2015年4月5日日曜日

日本サッカーの真骨頂≪平成26年6月≫


611日、豊島公会堂において、サッカー・ワールドカップ・フランス大会の日本代表選手だった名波浩さんの講演を聞きました。これは、豊島区立小学校教育研究会第66回総会の中に組み込まれたもので、「夢に向かって」と題し、自分がサッカーと向き合ってきた幼少のころから大学生、そしてプロ選手迄の話を中心としたものです。
当日は幸運にも公会堂の控え室で名刺を交換し(株式会社ラボーナ名波浩ってあるけど、ラボーナって何でしょう……?)、かつお話しする機会に恵まれました。「名波さん、現役時代のプレー、いまだに良く覚えていますよ」(本橋)。「(首でコクっとしながら……)有難う御座います」(名波氏)。「名波さんは、年が私より一回り位下ですから、キャプテン翼世代でしょ」(本橋)。「えーえー、よく見ましたよ」(名波氏)。「私なんかは、実は、赤き血のイレブン世代なんですよねぇ。主人公は玉井真吾、そして、サブマリンシュート!!(本橋)。「そ・そうですね……。(玉井真吾?、はてな…)(といった顔した名波氏)
 
  この後、総会が行われる関係で、控え室に名波浩氏と日本プロサッカー協会事務局長高野純一氏の二人を控え室に残してステージに移動。主催者の挨拶、ご来賓の祝辞、本年度事業計画の説明と続き、やがて名波氏の講演。
 昭和47(1972)静岡県藤枝市にて四人兄弟の末っ子として出生した浩少年は、藤枝市というサッカー熱の高い周辺環境と、三番目の兄の影響もあり(ちなみに、長男と次男は暴走族関係とのこと)、物心つくうちからサッカーに熱中していたそうです。この頃の名波家では、四男の浩氏は放ったらかし状態。浩少年は時間があればサッカーに明け暮れて過ごしたそうで、地元でのサッカー少年団時代は、小学校4年生時、既にサッカーが上手すぎて、同世代での試合では手に負えなくなっていたとのことです。そこから、当時の指導者が浩少年を年長組のチームへと飛び級させることに……。
 ただ、このころは5年生と6年生の壁は厚く、なかなかレギュラーにまでなれなかったため、時折、年少組なら即レギュラーなのに……、と幾度もぼやいていたとか……。中学校では、2年生でレギュラーポジションを獲得し、3年生の時に県予選優勝を果たします。その前年の2年生の時、県予選の決勝戦(?)で、試合終了間際に獲得したPKを、ルールを知らなかったがゆえに慌てて蹴ってしまい、勝利を逃してしまいますが、上級生たちが寄ってきてくれて、お前のお陰でここまでこれたんだと慰められたことが強烈な印象となったそうです。
 高校進学の当時はサッカー熱で藤枝市と清水市の対立が激しかったそうで、通常なら藤枝東高校へスムースに進学すれば問題は起きないところ、更なる強豪校として名高い清水市立商業高校へ進学を希望することにしたそうです。この選択に藤枝市内のサッカー関係者から名波家に対して、やれ浩は薬物をやっているなどの批判と落胆の声が上がったそうです。順天堂大学サッカー部時代では1部残留を辛うじて決め卒業するとともに、教員免許も取得したとか……。
 やがてジュビロ磐田に入団し、その直後からレギュラーとして活躍するとともに、ジュビロ黄金時代を築き上げ、同時期から日本代表入りをはたします。引退を表明後は、既にJリーグの監督の資格を取得しているので、近いうちにジュビロ磐田の監督になりたいと語っていました。その為にもネットにジュビロ磐田の監督には名波が良いと書き込んでと笑いながら私たちに語っていました。
 総じてサッカー選手の講演は久しぶりで新鮮だったものの、一方で名波氏の話の中に審判のジャッジにまつわるエピソードが出てこなかったのは、ある意味で奇異に感じたりもしました。たいていのスポーツマンの講演の中には、必ずといって良いほど、審判批判ネタが出てくると思われるからです。

サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会が始まりました。各大陸予選を勝ち抜き、国の威信と国民の期待を一身に背負うチームばかりが集まっての真剣勝負の場です。勝ち進むのは容易ではないでしょうが、それでも選手達には試合を通して、日本の存在感と日本人の民族としての精神性と発展可能性を世界に示してほしいと願っています。
その全世界が注目する開催国ブラジルとクロアチアの開幕戦を、西村雄一主審ら日本審判団の3人が任されることになりました。西村主審は前回南アフリカワールドカップの準々決勝などを任され、精力的な運動量と毅然とした笛に定評があったと言われています。開幕戦の主審の判定は大会全体の基準となります。大事な試合を日本人トリオが裁くことは、大いに誇りに思っていいことですね。
開幕戦は何としても見なくては……。
私自身頑張って午前5時に起きて、テレビの前に…。結果的には、開催国ブラジルがクロアチアに逆転勝ちしましたが、この試合の一部判定にクロアチア側が反発し、物議をかもす事態がありました。選手はもちろん開幕戦の審判は、独特の雰囲気で、平常心でいることの方が難しいと言われていますが、騒ぎの根本にあるのは、欧州と日本のルールに対する姿勢、ひいては文化の違いにあるのかも……。
問題になったのは、ブラジルが決勝点を挙げるPKを得た後半24分のシーンでした。ペナルティエリア内でロブレン(クロアチア)のマークを受けて、フレジ(ブラジル)が倒れると、西村主審は間髪をいれずにファウルと判定し、イエローカードも出しました。
試合後の会見で、クロアチアのコバチ監督は「誰がみてもファウルではない。ばかげている。審判に問題があった」などと不満を爆発。一方のブラジルのスコラリ監督は「10回みたが、ファウルだと思った。人は願ったように解釈する」と納得顔でした。実際、西村主審はペナルティエリアのすぐ外のやや右寄りに位置を取り、フレジ(ブラジル)が倒れた瞬間も視界は遮られていなかったと受け止められています。また、ここ最近のワールドカップでは背後からのラフプレーを厳しく取ってきた流れもあります。加えて、接触プレーに比較的寛容な姿勢をとることで、なるべく試合の流れを断ち切らない欧州のスタイルと、ルールの遵守に忠実な姿勢をみせる日本との、サッカー文化の違いが影響し、それが笛にも表れたとも言えます。それならば、西村主審が積み重ねてきた努力の発露としてのホイッスルなのですから、それを私たちはしっかりと受け止め、評価し、日本の審判員関係者の大きな力となることを願うばかりですね。
西村主審のジャッジが、今大会の今後の基本路線となり、各チームは意識することとなるのは良いことです。「ペナルティエリアの中では、あのロブレン(クロアチア)程度の接触でファウルなのだ」と。そして、この際思い起こしてほしいことは、今年行われた2014AFC女子サッカー・アジアカップ・ベトナム大会では、日本代表女子チームが優勝したことはもちろんですが、この大会には三つの表彰があり(大会最優秀選手・大会得点王・フェアプレー賞)、フェアプレー賞を獲得したのは日本だということです。
我が国には多くの西村主審や指導者が居てくれて、その判定や指導の着実な積み重ねがあって、名選手が育ち、こういった賞まで我が国が獲得出来ているのではないでしょうか。そのような環境で育ってきた名波氏の口から、審判批判が出てくるわけがありません。