2010年5月6日木曜日

悲しみの3・10と4・13の存在

 それは、3月10日に開催された子ども文教委員会での、午前中の質疑応答がひと段落して終わり、午後からの質疑応答の再開時間を決める際の出来事でした。本来私は、委員(かつ議長)という身分では、総務委員会という常任委員会に帰属していますが、もう一つ、今度は純粋に、議長という身分で子ども文教委員会という常任委員会にも出席しています。この辺りは、今の副議長と役割分担をしているところでもあります。

(本橋)「えっ、何で…、ただ正午に黙とうするってだけじゃ傍聴者は訳が分からないでしょうに。もっとキチンと、分かりやすく案内すればいいのに…」
この度の第1回定例会での子ども文教委員会の特徴は、「報告案件」がかなり多い事でした。勿論、どの報告案件も大事なものばかりで、その内容に優劣をつけることは出来ないでしょう。ただ、その取り扱い量の多さから、いつにも増して委員会が開催されたことは特筆されてしかるべきですし、その開催日の一つが、冒頭申し上げた3月10日だったのです。

(事務局)「本日は、正午から黙とうが行われますので、午後の開催時間をお決めください」

 今年に入って間もなくのことです。特別区23区の議長には勿論のこと、三多摩の議長にも、東京都の石原慎太郎知事(実務は、東京都の生活文化スポーツ局・文化振興部・文化事業課が担っているのですが、ここで『文化』が出てくるのには、なんだか違和感をいだいてしまいますね…)から、3月10日、東京都庁第1本庁舎5階大会議場で行われる、「東京都平和の日記念式典」の招待状が届きました。何でも、平和国家日本の首都としての東京都は、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓うために、3月10日を「東京都平和の日」と定めたこと、そして、この日は、東京大空襲をはじめ戦災で亡くなられた方々を追悼するとともに、何よりも平和の願いを込めて、「東京都平和の日記念式典」を挙行すること、確か、そういった内容の手紙が添えられていました。
 勿論、私は、出席に○を付けて返信しました。
 
昭和20年3月10日、午前零時8分、東京上空…。日本軍玉砕とバンザイクリフの悲劇のあったサイパン島が陥落し、ここから、その当時の日本の総国家予算の半分以上の研究開発費をかけて製造されたといわれている「B29重爆撃機(愛称は、スーパーフォートレス)」334機が、暗闇の中轟音をたててやって来ました。今の墨田区や江東区、そして中央区あたりを中心に、絨毯爆撃を展開し、約2000トンの焼夷弾(新型焼夷弾)を、だいたい午前2時半頃まで落とし続けたのです。
その焼夷弾の落とし方がまた、アングロサクソン流ですね…。まずは、東西の5キロ、南北の6キロの範囲に焼夷弾を落として灼熱の炎で取り囲み逃げ惑う人々の退路を断ち、次に、1平方メートルあたりに、平均して3発の焼夷弾を落とすことで、人も、家屋も焼きつくす計画を遂行したわけですから…。

(読者)「えっ、1平方メートルあたりに3発も焼夷弾を落としたの?、なんてひどい事を…」

そのひどさをもう少し詳しくご説明しましょう。
「3発」と言っても、単純に3つの弾が落ちてくるというものではありません。このとき使われた焼夷弾は、その中に、ナパーム剤を中身とするM69という新型焼夷弾が48個束ねられて詰まっているのです。つまり、B29から投下された焼夷弾は、空中でパカッと帯が解かれ、48個のM69(新型焼夷弾)がばら撒かれる仕組みになっているのです。しかも、そのM69のお尻からは約1メートル位のリボンがひらひらと飛びだし、これによってM69の揺れを防ぐと共に、ここが点火もします(だから、当時の被災者の証言の中に、やたらと空から火の雨が降ってきたよ…、とのセリフが出てくるのでしょうね)。それが、次から次へと、雨あられのように天から降ってくるのですからたまったものではありません。しかも、アメリカは最もダメージを大きくするためのち密な実験までしての計画遂行ですから…。
実験…、何でもアメリカは、木と紙で出来ているとも言える日本家屋を焼き払う作戦計画策定ために、わざわざ国内の実験場に、2階建て12棟の長屋を建設し、建物内部には、ちゃぶ台・畳・座布団・炭火鉢・ふすま・障子・タライなど、ありとあらゆる日本的グッズを用意して、新型焼夷弾M69の試爆実験を繰り返し、その威力を確かめたといいます。
その結果が、「東京大空襲」です。
一夜にして焼死者約10万人、負傷者約11万4千人、戦災家屋約26万8千戸。東京の人々は、灼熱地獄の中にあって、逃げ惑い、逃げ切れずに、燃え上って絶命していったのです。これを国際法違反の非人道的空爆、人類史上空前絶後の戦争犯罪・大虐殺と言わないで、一体全体何と言うのでしょうか。私達日本人は、今もって告発者の立場にある事を忘れてはならないでしょう。
そのアメリカは、相も変わらずに、6大工業都市を隈なく爆撃した後、人口の多い順番に、日本全国の64の都市部焼き払っていったのです。

