今年も早いもので3月を迎えました。
街を歩くと、美しくほころぶ梅の花をあちらこちらで見かけることができ、厳しい冬の寒さも日を追うごとに和らいでいます。長い冬が終わり、春が近づいているというのに、なぜか毎年物悲しい気分に襲われるのは、3月が別れの季節でもあるからでしょうか……。
今まさに、日本列島は卒業シーズンを迎え、全国の学校等で卒業式が行われています。卒業式では、卒業生による合唱が披露される学校が多くありますが、皆さんが学生の時にはどのような歌を歌いましたか?私が児童・生徒の頃の、1970年代の定番曲は、やはり「仰げば尊し」と「蛍の光」、さらには「讃美歌○○○番」でした。しかし、今では人気歌手の楽曲や、英語が入った歌まで歌われているようで、「歌は世につれ、世は歌につれ」の諺そのままに、時代とともに卒業ソングもどんどん移り変わっているようです。歌というのは、それが流行した時代の出来事や思い出とともに記憶されるものです。ましてや、それが卒業式で歌った歌となれば、より強い印象をその人の中に残し、年齢を重ねても、心の中にずっと残っているのではないでしょうか。私も、自分の卒業式で歌った曲を聴くと、卒業式のことはもちろん、恩師や友人、そしてその学校で過ごした日々のことが今でも懐かしく思い出されたりします。そのように大切なものですから、卒業ソングが名曲揃いであるのも頷けますね。
さて、近年の卒業式で最もよく歌われており、主に10代・20代の若者たちの間で人気を博している卒業ソングがあることをご存知でしょうか?それは、「旅立ちの日に」という曲です。この曲は、最近の卒業ソングの人気投票では常に上位にランクインしており、また、様々なアーティストたちによってカバーもされています。2007年には、アイドルグループのSMAPがテレビコマーシャルで歌ったことでも話題になりましたね。
そんな「旅立ちの日に」ですが、実はプロの作詞家や作曲家によって生み出された曲ではありません。この曲は、ある中学校の教員たちによって作られたものなのです。今回は、そんな異色の「旅立ちの日に」誕生エピソードを皆さんにご紹介します(プロジェクトX風に…)。
「旅立ちの日に」は、今から24年前の1991年に、埼玉県の秩父市立影森中学校で誕生しました。この曲の作詞者である小嶋登先生が赴任した1988年当時の影森中学校は、荒れた雰囲気で生徒達のまとまりも感じられない状態だったそうです。
そんな生徒達の校歌の歌声は、とても寂しいもので、それを聴いた小嶋先生は、「世界に一つしかない自分たちの校歌だから、もっと大きな声で歌えるといいね」と彼らに語りかけました。もとより「歌声の響く学校にしたい」という目標を持っていた小嶋先生は、歌の力を使って影森中学校を立て直そうと決め、同校の音楽教諭だった高橋(旧姓:坂本)浩美先生と協力して、合唱の機会を増やす等、粘り強く生徒達を指導し続けました。また、コーラス部の生徒達の存在も、合唱を広める上で大きなものでした。当時のコーラス部にはたった8人の女子部員しかおらず、廃部の危機でしたが、運動部の男子に応援参加を呼びかけたところ17人の男子生徒が集まり、皆でコンクールに向けて練習を重ねたそうです。コーラス部で合唱に参加した生徒達はクラスに戻ってからも合唱の楽しさを広め、そのお蔭でほかの生徒達も歌うことに対して自然と心を開いていきます。そして、小嶋先生の願い通り、歌の力によって学校も少しずつ明るくなっていったとの事です。
小嶋先生が影森中学校に赴任してから3年後の2月下旬、高橋先生は、卒業を控えた生徒達に「ありがとう」の気持ちを込めて歌をプレゼントしたいと考えました。そこで、ちょうどその年で定年退職することになっていた小嶋先生に作詞を依頼しましたが、「自分にはセンスがないから……」と断られてしまいます。
しかし、翌日高橋先生が学校へ行くと、机の上に小嶋先生が書いた詩が置いてありました。その詩を見た高橋先生はすぐに曲をつけはじめ、なんとわずか15分ほどで完成させてしまったそうです。その時のことを高橋先生は、「曲が天から降ってきたというか、湧き上がってきた感じだった」と、あるインタビューで振り返っています。
曲を聴いて喜んだ小嶋先生は、「先生達で歌って生徒に歌のプレゼントをしよう」と提案し、その年の3年生を送る会で、実際に生徒達に披露しました。先生達からの心のこもった歌を、生徒達は静かに聴いていたそうです。その後、音楽雑誌の付録として掲載されたことがきっかけとなり、「旅立ちの日に」は少しずつ全国に広がっていったわけです。
今や卒業式の人気曲となった「旅立ちの日に」が作られた背景には、1つの中学校の先生と生徒達による、かくも素晴らしいエピソードがあったわけです。
全国で歌われている有名な合唱曲が、プロの作詞家や作曲家ではなく、現役の教員達によって作られたという事実は意外に感じられるものかもしれません。
しかし、私は、現場の人間でなければこの曲は作れなかっただろうと思います。
難しい言葉が使われておらず、学生にも理解しやすい歌詞。
夢や希望、友人について等、決して背伸びをしない等身大の中学生を描いた内容。
極端な高音や低音が使われておらず、変声期の子供達にも歌いやすいメロディーライン。
実際に現場を知っているからこそ、その場にとって最適解を作り出せる…。などなど。この曲が教えてくれていることではないでしょうか。
これは、私のように政治を担う者にとっては特に重要なことであると感じます。やはり、上から見て想像しているだけでは、現場の人々にとって真に良いものを生み出すことはできません。それに何より、実際に接した人のために何かをすると思えば、相手に対する真心も自然と生まれてきます。素人の教員たちが作ったにもかかわらず、これほどまでに愛され支持を受けている「旅立ちの日に」は、そのことの良いお手本なのです。
今年もまた巡ってきた卒業の季節。
作詞者・小嶋登先生は、2011年に惜しまれながら80歳でこの世を去りました。
しかし、彼が生徒への感謝と愛情を込めて作詞した「旅立ちの日に」は、今年も、そしてこれからも、ずっと卒業式で歌われ続けていくでしょうし、そうあることを願って止みません。
最後に、卒業を迎えた学生たちへのエールにかえて「旅立ちの日に」の一節を引用し、締めさせていただきます。
勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して