2014年3月31日月曜日

被災地の視察を終えて(前篇)≪平成23年9月≫


 
 先月号でも若干触れましたが、さる95日から98日までのあいだ、34日をかけて、私たち自民党豊島区議団10名は、東日本大震災と津波による被災地を中心に視察をしてまいりました。「百聞は一見にしかず」と申します。この例え通り、現地において国難とも言える未曽有の大災害の爪痕を目の当たりにすることで、地方議員としての知見を深めたいと切に感じたこと、また、千年に一度とも言われているこの度の大震災と津波、その復旧・復興を巡る人間の営みから、豊島区政、特に防災面等に生かせるものは無いか等を貪欲に吸収したいと思ったことが主な動機と言って良いでしょう。これまでも私たちは、豊島区の発展を願って、行政が取り組もうとしているホットな政策との連動を踏まえつつ、様々な角度から全国各地の自治体を視察する計画を立て、実施してまいりましたが、今年の場合は迷わず東北方面の視察と決めさせてもらいました。兎にも角にも、未だに東北地方の太平洋側は大震災と津波による甚大な被害、いわゆる未曽有の国難によって様々な産業が大打撃を受けていますし、かつ原発事故も相まった風評被害による大きな損失も受けている処です。視察先としては、最も被害のあった被災地を訪ね、現地の関係各位からご説明やご案内を頂戴しながら、意見交換に際しては災害発生時の関係者の対応や、取るべき行動を実体験に基づいた話を聞かせていただくこととしました。今後、そう遠くない時期に起きるであろうと言われている東京湾沖や首都直下型、あるいは東南海との三連動地震への対策等に備えて、豊島区に住む私たちが今なすべきことは沢山あります。

まずは視察初日の95()です。JR東京駅を午前656分に発車する新幹線「はやて155」の車内にて全員集合。これから一路岩手県盛岡市を目指します。JR盛岡駅に午前944分に到着するや否や、予約をしておいたレンタカー:トヨタ・ハイエースグランドキャビンに全員が乗り込んで、早速【岩手県庁】を訪問しました。

岩手県議会の2階にある委員会室にて、同県の総務部総合防災室の職員の方々と約1時間30分かけて説明と意見交換をさせていただきました。

まずは岩手県全体の被害の状況ですが、826日・1700の時点で、死者4,649名・行方不明1,927名、負傷者186名という事、また家屋倒壊数(全壊+半壊)は、24,680棟との事でした。私たちはこの被害状況の説明を受けた時は、一同唖然とするとともに、そもそも三陸海岸沿岸の自治体は、明治・昭和の三陸大津波の経験を踏まえているのだから世界的にも津波対策の先進地域だ、といった固定観念は見事なまでに吹き飛んでしまいました。次に説明を受けたのが、岩手県が作っている「岩手県被災者台帳システム」です。そもそも私たちが岩手県庁にお邪魔した理由は、東京都の主導で本区でも平成24年度以降に導入しようとしているこのシステムを学び取る事にあります。この被災者台帳システムは、被災者の被災状況や義援金支給状況などを総合的に管理するもので、その目的は、被災者の情報を包括的に管理することで生活再建に向けた支援の取り残しを防ぐことにあります。もちろんこのようなシステムは本来ならば各市町村が独自に導入するものではありますが、岩手県では特に沿岸部の自治体が津波によって壊滅的な被害を受けて、行政機能が著しく低下していますから、このようにして県が各市町村から情報提供をしてもらい、それを集約したうえでシステムを構築し、希望する市町村に提供することは極めて重要と言えます。説明では今現在、大船渡市が参加しているとの事でした。東京では調布市と本区が取り組むとの事です。このシステムでは、住民基本台帳や住家等の課税台帳、罹災証明書の発行状況などの基礎的データに加えて、仮設住宅への入居状況や義援金の申請・支給の結果の有無、医療や福祉分野などの相談とその対応ぶりなどが連結されて一つの台帳に統合されるので、これだけでも一世帯ごとに被災から現在までの状況を把握できるといったメリットがあるとの事です。説明を受けて、確かにこのようなシステムのもとで、各市区町村が被災者情報を総合的に把握してこそ、被災者の各種申請時の確認作業が軽減されますし、義援金の未申請など支援が受けられるのに手続きを行っていない人を掘り起こし、支援の漏れを防ぐことが出来ますね。もっとも、個人情報保護との絡みが出てきてしまいますから、その点のフォローが必要となってくるでしょうが、そこはパスワードを細分化させるとか、閲覧できる情報を制限するとかのセキュリティー対策が必要となってくるでしょう。

さて、昼食を素早く済ませた後は、次の訪問先の【宮古市役所】へと移動しました。この移動距離がまた結構ありましたっけ…。到着後は同市の職員の方々と1時間30分ほど説明と意見交換をさせていただきました。

まずは被害のあらましですが、宮古市は最大震度は5強で、823日、1600の時点で、死者522名、行方不明122名、負傷者33名という事、また家屋倒壊数(全壊+半壊)4,675棟との事でした。この数字もまた痛ましい限りですし、これから視察で訪れる自治体はすべて、このような状況の説明の連続だろうなと思うと無性にやるせなかったです。もっとも、市内姉吉(あねよし)地区では、過去の大津波の教訓から「ここより下に家を建てるな」という石碑が建っているとのことで、地域住民はみんなこの教えを守り、低地に家を建てていなかったために、集落内の被害は無かったという明るい話題もありました。

その他特に印象に残っているやり取りを申し上げますと、まずは同市の危機管理課長からは、震災と津波の直後から通信網が麻痺したため、市内で何が起こっているのかが分からない、従って、すべての情報は車で行き来ないし移動して集めざるを得なかったということ、また、豊島区の面積の8倍が水浸しになったし、地盤が下がったせいか以前よりやたらと海が近く感じるようになったということでした。次に同市の市民生活課長からは、なによりも仮設住宅での孤独死ゼロを目標にしている為に、安否確認や健康相談を適宜実施するとともに、そのベースともなる仮設住宅内地域コミュニティの構築に力を注いでいるとのことでした。さらに復興支援室長からは、如何せん職員でも被災した者が多かったので、620日まで定年延長することで職員を確保して、マンパワー不足を補ったとのことでした。

この日は、本当に様々な被災現場と被災状況を学ばせて頂きました。どれもこれも始めて見る・知る・聞くばかりの事柄でした。この日の宿泊先は、宮古市内では有名な浄土ヶ浜パークホテルでしたが、当然のことながら、宮古湾周辺や浄土ヶ浜という三陸を代表する景勝地も無傷では済みません。その傷跡が濃霧と雨で見ることが出来なかったのが、逆説的ではありますが、少しもの救いでした。