2014年3月31日月曜日

外務省から文部科学省に舞台を移して≪平成24年12月≫


 またまたやってくれちゃいましたね。このお方・・・・・・。
 既にご案内の通り、田中真紀子文部科学大臣が、秋田公立美術大(秋田市)など3大学の新設をいったん不認可と判断した問題です。
 田中文科相は11月9日の閣議後の記者会見で「関係者にご心配、ご迷惑をかけ心からおわびします」と謝罪ともとれる発言をして、今のところは沈静化したようにも見受けられますが、それでもこれまでの大臣発言に関しては、様々な問題が含まれているのではないかなと思っています。特に、11月7日、今回の騒動について「逆に、3大学にとってはいい宣伝になって45年間はブームになるかもしれない」との発言には、唖然とさせられた方も多かったのではないでしょうか。その後、この発言の真意についてマスコミに問いただされると、「応援して頑張ってほしいという思いがあった」と述べ、不適切だったとの認識を示しました。とは言うものの・・・・・・、「それを言っちゃあおしまいよ!!」といった類の発言は、厳に慎むべきでしょうにね・・・・・・。
 その他にも、依然として鼻息の荒い言葉が田中氏の口から発せられましたっけ・・・・・・。
 例えば、不認可判断につながった大学設置認可制度改革について「議員立法でやりたかったが、かなりのエネルギーと時間がいる。いろいろご迷惑をかけたし、混乱もあったと言われれば、そうかもしれないが、やはり(認可の)権限を持っている中で発信することの方が結果として良かった」と釈明したり、また、「ハードランディングと批判されるかもしれないが、それを甘受しても、やはり見直さないといけない」と、改めて改革の必要性を強調したりしています。でも、こうなってしまうと、「それを貴女の在任中にやってほしくはない」と思ってしまう大学関係者も多いのではないでしょうか・・・・・・。
今回の問題を切っ掛けとして、文科省は大学設置認可のあり方を見直す検討会議を近く立ち上げ、年内にも改革の方向性をまとめる方針を決めたとのことです。しかし、戦後長く続いてきた制度の改革を、わずか2カ月弱の短期間で十分に行うことができるのでしょうか(本当に・・・・・・)。ここでも田中氏は「一石を投じた」と胸を張っていますが、逆に、稚拙かつ拙速な大学改革ともなりかねないのではないでしょうか…。
 「田中氏は石原慎太郎前東京都知事を『暴走老人』と言ったが、今は『暴走大臣』だ!」。
 11月7日の衆院文科委員会で、自民党の下村博文元官房副長官は田中氏をこうこき下ろしました。また、石破茂自民党幹事長は、田中氏が一転して新設を認可する考えを表明した後の記者会見で、「これ以上閣僚を続けることがあってはならない。野田首相は田中氏を罷免すべきだ。任命した野田首相の責任も当然厳しく問われる。『認可したからいい』とは絶対ならない」と強い口調でまくし立てました。さらに、安倍晋三自民党総裁は11月7日、党本部で面会した3大学の理事長らに向けて、田中氏は「閣僚として極めて不適格。気まぐれで子供たちの人生を狂わせていいはずがない。責任野党としてきっちりと対応していきたい」と述べ、田中氏の不認可問題を厳しく追及していく考えを示しています。
 さらに、この方の場合は・・・・・・、やっぱりと言いますか・・・・・・、身内からも批判ないし厳しい意見が出ていますね。11月7日の民主党文科部門会議では鈴木寛座長が「子供や若者の学ぶ権利を脅かしている懸念を抱いている」などと、与党としては異例の同志批判を展開しましたし、輿石東民主党幹事長は、田中氏と11月6日に会談した際、秋田公立美術大(秋田市)など3大学の不認可問題について、現行制度での手続きを尊重するよう苦言を呈していたことを記者団に明かしました。田中氏の「大学が多すぎる。放漫経営で大学をつぶしてしまう現実もある」との主張に対して、輿石氏は「その指摘は当然だが、3大学側が現行制度で認可に向けて手続きを進めてきたことをきちんと捉えてほしい」と述べたそうです。
 さて、かつて立教の法学部3年生の頃の私は、商法の伊沢和平先生の下で株式会社法を学んだ記憶がありますが、その中の「総則」で学ばせて頂いたものの一つに「準則主義」というものがあります(ただし、うろ覚えですからね~)。これは、資本金の準備―→発起人組合―→設立中の会社―→法人格の取得・株式の引き受け―→株式会社の誕生等々…。定められた一定のポイントないし決まりごとをクリアしていけば、法人格の取得ないし株式会社の設立に自動的に至るといった考え方の事です(あってる…?)。これに対して、質の良くない会社の誕生を阻止するために設立特許取得に厳しいハードルを設けるのが、特許主義であり、または認可主義といったものです(これであってる…?)。この特許主義や認可主義では、許認可を官庁の裁量に依存することになり、かつての国家社会主義国や共産圏諸国のように、進歩や発展が役所の能力の範囲に限定されかねません。広く人知を集める資本主義社会には向いていないと言ってよいでしょう(腐敗も生じやすいですしね…)。もっとも、準則主義でも、設立ないし参入は自由が原則ですが、淘汰による退出ないし退場もあり得、厳しいと言えば厳しいところがありますよね…。
 さて、文部科学省のHPによると日本の大学設置基準においても規制緩和がすすめられ、すでに認可を得るためにクリアすべき規則や法的な問題点が明示され準則化されています。申請から当局の審査、学生募集、開校までのおおよその時間的ガイドラインも示されているように受け取ることが出来ます。準則主義にのっとり準備をすすめていた3大学の認可が、いったんは田中氏によって否定されてしまった今回の一件は、単なる大臣の許認可における裁量権の逸脱の問題だけでなく、準則主義、ひいては自由主義の否定につながる非常に危険な権力行使だったのではないでしょうか(大袈裟ですか?)。大学設立に一定の基準を設けるのは当然です。そして質の低下が問題であると言うのならば、準則の基準を上げればよいだけのことではないでしょうか。
 文部科学大臣の鶴の一声で、自由の学府であるべき大学の認可が左右されることはあってはならないと、私は考えます。