(事務局)「本日3月10日は、かつて東京大空襲のあった日です。東京都でも、また本区でも、正午に黙とうをささげる事となっております。つきましては、そこをご斟酌のうえ、午後の委員会の再開時刻をお決めください」

あの時、このような言い回しを事務局にしてもらいたかったですね…。先の大戦の悲劇は、現在生きている我々は勿論、将来の子孫にも語りつないでいかなくてはならないと思っています。そこを明確に意識していないと、直ぐに忘却の彼方へといざなわれてしまいますもの…。

4月13日、城北大空襲犠牲者追悼の会に参列してまいりました。既に15回目を迎えた「4・13根津山小さな追悼会」です。当日の実行委員会の皆さんの活動ぶりは、とっても純粋でかつ真摯でした。しかも設営・運営から進行に至るまで、手作りと戦災者への労りに満ち満ちていました。時折、葉桜となりながらも一枚一枚、追悼の会に潤いと悲しみを誘うかのように、丁寧に舞い落ちてくる桜の花びらが印象的でした。桜の花の散り際を見つめながら…、桜舞い散る公園の中で…、戦災で亡くなられた方々の思いに、少しでも辿り着こうとしている自分がそこにいましたし、これをどう語り、紡いでいくかが大事だと思案した午後のひと時でした…。
合掌。

バンクーバーを想う

「睦月・如月・弥生」と、季節も慌ただしい三月となりました。名店街ニュースをお読みの皆様のご家族も、学校や職場で引っ越しや移転作業等、新生活への準備等で慌ただしい時期ではないでしょうか。
さて、三月の別名、「弥生」の由来ですが、草木がいよいよ生い茂る月、「木草弥や生ひ月(きくさいやよひつき)」が詰まって「やよい」になったそうです。草木の芽が生え始めているのを見て、学生は新学期の開始、社会人は職場での新メンバーの歓迎など、さぞかし期待と不安の入り混じった、新しくも待ち遠しい事の始まりを予感している頃ではないでしょうか。
 
新春を迎える前に、そのスタートに相応しい多くの感動を私達は貰ったのではないでしょうか。いわゆるバンクーバーオリンピックでの日本人選手の活躍です。この大会で、我が国の選手は数えきれないドラマを残したわけですが、中でも特に印象深かった選手を振り返ってみたいと思います。

まずは、女子フィギュアスケートで銀メダルを獲得した、浅田真央選手。女子フィギュアのチャンピョン、キム・ヨナ選手と頂点を争い合いましたが、結果はプレッシャーをはねのけ、完璧な演技をこなしたキム・ヨナには敗れましたが、自己最高得点を叩き出し、初出場で銀メダルという快挙を成し遂げました。
しかしながら、その後の涙ながらのコメントが実に印象的です。
「(トリプル)アクセル(演技の技名で、女子フィギュアではかなり高難易度の技だそうです)を2回飛べた以外は全く満足していない。」
なんという貪欲さでしょうか!全世界から集められた天才の祭典で、圧倒的多数を抑えて2位になったにも関わらず、悔し涙を流したその勝利への意欲は大したものです。私達がテレビで見る演技、審査対象の全てはたったの5分足らずです。その5分のために、何千時間もかけて、怪我やスランプと闘いながら調整するわけですが、どんなに努力をしようとも、評価される対象はその5分のみです。およそ長い人生の中で、たった一瞬であるその時間を生きがいにし、そのわずかな時間のためにあくなき向上意欲を示す態度には、感服させられましたし、同時に自らの背筋が伸びるようです。
「本当に長かった、というか、あっという間・・・」大会後のこのコメントは、まさに一瞬に人生を賭けた勝負師・英雄の感想であるといえるでしょう。「銀メダル」というその偉業に拍手を送ると共に、その情熱を見習い、自らを戒めたいと感じたひと時でした。

