2008年9月17日水曜日

氷解

 あれは高校3年生の夏、二学期の始め頃でしたでしょうか?担任の先生(体育と陸上部の先生です)から休み時間に頂戴したお小言がありまして、それは未だに忘れずに覚えております。
 「なんだぁ、本橋はまだ小学生気質が抜けないのか」
そう言われた時は、先生が一体全体どういう意味で、何を、如何させようとしてそのように言われたのかが、はっきり言ってピンときませんでした。ただ、ひとつだけその時感じた事は、担任の先生が、その時の私の「イデタチ」を、シゲシゲと見ながら言われたので、どうやら私の体育着の短パン姿に着目して小言を言ってるな、ということです。
 当時の私は、アメリカンフットボール部の強面の副主将として、主将が皆に対して言えないことも、あえてズケズケと言う、所謂ヒール役を演じていました。当時の後輩達は、さぞかし本橋先輩は怖い、との印象を持っていた者が多かったと想像します。もっとも功績もありまして、あまり意味も無いしごきを適宜廃止していったことで、シゴキに嫌気がさして退部する者がグッと減った事であります。その意味では、当時のOB達からしますと、私は「改革派」と見られていたようです。OBが練習を見にきて、ソレを求めてきても、私達の代は拒絶した事が多かったと思います。
 ただ、どこかの相撲部屋の親方ではありませんが、私自身は、ある一定程度の「可愛がり」は必要だと思っています。さもなければ、上手くは成っても、強くはなりませんから。



 さて、3年生ともなると、かなり高校生活の要領も心得ておりまして、朝の電車も、遅刻という事態が生じないように、遅くとも池袋発午前7時45分の準急に乗って登校してくるようにとの学校側の生徒指導も軽んじて、自宅から歩いて最も近い駅である「大山駅」発午前8時ちょい前の各駅停車を使うようになっていました。なぜなら、これだと確実に座席に座る事ができて、かつゆったり出来るからです(お年寄りぃ~)。


 同時に、構内での態度も1・2年生の頃よりは確実に大きくなってきまして、1・2学期の夏期などは、朝登校してきて自分の机の上に荷物を置いた後(この荷物も部活の着替えぐらいでして、教科書・ノート類はロッカーに常駐)、直に、制服である学生ズボンを脱ぎ(今、何でも母校は私服だとか)、体育の授業ではく短パンにはき替えるのを常としていました。ですから、授業は短パン姿で受けていたのです。なぜそうするのかと申しますと、少しでも、放課後の部活の為に余力を残しておこうという配慮の一点に尽きまして、特に暑い日などは、上に来ているボタンダウンのワイシャツも、襟をさらに外側に倒す・折り曲げる等して、少しでも涼しくして過ごすことだけを考えていました。
 先程の担任の先生は、まさにその姿・格好を見て、本橋は小学生のままだな的発言をされたわけです。



 過日、母校である高校の、附属小学校に視察行ってまいりました。 この小学校は、児童の安全確保をトコトン追求しており、その観点から、全国的にもかなり早くから、児童のランドセルにICタグを取り付けた実績があります。「RFIDで登下校時の完全把握」とのスローガンを掲げ、この小学校では、ランドセルに取り付けたICタグの電波を正門のアンテナで受信し、児童の登下校の時刻を完全把握しており、正門をただ通過するだけで、学内のコンピューターに、児童の登下校時刻が記録されます。携帯電話やコンピューターのメールアドレスを登録された保護者の皆さんには、児童の登下校時刻を知らせてくれたりもします。教職員と保護者の両者が協力して児童の登下校時刻を把握する事で、安全確保のレベルを高めてもいるわけです。また、ICタグには、シリアルナンバー以外の情報は登録されておらず、万が一紛失したとしても、個人情報漏洩の危険性は最低限に抑えられているのです。さらに、「学内の安全向上」とのスローガンから、有人監視として正門に警備員の常駐所を設け、児童の在校時間中警備にあたるのは勿論、学内の死角になる場所には防犯カメラを設置し、モニターを警備員が常に監視しています。同時に、下校時には、保護者の方々が交代で、路線別の通学路の見回りをも行っているのです。


 
 豊島区立の小学校にも同じようなシステムの導入が必要です。それは「大阪大学附属池田小学校児童殺傷事件」を思い出して頂ければ明らかであり、しかも、ついこの間の「秋葉原無差別殺傷事件」に見られるように、誰が何時どこからどのような手段で攻撃してくるか予想も付かない時代になってしまっているからであります。


    
 これらの事を視察して回っていながらも、未だかつて母校の高校の附属小の建物内は見学した事がありませんでした。ものはついでにと思い、授業風景を見させてもらうべくお許しをもらい、各教室を見て回りました。その時、私の目に飛び込んできた光景は、なんと全生徒が体操服で授業を受けているのです。どうやらこの小学校では、登校するや否や、体操服・体育着に着替え、それでもってすべての授業を受ける事に決まっているのです。
 私は勿論、豊島区立の小学校出身者です。こんなことはありませんでした。つまり登校した時の服で授業を受けていたのです。そこで初めて担任の恩師の発言の真意が分かりました。つまり、恩師は私がこの付属小から上がってきた生徒であると勘違いされたことを。
 私、この付属小には入り、かつ出られるほどの「おぼっちゃま」ではありませんけど・・・・・・。