2009年11月15日日曜日

文集「若き志士の言の葉」について

 先月、お陰様をもちまして私の議長就任祝賀会も無事に行うことができました。これもひとえに皆様方のご支援とご協力の賜物でございます。この場をお借りしまして、心より厚く御礼申し上げます。有難う御座います。
 さて、この度の議長就任祝賀会を着実に乗り切ることができたのも、その中心に後援会の役員の皆さんのご協力があったことはもちろんですが、加えまして、私の事務所に研修・研鑚に来てくれている若者達の力があったればこそとも言うことが出来ます。
この度の祝賀会では、帰りのお土産に、今年の流行色で編んだ「マフラー」に加えまして、「若き志士の言の葉」という題名の文集を添えさせていただきました。私自身、今年で議員在職10年となったわけですが、この10年間ずっと続けてきた活動の中の一つに、「次世代の政治的リーダーの育成」というのがあります。最初は、果たして上手くいくのかなと不安な面もありましたが、マスメディアを通さない「裸の政治」を学びたいと思っている若者が、かくもいるのかと驚いたのを思い出します。「裸の政治」を学ぼうとして集まってきた若者達の数も、延べで約500人を超え、その体験談も10年分が溜まっています。この度の文集は、その中から、掲載について本人の承諾があったものの中から、さらにピックアップしたものを編んだもので、前半部分が今現在抱いている感想、後半部分がかつて研修をし終えた直後書かれた体験談となっています。裏返して言いますと、10年を経過した後に私の下に来て研修した若者達の感想や体験談は、割愛されているわけでして、この度の祝賀会の切り盛りに参画してくれていたのが、まさに彼ら彼女らであることを考えますと、何としてもこの若者達の声も何処かで発表したいと願うのもご理解いただけるのではないかと思います。文集からオミットされるのは、今年の夏から来た若者達ということになりますが、この夏、10名の若者が私の下で研修・研鑚を積み増したが、その内の一人の体験談を皆さまに紹介させて下さい。今回もご一読誠に有難う御座います。

「学生」から「住民」への自覚
本学塾第32期生 大田 みふゆ
【何を学んだか】
 私は2009年の夏、豊島区議会議員の本橋弘隆先生のもとで研修を行うことを決めた。あれから早くも三ヶ月ほど経つが、今までで一番考える時間が多かった夏休みであった。
 本橋先生は本当に大胆である反面、どんな小さなことでも気を配って下さる方だった。時には厳しく指摘して下さり、時には様々なことを心配して下さる本橋先生のもとで研修を行い、「相手の気持ちを考えること」の重要性を改めて感じた。相手の気持ちを考えるということは一見当たり前のように思え、私を含めて幼い頃から言われている方も多いであろう。でも、これこそが社会において、日常生活においても必要なのではないだろうか。選挙のときは有権者の方々や後援会の方々の気持ちを、お祭りの景品を選ぶときは子どもたちの気持ちを、事務作業を行うときはそれに関わる方々や、受け取る方々の気持ちを考えるようにして行動するようにした。そうすることによって、物事の意味を捉えることができるようになった。時には失敗して、反省しなくてはならないこともあったが、後に考えてみると、相手の気持ちを考えれば正しい判断ができたであろうということばかりだった。
 政治もこれと同様ではないだろうかと私は思う。生活している人々の気持ちを考え、問題を議論して、より良い政策を実現していく。区民の気持ちを考えれば、何をすべきなのかが見えてくる。そう考えると、本橋先生は地域というものをとても意識していらっしゃった。また、歩いているときや、運転しているときは、地域の人々や街のようすを「区民」且つ「議員」の視点で見ていらっしゃった。そして「○○さんにこのことを報告しておこう」、「今度取り上げてみよう」など、自分が何をすべきなのかを考えていらっしゃった。きっとこのような積み重ねがよりよい街づくりに繋がるのであろうと考えた。また、委員会や協議会を通じて、様々な議員さんや職員の皆さん、そして一般区民の方々が働く姿を生で見ることができたのは貴重な経験であった。「新型インフルエンザ対策」「豊島区子どもプラン―次世代育成支援行動計画―中間報告」などを聞いて、そのようなことまで区政で取り上げていただけるのかと驚いた。そして、委員会では、議員さんが自分の体験をもとに考えを述べている様子を見て、区民の代表であることを改めて感じることができた。また、豊島区子どもプランの中間報告会の中で、行政と区民が一体とならなければ、目標を達成しにくいということを知った。このことから、政治は議員だけが行うものではなく、職員や区民のみんなで行っていくものであるということに気がついた。本橋先生がおっしゃっていた「どこにでも政治はある」という言葉を意識しながら、これからは自分も住民の一人であるという自覚を持って生活し、協力していきたいと考えるようになった。
【これをどう生かすか】
 今回の研修で「相手の気持ちを考える」ことの重要性に気付いたので、今後は私と関わる人の気持ちを考えながら、自分に何ができて、何をすべきかを考えられるようにしていきたい。また、その考えを実行しなければ、意味が無いということも研修を通じて感じたので、積極的に行動に表せるように努力していきたい。
 また、上記において、自分も住民の一人であるという自覚をもつということを目標として掲げたので、まず、自分の住んでいる地域がどのような活動をしていて、どのような目標を掲げているのかを調べていきたいと思う。その上で、自分が住民として、どんな活動に協力できるかを考え、少しずつ実行していきたい。地域に貢献することが、国の貢献に繋がるということも学んだので、私の周りから変わっていけるようにしたい。
【本橋先生へ】
 この度は、私を研修生として受け入れてくださり、本当にありがとうございました。本橋先生の下で研修を行ったことは、私の自慢であり、最高の経験になりました。本橋先生は面接の際に、「この夏を本当にここで過ごしていいのか」と尋ねていらっしゃいましたが、三ヶ月が経った今、この夏を本橋先生の下で過ごすことができて、大変よかったと思っています。
本橋先生は、政治に関することだけではなく、生活する上で必要なことも直接教えてくださり、人間的にも成長できたと思います。他の議員さんの下で研修をしている友人に、この事務所の話をすると、とても羨ましがられました。これからも、アットホームな環境の中でたくさんの研修生を育てていって下さい。
もうすぐ議長就任祝賀会ですね。今までお世話になった分、お手伝いさせて下さい。

