2015年4月5日日曜日

聖バレンタインデー≪平成27年2月≫


光陰矢の如しとは言い得て妙で、ついこの間新年を迎えたばかりだと思っていたら、平成27年も、もう二月に入りました。相変わらず寒い日が続いています。皆様におかれましては、体調にはくれぐれもお気を付け下さい。

さて、214日はバレンタインデーでした。
バレンタインデーは2月の代表的なイベントと言ってよいでしょう。デパートをまわってみても、あちらこちらでバレンタインデー関連の広告をたくさん見かけました。214日にチョコレートを渡すというのは、それほど歴史のある慣習ではありません。
しかし、今では日本全国で市民権を得ており、すっかり、そして、ちゃっかり、社会的一大イベントとしての地位を確立しています。

当初は思いを寄せる男性に、女性がチョコレートを渡す(これを「本命チョコ」と呼ぶらしいです)というイベントでしたが、今では多様化の一途を辿っています。思いを寄せる男性だけでなく、お世話になっている男性や男性の友人にもあげる「義理チョコ」が次第に普及しました。小・中学校では男子生徒が何個もらったかで友人と争ったり、女子生徒は大量のチョコレートを学校に持ってきたりと、「質」より「量」の傾向が強くなってきたようです。学校側も対応を協議する段階になっているらしく、「チョコレートをもらえない男子生徒が出てきてしまう」という理由で、チョコレートの持参を禁じている学校も、中にはあるらしいです。

しかし、多様化の波はさらにうなりをあげ、近年では女性同士でチョコレートを渡しあう「友チョコ」や、自分へのご褒美として作ったチョコレートを自分で消費する「自己チョコ」「自分チョコ」なるものも普及しているようです。
ある情報番組でバレンタインデーの特集がされていた時、ある出演者が「今のバレンタインデーはもはやチョコの『配給』だ!」と言っていましたが、ここまで多様化してしまうと、そのような見方も確かに出来る気がします。バレンタインデーのいわば主役であり、214日には、少しソワソワして学校なり職場に向かっていた男性陣が、「友チョコ」「自己チョコ」の台頭により蚊帳の外に追いやられつつあるのですから、時代の波というのは恐ろしいものですね。

そんなバレンタインデーですが、一体その起源はどこにあるのでしょうか?

この点については諸説あり、確実な起源は未だに分かっていませんが、一説によるとその起源は3世紀の古代ローマ時代にまでさかのぼるらしいです。
この時代のローマでは214日は女神ユノの祝日でした。女神ユノは、家庭と結婚の神様です。当時のローマでは、男性と女性は別々に暮らしており、巡り会う機会はなかったそうです。
しかし、ユノの祝日である214日の翌日から「ルペルカリア祭」というお祭りが行われており、このお祭りは、男性と女性が巡り会える唯一無二の機会で、この祭りを通して出会った男女は、そのまま恋に落ち、その多くが結婚したそうです。この祭りは800年以上続けられていたものの、時の皇帝・クラウディヌスは兵士に家族が出来ると士気が下がってしまうと考え、強兵策の一つとして、結婚を禁止してしまいます。兵士たちが愛する女性に現を抜かすのを避けたかったのだと思いますが、今では考えられない話ですね。

しかし、それだけ歴史のあるお祭りで、ローマ市民にとっても貴重な出会いの場です。急に禁止と言われて黙っているはずがありません。そこで立ち上がったのがキリスト教の司祭ヴァレンチノ(バレンタイン)でした。
ヴァレンチノ司祭はこの政策に反対し、皇帝の命に反して多くの兵士たちを内密に結婚させています。これを聞いた皇帝は怒り、ヴァレンチノ司祭をローマ宗教に改宗させようとします。
しかし、ヴァレンチノ司祭は愛の尊さを説き皇帝に抵抗したため、ついには処刑されてしまいます。その処刑された日が奇しくも214日……。後世の人々はヴァレンチノ司祭の勇気ある行動に感銘を受け、ヴァレンチノ司祭を「聖バレンタイン」としてまつるようになり、処刑された214日を「聖バレンタインデー」と呼ぶようになったということです。その後、14世紀ごろからこの日が男女の恋愛に結び付けられるようになり、日本には戦後アメリカから伝わったそうです。

ちなみにバレンタインデーにチョコレートを渡すというのが定番になっていますが、実はこの風習は日本独自のものとか……。
バレンタインデーとチョコレートの連関性の起源に関しては諸説あり、分かっていませんが、デパートや製菓会社のキャンペーンがきっかけらしく「チョコレート」というのが格別深い歴史的意味を有している訳ではないようです。
さらに、驚くべきことに、当初の「女性から男性への一方的贈与」というのも日本独自だそうです。宗教的行事として始まった「聖バレンタインデー」が、わずか半世紀ほどの短期間でここまで多様化し、チョコレートの『配給』と呼ばれるほど大衆化したのも、宗教的軋轢が圧倒的に少ない日本ならではの特徴と言えるかもしれませんね。

時代が進むにつれ行事や物事が変遷を遂げていくのは不可避なことです。今後もバレンタインデーは、企業の商業戦略や消費者のニーズに合わせて、様々な変化を遂げていくでしょう。ひょっとしたらこの行事がなくなってしまうかもしれません。

しかし、私が願うのは、どのような変遷を遂げるにしろ、形骸化の一途を辿らないでほしいということです。バレンタインデーにチョコレートを贈るという風習も、友チョコや義理チョコも否定はしませんが、そもそも「聖バレンタインデー」とはどういう日であるのか、という共通認識は皆が持っていてほしいものだなと思うのです。
今から1700年も前に、自らの命を犠牲にしてまで愛の尊さを信じ、それを実践した人がいたこと。
結婚禁止という政策がまかり通っていた時代があったこと。
聖バレンタインデーが確立されるに至る歴史から私たちが学べることはきっとあるはずです。それは他の行事でも同じです。
例えば一月に行われた成人式。成人になるとはどういうことなのかを考える、昔の日本において「元服する」とはどういうことであったのかということに意識を向ける。皆がただ参加しているのでは、ただの形骸化した成人式になってしまいます。その行事が確立した歴史、その行事の本来の意味に意識を向ける。そうすることで、その行事がより深みのあるものに思えてくると思います。
ハロウィーンも節分も、皆同じ事が言えるのではないでしょうか。

「明鏡は形を照らす所以、故事は今を知る所以」(「呉志」呉主五子伝・孫奮)。
過去の膨大な出来事やそれらにまつわる人間模様といった系譜の先に、私たちの「今」があるのですから、その系譜に思いをはせることは我々現代人にとって必要なことだと強く思います。