2015年4月5日日曜日

「祈り」と関わるということ≪平成26年8月≫


88日・9日の行程で、議員派遣として超党派で、数名の区議会議員さん達と区の理事者の皆さん方とで、「長崎原爆犠牲者『慰霊』平和祈念式典」に参加してまいりました。
豊島区は、東京23区の中でいち早く「非核都市宣言」を行った自治体として、核兵器のない世界を実現していく責務があると思いますし、また、その非道を、後の世に、また全世界に、伝え続ける務めがあるかと思います。そこから本区は、もう既に、広島市の式典と今回の長崎市の式典と、何回か交互に参加しており、原子爆弾の犠牲となった方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げるとともに、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる皆様に、心からのお見舞いを申し上げているところです。
長崎では、一発の爆弾が、7万人を上回る、貴い命を奪うとともに、12万人が暮らしていた家屋を全焼・全壊させました。しかも、生き長らえた方々に対しては、病気と障害と苦難を強いました。ターゲットの中には、軍需工場その他があったとはいえ、その犠牲となった大半は、いわゆる非戦闘員の人々です。それでも、私達日本国民は、決してあきらめることなく、勇気を出して立ち上がり、祖国日本を再建し、長崎を美しい街として再生させました。私達一行は、こうした犠牲になった方々の御霊を慰めるとともに、これまでの先人達の奮闘に関して感謝を捧げるために、長崎へと向かいました。

両日は、台風11号・12号が日本列島に近づいてきているため、一体全体どのような天候になってしまうのか、とっても心配ではありましたが、幸運にも台風の間隙をぬうことができて、またその余波の風と雲があったせいで、長崎市松山町の平和公園で実施された式典中は、例年よりもむしろ幾分楽に過ごすことが出来ました。
9日の式典には、原爆投下国の米国など、過去最多となる48カ国と欧州連合(EU)の代表が出席していました。また、核兵器を保有しているとされるイスラエルの代表や、福島県南相馬市の高校生や同県川内村の小学生も参列していました。長崎市によると、この1年間に新たに死亡が確認された被爆者は3355人で、原爆死没者名簿に記載された総数は165409人となったとのことです。と同時に、被爆者の平均年齢はほぼ80歳で高齢化が容赦なく進んでいます。被爆体験や原爆の悲惨さを風化させてはならないですし、その為にも、その思いを新たにするこの日の平和への誓いは、より重みを増しているといってよいでしょう。
式典では、来賓の安倍晋三首相が、核兵器廃絶に、また、世界恒久平和の実現に力を惜しまぬことを、純粋に祈り、誓ったと思われますが、その一方で、田上富久長崎市長は、平和宣言の中で、集団的自衛権に言及し、「『戦争をしない』という平和の原点が揺らいでいるのではないかとの不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれている」と指摘しました。
そもそも長崎では、被爆者の方や学識経験者、そしてマスコミ関係者等々で構成されている起草委員会があり、ここでの議論を経て平和宣言文を作ることになっているそうです。漏れ聞くところによれば、当初案には集団的自衛権への言及はなかったものの、起草委員の方から異論が示されたため、田上市長の政治判断で、方向転換が図られたそうです。方針転換の目的は「核兵器をなくし、戦争をしないという長崎の原点を伝える」ところにあるとか…。
ただ、集団的自衛権という文言を入れた理由が、私にはよく分かりませんし、むしろ、核廃絶という普遍的な願いをうたう崇高な宣言に、激しい論争のあったテーマをめぐる一方の主張を盛り込むことになってしまったのではないでしょうか。平和宣言の中に、特定の政治的主張を持ち込むことによって、日本国民全体として平和を『祈る』ための宣言の意義が、損なわれてはならないと思います。
ちなみに、広島市中区にある平和記念公園で行われた、原爆死没者慰霊式・平和祈念式典の「平和宣言」では、松井一実広島市長は、核兵器廃絶と世界平和の実現とともに、信頼と対話による新たな安全保障の仕組みづくりを強く訴えたものの、集団的自衛権については触れてはおりません。どうやら、心の域を突き抜けて恒久平和を祈念することは、ある意味難しいことかも知れません。
それでも、今回の議員派遣で、有意義な体験をしました。それは、夕食を終えて宿舎のホテルに戻るタクシーの運転手さん達が、半ば強引に、私達を、長崎市出身で歌手の福山雅治さんの実家に案内してくれたことです。
爆心地から1キロあたりにある長崎市の山王神社の境内入口には、高さ20メートル前後の2本で、樹齢約500600年にもなる「被爆クスノキ」がそびえ立っており、熱線で黒こげになっても生き抜く姿が、まさにナガサキ復興のシンボルとなっているそうです。今年42日、被爆二世であることを告白された福山雅治さんは、長崎の原爆被害を乗り越えた被爆クスノキをテーマにした新曲「クスノキ」を発表しました。福山さんは、あるラジオ番組の中で「被爆クスノキの歌をずっと作ろうと思っていた。長崎で生まれ育ったソングライターじゃないと歌えないだろうし、書き出さないだろう」と語ったとのことです。
今現在、「被爆クスノキ」は、かつての被爆による内部の空洞化に加え、枝葉が伸び過ぎたことが原因で、倒壊の危険が出ているそうで、山王神社の宮司さん達は、樹木医の「治療」を受けさせるため募金活動を本格化させているとのことです。タクシーの運転手の皆さんが、福山さんを慕う理由がわかったような気がしますし、『祈り』には、こういったかかわり方もあるのだなと思いました。

【クスノキ】歌:福山雅治、作詞・作曲:福山雅治。

我が魂は この土に根差し。 決して朽ちずに 決して倒れずに。我はこの丘 この丘で生きる。

幾百年超え 時代の風に吹かれ。片足鳥居と共に。人々の営みを。歓びを かなしみを。ただ見届けて。

我が魂は 奪われはしない。この身折られど この身焼かれども。涼風も 爆風も。五月雨も 黒い雨も。ただ浴びて ただ受けて。ただ空を目指し。

我が魂は この土に根差し。葉音で歌う 生命の叫びを。

 