特色あるまつりづくり ~第10回東京よさこいと第32回江戸川市民まつり~

 9月の下旬頃でしたでしょうか、江戸川区の多田正見区長から、各23区の区議会議長に対して「第32回江戸川区民まつり」の招待状が届きました。A4版のレジュメ、パンフレット、そしてご案内状と、その送付資料から、長い歴史としっかりとした運営ぶり、さらには江戸川区の自信と誇りを感じさせられました。そうなってくると実際この目で見なくては気が済まなくなってきてしまうのが私です。当日10月11日の日曜日は、午前10時から「第4回東京よさこいin大塚」、午前10時45分から「第8回池袋本町商人まつり」と、たて続けに大型イベントが盛りだくさんに入っていましたが、ご列席者の皆さんのご協力もあって無難にこなし、何とか正午実施のメインイベントの「場内パレードとセレモニー」、そして「花自動車コンクール」に間に合わせるべく、すぐさま車に飛び乗って、首都高を利用し、一路まつり会場の「都立篠崎公園」を目指しました。
~昭和51年(1976年)9月19日に発足した、「江戸川区町会・自治会青年部等連絡協議会」で、青年を含めた区民ぐるみの催しができないかという声があがり、実行委員会が結成。 青年たちが目指したのは、タレント抜きの完全な手づくりのまつり。青年部等連絡協議会では、まつりを実現させるため中里区長に相談。区長は、昭和53年(1978年)10月10日付け広報えどがわ「区長随想」で、そのときの様子を次のように記す。「初めての“区民まつり”は大成功でした。これは、2年ほど前に発足した町会自治会青年部等連絡協議会が心に描いた若者の夢なのです。最初は私も本当にうまくまとまるだろうか、情熱だけで内容が伴うだろうか、と迷ったものです。それから各地で盛上がる地域祭の様子を種々見る度に、区民ぐるみの祭りもうまくいくのではないかと自信を持つようになりました。そして、6月頃から80にも及ぶ諸団体に相談したところ、是非にという声が多く、予想もしない程の熱意と協力で、立派な祭として実ったのです」~
 首都高速から降りて、程なく江戸川区内へ入ってくると、景色は確実に本区とは違ってきます。まずは、土地にゆとりがありますし、また妙にビニールハウスの畑が目に付くようになりました。「これは一体何の栽培をするのだろう、もしかして『小松菜?』かもね」(因みに、来賓お土産が「江戸川おかみさん会の小松菜うどん」でした)、そんな想いを擁きながらも、高層ビルやマンションをあまり見かけない江戸川区内の風景から、自身の視線のゆれが、都心に居る時よりもゆったりしていることに気づく有様です。その後私の目に飛び込んできたものは・・・、今では懐かしい紅白の「アドバルーン」でした(小さい頃、よく自宅から池袋のデパート上空のアドバルーンを見つけては、親に買い物をおねだりした記憶があります)。次に私の見たものは・・・、いやはや何とも言えないスケールでした・・・。会場内を来賓受付で頂いたマップを頼りに動き回り、ようやく来賓席に到着し、多田区長と共に場内パレードを見学することが出来ました。
~今年で、32回目を迎える「江戸川区民まつり」。記念すべき第1回は、『ひろげよう ふれあいの輪を』がテーマ。昭和53年(1978年)10月1日都立篠崎公園で開催。来場者数は約20万人。開催時間は、午前10時から午後8時までと、現在の午前9時から午後4時までに比べ、3時間長く開催。広場数は4つ(縁日広場、おどり広場、芸能広場、出展広場)と、現在より少なかったものの、午後8時のフィナーレには、豪快な打ち上げ花火と華麗なナイヤガラの滝、子どもたちのトーチサービスを実施、炎で会場を彩る派手な演出を行なっていた。
 その日の夕方からのメインスケジュールは「第10回東京よさこい」の表彰式への出席と賞状授与でしたので、午後6時半までには来るようにとの先輩の指示に従い、池袋西口の特設ステージ会場へ。目の前では、歴戦のつわものよさこいチームが演舞をしていました。思わず、昼間の「江戸川区民」まつりと比較してしまいましたが、どうしてどうして、こちらはこちら、あちらはあちらと言える、力強い特色がお互いにあることが見て取れます。焦ることなく、お隣に気をとられることなく、目の前のよさこいを育てる事が大事だと私は思いました(それにしても立教大学のよさこいチームはないの?)。
 