秋、力強い歩みの連続≪平成24年10月≫

 ここ10月に入りまして、なんだか急に秋風が爽やかに肌にしみる好季節となりました。皆様におかれましては、さぞかしお健やかにお過ごしのこととお察し申し上げます。

と言いますのも、何せこの夏は暑かったですから、例年よりも体調の維持管理に腐心された方も多かったかと思いますし、実際に体調を崩され、えらい目にあわれた方もいらしたかと存じます。そういった方にとりましては、ここ最近の陽気は、さぞかし有り難いのではないでしょうか。

 そうした今年の夏の暑さからの解放!! ともいえる今日この頃、それぞれの地域におきましては、お祭り、運動会、そして文化祭と、毎年の恒例行事が続いております。私の地域の方でも、幼稚園と小学校の運動会、区民ひろばの作品展と舞台発表会、そして小・中学校の文化祭等が、これでもかこれでもかと言わんばかりに目白押しとなっております(これがやがて11月に入っていきますと、大学の学園祭が花盛りとなるのでしょうね…)

 はてさて、この弛むことのない一連の流れには、曲がりなりにも地元町会の代表世話人のお役を仰せつかり、町内ラジオ体操、盆踊り、長崎神社祭礼と切り盛りしていく側ないし設営者側に立っています私も、関係各位の皆様のご尽力やご熱意、さらにはその力強い歩みに、ただただ頭が下がる思いであります。と言いますのも、それぞれの催し物のどれ一つをとっても、最前線で働く人、それを支える人、そしてその人達を指揮する人ないし責任をとる人がいなくてはなりませんし、しかもそれらの一連の動きが、いわゆる老・壮・青のバランスある中で繰り広げられていくと同時に、先輩方から後輩へむけた伝承という暗黙の知的営為も組みこまれているわけですから…。

 ちなみに、つい最近私が足を運んだものの一つに、地元の千早地域文化創造館で行われた「第35回あゆみ展」というものがあります。この「あゆみ展」では、ここを利用している多くの自主グループの皆さんが、ご自身の作品を展示したり、舞台の発表をしたりして楽しいひと時を過ごすとともに、趣味豊かな人生を謳歌しています。

今回は、1013日の土曜日に開催され、そこでの作品の展示には、陶芸、絵画、書道、手芸等があったり、舞台発表の方は、コーラス、ダンス、朗読と語り等がありました。この「あゆみ展」には、陶芸をしている私の従兄弟が「グループ陶」に所属していて、毎年力作を展示しているところから、初当選して以来毎年欠かさずに出席していますし、今回もその従兄弟と会場でおちあいまして、作品についての説明は勿論のこと、その際の苦労話(?)にも花が咲き、素人の私なりに、「フムフム」と頷きつつ、誠心誠意耳を傾けてまいりました(でも、陶芸の世界はよう分からん~、ゴメンよ~我が従兄弟よ!!)

