2008年6月3日火曜日

お花見

4月5日、快晴の土曜日、私は生まれて始めてと言って良い、定型的な「お花見」というものに行ってまいりました。「生まれて始めて」と言いますと、「ちょっとそれ、大袈裟じゃない?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、そもそも基本的にアルコールやタバコ類を嗜まない私にとりまして、4月のまだ肌寒い時期に、しかも屋外で、桜を見ながら一杯やるといったことは、かなりと言いますか、ある意味思いっきり「想定外」の出来事なのであります。



実際、毎年4月の第1日曜日に、私の母校の豊島区立千川中学校校庭を使って、「4町青年会対抗ソフトボール大会」が開催され(私も高松三町目青年会のメンバーとして主に内野手で出場)、そのソフトボールの試合が終わった後、昼食をとりながら校庭にある桜を愛でることはありますが、最初から最後まで目的それ自体が桜の花を愛でながらの観光・飲食という事は、未だかつてしたことはないのであります。他方、私の家族はと言いますと、毎年4月、「千鳥が淵」に花見に行く様でして、帰ってきますと、「すごく綺麗だったよ。桜の木が見事に生い茂っていて、空が見えないくらい」との感動話を聞きます。察するに「桜ドーム」といわんばかりのその場所に私は行ったことがないのですが、もし私が見に行くとするなら、それは「靖国神社」の桜ではないか、と思っております。その靖国神社にも多くの桜がありますが、ここにある桜の内、3本のソメイヨシノ桜が、気象庁予報部の採用する「桜前線」の到来を伝える「標準木」でして、桜の開花宣言を行うための目安であることは既にご案内の通りかと存じます。



ただ、この3本のうちの1本のソメイヨシノ桜に格別思いをはせてしまうのであります。その桜の木の名は、「神雷桜」と言います。





~~~大東亜戦争末期、敗色が色濃く見え始めた戦局の中にあって、己の命と引き換えにした作戦が編み出される。「桜花」。人呼んで「人間爆弾」。「神風特攻隊」「回天特攻隊」と並び、ひとたび出撃すればもう帰還することはないという究極の作戦。「桜花」は、全長6メートル、幅5メートルの飛行機型の特攻機。約1,2トンの炸裂弾を前頭部に装着。その機体を一式陸攻爆撃機の下部に装着。敵艦を発見次第母親機から分離し、猛スピードで敵艦に体当たり攻撃をする。海軍の最高機密とされたこともあり、未だに全容は解明されておらず、なぞのベールに包まれている。
この「桜花」「一式陸攻爆撃機」「戦闘機」などで構成した部隊が、海軍きってのエリート集
団とも言われた「神雷攻撃隊」。この部隊に所属する人達の合言葉である「靖国で会おう」、その英霊達の集う場所が、靖国神社神門をくぐって右手にある3本のうちの1本、「神雷桜」。「靖国で会おう(あの神雷桜のもとで)」~~~






私自身、日本の桜について感じることは、その花びらの散り際の美しさであり、同時にその花びらの散り際の美しさと、自ら散華していった英霊の皆さん方の生き様との重なり合いです。その意味では、「お花見」自体一つの日本の文化として、これからも続いていって欲しいと考えております(私自身、宴会形式ではない散策形式のお花見は続けます)。


また、日本では4月が「新年度」といった形で一つの区切りとなっております。そこから3月・4月となりますと、ある生徒は卒業式を迎え、ある少年は入学式を迎える。
とある若者は入社式を迎え、またとある高齢者は退職を迎えるといったことが全国一斉に行われます。日本ではたまに、ある外国の例に見られるように、「9月入学」などを実施してみてはどうか、という議論が起きたりしますが、その都度曖昧に葬られてきましたし、それはむしろ自然な事と言うことができます。



「靖国で会おう」といって散華していった英霊達、特に「神雷桜」に集う英霊達のいない時期に、「入学式」や「入社式」そして「卒業式」などを移行させてどうするのですか。英霊達にその後の日本の「新陳代謝」を、きちんと報告できる季節がまさに4月であり、桜が開花した時期なのではないでしょうか。
     



4月5日のお花見場所は、千葉県幕張にあります「幕張さくら広場」で、ここには「ソメイヨシノ桜」が505本も植えられ、まさに桜一色の公園となっておりました。幕張新都心あります、松下電器社有地32,000平方メートルを、環境や地元の為に有効活用したいとの意図で、平成18年の4月に開園しました。設計者は、現代を代表する建築家の「安藤忠雄」氏で(同氏は元ポロボクサーとのこと…)、知名度とも相俟って、最近は日本で最も新しい桜の名所として話題のスポットとなっているとの事であります。


実際足を踏み入れてみますと確かに素晴らしく、505本の桜づくしによってあたり一面が淡いピンクの空間になり、そこに閉じ込められたようで気分も朗らかになっていくのを感じずにはいられませんでした。ただ惜しむらくは、505本の桜の木の殆どは、まだまだ若い樹木であることから、辺りはいわゆる植林したてのほやほやといった感じがつきまとい、天を仰げば青空が見えてしまうといった状態で、決して千鳥が淵の桜のように、天空を桜で覆うが如し、といったところがないところでしょうか。いずれにせよ5・6年先は楽しみなスポットではあります。



当日は、新進気鋭の「ソメイヨシノ桜の観光大使」の女性が花を添えてくれました。これは、豊島区観光協会が、豊島区を全国に発信するための起爆剤のひとつとして、豊島区発祥のソメイヨシノ桜をヒントに、過日行われた「ミス桜コンテスト」で優勝した女性を観光大使として任命したものです(任期は1年)。桜の観光大使の女性も、まだ任命されて日が浅いからか、しぐさの一つ一つに若干のぎこちなさがありましたが、それが返って評判を呼び、当日は記念撮影のラッシュが続いたようでした(さくら大使さんには、ソメイヨシノ桜を起点にして、豊島区を全国的に有名にして欲しいものです)。



さらに、当日のお花見に利用したバス11台のうち4台が、「天ぷら油の廃油で走る観光バス」でして、これはまだ日本には4台しかなく、いかにして燃料として使用する、使い終わった天ぷら油を回収するか、についてまだまだ課題があるものの、幾ら走っても大気汚染の原因となる硫黄酸化物はゼロで、しかも黒鉛は軽油の半分以下といったエコもの、じゃなくて、優れもの。


国内旅行は勿論のこと、各国世界への観光ツアーはこういったエコの観点から再度組み立てられていくことが大事と感じました。それがまた愛する祖国を守る為に散華していった英霊の皆さんの気持ちにも合い通じていくと思います。


今年も靖国の「神雷桜」は美しかったと聞いております。そこでは確実に凛とした英霊達の出会いが在ったことでしょう。合掌。