長島圭一郎選手が日本勢として初のメダルに輝いた瞬間、地元である北海道池田町での応援団の様子がテレビに映し出されました。会場は歓喜にわきました。町のホールで開かれた観戦会には町民300人が集合し、歓喜の瞬間には十勝ワインのスパークリングワインで祝杯を上げたそうです。
長島選手の快挙によって、町の絆が深まりました。池田町長は、長島選手に町民特別栄誉賞授与の意向も示しています。なぜここまで多くの町民が長島選手に魅了されるのでしょうか。おそらくは、一つの目標に向うに当たっての志高き個人の意思と信念が、多くの人を魅了しているのではないかと考えます。人生を歩む中で、自らが貫きたい・守り続けたい意思や姿勢、そして信念が必ずあるはずですもの・・・。
ちなみに、池田町の初代町民特別栄誉賞は、どなただと思いますか。
それは、みなさんよくご存じのDREAMS・COME・TRUE(ドリームズ・カム・トゥルー)の吉田美和さんです。町民に夢を与え、町の知名度を上げたとして、ドリカムの結成20周年と開町110年が重なった2008年に授与されました。バンクーバーオリンピック日本代表応援ソングであるドリカムの「GODSPEED」は、困難なことに立ち向かう人たちへ最上級の「GOOD LUCK!!」を願う意味を持つそうです。この応援ソングに日本選手団の選手たちは、多くの勇気をもらったことでしょう。人は困難に立ち向かう時、得てして周りの人間の温もりを感じるものです。長島選手も強き意思と信念があったとはいえ、周りの人の支えなしには、あるいはこの曲なしでは(ちょっと大袈裟?)、この快挙は達成できなかったのではないでしょうか。

同じスピードスケート男子500mにおいて、長島選手以上に金メダルが期待されていた選手がいます。長島選手と同じ会社に所属する、加藤条治選手です。一回目のレースでは金メダルが十分に狙える位置にいた加藤選手でしたが、二回目のレースでは最後の直線で失速し、残念ながら銅メダルという結果に終わってしました。競技終了後の加藤選手のブログには、「好きな競技に本気になって、たくさんの感情を抱く。幸せなことですね。」という文が掲載されています。
「たくさんの感情」とは、いったいどういったものだったのでしょうか。
加藤選手は、メダルを獲得した喜び・安堵の感情を、ひとまずは抱いたことでしょう。私自身も、人生の四年間を競技のために捧げ、世界で第三位という見事な結果をおさめた加藤選手の栄誉をたたえ、敬意を表したいと思っています。
一方で加藤選手は、「銅メダルがこんなに悔しかったなんて知らなかった」とも述べています。
競技が終了した翌日の朝日新聞の社説には、長野五輪の同種目で金メダルを獲得し、過日引退を発表した清水宏保選手の記事が掲載されていました。題名は「条治よ 悔しかったか」。「楽して金メダル取りたいですね」と言い、スタミナが要求される1000mには出場せず500mの競技のみに専念した加藤選手に対して、最後の直線で失速した原因はスタミナ不足にあり、練習方法を変えていく必要があると助言をする清水氏。同じ種目で金メダルを取った清水氏にしかできない、さらに高みへ登っていくための助言を、加藤選手はどう受け取ったのでしょう。
きっと加藤選手にとっては、銅メダルが自分自身を見つめなおすきっかけとなったのではないでしょうか。清水選手の助言を受けとめた加藤選手は、四年後のオリンピックまでに一回り大きくなって、必ずや私たちの期待に応えてくれるでしょう。私も一人のサポーターとして、今後の加藤選手を全力で応援していきたいと思っています。

4年に1度の五輪で、長島選手のように全力を出し切り、最高の結果をだすことができた選手もいれば、浅田選手や加藤選手のように、一瞬のために賭けた4年間を通じて自分自身を見つめなおし、また4年後を見据えて競技を極めていこうとする選手たちもいます。こうした選手たちの姿は非常に美しく、私は自分を奮い立たせ、困難を乗り切る勇気が湧いてきます。
私たちも彼らのように、いつまでも一瞬一瞬に全力でぶつかっていきたいですね。