終わりに、いま一度犠牲になられた方々の御冥福を、心よりお祈り申し上げますとともに、ご遺族と、ご存命の被爆者の皆様に、幸多からんことをお祈りいたします。

危険ドラッグの撲滅に向かって≪平成26年7月≫


624日午後8時前、本区西池袋1丁目の路上で、乗用車が歩道に突っ込んで暴走し、歩行者を次々とはねて、その結果、7人が負傷しそのうち20代の女性が死亡、女性2人、男性1人がそれぞれ重傷を負うという、大変ショッキングな事故が起こりました。乗用車は、歩道を数十メートル走行し、ポストをなぎ倒しながら人をはね、電話ボックスに衝突してようやく停車したのです。
目の前にある交番の警察官が、急いで駆け付けると、運転席には意識がもうろうとした状態の男がいて、やがてこの事故の直前に、現場付近の店で購入した脱法ハーブを使用したことが原因だということが分かりました。いわゆる脱法ハーブで意識がもうろうとした状態で車を運転していたわけです。実際、事故を起こした容疑者自身、「脱法ハーブを買った店はスマートフォンで検索し、事故を起こしたのはハーブのせいだとすぐに分かった」と話したそうです。
まさに夜の繁華街の歓声が悲鳴に変わったわけですが、私自身、事故現場の道を通って、すぐ近くの三菱東京UFJ銀行池袋西口支店に用足しに行くことがあり、時間帯がずれていれば……と思うと、ぞっとしてしまいます。目撃者の皆さんの話も、例えば「もう少しで巻き込まれるところだった」「猛スピードで車が突っ込んだ。動かない女性もいて、みなどうしてよいのか分からない状態だった」「秋葉原の通り魔事件のようなものが起きているのかと思った」等の、声を震わせての数々の証言が寄せられています。

 そもそも脱法ドラッグとは何なの?と言ったこともよく聞かれます。
 
 脱法ドラッグとは、麻薬などと同様の効果があり、違法と合法の境目にある薬物の総称だとされています。ここには麻薬取締法や薬事法で規制されていない薬物のほか、合法を装った覚醒剤や麻薬、薬事法上の指定薬物も含まれるとのことです。このうち、問題となっている脱法ハーブは、植物片に薬物をしみ込ませ、たばこのように点火して吸引したりするものです。お香などを偽装して販売されるのが一般的であり、医薬品としての規制も免れているケースが多いと言われています。

さて、この凄惨な事件をふまえて本区では、75日、池袋駅西口広場にて、事故の引き金となったとされる脱法ドラッグの撲滅を目指す集会を開催し、違法薬物対策への協力を日本中に呼び掛けたところです。
集会の冒頭、今回の事故の犠牲者に黙祷をささげ、出席者のお一人の田村憲久厚生労働大臣は、脱法ドラッグがお香などと称して販売されることについて言及しつつ、「人体に影響がある薬物を吸引目的で売っている。決して許してはならない」「薬事法の取り締まり対象となる違法薬物の指定を推進していく必要がある」「警察庁と協力して危ない薬物を売っている店にアプローチしていく」とおっしゃり、販売店への取り締まりを強化する意向を示してくれました。
私も、区議会で可決された撲滅宣言を報告させてもらいました。その後は、事故現場に献花し、参加者たちが長い列をつくって、繁華街をパレードしました。
もっとも、依然として脱法ハーブを含む薬物の吸引が原因とみられる交通事故は後を絶ちません。警察庁によれば、脱法ハーブを含む薬物の吸引が原因とみられる事故は、平成24年に1919人が摘発され、それが平成25年には3840人に急増しているとのことです。また、脱法ハーブを含む脱法ドラッグが絡んだ110番通報は今年16月に前年比65件増の264件。719日だけでも34件に上ったそうです。ここから推測すると、乱用者自身が、脱法ハーブの効果を軽視して、大丈夫などと安易に考えて車を運転するといった事情があるのではないでしょうか。せっかく交通事故全体の発生件数は減少を続けているのにもかかわらず、意図的な暴走運転は減って、脱法ハーブなど先の読めない事故が増えていくというのはツライですし、そうなると今後は、事故の危険回避方法を歩行者などに伝えることが重要になってくるでしょう。こうなってくると、ノホホンと歩道を歩いたり、ボケッと信号待ちすることも、オチオチできません。
脱法ハーブを含む脱法ドラッグをめぐっては、規制対象外の新たな成分を使った新種が次々と出回るので規制が追いつかない、といった厳しい事情もあるでしょうが、私としては、国や自治体は、毅然として、迅速に、それらに対する取り締まりを強化してもらわないと困る、というのが率直な思いです。
そうした中、東京都では71日、改正薬物乱用防止条例が施行され、そこでは、薬事法上の違法ドラッグ以外に、幻覚作用が強い8種類の薬物を知事指定薬物として新たに摘発対象とするとともに、使用や所持など購入側も規制対象としました。また、東京都はついこのあいだ、厚生労働省と警視庁と連携して、都内で脱法ドラッグを販売する店舗に対して、約100人態勢で一斉立ち入り検査を実施しました。池袋の暴走事故で押収されたものと同じとみられる薬物も11店舗で見つかったとのことで、店から任意提出を受けた東京都は今後、成分分析など鑑定を進める模様です。こうして都は脱法ドラッグの規制の迅速化を図り、最新の成分分析機器の導入も検討しており、速やかに危険な薬物を排除するため、どんどん規制指定を進めていく方向で調整しているとのことです。加えて都は、インターネットでの販売業者が「ゆうパック」を悪用するケースが増えていることから、日本郵便に対し、脱法ドラッグの販売が疑われる業者からの依頼は受けないことなどを要請する方針を明らかにしています。これについて、日本郵便は「悪用されても確認できない状況なのは確か。社会的要請が高まれば検討したい」と話しているそうですが、すぐにでも動き出してほしいものです。
一方、警視庁は、脱法ドラッグ総合対策本部を発足させて、販売実態の把握や摘発の強化、鑑定の迅速化などに全庁をあげて、積極的に取り組むことを確認しました。東京都薬物乱用防止条例に基づく脱法ドラッグ店への立ち入りについて、東京都職員ら以外に、警察官もできるように条例改正を働きかけていくといいます。
他方、厚生労働省では、ハーブなどに付着した成分に、幻覚や興奮など中枢神経に影響を与える効果が確認された場合、薬事法違反にあたるとの認識を強めて、取り締まりを強化する方針を固めました。その狙いは、禁止する指定薬物に定める前に業者の摘発が可能になり、指定されると別の商品が出回る、いわゆるイタチゴッコに歯止めをかけるところにあるとか……。
この度の暴走事故を切っ掛けとしたこの問題について、まずは国や東京都が強力なリーダーシップを発揮してもらいたいですし、本区としても何ができるかを明確にして、区民の皆さんのご協力を得つつ取り組む姿勢が大切ですね。

