2014年3月31日月曜日

外務省から文部科学省に舞台を移して≪平成24年12月≫


 またまたやってくれちゃいましたね。このお方・・・・・・。
 既にご案内の通り、田中真紀子文部科学大臣が、秋田公立美術大(秋田市)など3大学の新設をいったん不認可と判断した問題です。
 田中文科相は11月9日の閣議後の記者会見で「関係者にご心配、ご迷惑をかけ心からおわびします」と謝罪ともとれる発言をして、今のところは沈静化したようにも見受けられますが、それでもこれまでの大臣発言に関しては、様々な問題が含まれているのではないかなと思っています。特に、11月7日、今回の騒動について「逆に、3大学にとってはいい宣伝になって45年間はブームになるかもしれない」との発言には、唖然とさせられた方も多かったのではないでしょうか。その後、この発言の真意についてマスコミに問いただされると、「応援して頑張ってほしいという思いがあった」と述べ、不適切だったとの認識を示しました。とは言うものの・・・・・・、「それを言っちゃあおしまいよ!!」といった類の発言は、厳に慎むべきでしょうにね・・・・・・。
 その他にも、依然として鼻息の荒い言葉が田中氏の口から発せられましたっけ・・・・・・。
 例えば、不認可判断につながった大学設置認可制度改革について「議員立法でやりたかったが、かなりのエネルギーと時間がいる。いろいろご迷惑をかけたし、混乱もあったと言われれば、そうかもしれないが、やはり(認可の)権限を持っている中で発信することの方が結果として良かった」と釈明したり、また、「ハードランディングと批判されるかもしれないが、それを甘受しても、やはり見直さないといけない」と、改めて改革の必要性を強調したりしています。でも、こうなってしまうと、「それを貴女の在任中にやってほしくはない」と思ってしまう大学関係者も多いのではないでしょうか・・・・・・。
今回の問題を切っ掛けとして、文科省は大学設置認可のあり方を見直す検討会議を近く立ち上げ、年内にも改革の方向性をまとめる方針を決めたとのことです。しかし、戦後長く続いてきた制度の改革を、わずか2カ月弱の短期間で十分に行うことができるのでしょうか(本当に・・・・・・)。ここでも田中氏は「一石を投じた」と胸を張っていますが、逆に、稚拙かつ拙速な大学改革ともなりかねないのではないでしょうか…。
 「田中氏は石原慎太郎前東京都知事を『暴走老人』と言ったが、今は『暴走大臣』だ!」。
 11月7日の衆院文科委員会で、自民党の下村博文元官房副長官は田中氏をこうこき下ろしました。また、石破茂自民党幹事長は、田中氏が一転して新設を認可する考えを表明した後の記者会見で、「これ以上閣僚を続けることがあってはならない。野田首相は田中氏を罷免すべきだ。任命した野田首相の責任も当然厳しく問われる。『認可したからいい』とは絶対ならない」と強い口調でまくし立てました。さらに、安倍晋三自民党総裁は11月7日、党本部で面会した3大学の理事長らに向けて、田中氏は「閣僚として極めて不適格。気まぐれで子供たちの人生を狂わせていいはずがない。責任野党としてきっちりと対応していきたい」と述べ、田中氏の不認可問題を厳しく追及していく考えを示しています。
 さらに、この方の場合は・・・・・・、やっぱりと言いますか・・・・・・、身内からも批判ないし厳しい意見が出ていますね。11月7日の民主党文科部門会議では鈴木寛座長が「子供や若者の学ぶ権利を脅かしている懸念を抱いている」などと、与党としては異例の同志批判を展開しましたし、輿石東民主党幹事長は、田中氏と11月6日に会談した際、秋田公立美術大(秋田市)など3大学の不認可問題について、現行制度での手続きを尊重するよう苦言を呈していたことを記者団に明かしました。田中氏の「大学が多すぎる。放漫経営で大学をつぶしてしまう現実もある」との主張に対して、輿石氏は「その指摘は当然だが、3大学側が現行制度で認可に向けて手続きを進めてきたことをきちんと捉えてほしい」と述べたそうです。
 さて、かつて立教の法学部3年生の頃の私は、商法の伊沢和平先生の下で株式会社法を学んだ記憶がありますが、その中の「総則」で学ばせて頂いたものの一つに「準則主義」というものがあります(ただし、うろ覚えですからね~)。これは、資本金の準備―→発起人組合―→設立中の会社―→法人格の取得・株式の引き受け―→株式会社の誕生等々…。定められた一定のポイントないし決まりごとをクリアしていけば、法人格の取得ないし株式会社の設立に自動的に至るといった考え方の事です(あってる…?)。これに対して、質の良くない会社の誕生を阻止するために設立特許取得に厳しいハードルを設けるのが、特許主義であり、または認可主義といったものです(これであってる…?)。この特許主義や認可主義では、許認可を官庁の裁量に依存することになり、かつての国家社会主義国や共産圏諸国のように、進歩や発展が役所の能力の範囲に限定されかねません。広く人知を集める資本主義社会には向いていないと言ってよいでしょう(腐敗も生じやすいですしね…)。もっとも、準則主義でも、設立ないし参入は自由が原則ですが、淘汰による退出ないし退場もあり得、厳しいと言えば厳しいところがありますよね…。
 さて、文部科学省のHPによると日本の大学設置基準においても規制緩和がすすめられ、すでに認可を得るためにクリアすべき規則や法的な問題点が明示され準則化されています。申請から当局の審査、学生募集、開校までのおおよその時間的ガイドラインも示されているように受け取ることが出来ます。準則主義にのっとり準備をすすめていた3大学の認可が、いったんは田中氏によって否定されてしまった今回の一件は、単なる大臣の許認可における裁量権の逸脱の問題だけでなく、準則主義、ひいては自由主義の否定につながる非常に危険な権力行使だったのではないでしょうか(大袈裟ですか?)。大学設立に一定の基準を設けるのは当然です。そして質の低下が問題であると言うのならば、準則の基準を上げればよいだけのことではないでしょうか。
 文部科学大臣の鶴の一声で、自由の学府であるべき大学の認可が左右されることはあってはならないと、私は考えます。