2008年9月17日水曜日

子供とネット

 最近の新聞でも特集をしていましたが、PHSを含む携帯電話は、もはや通話目的だけではなく、GPSやメール、そしてインターネットなど、様々な用途に使われるツールとしての「ケータイ」となっており、児童や子供達にとって多大な影響力を及ぼしていることは周知の事実と言う事が出来るでしょう。
 報道によりますと、日本のPTA全国協議会の調査で、「深夜でもメールのやり取りをする」が小学校5年生で11%、中学校2年生で51%。「返信がないととても不安になる」が小学校5年生で18%、中学校2年生で24%もいるとの事であります。しかも、私もはじめて聞き及びましたが、子供の世界には、なんでも「30分ルール」というものがありまして、この時間内に返信をしないと、お互いの友情が崩れてしまうそうであります。そこから、子供達は、食事中も、入浴中も、四六時中携帯を手放せない状態に置かれるそうです。「嫌われたくない」という強迫観念が、自分自身の脳裏や心の襞に埋め込まれてしまい、常に精神的に緊張状態を強いられている今の子供達を見るとき、それはある意味「残酷」である、と言っても宜しいのではないでしょうか。小学生・中学生の頃は、何よりも「大自然の摂理」に従って、五感を研ぎ澄ますことが大切な時期であるのにもかかわらず、いつも「ピコピコ」と電波が入ってきて「今何しているの?」と用もなく聞かれてしまう。これでは人間がデジタル化してしまい、極めて危険ですし、かつ由々しき事態です。お互い顔を合わせて話す機会が減れば、その表情から微妙なニュアンスを読み取る力が育たず、親御さんの言葉さえ十分に受け止めることが出来なくなり、一家の団欒にも、ひいては家族の絆にまで悪影響が出てしまうと思います。

 「一般社会」というような大きな括りで言えば、そこには商売なら商法が、裁判であれば訴訟法が、自動車なら道路交通法がといった具合に、分野ごとに明確なルールを見つけることが出来ますが、こと「ネット」の分野は、ある意味では無法地帯と言えます。少し前から言われるようになった「メディア・リテラシー」と言う言葉は、テレビや新聞、雑誌、インターネットなど、あまたの情報媒体から自分が摂取すべき情報を正しく取捨選択する能力のことを言うわけですが、判断能力の乏しい児童や子供に、このリテラシーを要求するのは不可能ではないでしょうか。そうだからこそ、出会い系サイトを通して性犯罪に巻き込まれたり、学校裏サイトと言われる掲示板で、陰湿な苛めにあったり、ブログに「死ね」とか「キモイ」とか書き込まれて、正しく受け止められず、自殺してしまう痛ましい事件・事故が起こるのではないでしょうか。自我が未発達な児童や子供は、同年代の影響を受けやすく、携帯の正しい使い方を教えても、きちんとはコントロールすることもままなりません。いっその事、携帯から開放してあげる事が、子供を守る最も適切な対策かもしれませんね。福田首相も同じような認識で、政府の教育再生懇談会に対して、「そもそも持つ必要があるのか議論してほしい」と指示し、今年5月にまとまり、5月26日に福田首相に提出された教育再生懇談会報告書では、「必要のない限り、小中学生が携帯電話を持つことがないよう、保護者、学校はじめ関係者が協力する」「安全確保の面から持たせる場合でも、通話やGPS機能のみの機種を推進する」などが盛り込まれました。久しぶりに良いことを言うなと感じましたっけ。是非、社会総がかりで子供を守るメッセージとして、国民全体が真剣に受け止め、携帯を買い与えようとする親御さん達が考える切っ掛けとなってほしいところです。

 報道によれば、サイト管理者の問題が指摘されていました。学校裏サイトの管理者が問題のある書き込みの削除を怠ったとして、苛めを受けた原告が訴訟を起こしている例もあるとのことです。こうした管理責任を問われるのは当然としても、例えば、ブログの場合は、自分が管理者となるところから、管理責任さえ問えばよいという問題でもないことを認識する必要があります。これだと言う簡潔明瞭な解決策は見い出しにくいものの、その包括的な解決策を見つける上で大切なことは、「子供は保護されるべき存在」であると言う認識が徹底される事です。そして、その責任を負うのが、まさに父母などの保護者・親御さんであり、学校であり、地域、団体、企業、メディア、行政機関、そして立法機関です。社会総がかりで、有害情報から児童・子供、若者、ひいては家庭を守らなければなりません。

 そのような意味では、6月11日に、参議院本会議で賛成多数で可決、成立しました「青少年が安全に安心してインターネットを利用できる環境の整備等に関する法律」(通称:青少年ネット規正法)は、間違いなく一歩前進と言うことが出来ます。しかし、そこには、「子供は保護されるべき存在」である、との認識の下、まだまだ乗り越えなければならないハードルがあると考えます。成立した新法では、18歳未満の子供がネット上の有害な情報を閲覧できないようにする為、携帯電話事業者にフィルタリングサービスの提供を義務付けたり、PCメーカーにはフィルタリングソフトの利用を容易にする措置を義務付けたりしていますが、これらの規制の多くが、努力義務であり、罰則が設けられていない為、その実効性に大いなる疑問があります。そこから、子供にせがまれてフィルタリングを解除する親も多いと聞いております。また、新法では、有害性の判断は、民間の第三者機関に委ねられ、国の主体的関与は排除されております。児童ならびに子供達は国の宝ですから、その宝を守るためにも、例えば、内閣府内に第三者機関を設置し、有害かどうかを判断するといった、毅然としたシステムを作る事が必要です。
6月6日の衆議院本会議での可決に際して、新聞協会は「有害情報の定義について、表現の自由の観点から、国が関与すべきではない」との懸念を表明したとのことですが、保護されるべき子供への規制が、表現の自由の侵害になるという協会側の主張は、所謂「拝金主義的」とのそしりを免れないものと、言う事が出来るのではないでしょうか。
日本の資本主義は倫理観あってのものであり、ある経済人曰く「道徳という土なくして、経済という花は咲かず」なのであります。
今こうしている間にも、例えば、出会い系サイトとか、硫化水素自殺を助長する自殺系サイトとか、諸々の有害サイトに影響された事件・事故がどんどん起ています。我々大人達は今、厳しいネット環境に放り出されている児童・子供達を、有害情報・サイトから守るべく、更なる実効性あるシステムを積み上げるべきなのであります。