さて、既にご案内の通り、地域文化創造館は、駒込、雑司が谷、巣鴨、南大塚、そして千早と、豊島区内に全部で5館あるわけですが、埼京線を挟んで西部地区側にあるのは、何とこの千早の一館のみとなっており、そのせいか利用者の皆さんもかなり遠くの方からお越しになる方が散見されます。実際、私の従兄弟も池袋に住んでおりまして、趣味の陶芸をするためにわざわざ千早まで、ある時は有楽町線で、またある時は自転車で足を運ぶといった具合ですが、地下鉄なり自転車なりを利用するにしても、千早地域文化創造館それ自体、「要町36号線」よりもさらに西へ奥まったところにあるだけに、交通の不便さは否めないところがあります。利用されている区民の皆さん方からすれば、やがて出来上がるであろう「(仮称)西部地域複合施設」が待ち遠しいかもしれませんね…。

 その複合施設、皆さんはご存知でしょうか。総事業費は約45億円といった施設で、その斬新な全体像ないし立面図は、既に広報物などでご案内されているところです。図書館機能、資料館機能、区民ひろば機能などなど複数の施設が同居する建物となっており、西部区民事務所として使われている旧平和小学校を解体してその跡地に建設されることになっています。

いよいよこの西部地区もダイナミックに変貌していくことになるわけですが、それにしても当該複合施設がその地域に親しまれるかはまだまだ予断を許しません。その意味でも、地域に愛される価値ある施設にしなくてはなりませんよね…。そうした思いから、私自身は、複合施設建設に際しては、311の教訓を生かす意味で、施設利用者や避難住民向けの「非常用飲料水確保の為の専用井戸」を作るべきであると考えていますし、行政の側にも伝えています。そのヒントにもなったのは、昨年の秋ごろ、たまたま世田谷区の動きを聞かせてくれた、自民党東京都連の青年局仲間で世田谷区議のSH氏からの「今度、うちの区役所本庁舎の脇に、井戸が出来るんだよね~」との話でした。

なんでも世田谷区の本庁舎には約2400人の職員がいるとのこと、そして有事の際、これらの職員の三日分の飲料水を確保するとなると、500mlのペットボトルで14000本が必要になるとのこと。これだとそもそもペットボトルの保管場所にも事欠く有様ですし、また数年に一度は新しい水に買い替えなくてはなりませんが、その金額として約250万円かかるとのこと。それならば、深さは約100メートル強は必要となってしまい、その掘削費用として、約3700万円かかってしまうものの、専用井戸を掘ってしまった方が、費用対効果の点で後々楽だとのことです。もちろん、電気でくみ上げるわけですが、有事の際には非常用発電機でもって対応できるようにしてあるのと、そもそも東京都の条例で、井戸からの取水は110トンを超えてはいけないこととなって入るものの、約2400人分はそれ未満であることが分かっているとのことです。

このような設備があれば、本当に地域住民の皆さんにとっては頼もしい施設となって映る事でしょうし、まさに311を踏まえた時代状況にもかなった施設でもあると言えるでしょう。また、是非ともこう言った設備を、南池袋にやがて出来る本区の新庁舎にも作ってほしいところですよね…。なにせ地域住民の先程の力強い日々の歩みは、地域のよって立つ基盤の中に安全・安心があってはじめてもたらされるものですから…。

ロンドン・オリンピック・パラリンピック≪平成24年8月≫

 謹んで残暑お見舞いを申し上げます

平成247.27日から812日まで、4年に1度のスポーツの祭典オリンピックが、イギリスはロンドンにて開催されました。ロンドンでは過去に2回オリンピックが開催されており、史上初の3回目のオリンピック開催となったとのこと。加えて、前回の中国の北京にて開催されたオリンピックと比較してみますと、何よりも環境・エコに配慮し、また、会場からの選手村への距離や、交通面でのアクセスなど、コンパクトな設営と運営などの点が対照的なオリンピックだったといえそうです。
もちろん、開会式をデジタル映像で誤魔化すようなこともなかったでしょうし、いわゆる口パクもなかったみたいですね(失礼)

 
 さて、実際の競技の方はどうだったでしょうか。皆さんのご関心は……?