日本サッカーの真骨頂≪平成26年6月≫


611日、豊島公会堂において、サッカー・ワールドカップ・フランス大会の日本代表選手だった名波浩さんの講演を聞きました。これは、豊島区立小学校教育研究会第66回総会の中に組み込まれたもので、「夢に向かって」と題し、自分がサッカーと向き合ってきた幼少のころから大学生、そしてプロ選手迄の話を中心としたものです。
当日は幸運にも公会堂の控え室で名刺を交換し(株式会社ラボーナ名波浩ってあるけど、ラボーナって何でしょう……?)、かつお話しする機会に恵まれました。「名波さん、現役時代のプレー、いまだに良く覚えていますよ」(本橋)。「(首でコクっとしながら……)有難う御座います」(名波氏)。「名波さんは、年が私より一回り位下ですから、キャプテン翼世代でしょ」(本橋)。「えーえー、よく見ましたよ」(名波氏)。「私なんかは、実は、赤き血のイレブン世代なんですよねぇ。主人公は玉井真吾、そして、サブマリンシュート!!(本橋)。「そ・そうですね……。(玉井真吾?、はてな…)(といった顔した名波氏)
 
  この後、総会が行われる関係で、控え室に名波浩氏と日本プロサッカー協会事務局長高野純一氏の二人を控え室に残してステージに移動。主催者の挨拶、ご来賓の祝辞、本年度事業計画の説明と続き、やがて名波氏の講演。
 昭和47(1972)静岡県藤枝市にて四人兄弟の末っ子として出生した浩少年は、藤枝市というサッカー熱の高い周辺環境と、三番目の兄の影響もあり(ちなみに、長男と次男は暴走族関係とのこと)、物心つくうちからサッカーに熱中していたそうです。この頃の名波家では、四男の浩氏は放ったらかし状態。浩少年は時間があればサッカーに明け暮れて過ごしたそうで、地元でのサッカー少年団時代は、小学校4年生時、既にサッカーが上手すぎて、同世代での試合では手に負えなくなっていたとのことです。そこから、当時の指導者が浩少年を年長組のチームへと飛び級させることに……。
 ただ、このころは5年生と6年生の壁は厚く、なかなかレギュラーにまでなれなかったため、時折、年少組なら即レギュラーなのに……、と幾度もぼやいていたとか……。中学校では、2年生でレギュラーポジションを獲得し、3年生の時に県予選優勝を果たします。その前年の2年生の時、県予選の決勝戦(?)で、試合終了間際に獲得したPKを、ルールを知らなかったがゆえに慌てて蹴ってしまい、勝利を逃してしまいますが、上級生たちが寄ってきてくれて、お前のお陰でここまでこれたんだと慰められたことが強烈な印象となったそうです。
 高校進学の当時はサッカー熱で藤枝市と清水市の対立が激しかったそうで、通常なら藤枝東高校へスムースに進学すれば問題は起きないところ、更なる強豪校として名高い清水市立商業高校へ進学を希望することにしたそうです。この選択に藤枝市内のサッカー関係者から名波家に対して、やれ浩は薬物をやっているなどの批判と落胆の声が上がったそうです。順天堂大学サッカー部時代では1部残留を辛うじて決め卒業するとともに、教員免許も取得したとか……。
 やがてジュビロ磐田に入団し、その直後からレギュラーとして活躍するとともに、ジュビロ黄金時代を築き上げ、同時期から日本代表入りをはたします。引退を表明後は、既にJリーグの監督の資格を取得しているので、近いうちにジュビロ磐田の監督になりたいと語っていました。その為にもネットにジュビロ磐田の監督には名波が良いと書き込んでと笑いながら私たちに語っていました。
 総じてサッカー選手の講演は久しぶりで新鮮だったものの、一方で名波氏の話の中に審判のジャッジにまつわるエピソードが出てこなかったのは、ある意味で奇異に感じたりもしました。たいていのスポーツマンの講演の中には、必ずといって良いほど、審判批判ネタが出てくると思われるからです。

