2015年4月5日日曜日

悲劇は繰り返さないこと≪平成26年12月≫

 東日本大震災の津波で死亡、行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の児童のご遺族の皆さんが立ちあがっています。石巻市と宮城県に、合計23億円の損害賠償を求めた訴えを提起して、それが仙台地方裁判所に係属しているのです。
 その裁判の口頭弁論がつい最近開かれまして、ご遺族の皆さんから(ご遺族は4家族7人が意見陳述)「津波到来は想定できなかったという市の主張に怒りと失望を禁じ得ない」と、悲しみを抑え込みつつも、ある意味では激しく法廷にて意見陳述されたとのことです。法廷内のやり取りでは、例えば、6年生の三男、雄樹君=当時(12)=を亡くした佐藤和隆さん(47)は、地震発生直後に教諭が「津波が来ますよ。山に逃げますか」と教頭に尋ねたとの証言があると陳述した上で「教職員は津波が来ると考えていたことは明らかである。市の主張は遺族をばかにしている」と、遣る瀬無い思いで陳述したとのことです。

訴状によれば、学校側は地震発生直後、大津波警報などで危険を予見できたのに児童を校舎の裏山など高台に避難させず、安全配慮義務を怠ったことは明らかであり、津波が来るまでの約45分間、児童らを校庭に待機させ続けた点に、大きな責任があると記されているそうです。

今回の、この損害賠償を求めた訴訟では、ご遺族が「まさに人災」「守れた命だった」と意見陳述しているのに対して、市側は、「津波の予見はできず過失はなかった」として争う姿勢を明確に示すとともに、県も、請求棄却を求めています。

まずもって、普段通りに先生の言うことを素直に聞いて、その指示に従ってついていった子供達が、とっても哀れで心が痛みます。ひとつの判断の遅れは、かくも取り返しのつかない事態ないし結果を導くものかと、茫然自失の思いでいっぱいです。まさに人災の極みここに至れりということが出来ると思いますが…。

これまでも、津波犠牲者のご遺族から、管理者等に損害賠償を求めた訴訟の判決は3件出てきています。津波は予見できたとして賠償を命じたケースがあれば、その予見はできなかったとして請求棄却をしたケースもあります。大川小学校では津波で在籍児童108人中70人がお亡くなりになり、4人が行方不明となっています。本当に悲惨な出来事では、そのスケールの大きさに圧倒されると共に、ここで予見可能性が否定されれば請求棄却というのも、なんだか納得がいきませんし、その結論は受け入れがたい気持ちでいっぱいになります。時代劇にも出てくる大岡越前の守忠相なら、一体全体どのような裁きをするでしょうか……。

そうした中、大川小学校の卒業生達が、震災を忘れないでほしいということで、現存している校舎群を保存してほしい旨、東京都内のとあるシンポジウムで発表したとのことです。校舎群の保存については、ご遺族の中においても賛否両論があるらしく、適宜、ご遺族はもちろんのこと、地域住民の皆さんからも意見を聞くなどしながら、保存の適否を考える活動が続いているそうです。

校舎を残したいと考えている人がいても、それは決して不自然なことではありません。と言いますのも、大切でやるべきことの一つに、今回の震災による悲劇をしっかりと語り継いでいくことが挙げられると思うからです。

もっとも、現実はかなり厳しいものがあるようで、震災遺構の保存の可否を検討するべく出来上がった宮城県の有識者会議においては、被災校舎を議論の対象外としているとのことです。その一方で、全長24キロと国内最大級の規模から万里の長城とも呼ばれ、東日本大震災の津波で破壊された岩手県宮古市田老地区の巨大防潮堤の一部の方は、震災遺構として保存することが決まったそうです。田老の防潮堤は高さが約10メートル。海側と陸側の2つがX字形に交差する設計となっていて、交差部分を中心に約60メートルにわたって残す方針だそうです。保存を求めていた宮古市の熱い要望が、県を突き動かしたわけですね。

国レベルでは、被災した1市町村につき1つの震災遺構の保存費用を一部負担する方針を出しており、宮古市では、田老地区の「たろう観光ホテル」がこの枠組みで保存されることが既に決まっていて、防潮堤の具体的な保存方法や財源については今後、国や宮古市と協議して決めるとのことです。

 今年の初秋、被災3県を視察してきましたが、その視察先の中に、大川小学校を入れました。実際、現地に到着してみてガランとした校舎の傷み具合ないし破壊され具合を見て感じたことは、ものすごい津波が一瞬のうちに子供達を飲み込むと共に、そこでの朗らかに遊び賑わう日常をも消滅させたといった印象です。現場には、慰霊碑が建てられており、そこにはお亡くなりになった児童生徒の名前が刻まれていましたし、校舎には人が入れないようにロープが張り巡らされていたと同時に、そのロープの至る所に、漫画のイラストの描かれた風鈴がいくつもくくりつけられて、そよ風に揺れて音を奏でていたのが、もの悲しさに拍車をかけていました。

 大川小学校の悲劇を繰り返さない。

 これは、子供達を震災などから守る際の合言葉にしなくてはなりませんね。