2014年5月17日土曜日

世越(セウォル)号ハ沈マズ≪平成26年5月≫


 韓国の社会全体を疲弊させた感の強いセウォル号海難事故から間もなく1カ月が経とうとしています。現在、韓国では事故を国家の危機と捉え、海難事故防止だけに止まらず、職業倫理や教育問題、更には社会の規律までをも見直そうと呼びかける、国家改造論議なるものが始まっているとのことです。加えて、朴政権としては国家安全マスタープラン(?)と国家安全処(?)の新設計画を策定し、安全について予算を優先的に配分すると共に、国家安全処を最高の専門家で構成するとしています。そして、これらの計画発表の席で、朴大統領は国家改造の決意を述べて、改めて国民に謝罪する予定と言われています(ここ最近は、当のご本人の謝罪が多いですね……)
 しかし、今回のセウォル号沈没事故(事件?)を踏まえた上で、韓国国民の多くが抱いている不安感を払拭するのは、決して新組織の構築でもなければ、人事の刷新でもないのではないでしょうか。
 セウォル号沈没事故合同捜査本部の分析によると、海洋警察の警備艇やヘリが現場に到着した416日午前9時半ごろ、船はまだ45度しか傾いておらず、この時点で船内に入り脱出を指示したり救出に当たったりしていれば、多くの乗客を助けることが出来た。また同45分には62度まで傾いたが、同時刻に操舵室にいた船長ら乗組員が甲板から救助船に乗り移っており、この時点でもまだ船内に進入できた可能性が高いとしています。こうした職業への誇りや意識を欠いた醜悪な行いを見るにつけ、どの国にも、いつの世にも、自己犠牲を厭わぬ英雄がいることに気づかされます。その多くは歴史を素通りしただけの、名もなき人々ですが、このような機会をみては思い出し、語り継ぐことで醜悪な行いに歯止めをかけたいものです。
 

 例えば、今年は、あの列強の脅威に立ち向かった意義を持つ日清戦争から120年となりますが、120年前の明治27(1894)917日の黄海海戦時に、大日本帝国海軍連合艦隊旗艦の防護巡洋艦の松島に乗り組み、敵艦の巨砲弾を受け瀕死の重傷を負った三等水兵の三浦虎次郎の話です。三浦は今際の際、通り掛かった旗艦松島の副長の向山慎吉少佐に、北洋艦隊旗艦の定遠が沈んだかを声を絞って尋ねます。そして敵艦隊が戦闘不能に陥った旨の返答を聞き、微笑を漏らしつつ息絶えたと言われています。この18歳の一水兵が示した愛国心と責任感には只頭が下がりますし、心打たれ泣けてもきます。120年前の国家存亡の分かれ目は、名もなき戦士による自己犠牲の数であったと言って良いでしょう。
 ちなみにキリスト教信仰者であった内村鑑三によれば、こうした自己犠牲の淵源は、日本における唯一の道徳・倫理であり、世界最高の人の道と激賞されるべき「武士道」にあるとの事です。内村鑑三曰く、「日本武士はその正義と真理のため生命を惜しまざる犠牲の精神に共鳴して神の道に従った。武士道がある限り日本は栄え、武士道がなくなるとき日本は滅びる」と。
 また、古くから中国に中華思想を植え付けられ、擬似中国=小中華に堕ちた韓国は今も昔も武士道の価値が理解できないといった点を端的述べているのが、拓殖大学の呉善花教授です。平成26421日に行われた九州正論懇話会での講演で、韓国の反日感情の背景に潜む文化・歴史に触れ、「文治主義の韓国は武士道の国・日本を野蛮な国と蔑視し『われわれが正さなければ軍国主義が復活する』と思っている」と語り、また、沈没事故で船長や主だった乗組員が真っ先に逃げ出した事実を指摘し、「極限状態でこそ社会の在り方が見える。韓国人は反日の時は団結するが、愛国心はなく、徹底的な利己主義だ」と言い切っています。なんだか韓国海洋警察に聞かせたい話ではないでしょうか。

もっとも、最後まで乗客の避難を助けて命を失った乗組員や高校教師の、悲しい最期があったことは忘れてはならないでしょうし、彼ら彼女らの冥福を心からお祈り申し上げますと共に、その職業意識と人としての在り様には、素直に頭を垂れたいと思います。
しかし、修学旅行の高校生らの多くを船中に残したまま真っ先に逃げた船長や主だった乗組員は、海の男である船乗りという職責には、乗客の命を最優先にして船と運命を共にする存在としての期待や幻想が脈々と生きている点を看過していると言うことが出来ます。
例えば、今年は、ロシアの脅威に立ち向かった意義を持つ日露戦争から110年となりますが、今から110年前の明治37(1904)28日、日本海軍は旅順港外のロシア艦隊に夜襲をかけ、日露戦争の火蓋が切って落とされました。この旅順港攻撃によってロシア艦隊は機雷を施設して旅順港に篭ってしまうわけですが、大日本帝国海軍は、ロシア艦隊が旅順港に籠もるのならば、狭い水路に船を沈めてロシア艦隊を湾内に押し込めるべく、旅順港閉塞作戦を展開します。しかし、警戒厳重な旅順の要塞砲の目を掠めて、船を沈めボートで脱出するのは至難の業で、生きて帰ってくること自体困難な作戦でした。それでもこの決死行に2000名が志願します。第1回目の閉塞作戦はロシア軍の砲撃にさらされ閉塞船が目標に到達できずに失敗。第2回目も名将マカロフがロシア太平洋艦隊司令官に着任し、士気あがるロシア軍の前に再び失敗に終わってしまいます。その第2回目の閉塞作戦で、広瀬武夫少佐が率いる福井丸が旅順口に到達しましたものの、魚雷攻撃を受けてしまい自沈に至りました。乗組員は脱出しようとしましたが、広瀬少佐は部下の杉野一等兵曹がいないことに気づきます。広瀬少佐は沈み行く福井丸に当然の如く舞い戻って、部下の杉野を探し回りました。結局杉野を発見できず、断腸の思いで脱出用のボートに戻ったところへロシア軍の砲弾が飛来。広瀬少佐は肉片を残して海に消えるという壮絶な最期を遂げました。広瀬少佐のこの行動は広く宣伝され、軍神第一号として祀られています。なんだかセウォル号の船長に聞かせたい話ではないでしょうか。
 都合良く歴史を捏造・粉飾し、恥と思わぬ韓国に、真の武士道とは何かを説く虚しさも、深く感じるところではあります。それでも、武士道がなくなるときは、日本の滅びるときであると予見した内村鑑三の警鐘を真正面に受け止め、日本人自身が武士道を、近隣諸国に対して、ひいては国際社会で体現しなければ、韓国の醜悪な行いをあぶり出せないと言うことが出来るでしょう。朝鮮半島は、ポーランドやクルドなどと同様、複数の列強に挟まれた地政学的に世界で最も不幸な地域の一つです。日本はこの半島の人々と今後とも付き合っていかなければなりません。韓国国民性の成熟を望んでいるのは韓国人だけではないのですし、その成熟が達成された時、セウォル号は人々の心の中で、未だに航海を続けているということが出来ると思います。