2010年2月12日金曜日

過ぎし、節分の日を想いながら…

早いものですね。年が明けてからもう一月以上が経ち、立春を過ぎました。『時事一滴』をお読みの皆様方におかれましては如何お過ごしでしょうか、お伺い致します。
私自身は、年明けからとっても多くの「新年会」や「新春の集い」といった催し物に顔を出させていただき、出来る限り出席させていただきました。しかも、多くの場合、挨拶までさせてもらい大変感謝しております。ありがとうございました。
今は、それも終わりに近づいております。特に、議会では、第一回定例会の準備と、来るべき予算委員会の開始など、新しい年のための議会活動が本格的にスタートし始めております。
この『時事一滴』をお読みの皆様も、立春を過ぎて年明けムードも抜けきった中で、厳しい商戦を展開されている事と推察いたします。

さて、立春といえば日本の伝統行事として、「節分」があります。
皆様ご存知の通り、立春の前日に「鬼は外、福は内」と唱えながら豆を撒き、一年の無病息災を祈る、アレです。
節分とは、その名の通り、「季節の分かれ目」のことです。季節が変わるときには邪気=鬼が生じると考えられているので、豆を撒いてそれを払おうとするというわけです(一部の地域では、縄に柊やイワシの頭を付けたものを門に掛けることによって、鬼を払うところもあるようですよ)。
言葉の意味上、立春・立夏・立秋・立冬のいずれも節分という事になりますね。でも今では、立春の前日が一般的になっています。その理由は何だろう。あまり詳しく掘り下げてはいませんが、なんでも、豆を撒くのは、豆を投げれば「魔滅(まめ)」、つまり魔を退けられるからだと考えられているそうです。また、イワシの頭はその臭気で鬼を追い払うとされているそうです。

一般的に使用される豆は、お祓いを行った大豆、つまり炒り豆です。ところが、地域によっては落花生が使われている事を知りました。落花生は大豆よりも回収がしやすく、また殻があるので地面に落ちても食べられるという利点から採用されているとのこと。なるほど、確かにそうですね(かなり合理主義的…)。

現代では、この「節分」が一年のビッグイベントの一つとなり、催しに有名人を招いて豆を撒いたり、お寺で狂言を行ったりと、この行事を様々な形で楽しんでいるところが多いようです。これをお読みの皆様も、2月3日には「鬼」に扮して、豆を当てられて楽しまれたのではないでしょうか。ちなみに、豆は以前使われていたコメ、麦、炭などよりも鬼にぶつけたときの音がいいことも好まれる理由だそうですよ~。

節分が行われる場所によっては、「鬼は外」と唱えないことがあるようです。例えば、千葉県成田市の成田山新勝寺では、毎年色々な大相撲力士やその年のNHK大河ドラマの出演者が豆まきに参加します(ちなみに今年は相撲力士では把瑠都、「龍馬伝」からは香川照之さん、宮迫博之さんなどが参加しました)。そこでの掛け声は慣習上「福は内」だけだそうです。これまた、なんでもご本尊の不動明王が鬼さえも改心させるためだからと言われています。
また、例えば、岐阜県端労市の鬼岩福鬼祭りでは、福を運ぶのが鬼であるため、「鬼は内、福は内」と独特の掛け声をするそうです。鬼を祭神あるいは神の使者としている神社、あるいは「鬼塚」「鬼頭」など「鬼」の付く性がつく地名で、「鬼は内」と唱えるところが多い事が分かってきています。
災いや不吉をもたらす存在として忌み嫌われている「鬼」ですが、必ずしも節分で常に「悪役」ではないようですね。

日本の伝統芸能、狂言にも「節分」という曲があります。同じ曲名で幾つかつくられていますが、その内の一つは、鬼が人間的な感情をもち、しかし哀れにも鬼であるがゆえに追い払われてしまうというものがあります。あらすじはこうです。
~節分の前夜に蓬莱の島(渤海にあるという想像上の島)の鬼が、節分で撒かれた豆を食べようと日本へやってくる。長い旅をしたために空腹になり、食べ物をもらおうと民家を探す。灯火にひかれてある家をのぞくと、それはそれは美しい女がいた。その女の夫は出雲大社に年籠り(大晦日から元旦にかけて参籠する事)をしている最中であり、女は女房としてはその留守を預かっているのであった。鬼は食べ物を請い、荒麦をあたえられるが、その時既にその女性に心を奪われていた。なんとか気に入られようと小唄を次々と歌うが、一向に相手にされず、鬼はついには泣き出してしまう。そのため、女は気を許したふりをして、鬼を家に入れ、鬼から隠れ蓑、隠れ笠、打ち出の小槌などの宝物を取り上げる。さて、時分もよし。「鬼は外」と女は豆をぶつけて鬼を追い出す……~
なんと哀れな鬼でしょう! 美しい女性のしたたかな機転よりも、男性のような人間的な恋情を示しながらも、豆をぶつけられ、追い立てられた鬼の哀れさが気になってしまいますね。宝物を差し出しながらも、忌み嫌われてしまう…。このような状況はどこか、現代で家族での地位が下がってしまったお父さんの状況を彷彿とさせる気がします(う~むむむ…)。
 