サッカー・ワールドカップ・ブラジル大会が始まりました。各大陸予選を勝ち抜き、国の威信と国民の期待を一身に背負うチームばかりが集まっての真剣勝負の場です。勝ち進むのは容易ではないでしょうが、それでも選手達には試合を通して、日本の存在感と日本人の民族としての精神性と発展可能性を世界に示してほしいと願っています。
その全世界が注目する開催国ブラジルとクロアチアの開幕戦を、西村雄一主審ら日本審判団の3人が任されることになりました。西村主審は前回南アフリカワールドカップの準々決勝などを任され、精力的な運動量と毅然とした笛に定評があったと言われています。開幕戦の主審の判定は大会全体の基準となります。大事な試合を日本人トリオが裁くことは、大いに誇りに思っていいことですね。
開幕戦は何としても見なくては……。
私自身頑張って午前5時に起きて、テレビの前に…。結果的には、開催国ブラジルがクロアチアに逆転勝ちしましたが、この試合の一部判定にクロアチア側が反発し、物議をかもす事態がありました。選手はもちろん開幕戦の審判は、独特の雰囲気で、平常心でいることの方が難しいと言われていますが、騒ぎの根本にあるのは、欧州と日本のルールに対する姿勢、ひいては文化の違いにあるのかも……。
問題になったのは、ブラジルが決勝点を挙げるPKを得た後半24分のシーンでした。ペナルティエリア内でロブレン(クロアチア)のマークを受けて、フレジ(ブラジル)が倒れると、西村主審は間髪をいれずにファウルと判定し、イエローカードも出しました。
試合後の会見で、クロアチアのコバチ監督は「誰がみてもファウルではない。ばかげている。審判に問題があった」などと不満を爆発。一方のブラジルのスコラリ監督は「10回みたが、ファウルだと思った。人は願ったように解釈する」と納得顔でした。実際、西村主審はペナルティエリアのすぐ外のやや右寄りに位置を取り、フレジ(ブラジル)が倒れた瞬間も視界は遮られていなかったと受け止められています。また、ここ最近のワールドカップでは背後からのラフプレーを厳しく取ってきた流れもあります。加えて、接触プレーに比較的寛容な姿勢をとることで、なるべく試合の流れを断ち切らない欧州のスタイルと、ルールの遵守に忠実な姿勢をみせる日本との、サッカー文化の違いが影響し、それが笛にも表れたとも言えます。それならば、西村主審が積み重ねてきた努力の発露としてのホイッスルなのですから、それを私たちはしっかりと受け止め、評価し、日本の審判員関係者の大きな力となることを願うばかりですね。
西村主審のジャッジが、今大会の今後の基本路線となり、各チームは意識することとなるのは良いことです。「ペナルティエリアの中では、あのロブレン(クロアチア)程度の接触でファウルなのだ」と。そして、この際思い起こしてほしいことは、今年行われた2014AFC女子サッカー・アジアカップ・ベトナム大会では、日本代表女子チームが優勝したことはもちろんですが、この大会には三つの表彰があり(大会最優秀選手・大会得点王・フェアプレー賞)、フェアプレー賞を獲得したのは日本だということです。
我が国には多くの西村主審や指導者が居てくれて、その判定や指導の着実な積み重ねがあって、名選手が育ち、こういった賞まで我が国が獲得出来ているのではないでしょうか。そのような環境で育ってきた名波氏の口から、審判批判が出てくるわけがありません。

2014年5月17日土曜日

世越(セウォル)号ハ沈マズ≪平成26年5月≫


 韓国の社会全体を疲弊させた感の強いセウォル号海難事故から間もなく1カ月が経とうとしています。現在、韓国では事故を国家の危機と捉え、海難事故防止だけに止まらず、職業倫理や教育問題、更には社会の規律までをも見直そうと呼びかける、国家改造論議なるものが始まっているとのことです。加えて、朴政権としては国家安全マスタープラン(?)と国家安全処(?)の新設計画を策定し、安全について予算を優先的に配分すると共に、国家安全処を最高の専門家で構成するとしています。そして、これらの計画発表の席で、朴大統領は国家改造の決意を述べて、改めて国民に謝罪する予定と言われています(ここ最近は、当のご本人の謝罪が多いですね……)
 しかし、今回のセウォル号沈没事故(事件?)を踏まえた上で、韓国国民の多くが抱いている不安感を払拭するのは、決して新組織の構築でもなければ、人事の刷新でもないのではないでしょうか。
 セウォル号沈没事故合同捜査本部の分析によると、海洋警察の警備艇やヘリが現場に到着した416日午前9時半ごろ、船はまだ45度しか傾いておらず、この時点で船内に入り脱出を指示したり救出に当たったりしていれば、多くの乗客を助けることが出来た。また同45分には62度まで傾いたが、同時刻に操舵室にいた船長ら乗組員が甲板から救助船に乗り移っており、この時点でもまだ船内に進入できた可能性が高いとしています。こうした職業への誇りや意識を欠いた醜悪な行いを見るにつけ、どの国にも、いつの世にも、自己犠牲を厭わぬ英雄がいることに気づかされます。その多くは歴史を素通りしただけの、名もなき人々ですが、このような機会をみては思い出し、語り継ぐことで醜悪な行いに歯止めをかけたいものです。
 

 例えば、今年は、あの列強の脅威に立ち向かった意義を持つ日清戦争から120年となりますが、120年前の明治27(1894)917日の黄海海戦時に、大日本帝国海軍連合艦隊旗艦の防護巡洋艦の松島に乗り組み、敵艦の巨砲弾を受け瀕死の重傷を負った三等水兵の三浦虎次郎の話です。三浦は今際の際、通り掛かった旗艦松島の副長の向山慎吉少佐に、北洋艦隊旗艦の定遠が沈んだかを声を絞って尋ねます。そして敵艦隊が戦闘不能に陥った旨の返答を聞き、微笑を漏らしつつ息絶えたと言われています。この18歳の一水兵が示した愛国心と責任感には只頭が下がりますし、心打たれ泣けてもきます。120年前の国家存亡の分かれ目は、名もなき戦士による自己犠牲の数であったと言って良いでしょう。
 ちなみにキリスト教信仰者であった内村鑑三によれば、こうした自己犠牲の淵源は、日本における唯一の道徳・倫理であり、世界最高の人の道と激賞されるべき「武士道」にあるとの事です。内村鑑三曰く、「日本武士はその正義と真理のため生命を惜しまざる犠牲の精神に共鳴して神の道に従った。武士道がある限り日本は栄え、武士道がなくなるとき日本は滅びる」と。
 また、古くから中国に中華思想を植え付けられ、擬似中国=小中華に堕ちた韓国は今も昔も武士道の価値が理解できないといった点を端的述べているのが、拓殖大学の呉善花教授です。平成26421日に行われた九州正論懇話会での講演で、韓国の反日感情の背景に潜む文化・歴史に触れ、「文治主義の韓国は武士道の国・日本を野蛮な国と蔑視し『われわれが正さなければ軍国主義が復活する』と思っている」と語り、また、沈没事故で船長や主だった乗組員が真っ先に逃げ出した事実を指摘し、「極限状態でこそ社会の在り方が見える。韓国人は反日の時は団結するが、愛国心はなく、徹底的な利己主義だ」と言い切っています。なんだか韓国海洋警察に聞かせたい話ではないでしょうか。

