2007年12月22日土曜日

テロ得?

 今からちょうど2ヶ月前の10月17日、日本政府は、11月1日に期限が切れる「テロ対策特別措置法」に代わる、「新テロ対策特別措置法案」を閣議決定し、国会に提出致しました。勿論、提出してはみたものの、その後の帰趨はどうなっているかと言えば、まさに予断を許さない感じがあります。それは、直近の各新聞やテレビで報道されている世論調査結果が如実に物語っているところであります。
 そこで、新法案は一体全体どういう内容のものかといいますと、国際社会の「テロとの戦い」や、わが国の生命線である原油とシーレーンの安全確保という国益の観点を踏まえた上で、引き続いてインド洋、とりわけアラビア海海域での海上自衛隊の支援活動を、給油と給水活動に限定し、その給油先も、武力行使に従事する軍艦への補給活動を排除し、テロリストの移動や武器、麻薬などの輸送を監視・摘発する海上阻止活動にかかわる他国軍の艦船に限定したものとなっております。
 

 そこから新法案は、①ここでの海上阻止活動が、国際法に基づいた乗船検査などの海上警察活動を指しており、決して武力攻撃をするものではないこと、また、②給油先も限定したことで、対イラク作戦などに対する燃料の転用防止の徹底にもつながっていること、さらに、③その期限は、文民統制をより強いものにするという意味で、1年としていること等から、現在の「テロ対策特別措置法」にも増して、国民の支持を得られるものになっていると思います。
 

 そもそも、「テロ対策特別措置法」のもとでの、海上自衛隊の艦艇による洋上給油活動の戦略的意味は、「テロとの戦い」に取り組んでいる多国籍海軍の海洋安全保障にとって極めて重要な意味を持っていることは間違いありません。
 

 といいますのも、わが国の海上自衛隊の艦艇が洋上給油している各国艦艇の受け持っている海域は、ペルシャ湾からホルムズ海峡、アラビア半島の沿岸海域、紅海からソマリア海域と極めて広範囲に及んでおりますが、もしここで洋上給油という手段を失ったとしたならば、一体どうなるでしょうか。是非、皆さんも想像して頂ければ有難いです。


 私なりに想像してみますに、洋上での給油がなくなれば、各国の艦艇は、いちいち予め定められた補給港に寄港し、燃料補給作業を行うことを余儀なくされ、その結果、時間的に大きなロスを生じさせると共に、各国の艦艇の作戦行動が当該補給港に縛られてしまい、ひいてはテロリスト達に、海上阻止活動の警戒網をくぐり抜けた、各種洋上活動を許してしまうことになると思いますし、それは我が国にとって、「テロとの戦い」の成否に関わる軍事的な欠陥をさらけ出すことを意味すると考えますが、いかがでしょう。


 数年間にわたって続けられているインド洋上、とりわけアラビア海海域での海上安全保障活動で摘発されたテロリストやテロ集団と関係する船舶数は、公開情報に限ってみますと極めて少ないことが分かります。 

 そこから、「テロ対策特別措置法」に基づく海上安全保障作戦が、テロの根絶にどの程度貢献したのか!とか、実質的に役立ってはいないのではないか!とか、費用対効果が低くて実行価値がないのではないか!といった声が聞こえてまいります。
 

 しかし、このような発言は、わが国の安全保障にまつわる軍事的な専門領域までをも、いわゆる商業、商い的視点でしか判断できない、いわゆる「平和ボケ」の典型例の一つでありまして、わが国独特の現象といわざるを得ないと思います。
 

 といいますのも、摘発ないし捕捉されたテロ分子が極めて少ないということの意味は、各国の艦艇による哨戒・警戒活動によって、テロリスト側の、洋上での活動が大幅に制約されている、抑止効果がもたらされている、と言うことが出来るからであります。各国の艦艇がアラビア海海域を常時パトロールしているがゆえに、テロ分子達による、テロリストの移動や武器弾薬の増強、麻薬や人身売買による資金稼ぎのための密貿易を抑止出来ている、という成果が上がっているという意味において、確実な「貢献」がそこにはあると、私は考えます。


 加えて、現在、各国の艦艇に対して洋上給油を行う為の部隊を展開させる能力を持っているのは、世界各国の軍事バランス上、わが国の海上自衛隊だけであり、わが国政府が国連によって支持されている「テロとの戦い」そのものを支持している以上、海上自衛隊の補給艦が各国の艦艇に給油などの支援をすることは、まさにわが国の特性を生かした、外交努力の結果生まれた国際貢献と言う事が出来ると思います。