私の場合は、何と言っても毎回金メダルを量産してくれる「柔道」を注目してみていましたっけ。
 その柔道ですが、大会の序盤では男女ともに『一本』を狙う柔道でなく『ポイント』を狙う、いわゆる『JYUDO』に苦しんでいたようです。

女子の方は、意外にも金メダル最有力候補と言われていた48キロ級の福見友子選手、52キロ級中村美里選手が早々と姿を消してしまい、これまで軽量級で稼いでいたメダルを逃してしまいましたが、その一方で、女の子であるにもかかわらず「オオカミ」とか「野獣」、または「アサシン(暗殺者)」などとあだ名をつけられている57キロ級の松本薫選手が金メダル第一号を獲得してくれました。
その夜は、私もライブ中継を見ていましたが、その鬼気迫る表情と余念のない準備、そして相手選手を追い詰めたり、場外へ逃れるのを阻止すべく柔道着を引っ張ったりする試合内容に感動したのを覚えていますし、メダル獲得後のインタビューで、「金メダルを獲得した今、まず真っ先に何がしたいですか」との質問に対して、「パフェが食べたいです」との回答の中に、今時のうら若き女性の片鱗を感じたりもしました(私も何故かホッとしましたっけね…)
その後は、63キロ級の上野順恵選手と78キロ超級の杉本美香選手が、それぞれ銅1個、銀1個を獲得してくれるなど、押し並べて女子柔道の方は善戦してくれたと思います。

問題は男子の方です。

男子柔道の監督、鬼の篠原信一氏の愛弟子で、最も金メダルを期待された100キロ級の穴井隆将選手をはじめとして、ことごとく金メダルに届かず、結局、男子は、60キロ級の平岡拓晃選手と73キロ級の中矢力選手が、それぞれ銀メダルを、66キロ級の海老沼匡選手と90キロ級の西山将士選手が、それぞれ銅メダルを獲得してくれたのみでした。

男子柔道史上初の金メダルなし。

日本人にとっては何という衝撃的な結末でしょうか。
不可解な判定が多かったのも事実ですが、重要課題の残ったオリンピックの柔道競技でした。そもそも、このポイント『JYUDO』の対応に関しては、北京大会以降幾度となく取り上げられた課題だったはずです。それが、今回も解決したようには受け止められず、見ている我々日本人からすれば、本来の相手を投げる等、一本を取る『柔道』と『JYUDO』の違いに歯がゆい思いをしたのではないでしょうか。

 
 前回の北京オリンピック以降、支援体制が見直されたフェンシングや卓球、そして女子サッカーなど、次回の平成28(2016)、ブラジルで行われるリオ大会が楽しみな競技が増えたのは、良かったですね。
 今から平成28(2016)を迎えるのが楽しみです(だいぶ気が早いですけど……)
 

 特に、平成23(2011)のサッカー・ワールドカップ・ドイツ大会で優勝した「なでしこJAPAN」は、惜しくも金メダルを逃してしまいましたが、強豪アメリカに対して互角に渡り合えるレベルに達したのは、彼女達の努力の賜物であるのは言うまでありませんし、金銭面や競技面での支援なども功を奏したからでしょう。今後は、代表引退を表明した澤穂希選手抜きでどこまで結果を出だせるのかに関心が向くとともに、当分の間、これからの女子サッカーは見逃せませんね…。「ヤングなでしこ」の成長も含めて、リオ大会こそ金メダルを取って欲しいと思います。
 

 また、女子卓球が団体で銅メダルを獲得してくれました。福原愛選手、石川佳純選手、平野早矢香選手のうち、特に、石川選手はまだまだ若手ということもあり、これまた平成28(2016)のリオ大会でのメダル受賞が大いに期待されますね。
 

 今回最も感動したのは、サッカー男子のU-23日本代表のグループリーグ初戦のスペイン戦での勝利です。ワールドカップと欧州選手権の連覇を成し遂げたメンバーの一部が、ロンドン・オリンピックのメンバーにも名を連ねており、そのそうそうたる豪華メンバーのいるスペインに勝ったわけですから…。
 既にご案内のように、この試合は、試合地の名をとって『グラスゴーの奇跡』と言われたりもしています。日本は23歳以上の選手を3人まで招集できる、オーバーエイジ枠で招集された北京大会の経験者吉田麻也選手、アテネ大会の経験者徳永悠平選手を中心に、出来すぎるまでのまとまりを見せ、いわゆる『ジャイアント・キリング』を起こしてくれました。世界に大きな衝撃を与えるとともに、私たち日本人全員が誇りに思う出来事でした。