もっとも、最後まで乗客の避難を助けて命を失った乗組員や高校教師の、悲しい最期があったことは忘れてはならないでしょうし、彼ら彼女らの冥福を心からお祈り申し上げますと共に、その職業意識と人としての在り様には、素直に頭を垂れたいと思います。
しかし、修学旅行の高校生らの多くを船中に残したまま真っ先に逃げた船長や主だった乗組員は、海の男である船乗りという職責には、乗客の命を最優先にして船と運命を共にする存在としての期待や幻想が脈々と生きている点を看過していると言うことが出来ます。
例えば、今年は、ロシアの脅威に立ち向かった意義を持つ日露戦争から110年となりますが、今から110年前の明治37(1904)28日、日本海軍は旅順港外のロシア艦隊に夜襲をかけ、日露戦争の火蓋が切って落とされました。この旅順港攻撃によってロシア艦隊は機雷を施設して旅順港に篭ってしまうわけですが、大日本帝国海軍は、ロシア艦隊が旅順港に籠もるのならば、狭い水路に船を沈めてロシア艦隊を湾内に押し込めるべく、旅順港閉塞作戦を展開します。しかし、警戒厳重な旅順の要塞砲の目を掠めて、船を沈めボートで脱出するのは至難の業で、生きて帰ってくること自体困難な作戦でした。それでもこの決死行に2000名が志願します。第1回目の閉塞作戦はロシア軍の砲撃にさらされ閉塞船が目標に到達できずに失敗。第2回目も名将マカロフがロシア太平洋艦隊司令官に着任し、士気あがるロシア軍の前に再び失敗に終わってしまいます。その第2回目の閉塞作戦で、広瀬武夫少佐が率いる福井丸が旅順口に到達しましたものの、魚雷攻撃を受けてしまい自沈に至りました。乗組員は脱出しようとしましたが、広瀬少佐は部下の杉野一等兵曹がいないことに気づきます。広瀬少佐は沈み行く福井丸に当然の如く舞い戻って、部下の杉野を探し回りました。結局杉野を発見できず、断腸の思いで脱出用のボートに戻ったところへロシア軍の砲弾が飛来。広瀬少佐は肉片を残して海に消えるという壮絶な最期を遂げました。広瀬少佐のこの行動は広く宣伝され、軍神第一号として祀られています。なんだかセウォル号の船長に聞かせたい話ではないでしょうか。
 都合良く歴史を捏造・粉飾し、恥と思わぬ韓国に、真の武士道とは何かを説く虚しさも、深く感じるところではあります。それでも、武士道がなくなるときは、日本の滅びるときであると予見した内村鑑三の警鐘を真正面に受け止め、日本人自身が武士道を、近隣諸国に対して、ひいては国際社会で体現しなければ、韓国の醜悪な行いをあぶり出せないと言うことが出来るでしょう。朝鮮半島は、ポーランドやクルドなどと同様、複数の列強に挟まれた地政学的に世界で最も不幸な地域の一つです。日本はこの半島の人々と今後とも付き合っていかなければなりません。韓国国民性の成熟を望んでいるのは韓国人だけではないのですし、その成熟が達成された時、セウォル号は人々の心の中で、未だに航海を続けているということが出来ると思います。

2014年4月14日月曜日

集団的自衛権≪平成26年4月≫


日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している中で、安倍晋三政権は集団的自衛権の行使容認に取り組んでいます。しかし、野党だけでなく、与党の一部にも戦争する国になると反発したり、メディアの中にも軍国主義、右傾化などの言葉を使って、この取り組みを封じ込めようとする動きがみられます。国会では今、集団的自衛権行使容認が最大の焦点となっており、議論がヒートアップしているところから、国民の皆さんが、本当の国益は何かを冷静に判断できることが大事になってきていると思います。

さて、その集団的自衛権なるものですが、既にご案内のように、これは他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利をいいます。日本の場合ですと、同盟国であるアメリカが攻撃を受けた場合に、日本がこの権利を行使できるか否かが、主に争点となってきます。

この集団的自衛権については、憲法9条がハードルになり行使することができないとされていますが、これを容認するよう憲法解釈を見直そうとする議論がまさに沸き起こっています。その一つの政府の有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」が近くまとめる報告書では、昭和34年の「砂川事件」の最高裁判決文を引用することで行使容認の調整をしていると言われています。安保法制懇は、違憲立法審査権の最終権限を有する最高裁が自衛権に触れた唯一の判決であることから、集団的自衛権の行使を否定していない判決を引用して、集団的自衛権は憲法が認める必要最小限度の自衛権に含まれると結論付けると言われています。

安倍晋三首相も、某テレビ番組で、自国の存立のために必要な自衛措置は認められるとした砂川判決に触れて、集団的自衛権を否定していないことははっきりしている、と主張し、判決は個別的自衛権と集団的自衛権を区別していないものの、個別も集団も入っている、むしろ両方にかかっていると考えるのが当然だ、とも指摘しています。また、安倍首相は、近傍で起こったら助けられるけれども、遠くだったら助けられないという議論は誰もしないし、常識的な議論をすべきだと語り、集団的自衛権行使に地理的制約を加えるべきではないとの認識まで示しています

 もっとも政府・自民党では、集団的自衛権の行使について条件を付けて限定的に容認する、限定容認論が焦点となっています。この限定容認論は、行使は日本の安全保障に直接関係ある場合に限り、他国の領土・領海・領空での行使は原則として認めず、自衛隊の行動は日本の領域や公海に限るとの方向性を示したものですが、日本の平和と安全を確かなものとするには本来、包括的に行使を認め、政府に判断の余地を与えておくのが望ましいのではないでしょうか。