~参考~
第31回江戸川区民まつりのデータ(昨年)
参加者: 55万人
参加協力団体: 391団体 19,610人
場内パレード: 31団体 3,163人
ミニSL 乗車数: 約2,800人
迷子保護: 97人
もぎ店: 約9万食
都市交流コーナー: 8都市2団体
「安曇野市、鶴岡市、南魚沼市、城里町、長井市、八丈町、魚沼市、大島町、JA、町青協」
駐輪場: 9ヶ所 6,500台
ゴミのリサイクル: 空き缶、空きビン、ペットボトル、段ボールなど6,160キログラム
中止の回数: 残念ながら中止ということが、これまで30回のうち、3回あります。 (1)昭和60年(1985年)の第8回は雨天のため当日中止を決定。 (2)昭和63年(1988年)の第11回は、天皇陛下のご不例により中止。 (3)平成3年(1991年)の第14回は異常な長雨により事前に中止を決定。

子供達の人権メッセを聞いて

 9月12日、小雨が降りしきる中、豊島公会堂におきまして、豊島区と豊島区教育委員会もそれぞれ主催者と後援者のひとりとなり、「第16回子どもたちの人権メッセージ発表会」が盛大に執り行われました。この発表会の前に公務があったため、私自身の会場入りは、確か午後1時半頃だったと記憶しています。入った時にちょうど発表していたのが、5番の杉並区立大宮小学校6年生の女の子による「人権侵害について」でした。受付で貰ったプログラムを開いて、それぞれの子供達が発表するメッセージの題名に目を通していくと・・・。さすがに「人権メッセージ発表会」と銘打っているだけあって、「人権」という言葉があちこちの子供達のメッセージ題名に使われております。はたして本当にここにいる子供達は、「人権」を正しく使いこなせているか。使いこなせるのは大学で法学部にでも入ってからで良いとしても、正しく使える為の前提知識をどれだけ学校から、家庭から教わっているのか。一抹の不安を感じないわけにはいきませんでした。この段階でまずしっかりと学習しなければ、これから思春期を迎えていくにしたがって、権利、権利と駄々をこねる若者に育ってしまいかねません・・・・・・。
 このような発表会で出会う親御さんの中には、「既に、人は生まれながらにして人権というものがあり、その中には当然子供の権利が保障されているんです」といった趣旨の発言をされる方が大変多いです。勿論、私自身、「人権」とか「子供の権利」とかを否定するつもりはありません。
ただ、今一度、「人権」とは、「権利」とは何か、という命題に向き合って、しっかりと思索して欲しいと思っております。その思索を経由した後に、「人権」とか、「権利」とかを語っていただきたいな・・・、そう切に思う次第です。と言いますのも、それらは過分に濫用の危険があり、中でも特に「人権」は暴走する危険をはらんだ西洋近代の「発明品」であることを肝に銘じていただきたいのです。
「人権」は暴走する。また「人権」は西洋近代の「発明品」である。そう申しましたが、それまではどうであったでしょうか。皆さんご承知の通り、どんな時代のどんな文化においても、「権利」の主張には必ず根拠が必要でした。例えば、まず始めに契約が結ばれて、そして自分はこれこれの仕事をしたからこれこれの取り分がある、と主張するのが、まさに「権利」でした。あるいは、伝統ある古来の慣習を根拠として「権利」が主張されることもありましたし、さらには、キリスト教に基づいた「自然法」のように、「神の掟を忠実に守ること」と「神の与えた権利を有すること」とが表裏一体となっている場合もありました。いずれにしても、単に個人が何かを欲すれば、それが「権利」と認められる、などということはありえなかったのですが、これを全て覆したのが、「人権」概念の発明者のトマス・ホッブスであり、その半世紀あとに登場した、ジョン・ロックです。