節分会は、色々なやり方で楽しみましょうよ。節分にまつわる狂言を見に行くもよし、お祭りに出かけて行って有名人が撒いた豆を食べに行くもよし、鬼に扮して思い切り豆を当てられて家族を盛り上がるのももちろんよしです。
しかし、ひとたび節分が終わり、お面をとった我々お父さんに対しては、ぜひ労りの気持ちをもって接してほしいですよね。時には一家の大黒柱として、厳しくあるがゆえに、「鬼」のように見えてしまうこともあるでしょう。
しかし、父あっての福だということも忘れてほしくないと願っております。

2010年1月23日土曜日

平成22年を迎えて

『時事一滴』をお読みの皆様、新年明けましておめでとうございます。
 読者の皆様におかれましては、常日頃から、池袋駅周辺のまちづくりを始めとしまして、多方面にわたりご尽力いただいておりますことに対し、この場をお借りいたしまして、厚く御礼申しあげます。本年も、皆様とこうして新年のよろこびを共に分かち合えます事を大変幸せに思っております。
 さて、昨年平成21年の豊島区は、文化庁長官表彰「文化芸術創造都市部門」受賞の喜びに始まりました。それを起爆剤としまして、豊島区の文化政策も随分と浸透し、もともと盛んであった演劇のほか、音楽、絵画、マンガ、にゅー盆踊りなど、色彩豊かでユニークな企画が、多々催されました。私自身、区民ひろばや地域文化創造館などで行われる様々なイベントにも参加いたしましたが、健康増進や、心豊かな生活を送るための各種講座が開かれていたり、日頃の活動の成果が発表されたりと、地域の方々も、身近なところで文化的な活動に取り組み、楽しんでおられます。また、豊島区内には6つの大学があり、これら6大学との連携も、「としまコミュニティ大学」を始めとして、かなり進んでいました。そこでの各大学の特徴を活かした内容を見れば、本区に住んでいることで、多種多様な事柄を学ぶ機会に非常に恵まれているということがよくわかります。ともすれば閉塞感に陥りがちな不況のまちを、商店街の皆さんやボランティアの方、そして若者などの力で盛り立てていこうとする地域の皆様の気概を、大変心強く感じたところです。
 
街並みにも大きな変化が見られました。その幾つかを挙げさせてもらいますと、例えば五十年もの間、池袋東口を華やかに彩ってきた三越百貨店が、惜しまれながら閉店し、その跡地には、大型家電量販店ヤマダ電機がオープンしました。既存の大型店ビックカメラとの間に、熾烈な販売競争が繰り広げられており、東口の空気が変わったように感じられます。また、西口には、駅構内にエチカ池袋、地上にエソラ池袋が、相次いで開業し、消費低迷の昨今に新しい活力を吹き込んでおります。エソラ池袋の記念式典では、ソメイヨシノ桜の観光大使が華を添えてくれました。池袋駅西口地上部分も、緑をコンセプトに様変わりを遂げようと動き出しています。隣の大塚駅では、地元住民の皆様念願の南北自由通路が開通されました。その開通式典も、よさこいと絡めたのが功を奏して、盛況のうちに執り行われましたっけ…。また、その隣の巣鴨駅では商業施設の入る五階建ての駅ビルが開業を控え、さらに駒込駅前にはホテルメッツがオープンしました。
 
一方、新しい庁舎の構想も進んでおります。百年に一度といわれる不況の中で庁舎を建設することは、大変な困難を伴いますが、現庁舎が既に耐久年数を大幅に超えていることの危険性を考えれば、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」、デフレの今こそ知恵と勇気を振り絞り、前進してまいりたいですね。ちなみに、新庁舎に関しては、建築家の隈研吾氏らの協力を得る事が出来たとの事です。今第一線で大活躍してくれている隈氏の登場はとっても心強いですし、どのような感性がにじみ出てくるのかがとっても楽しみですね。その斬新な設計とデザインで、私達をアッと言わせてくれる事でしょう。