石破茂幹事長も、某テレビ番組で、集団的自衛権行使を容認した際の自衛隊の活動範囲について、限定すべきではないとの考えを示し、「地球の裏まで行くことは普通考えられないが、日本に対して非常に重大な影響を与える事態であれば、行くことを完全に排除はしない」と述べています。また、高市早苗政調会長は記者会見で、集団的自衛権の行使を容認した場合の自衛隊の活動範囲について「例えば日本海だけというような地理的な縛り方は非常に難しい」と述べています。

ところが、菅義偉官房長官は、某テレビ番組で、自衛隊の活動範囲が地球の裏側にまで及ぶかどうかに関し、「あり得ないとはっきり言い切れる」と明言しちゃっていますし、岩屋毅安全保障調査会長も、某テレビ番組で、「他国の領土、領海、領空に立ち入らないと決めるのも一つの考え方だ」と述べています。

こうして自民党内でも様々な意見が噴出しているわけですが、議論を落ち着かせるためには、この権利の性格と国益を見据えた省察が必要かと思います。そもそも集団的自衛権は、あくまでも日本が持つ権利であって、日本が他国の戦争に参加しなければならない義務とは異なります。行使するとしても、ここには日本の国益にかなうかという政策的判断が強く働きます。その判断が明らかに誤っていれば、世論の理解は得られるはずもなく、その判断を下した時の政権は間違いなく交代させられます。そうである以上は、時の政府の判断はかなり謙抑的かつ慎重にならざるを得ないでしょう。あらかじめ具体的な状況が分からないのにもかかわらず、自衛隊が地球の裏側に行けないという性格のものではありません。 地理的な概念に縛られず、放置すれば日本の国益を侵害しかねない事態には、集団的自衛権を行使すべきだと率直に言い表してどこがいけないのでしょうか。むしろ、地理的な概念にとらわれる方がかえって危険だということができるでしょう。放置すれば日本の国益にかかわるか否か、といった観点からこの問題は議論すべきなのではないでしょか。確かに、地球の裏側まで自衛隊が行かなければならない事態は現時点では想定しづらいでしょう。しかし、あらかじめ地球の裏側まで行かないと宣言する必要はあるのでしょうか。ここまで来たら相手は来ないとの情報をさらしてよいのでしょうか。

なぜ、憲法解釈を見直してまで集団的自衛権の行使を可能にすべきなのかと言えば、これまでは想定し得なかった速度で、我が国を取り巻く安全保障環境が激変しているからです。中国は急速な軍拡と海洋進出を強めており、北朝鮮は着々と核・ミサイル開発を進めています。サイバー攻撃は陸海空・宇宙に次ぐ第5の戦闘領域と位置付けられています。そして自他共に世界の警察官と認めてきた米国は、その役割を終えようとしています(失礼)。日米両政府が、自衛隊と米軍の役割を定める日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を再改定するのは、中国による高圧的な海洋進出に対処するためです。平成9年の前回改定は朝鮮半島有事を念頭にしたものであり、日本の役割はあくまでも後方支援にすぎず、そこには中国と対峙する意識はほとんどありませんでした。それが今、日本は中国や北朝鮮の軍事的脅威にさらされ、その最前線に立たなければならなくなっており、日本はその後の17年間で想定し得なかった周辺事態に直面しているのです。そこから、地球の裏側で日本の国益に重大な影響を及ぼす事態は絶対にないと断言できるものではありません。地球の裏側論は、あくまでも行使容認を日本の自衛に関わる事態に限定し、米軍の軍事行動に無制限で追従しないという空気を、分かりやすく伝えるところに使命があり、地球の裏側に行ける・行けないと論争を続けることは、日本の国益を守るという観点からすれば、不毛な議論でしかない……、と思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

2014年4月2日水曜日

「竹林はるか遠く」は大丈夫?≪平成26年3月≫

 ここ最近、ソチ・オリンピック・パラリンピックでの日本選手の活躍を通して、多くの感動を頂戴して幸せ気分に浸れたのもつかの間……。千葉県柏市での通り魔事件の発生など、今一つ気分がすぐれなくなってきた中で、とうとう恥ずかしい事件が起きてしまいました。それは東京の図書館で「アンネの日記」やその関連図書が破損された、「アンネの日記破損事件」のことです。
 これまでに被害が確認されたものとしては、「アンネの日記」「アンネ・フランクの生涯」「少女アンネ その足跡」などアンネ・フランクにまつわるものが目立っていますが、中には「私はホロコーストを見た」とか「アウシュヴィッツの手紙」など一般的なユダヤ人迫害に関する書籍もあったとのことです。
 

 既にご案内の通り、「アンネの日記」は、大勢の人々に愛されている作品であり、ここ50年間で全世界で良く読まれた書籍ランキングの第10位です(ちなみに第1位が『聖書』、第2位が『毛沢東語録』です)
 遥か昔、私もこの書籍に親しんだ記憶があります。
 第二次世界大戦があった約70年前、ドイツの政党「ナチス」の差別から逃げるため、家族と一緒にオランダのアムステルダムに移り住んだ13歳のアンネ・フランク(ユダヤ人の女の子)。この子が隠れ家で暮らした2年間の生活を書いた日記です。
 当時のドイツはオランダを支配して、ユダヤ人への差別を続けた為、表立った日常活動は著しく制約され、その多くは隠れ家生活となってしまいます。そこで感じた怖さや希望、家族への熱い思いが、少女目線で描かれています。アンネはその後、捕まり、15歳で亡くなってしまいます。この日記は、戦争終結後、生き延びたアンネの父親が本にしたものです。
 

