をしているなんて思いも寄らなかった。
振り返ってみると、最初の驚きは、本橋議員に初めてお会いした面談のときのことであった。「議員事務所」。この言葉から皆さんはどういった建物、部屋を想像するであろうか。私はテレビドラマのような、無機質にきちんと整った部屋を思い浮かべてしまっていたのだが、その予想はいい意味で大きく裏切られることとなった。本が壁一面の棚に並べられた和室。たったこれだけのことではあったが、私と「議員」の間の壁はそのときから少しずつ薄くなり始めていた。
今回多くのことを経験させていただくことができた。議員の方々が主に使用する区役所のフロアを案内していただけたり、普段は行われていることすら知らないような、しかし重要な協議会を傍聴させていただけたり、町内会夏祭りの運営側のお手伝いをしたり、また、より政治的な活動としては街頭演説でのビラ配り、ポスター貼りのお願いに回ることなど、日常生活では遠い位置にあったさまざまなことを経験した。そして、それらのことから私は多くのことを学んだ。とても原初的な、隣人との関係・隣人への気遣いが政治という局面においても重要視されていることには驚きを感じずにはいられなかったし、またビラ配りやポスター貼りでは、今までは受け取る側・お願いされる側しか知らなかったが、手渡す側・お願いする側を経験できたことはとても貴重な体験であった。また、必要とされるマナーや言葉遣いはそれなりに自信があったのだが、その自信が打ち砕かれたことは就職し社会人になることを一年半後に控える僕にとって非常にありがたいことであった。ときどきではあるが、本橋議員と直接お話を出来たことも貴重な経験であった。一番心に残っている言葉がある。これは面談後の言葉だったと記憶しているが、本橋議員の事務所の本の多さについて私が話した時に、演説等をする際の知識量について本橋議員が語ったものである。「ああいうところで話すのにはしゃべっている内容の10倍の知識がないとしゃべれないんだよ。」この言葉は常日頃、自身の知識の不足を嘆いている私にとっては大変な驚きであったし、過密な日程の中、徹夜で作業することもあったようだが、いつそういった膨大な量の本を読んでいるのか不思議に思い、また若い頃からの積み重ねの賜物なのかなと感じたことを覚えている。「議員」。私はこの言葉に以前ほどの壁を感じなくなった。これが一番の収穫かもしれない。これから先、私がどういった形で政治と関わっていくのかはわからないが、今回の貴重な経験が私の糧となり、「政治」「議員」というものを考えていくに当たって大きな役割を果たしていくことになるであろうことは自信を持って、言える。            以上