 ただし、全くもって残念な出来事もありました。それは、3位決定戦で日本が敗れ、勝利した韓国の心無い一選手(パク・チョンウ)が、竹島の領有権を主張するプラカードをグラウンド内で掲げ、全世界にアピールした件です。せっかくのスポーツの祭典も台無しになるとともに、オリンピックはあらゆる政治活動の禁止を謳っているだけに残念でなりませんでした。
 韓国におかれましては、是非とも、「グラウンド」ではなくして「コート」(国際司法裁判所)に出てきて主義主張を訴えて欲しいものですね…。

視察の大切さ≪平成24年6月≫


 611日と12日、この一泊二日でもって久しぶりの視察に行って参りました。


初日の視察先は「青梅市役所」「才教学園小・中学校」。翌日の二日目は「箕輪町」です。


 「青梅市役所」への視察は、平成22年に出来上がったばかりの青梅市役所の建物や機能それ自体の視察が目的です。今まさに豊島区が新庁舎整備を着実に進めているなかにあって、直近に出来上がった近隣自治体の庁舎にたいする観察はとっても重要です。


実際の市役所の外観は、ガラス張りを基調とした透明感に満ち満ちていましたし、また中を拝見させて頂くと、まずはゆっくりと座れる椅子と応対カウンター、その後ろに敷居としても、また事務処理の為にも活用するハイ・カウンター型デスク、その奥にようやく職員の皆さんのデスクが並んでいました。このような陣立てだと、市民がカウンター越しに職員のデスクワークぶりを目の当たりにする事無く、また、職員の方からも落ち着いて仕事が出来るとともに、じっくりと市民と応対できるというメリットがあるとの事です。

この窓口業務エリアだけを見ただけでも、行政サービスのワンストップ化をトコトン追求するとともに、計画的に一階に窓口機能を集約したことがうかがい知ることが出来ました。
 

さて、その青梅市です。

当日案内してくれ職員の方によりますと、秩父多摩甲斐国立公園の玄関口に位置しており、自然環境や文化財に恵まれた、人口約14万人の都市だとの事。また、なんでも市政運営の根幹となる計画として、第5次青梅市総合長期計画(平成15年度~平成24年度)なるものがあり、ここで、「豊かな自然、快適な暮らし、ふれあいの街青梅」を市の将来都市像に定めているそうです。

今は新しい庁舎の下、その実現に向けて、市民の皆様とともに歩みを進めているそうですが、視察中はずっと、「豊かな自然」「安全・安心」「ふれあい」をテーマに、「暮らしやすさ日本一」を目指し、住んで良かったと思われるまちづくりに取り組んでいます!!ときっぱりと言いきる案内担当職員の方にはつくづく感心させられっぱなしでした。

新庁舎についても自信満々・・・・・・、訪れるすべての方が利用しやすい庁舎を基本として、ユニバーサルデザインやバリアフリー化を極限まで推進した!!との事でした。
また、免震構造を採用し、災害時の防災拠点としての機能も持たせているほか、太陽光発電、地熱利用、自然換気システムを取り入れるなどの環境にも配慮した庁舎となっているとの事です。
 加えて、庁舎前庭には芝生を植え、ベンチも備えてありましたので、市民の憩いの場として、さぞかし愛され、利用されている事かと思います。

 初日の午後の視察先は今話題になっている松本市にある「才教学園」です。

才教学園は、今年で学校創設7年目という、かなり若い学園でした。到着するなり学校長の山田先生が応対してくれまして、開口一番、校長先生曰く、設立時の時代状況は、日本のみならず世界的にも変革期にあたっていて、「大いなる夢と強い強靭な意志を持った若者を育てたい」という強い想い(『志教育』)で設立に向かって一心不乱で取り組んできたとの事でした。
本当にしゃべるのが好きな(失礼!)校長先生です。

 ~創設してからの6年間は、まさに驚嘆と感動の連続だった…。
  子供たちは、大人が頭で考える常識や限界を簡単に打ち破る存在です。
  まっすぐに成長し、「可能性は青天井である!」ということを自ら教えてくれる。
  本学園は9年間の志教育トータルシステムに取り組んでいます。