 豊島区内でも発生しているこの事件。
 その報道機関の報道ぶりを振り返ってみますと……。
 220日東京都内の複数の図書館で「アンネの日記」や関連書籍のページが破られる被害が相次いでいることが判明。221日菅義偉官房長官が「極めて遺憾で恥ずべきこと」と非難。222日確認された被害が300冊を超える。224日警視庁が器物損壊容疑などでの捜査開始。227日東京都豊島区の書店でも破損されたことが判明(捜査関係者によると、被害にあったのは大手書店チェーン「ジュンク堂書店」池袋本店。1月中旬と221日、3階の売り場でそれぞれ「アンネの日記」1冊が破られているのを店員が見つけ、22日に警視庁目白署に被害届を提出)37日警視庁が豊島区の書店への建造物侵入容疑で30代の男を逮捕(捜査一課が店内の防犯カメラを調べたところ、2冊目が発見された21日と、それ以前の2月中旬にジュンク堂書店を訪れ、同関連本のある348階などを行き来する不審な男がいたことが判明。いずれも被害のあった書棚近くに足を運ぶ。22日には店内で勝手にビラを張っていたことも確認。無断でビラを張るという、書籍購入などの「本来の目的」以外の目的で書店に侵入したとして、建造物侵入容疑で逮捕)313日逮捕された30代の無職男の自宅から、関連本の切れ端などが見つからなかったことが判明。しかも、自宅のパソコンにはインターネットの接続履歴が残っておらず、捜査一課は男が切れ端を廃棄し、履歴を消去するなどの証拠隠滅を図った可能性があると見做す……。

 さて、現時点では、こういった流れでこの「アンネの日記破損事件」は推移してきています。もちろん、ここ最近にも、捜査の進捗状況にも多くの変化があるかと思われます。
 

 いずれにせよ、豊島区も力を注いでいる文化、これを育み伝え、言論活動を支える書籍を損ない、自由な読書を妨げる愚かな行為ということが出来ますし、かつ、特定の本をねらう執拗かつ悪質なもので、再発防止のためにも一刻も早い解決を望むものです。日本図書館協会も「貴重な図書館の蔵書を破損させることは、市民の読書活動を阻害するもので極めて遺憾」との声明を出しています。

 ところで、この事件の場合は、国際関係への影響も懸念されます。
 実際のところ、書籍破損の被害が同書やユダヤ人迫害を扱った本などに集中していることから、海外でもこの事件は報道され、注目もされてしまっています。ユダヤ系人権団体の「サイモン・ウィーゼンタール・センター」は「衝撃と深い懸念」を表明していますし、欧米では、今回の破損行為は反ユダヤ主義的なものではないかとの見方も出てきているそうで、そうであるとすれば、日本のソフト・パワーやイメージを損ないかねません。
 さまざまな考え方の本や資料が広く公開される図書ないし読書環境の役割には大きいものがあります。本を守ることは伸び伸びとした自由な言論につながりますから、これを妨げる行為は決して許されるものではありません。
 もっとも、最近の共同通信によれば、今のところイスラエル政府からの抗議は無く、日本に詳しいイスラエルの有識者は「イスラエルには日本と反ユダヤ主義を結び付ける人はあまり多くない」と説明してくれていますし、ヘブライ大のニシム・オトマズギン准教授という方は「アンネの日記が多くの日本人に読まれていることはイスラエルでもよく知られている」また「ナチスの迫害から逃れようとするユダヤ人に査証を発給し、多くの命を救った元駐リトアニア領事代理の故杉原千畝氏のことを知るイスラエル人も少なくない」といってくれております。
 これはこれで大変有難いことですし、後は、このような事件の模倣犯が出ない事を祈るのみです。
 と言いますのも、ここ最近、私が読んだ本で感銘をうけた作品の一つに『竹林はるか遠く 日本人少女ヨーコの戦争体験記』というものがあります。
 「在米韓国人が猛抗議」とか、「全米中学校の教材から排除運動」とか、1986年に米国で刊行されたこの書籍は、その20年後に突然、理不尽な嵐に巻き込まれ、同様の動きが「慰安婦問題」という形で世界中に広がる最中、本書の出版が発表されるや、予約の段階でアマゾンランキング総合1位を記録し、今もって口コミで広がり続けております。
 著者は昭和8年、青森生まれ。父が満鉄職員のため、生後間もなく家族で朝鮮半島北部の羅南に移住。戦況が悪化した昭和20年、当時11歳だった著者は母と5歳年上の姉の女3人だけで半島を逃避行します。
 本書は、この時の体験を米国在住の著者が子供たちに分かりやすく伝えたいと、少女の目線から平易な英語でつづった物語です。抗日武装勢力に追われ、命の危険に幾たびも遭遇、その上乏しい食糧で、死と隣り合わせの日々が連続。危機意識の低い今の日本人(失礼)には学ぶことが多いと思われます。
 戦後の記録的なベストセラーとなった藤原ていさんの『流れる星は生きている』、世界中で読まれている『アンネの日記』などに「匹敵する戦争体験記」というありがたい感想も各方面からいただいているとのことです。
 本書に一貫して流れているテーマは「戦争の悲惨さと平和の尊さ」、そして特に、ともに苦難を乗り越える母と姉との「家族愛」。
 問題となった朝鮮人に関する描写の適否は、読者の判断に任せたいと思いますが、刊行から四半世紀を経て、この貴重な物語が日本語で読めるようになったことを素直に喜びたいですし、この作品が破損されない事を、切に切に、願うものです(ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ著&監訳、都竹恵子訳)

高梨沙羅選手、お疲れ様≪平成26年2月≫

 ソチ冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプ女子で4位となった高梨沙羅選手が成田空港に帰国しました。空港に居合わせた大勢の人たちから拍手を浴びたそうで、その際には、緊張感から解放されたように柔らかな表情になったとのことです。
 高梨選手は、ジャンプ女子が初めて正式採用されて行われたソチ五輪の優勝候補だったわけですが、残念ながらメダルには届きませんでした。空港で報道陣から、「五輪で得たものは何か」を聞かれ「最初に頭に浮かんだのは感謝という言葉。たくさんの人たちに応援していただいた。でもベストを尽くすことができず、結果も残せず、今は申し訳ない気持ちでいっぱいです」と心境を吐露したそうですし、同時に、「五輪では後悔する気持ちもあるので、ソチで出来なかったことをW杯へ引きずらないように練習して、レベルアップしたいです」と、2季連続の総合優勝がかかるW杯に向けて、精一杯気持ちを切り替えようとしていたとのことです。
 何ともしっかりした17歳ですね……。