 ~我が国の憲法に採用されているのが、「ジョン・ロック版」の人権思想。また、ホッブス自身、「人権」(自然権)が個人の意志と欲望以外の根拠を持たないものゆえ、本質的に暴走の危険を秘めている。それに手綱をかけて本来の個人の幸福追求・実現へと向かわせるのが国家・政府の責務と危険性を認識。にもかかわらず、その危険性の認識をぼやかしてしまったのがジョン・ロック。ロックは「人権」を「神によって与えられた有難い権利」としながら、そこに当然伴うべき「神への義務」の方はあっさりと無視。「ロック版」人権概念は、一方では個人の意志と欲望をそのままに認めながら、そのことの持つ危険性は一切考えないというもの。
  現在、人権の概念はフェミニズムの主張などを容れて、止めどもなく拡大。それはまさに個人の欲求の他、いかなる根拠も必要としないという、ロック版人権概念の基本構造に基づく。
 
「人権」とか「子供の権利」とかの定義や内容は、きわめて曖昧であり、ありとあらゆる子供達の権利行使が、ある子供の、またはある個人・団体の恣意に基づいて行われる危険を払拭できないところがあります。その典型例ともいえる事件が、約9年前に起きた、東京都国立市立第二小学校での、学校長に対する土下座要求事件だと言えるでしょう。私達大人は、今一度冷静に「人権」とは、「権利」とは如何なるものなのかを問い続け、これらがもつ危険性に常に配慮し、国家や自治体が「人権」や「権利」を謳うないし扱うに際しては、事前の学習やレクチャーをしっかりと十二分に行うと共に、極力それは謙抑的かつ慎重に展開すべきだと思います。
この度の子供達の発表の中で、私なりに気になったことがいくつかありますが、ここでは紙面の都合で一つ取り上げたいと思います。特に「いじめ」とか「ケンカ」、そして「差別」といったキーワードを駆使して発表されたものを聞いていて感じた事ですが、「相手にも『人権』があるんだから、いじめたり、暴力を振るったり、差別してはいけないよ」と言った類の主張です。要は、子供を人権・権利の主体と捉えることで、いわゆる「虐待問題」などを解決しようとする姿勢ですが、私はこういった主張や取り組みは見るべき視点を誤っていると思っています。その事はとりわけ「高齢者に対する虐待」の問題を考えてみればよろしいでしょう。高齢者の方は、当然のことながら大人ですから、完全無欠の権利を有する主体ということが出来ます。相対する方も、お互いが「人権」とか「権利」を有していると了解して社会活動をしています。それなのになぜ、権利主体との了解のある高齢者に対して、家族などによる虐待やいじめが増えているのでしょうか。「子供同士でもお互い『人権』があるんだからね。いじめたらダメよ」、そう主張する方は、いま申し上げた「高齢者虐待」がなぜ起こるのかをどう説明されるのでしょうか。およそ虐待というものは、何も、相手方が権利を持っているかどうかでその抑制が左右される代物ではないと思います。大切な事は、虐待される人に権利があるかどうかではなく、また、虐待する人を単純に非難する事でもなく、そもそも虐待しないですむ状況や、環境を作ることではないでしょうか。虐待してしまう人も介護に悩んでいるのでしょう。なぜ虐待するか、何故いじめるのかを理解しないと、適切な対策は生まれないと考えます。ここで再度確認したいことは、子供が必要としているのは「人権」や「権利」の名の下に生じる「利益」ではないということ、子供が最も必要としているのは、親との「関係」なのだということであります。すなわち、保護者、学校、地域が連携を強め、みんなで子どもを守り育てようという姿勢・構えであります。子どもを巡る環境の悪化は、大人が子どもを守り育てるという当たり前の義務を果たさなくなったことが原因です。私は「人権」とか、「権利」という一見すばらしいものであるような言葉を万能薬のように使って問題を解決しようとするのではなく、一つ一つの問題に対する具体的な施策を地道に実施していくことこそ問題の解決に最も効果的かつ効率の良いやり方であると信じております。