  人間としての両輪である人格と学力をより高めていきます。
  人格面では、志を育てる4年・4年・1年のステップシステムが完成。

  学力面では、より高度な学力を身につけさせるため、高い吸収力、向上心、好奇心を持って学  
  んでいる子供達に、よりハイレベルな授業を提供。
  例えば、国語においては、論理的思考力と問題解決力を養う「表現」講座を設定。英語におい  
  ては、中学3年生で全員が英語を話せる独自のカリキュラムを策定。算数・数学では中3で、高
  2までの範囲を学ぶ~

  授業中の教室の中に入ってまでの視察を許してくれましたが、そこから感じ取れた事は、この学園のもつ教育への揺るぎない自信と言ってよいでしょう。学園創設以来、学習指導では常に目標を明確にし、チャレンジ精神を養わせてきたそうですが、そこから生まれるのは、知的好奇心で目を輝かす大勢の子供達だそうです。
 また、会津ファンの私にとって嬉しかったのは、校長先生の口から、会津藩の藩校である「会津日新館」教育の本丸「じゅうの誓い・教え」が出てきた事です。
 


 ~教育環境づくりにおいては、「ならぬことはならぬ」「当たり前のことを当たり前にできるように」  
  と、子どもたちに厳しく接しています、と~

 これからの才教学園に大いに期待したいですね…。
 

 視察の二日目は、「箕輪町」を訪問してまいりました。

 箕輪町が、2009年に認証取得した「セーフコミュニティ」の実施状況について意見交換してきました。ここでの私たちの最大関心事は、何と言っても既に認証取得している箕輪町が、その再認証獲得に向けて、一体どのような努力と対応・対策をしているのかということでした。セーフコミュニティはその認証取得も大切ではあるものの、その継続が重要かつ大変であると聞き及んでいますから、この辺りのところを箕輪町と共に連携して対策を練っていくことが望ましいでしょうね。

高校教科書検定の評価は?≪平成24年4月≫

 ようやく来年(平成25年度)の春から高校で使われる教科書の検定が終わりました。
 まずは関係各位の御苦労に感謝申し上げます。
 もっとも、今回の検定もそうですが、所々の記述に関しては、相も変わらず文部科学省の検定基準に疑問の声が上がっているところです。

まず残念で仕方がないのが、大阪府などが進めている国旗掲揚や国歌斉唱の義務づけを「強制」と表現した教科書が合格してしまった事でしょう。学習指導要領に基づく教育を行うための取り組みを「強制」とする記述は問題であって、今からでも記述を正すべきだと思います。
例えば、実教出版の日本史Aでは国旗国歌法を当初、「政府は、この法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし現実はそうなっていない」と記述していました。それが、検定では「しかし」以下を「一部の自治体で公務員への強制の動きがある」と修正し、これがパスしたとの事です。特定こそしていませんが、教職員に国歌斉唱時の起立を義務づけた大阪府や大阪市の条例化の動きを指すことは明らかでしょう。文部科学省は「誤った記述とまでは言えない」としていますが、何よりも生徒に誤った見方や印象を抱かせる恐れが強く、不適切な表現といわざるを得ません。学習指導要領は、国旗、国歌への正しい認識を生徒が身につけるよう指導を義務づけています。また、最高裁も式典で教師に起立を促すよう命じる職務命令を「合憲」とした判決を下しています。にもかかわらず、教科書がこんな記述では、生徒に正しい指導など出来るはずがありません。文部科学省が行っている指導との矛盾も明らかで、教育現場への影響が心配されます。

 一方、とっても評価出来るのが、山川出版社が日本史Aで南京事件の記述を見直した事です。犠牲者数に諸説あることを紹介し「その実情は明らかではない」としていた現行記述に、「学者のあいだでは、30万人説は誇大な数字と考えられている」と付け加えた事です。これは中国の主張に明確に疑問を呈したもので、よくぞ正論を記述してくれたと思います。他社の教科書が依然として「南京大虐殺」「大虐殺」といった表現で検定合格している中で、最新の研究結果を取り入れた同社の記述には注目したいですね。

