2010年2月12日金曜日

過ぎし、節分の日を想いながら…

早いものですね。年が明けてからもう一月以上が経ち、立春を過ぎました。『時事一滴』をお読みの皆様方におかれましては如何お過ごしでしょうか、お伺い致します。
私自身は、年明けからとっても多くの「新年会」や「新春の集い」といった催し物に顔を出させていただき、出来る限り出席させていただきました。しかも、多くの場合、挨拶までさせてもらい大変感謝しております。ありがとうございました。
今は、それも終わりに近づいております。特に、議会では、第一回定例会の準備と、来るべき予算委員会の開始など、新しい年のための議会活動が本格的にスタートし始めております。
この『時事一滴』をお読みの皆様も、立春を過ぎて年明けムードも抜けきった中で、厳しい商戦を展開されている事と推察いたします。

さて、立春といえば日本の伝統行事として、「節分」があります。
皆様ご存知の通り、立春の前日に「鬼は外、福は内」と唱えながら豆を撒き、一年の無病息災を祈る、アレです。
節分とは、その名の通り、「季節の分かれ目」のことです。季節が変わるときには邪気=鬼が生じると考えられているので、豆を撒いてそれを払おうとするというわけです(一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けたものを門に掛けることによって、鬼を払うところもあるようですよ)。
言葉の意味上、立春・立夏・立秋・立冬のいずれも節分という事になりますね。でも今では、立春の前日が一般的になっています。その理由は何だろう。あまり詳しく掘り下げてはいませんが、なんでも、豆を撒くのは、豆を投げれば「魔滅(まめ)」、つまり魔を退けられるからだと考えられているそうです。また、イワシの頭はその臭気で鬼を追い払うとされているそうです。

一般的に使用される豆は、お祓いを行った大豆、つまり炒り豆です。ところが、地域によっては落花生が使われている事を知りました。落花生は大豆よりも回収がしやすく、また殻があるので地面に落ちても食べられるという利点から採用されているとのこと。なるほど、確かにそうですね(かなり合理主義的…)。

現代では、この「節分」が一年のビッグイベントの一つとなり、催しに有名人を招いて豆を撒いたり、お寺で狂言を行ったりと、この行事を様々な形で楽しんでいるところが多いようです。これをお読みの皆様も、2月3日には「鬼」に扮して、豆を当てられて楽しまれたのではないでしょうか。ちなみに、豆は以前使われていたコメ、麦、炭などよりも鬼にぶつけたときの音がいいことも好まれる理由だそうですよ~。

節分が行われる場所によっては、「鬼は外」と唱えないことがあるようです。例えば、千葉県成田市の成田山新勝寺では、毎年色々な大相撲力士やその年のNHK大河ドラマの出演者が豆まきに参加します(ちなみに今年は相撲力士では把瑠都、「龍馬伝」からは香川照之さん、宮迫博之さんなどが参加しました)。そこでの掛け声は慣習上「福は内」だけだそうです。これまた、なんでもご本尊の不動明王が鬼さえも改心させるためだからと言われています。
また、例えば、岐阜県端労市の鬼岩福鬼祭りでは、福を運ぶのが鬼であるため、「鬼は内、福は内」と独特の掛け声をするそうです。鬼を祭神あるいは神の使者としている神社、あるいは「鬼塚」「鬼頭」など「鬼」の付く性がつく地名で、「鬼は内」と唱えるところが多い事が分かってきています。
災いや不吉をもたらす存在として忌み嫌われている「鬼」ですが、必ずしも節分で常に「悪役」ではないようですね。

日本の伝統芸能、狂言にも「節分」という曲があります。同じ曲名で幾つかつくられていますが、その内の一つは、鬼が人間的な感情をもち、しかし哀れにも鬼であるがゆえに追い払われてしまうというものがあります。あらすじはこうです。
~節分の前夜に蓬莱の島(渤海にあるという想像上の島)の鬼が、節分で撒かれた豆を食べようと日本へやってくる。長い旅をしたために空腹になり、食べ物をもらおうと民家を探す。灯火にひかれてある家をのぞくと、それはそれは美しい女がいた。その女の夫は出雲大社に年籠り(大晦日から元旦にかけて参籠する事)をしている最中であり、女は女房としてはその留守を預かっているのであった。鬼は食べ物を請い、荒麦をあたえられるが、その時既にその女性に心を奪われていた。なんとか気に入られようと小唄を次々と歌うが、一向に相手にされず、鬼はついには泣き出してしまう。そのため、女は気を許したふりをして、鬼を家に入れ、鬼から隠れ蓑、隠れ笠、打ち出の小槌などの宝物を取り上げる。さて、時分もよし。「鬼は外」と女は豆をぶつけて鬼を追い出す……~
なんと哀れな鬼でしょう! 美しい女性のしたたかな機転よりも、男性のような人間的な恋情を示しながらも、豆をぶつけられ、追い立てられた鬼の哀れさが気になってしまいますね。宝物を差し出しながらも、忌み嫌われてしまう…。このような状況はどこか、現代で家族での地位が下がってしまったお父さんの状況を彷彿とさせる気がします(う~むむむ…)。
 
節分会は、色々なやり方で楽しみましょうよ。節分にまつわる狂言を見に行くもよし、お祭りに出かけて行って有名人が撒いた豆を食べに行くもよし、鬼に扮して思い切り豆を当てられて家族を盛り上がるのももちろんよしです。
しかし、ひとたび節分が終わり、お面をとった我々お父さんに対しては、ぜひ労りの気持ちをもって接してほしいですよね。時には一家の大黒柱として、厳しくあるがゆえに、「鬼」のように見えてしまうこともあるでしょう。
しかし、父あっての福だということも忘れてほしくないと願っております。