世界的な大不況もさることながら、世界的な新型インフルエンザの猛威も怖かった1年でしたね。区内の小中学校も、一時は連日学級閉鎖となりました。私達のもとには、かなり頻繁に学級閉鎖の状況説明などを内容とする情報が、ファックスにて届いたりしていました。この点、本区の保健福祉部や教育委員会はよくやっていると思います。このインフルエンザでは、高熱を発して苦しまれた方や、夜を徹しての看病をされた方もおられたことでしょう。今のところ、弱毒性で、落ち着いてきたとはいえ、ウイルスが変異する可能性や、過去の新型インフルエンザでは第二波、第三波があったこともあり、油断は禁物です。どうぞ皆さんお気を付け下さい。

都議会及び衆議院においては、与野党が逆転し、民主党が第一党となりました。政権が代わっても、国や都が直面する課題はそう大きく変わりませんが、現政権の政治が、私たちの暮らしや将来に及ぼす影響を、慎重に見極め、今年の参議院議員選挙では、有権者として答えを出していかなければなりません。特に、最近の国政レベルの選挙は、なんでも「劇場型」と言われ、新聞やテレビそしてラジオなどの媒体からあふれ出てくる情報をただ受け取るだけでの投票行動が目に付き始めました。特に、その傾向は若者に顕著なのではないでしょうか。
 
その若者ですが、1月11日は、成人の日でした。平成の幕開けと共にこの世に生を受け、そして二十年の時を経て、当日成人式を迎えられた皆さんにおかれましては、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
「内平らかに外成る」「地平らかに天成る」という、中国の古典に基づいて名づけられた「平成」には、「国の内外にも天地にも平和が達成される」ということへの願いが込められております(確かそのような説明を、額を掲げながら、当時の故小渕恵三内閣官房長官がしてくれたと思いますが…)。成人の日には、「おとなになったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝いはげます日」という意味があります。20歳を迎えた新成人の皆さんには、こういった時代状況の中に生きているおとの認識を噛みしめてもらいたいのは勿論のこと、人間は誰しもが、社会のシステムとそこに働く人々に、その生命を守られ、生活を支えられておりますから、これからは大人として、共に社会を支えていかなければならない義務が生じたことを自覚してもらいたいですし、その一方で、これまでの日々、ご両親、ご家族をはじめ、地域社会や法律などにより、子どもとして大切に守られてきたことに、感謝の念を向けて欲しいと思います。
さてそこで、20歳で生じる権利の一つ、選挙権のことです。申し上げるまでもなく、政治は、有限性の中にあって、地方や国のあり方を決め、進路を方向づけていく人間の営みです。それがあるべきかたちなのか、進むべき方向にあるのかどうかを考えて、推し進めたり、修正したり、異を唱えたりする権利を持つわけです。選挙の際には、新聞がこう書いているとか、テレビでこう言われているとか、友達がこうするからとか、他者からの影響のみでもって審判を下してほしくないですね。必ず投票所に足を運ぶとしても、自分の主義・主張・信念・哲学を一票に託した上で、投票行動をとって欲しいと、本心から思います。それでもまだマダルッコシイとお思いの若者は、25歳ないし30歳になって、立候補することで、自らこの豊島区を、日本を、今一度洗濯してくれればよろしいのです。豊島区の将来のために、ひいては日本のために、粉骨砕身できる方が現れることを望んでおりますし、いつでも同志として迎えます(ただし、政治理念等が同様の方に限られていきますが)。
新成人の諸君!!
二十歳を過ぎるころから、月日の巡りは年々加速していくぞ。
若い時にしかできないこともあるし、若くして才能を開花させる人もいる。
しかし、若い日々の努力や心掛けが報われ、歳をとってから花開く人生もある。
焦ることなく、自分の道を自分の明るさで照らし、着実に歩み続けてくれ。
年を重ねた未来の自分が、平凡で、ごく普通の日々を送っていたとしても、誰かを支え、何かの役にたっているのであれば、その誰かや何かにつながる先に秘められている可能性の大きさは、はかり知れない。
たとえ不遇なことがあったとしても、他人や社会のせいにせず、自ら生き抜こうとする気概を持ち続けて欲しい。
不況の今、負けることなくはばたこうとする君達の溢れるパワーに、大いに期待し、心からの声援を送る。

先行きが不透明な中、今年はいったいどのような年になるのでしょうか。
その期待と不安に胸を膨らませつつ、力強い第一歩を皆さんと共に踏み出していきたいと思います。
本年もまた、私共々、この『時事一滴』にどうぞお付き合いください。