 普天間飛行場の移設など長年揺れ続ける沖縄の米軍基地問題。
 今回も現代社会など21冊で取り上げられていますが、多くの教科書で「沖縄には在日米軍基地の75%(または74%)が集中」という記述があります。しかし、防衛省によりますと、在日米軍の施設・区域の総面積は平成2411日現在、102709ヘクタール。そのうち沖縄は23176ヘクタールで全体の22.6%。「75%」という数字は日米地位協定に基づき米軍が使用する自衛隊などの区域を除いた「米軍専用基地」が沖縄に占める割合であり、教科書で一般化した「75%」の記述は説明不足で誤解を招く表現といえそうです。
 拓殖大学の恵隆之介客員教授はある月刊誌の中で「沖縄の基地被害をことさら強調するため、左翼活動家を中心に、好んで使われている数字であり、文科省は検定意見を付けるべきだ」と指摘しています。

領土問題については、地理の7冊すべてが島根県の竹島と沖縄県の尖閣諸島を掲載するなど、現行の教科書に比べ、取り扱う発行社が増えてくれました。現代社会と政治・経済では、現行版は竹島、尖閣とも31冊中20冊で割合は7割に満たないですが、合格教科書は竹島が13冊中10冊、尖閣は13冊中11冊が記載し、7割を超えています。
学習指導要領の解説書は、具体的にどの領土を扱うか明示していませんが、229月に尖閣諸島沖で起きた中国漁船衝突事件などが影響しているのは明らかでしょう。

教科書レベルの動きとはまた別に、新たな動きが教材レベルでありました。
それは、日本が対米戦争を始めたのは「自衛(安全保障)」のためだったとする連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官、マッカーサー元帥の証言が東京都立高校の教材に掲載されたことです。
日本を侵略国家として裁いた東京裁判を、裁判の実質責任者だったマッカーサー自身が否定したものとして知られる同証言を、公教育の教材が取り上げるのは初めてとのことです。これこそ生徒に先の戦争を多角的に捉えさせ、考えさせる機会として期待される動きですね。昭和の戦争での日本を「侵略国家だった」と断罪した東京裁判に沿う歴史観は、「日本国民は…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」で始まる憲法前文にも反映され、「軍隊を持たず」という国際社会でも異質な国家体制の前提となってきました。歴史教育は「贖罪(しょくざい)史観」一辺倒となってしまい、子供たちの愛国心を育んできませんでした。その歴史観が絶対ではないことを示すマッカーサー証言の公教育での教材化は、戦後日本の在り方に一石を投じるものと言えそうです。
そもそもこの証言は、朝鮮戦争で国連軍やGHQの司令官職を解任されたマッカーサーが1951年5月3日、米上院軍事外交合同委員会の公聴会に出席し、朝鮮戦争に介入した中国への対処に関する質疑の中で言及したものです。連合国側の経済封鎖で追い詰められた日本が、「主に自衛(安全保障)上の理由から、戦争に走った」と述べたのです。
証言は、江戸時代から今日まで約400年間の東京の歴史を盛り込んだ「江戸から東京へ」と題する教材に英文で掲載されます。都立高に限らず、他の学校でも取り上げてほしい貴重な証言です。現代史の授業は、戦勝国が敗戦国日本の戦争指導者を一方的に裁いた、極東国際軍事裁判(東京裁判)に基づく歴史観によって行われる傾向が強いと言えます。多くの教科書も、満州事変から日米戦争までの一連の出来事を日本の「侵略」と捉えた書き方となってしまっています。
しかし、東京裁判の判決は必ずしも歴史の真実ではありません。
いわゆる「南京大虐殺」をめぐって、旧日本軍が約20万人の中国軍捕虜や市民を殺害したと認定されたが、その後の実証的な研究により、「20万」が誇大な数字で、「大虐殺」が中国側の反日宣伝だったことも明らかになっています。東京裁判では、インドのパール判事が日本の無罪を主張し、事後法で裁いた裁判自体を批判したことは有名です。
社会科の教師はこれらに関する文献も調べ、何よりもバランスのとれた授業を行うべきでしょう。現行憲法はマッカーサーらGHQが草案を作り、これに日本側が修正を加えたものですが、子供たちはあまり知りえてはおりません。その原因の一つとして挙げられるのが、教師が制定過程を詳しく理解しておらず、かつ正しく伝えていないことです。憲法の平和主義の理念ばかりを唱えるのではなく、中国の軍拡や北朝鮮の核開発などの脅威に対処できなくなっている憲法の欠陥も、子供たちに分かりやすく教える必要があるのではないでしょうか。

 こうして教科書が徐々にではありますが健全化の流れの方向に向かいつつあることは有り難いですね。