やっぱり五輪には魔物が潜んでいるのでしょうか……。
実際のところ、2回とも本来のジャンプにはほど遠く後半の伸びを欠いていたのは、素人の私でさえも分かりました。今季のW杯での成績は、13戦で10勝です。この1度も表彰台を逃さなかった若き女王(?)は、この憧れの夢舞台で、ひょっとしたら、その重圧(?)から歯車が狂ってしまったのかもしれません。
それぞれの選手のジャンプが終わり、初代女王が決まった瞬間、高梨選手は勝者に拍手を送り祝福したあと、顔を手で覆って立ち尽くしたと報道されていました。しかもこれまでライバルとしてしのぎを削っってきたサラ・ヘンドリクソン選手(米国)が真っ先に駆け寄ってきてくれたそうですし、旧知の田中温子選手(カナダ)には「頑張ったよ」と言われ抱きしめられ、7位の伊藤選手とは「また一緒に来よう」とともに涙にくれたとか……。楽しみにしていた五輪は、17歳の乙女にとっては、さぞかし苦いものとなってしまったかもしれませんね……。それでも、各種の報道を集めてくると、「自分の準備不足だと思うし、まだまだ練習が足りなかった」と、強い追い風を受けたことなど言い訳がましいことは口にしなかったそうですし、「もっともっと強くなりたい。今回の悔しさをバネにしていいところをみせたい」と、4年後の平昌(ピョンチャン)五輪での雪辱をきっぱりと、しかも凛々しく誓ったそうです。
五輪での借りは五輪で返す。
新たな目標に向けて再スタートしたと受け止めても良いのではないでしょうか。

そうした中、ソチ冬季五輪日本選手団の橋本聖子団長の鼻息は荒く、過日の記者会見でも、序盤戦の有望種目で金メダルを逃したことについて触れつつも、過去最高だった長野五輪の、金メダル5個を超えるチャレンジは続けますと宣言すると共に、これから期待される種目があるので、チームジャパン一丸となっていけば大丈夫と話し、目標を変更しない考えをあらためて示してくれました。
これはこれで良い意味で選手達の気持を引き締める効果を生むのではないでしょうか……。高梨選手に対しても、4位に敗れたものの、日本の皆さんの期待を背負って一生懸命頑張った。重圧を支えてあげられなかったと反省している、とかばいつつ、4年後へのプラス材料と受け止めてほしい、と次回平昌五輪での雪辱に期待していました。
それにしても、誰もがその実力を認める高梨選手が、なぜオリンピックでは表彰台にすら上がることができなかったのでしょうか。
プロの目から見れば、要因はきっといくつもあることでしょう。踏み切りのタイミングは完璧だったのかとか、緊張はなかったのかとか……。
そうした中、読売新聞の朝刊でしたが、長野オリンピック団体金メダリストの斉藤浩哉さんが、何度読んでも私には分からない話をしていました。まず、高梨選手は、表彰台に上がった3選手とは異なり、ただ一人2本ともに追い風でのジャンプとなったことだそうです。ジャンプが、気象条件が大きく影響する競技であることは昔から言われてきました。向かい風なら飛距離が出やすくなりますし、追い風なら失速しやすくなります。そうした意味では、理不尽な競技といえます。そして、その不公平さをあらためようと、ルールも改正されて出来たのが「ウインド・ファクター」だそうで、風の強さに応じて、向かい風なら減点、追い風なら加点するといったものだそうです。この「ウインドファクター」ルールによって一見、向かい風、追い風による不公平は消えたようにも見えますが……。その一方で、高梨選手は、今回2本ともテレマークを入れることができませんでした。テレマークができないと、飛型点は下がります。もともと高梨選手は、テレマークを苦手としていたのは有名で(失礼)、ワールドカップ総合優勝を果たした昨シーズンも、世界選手権ではテレマークの優劣で2位に終わっています。それが今シーズンは開幕前からテレマークができるように努力し、その成果は試合で確実に表れはじめ、ワールドカップでは飛距離で劣っても優勝する大会もありました。それが、この日は、そのテレマークが入れられなかったのです。そこには追い風が影響していたと、斉藤氏は語っています。つまり、追い風によって、飛距離を伸ばしきれなかったし、テレマークを入れにくくなり、飛型点も低くなったのだと……。そうなると…、イラシュコは別にして、フォクト、マテルには飛型点の差がなければ負けていないことになります。高梨選手はワールドカップでは、108110点といった飛型点を得ることも珍しくはありません。総合して考えれば、テレマークを入れられずに飛型点で劣ったということでしょう。その要因に、上位3名の選手と違い、2本ともに追い風を受けたことがあったということです。先程の「ウインドファクター」ではカバーしきれないマイナスの影響を被った。これはジャンプという競技ならではかもしれない。そう斉藤氏は伝えていました……。

かつては、男子のみのスポーツだったスキーのジャンプ競技。これがどのような来歴を経て今に至ったのでしょうか。
女子ジャンプ界のパイオニアの山田いずみさん。長野五輪のテストジャンパーを務めた葛西賀子さん。知られざる情熱の系譜がそこには点在し、「女子にジャンプはできない」といった当時の常識を覆すために、先人達が超えてきた壁の高さが、想像以上のものだったことが、ここ最近の各種報道で明らかにされています。切迫した危機は何度もあったものの、その都度、凜とした姿勢でその苦境を越え、彼女ら女子ジャンパーは軽やかに空へテイクオフしていきました。山田いずみさんが、初めてノーマルヒルの公式大会を飛んだのが1992年の15日だそうで、そこから積み重ねた女子ジャンパーたちの何千、何万ものテイクオフが、高梨選手ら現代の代表選手をより遠くまで運んでいたと言えそうです……。
お帰りなさい、高梨沙羅選手。
そして何よりも、お疲れ様でした。