 しかも、より重要なことは、わが国の生命線である原油とシーレーンの安全確保という国益を見据えて、今回の問題を議論することであります。わが国が輸入している原油のうち89.5パーセントは、ペルシャ湾からホルムズ海峡を抜けて、アラビア海を通過してインド洋から日本へと向かっておりますし、残りの10.5パーセントのうち、4.2パーセントは、紅海からアラビア海を横断しインド洋から日本へと向かっています。つまり、わが国が輸入する原油の93.7パーセントは、「テロとの戦い」のもと、多国籍海軍の艦艇が安全を確保してくれている海域・シーレーンを通過してもたらされてくるものです。
 

 もしもわが国の海上自衛隊の艦艇による洋上給油活動がなくなり、各国の艦艇による海上安全保障活動が停滞し、アラビア海海域でのテロリストの活動が活発になりますと、最悪の場合は、93.7パーセントの原油を、わが国は手に入れることが出来なくなる恐れが生じます。そして、わが国が常時備蓄している約半年分の原油を消費してしまった後は、生産活動も交通機関も完全に麻痺してしまい、国民の健康で文化的な生活は到底望めなくなってしまいます。
 

 わが国としましては、引き続いて各国の艦艇に対する洋上給油活動を展開することによって、自らの原油とシーレーンの安全確保という国民生活の生命線を守り、原油の安定的な獲得の維持という我が国の国民生活に直結した国益を守るという観点を常に持ち続けていかなければならないと思いますが、いかがでしょうか。
 

 海上自衛隊の洋上給油活動の継続は、わが国が国際社会の一員として、「テロとの戦い」に貢献するという国際的な責任を果たす意味でも、また、海上交通の安全確保というわが国の国益にも合致するという意味でも、政治的に正しい決断であると、私なんぞは思っておりますが・・・。   
少なくとも、テロリスト達が得しない方策を考え続けましょう。
~~~本年も拙いエッセイ(?)にお付き合い下さり、誠に有難う御座いました。

良い年をお迎え下さい。~~~                                                                 2007年12月

2007年12月4日火曜日

ガンバレ柏崎

  11月11日、日曜日の午前、豊島区総合グラウンドで、第4回「TEPCOフレンドリーカップ2007」という、豊島区と新潟県柏崎市との少年野球交流大会が開催されました。
この大会は、東京電力株式会社の大塚支社と柏崎刈羽原子力発電所が主催し、財団法人:社会経済生産性本部の首都圏エネルギー懇談会の共催を得て、私どもの豊島区少年野球連盟と新潟県柏崎学童野球連盟が協力するもので、首都圏で使われる電力の約2割をまかなっている柏崎刈羽原子力発電所立地地域である新潟県柏崎市という「電力の生産地」と、私達が住む首都圏の真っ只中にあります東京都豊島区という「電力の消費地」とを、少年野球というスポーツで結び合うことによって相互理解を深め、ひいては日本のエネルギー事情に小さい頃から関心を持ってもらいたいという願いを込めて行われているものです。


  当日は、困ったことに朝から生憎の雨模様でして、雨による大会への影響を少しでも抑えようと、開会式を簡潔に済ませる等して予定時刻より早目にプレイボールとしたのですが、一回の表を終わった時点で無常にも強い雨脚となり、審判部の判断でやむなく中断、選手達はアンダーシャツを取り替えてジャンパーを着るとともに、ベンチで雨が止むのをひたすら祈るという状況が2・30分続いてしまいました。


  わざわざ新潟県柏崎市から一泊二日の行程で、監督・コーチ・ご父兄の皆さん、そして選手達の総勢約60名(柏崎スターズと松浜少年野球団の2チーム)が来てくれているのです。ホスト側の豊島区少年野球連盟をはじめ、大会関係者は、雨脚が衰えたと判断するや、一目散にグラウンドに飛び出して行き、水溜りの除去や砂の入れ替え等をはじめとするグラウンド・キープ作業に取り掛かりました。内野のところの水溜りをレイキやブラシで、ファウルグラウンドのほうまで押し流してゆく人、たいして大きくもないスポンジをグラウンドに押し付け水を吸い取ってバケツに捨てている人、乾いた砂をピッチャーズ・マウンドやバッターズ・ボックスに運び、ぬかるんだ砂と入れ替えている人、各大会関係者が暗黙のうちに役割分担し、プレイ再開への道筋をつけてくれています。
 

  それらの光景を、私も手伝いながら拝見して感じたことは、わざわざ柏崎市から来てくれている、それだけの理由ではこの一連の動きぶりは出てこないな、という事でした。
大会前日の11月10日、土曜日の夕方、今大会の前夜祭とも言える「ふれあい交流会」が、サンシャインシティ・プリンスホテルの特別協力のもと、ワールドインポートマート9階さくらルームで行われました。懇談に入る前の、オープニングセレモニーでは、まず、主催者の東京電力の役員の方から、今回の新潟県中越沖地震による被災者の皆さんへのいたわりの言葉と、柏崎刈羽原子力発電所の罹災よる影響を、子供達が一生懸命取り組み、楽しみにしているこの少年野球交流大会に及ぼしてはならない旨の決意が述べられ、次に、乾杯の発声をした柏崎学童野球連盟の役員の方からは、今回来たチームの中に中越沖地震で被災したご家族が多数含まれている旨のご挨拶がありました。この時、ご挨拶した方々とそれを聞いていた皆さんに共通して去来したものは何か、それを私なりに想像しますと、様々な形で被害を受けた柏崎への優しさと労わりの想いもさることながら、日本人としてとても大切な事に無関心でありすぎたし&ありつづけたという反省の想いではないでしょうか。


  7月16日午前10時13分、新潟県中越沖地震が発生してから、柏崎刈羽原子力発電所の地震被害の映像は連日連夜テレビで報道され、「何故、地震多発国に、原発を作ったのか」とか、「原発の安全性には多大な疑問があるといわざるを得ない」といった批判が相次ぎましたが、そもそも私達は、はたして&どこまで原発についての正しい知識を持ち合わせていたでしょうか。私達は今、原発についての無関心を卒業し、国民一人ひとりが認識を深め、思考する時期がやってきたのではないでしょうか。現にアメリカでは、1979年のスリーマイル島の事故以来、原発の建設がなされてこなかったのにもかかわらず、いよいよ新たな建設計画を策定しましたし、現在世界的に、原発政策が見直されています。 
  

  特に資源に恵まれない日本では、原子力発電には、①少ない燃料で大きな発電量を作り出せること、②一度原発を建設してしまえば後はランニングコストが安いこと、③政情が安定している先進諸国から安心してウランを確保できること、④COツーの抑制効果が大きいこと、そして⑤燃料をリサイクルでこること等のメリットがあることから、2006年に「原子力立国計画」が策定され、あらためて国家戦略としての原発推進が確認されています。ところが、現実の私達の対応はどうでしたでしょうか。テレビ画面が映し出す柏崎刈羽原発の施設(実際は原子炉本体ではなく変圧器施設)から立ち上がる黒煙を見て、単純にチェルノブイリ原発事故に結び付け、そこから、海と大気へ放射能が漏れたと即断したのではないでしょうか。加えて、当時の新聞報道の姿勢はどうでしたでしょうか。新聞が持つべき、冷静に物事の事態を把握するという役割と、根拠のない不安ならばそれを取り除くという使命は、果たされなかったと評価していいでしょう。


  実際のところは、この道の専門家とも言える「IAEA」による調査で、東京電力が充分すぎるほどの耐震強度設計をしていた為に、地震被害が原子炉の安全性に影響を与えず、原子炉が安全に停止したことが分かり、その点が高く評価されておりますし、放射性物質の漏洩も基準値をはるかに下回るものであることも確認されています。いずれにしても、日本の原子力技術の高さが世界に証明されたわけでして、後に残ったのは、過度の風評被害でした。
 
 
  やれ「原発の放射能が心配」とか、「あふれる核燃料プール」などの風評が飛び舞った結果、新潟のホテルのキャンセルが多数あり、柏崎では遊覧船が運航を停止し、花火大会も中止。さらには、ある新聞報道が海外メディアの「ヘラルド・トリビューン」紙に転載されたことも手伝って、千葉県に来る予定だったセリエAのカターニャの訪日まで中止になる等、不必要な見出しにより社会不安が醸し出されてしまいました。こうして柏崎の人達が、世間から受けた損害は甚大なものがあったといえますし、特に子供達にとっては多くの楽しみが奪われてしまったことでしょう。だからこそ、一瞬でも早いプレイボールが大切だったのでした。


  私達がなすべきことは、感覚的に常識として広がってしまっている原発に対する間違いを、日本のエネルギー事情を前提に、幅広い情報と科学的見地に触れる努力をすることによって見直し、そして理解を深めることです。そのときの合言葉たりうるのは、「ガンバレ柏崎」です。

                                        
                                                  
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