2014年4月2日水曜日

高梨沙羅選手、お疲れ様≪平成26年2月≫

 ソチ冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプ女子で4位となった高梨沙羅選手が成田空港に帰国しました。空港に居合わせた大勢の人たちから拍手を浴びたそうで、その際には、緊張感から解放されたように柔らかな表情になったとのことです。
 高梨選手は、ジャンプ女子が初めて正式採用されて行われたソチ五輪の優勝候補だったわけですが、残念ながらメダルには届きませんでした。空港で報道陣から、「五輪で得たものは何か」を聞かれ「最初に頭に浮かんだのは感謝という言葉。たくさんの人たちに応援していただいた。でもベストを尽くすことができず、結果も残せず、今は申し訳ない気持ちでいっぱいです」と心境を吐露したそうですし、同時に、「五輪では後悔する気持ちもあるので、ソチで出来なかったことをW杯へ引きずらないように練習して、レベルアップしたいです」と、2季連続の総合優勝がかかるW杯に向けて、精一杯気持ちを切り替えようとしていたとのことです。
 何ともしっかりした17歳ですね……。

やっぱり五輪には魔物が潜んでいるのでしょうか……。
実際のところ、2回とも本来のジャンプにはほど遠く後半の伸びを欠いていたのは、素人の私でさえも分かりました。今季のW杯での成績は、13戦で10勝です。この1度も表彰台を逃さなかった若き女王(?)は、この憧れの夢舞台で、ひょっとしたら、その重圧(?)から歯車が狂ってしまったのかもしれません。
それぞれの選手のジャンプが終わり、初代女王が決まった瞬間、高梨選手は勝者に拍手を送り祝福したあと、顔を手で覆って立ち尽くしたと報道されていました。しかもこれまでライバルとしてしのぎを削っってきたサラ・ヘンドリクソン選手(米国)が真っ先に駆け寄ってきてくれたそうですし、旧知の田中温子選手(カナダ)には「頑張ったよ」と言われ抱きしめられ、7位の伊藤選手とは「また一緒に来よう」とともに涙にくれたとか……。楽しみにしていた五輪は、17歳の乙女にとっては、さぞかし苦いものとなってしまったかもしれませんね……。それでも、各種の報道を集めてくると、「自分の準備不足だと思うし、まだまだ練習が足りなかった」と、強い追い風を受けたことなど言い訳がましいことは口にしなかったそうですし、「もっともっと強くなりたい。今回の悔しさをバネにしていいところをみせたい」と、4年後の平昌(ピョンチャン)五輪での雪辱をきっぱりと、しかも凛々しく誓ったそうです。
五輪での借りは五輪で返す。
新たな目標に向けて再スタートしたと受け止めても良いのではないでしょうか。

そうした中、ソチ冬季五輪日本選手団の橋本聖子団長の鼻息は荒く、過日の記者会見でも、序盤戦の有望種目で金メダルを逃したことについて触れつつも、過去最高だった長野五輪の、金メダル5個を超えるチャレンジは続けますと宣言すると共に、これから期待される種目があるので、チームジャパン一丸となっていけば大丈夫と話し、目標を変更しない考えをあらためて示してくれました。
これはこれで良い意味で選手達の気持を引き締める効果を生むのではないでしょうか……。高梨選手に対しても、4位に敗れたものの、日本の皆さんの期待を背負って一生懸命頑張った。重圧を支えてあげられなかったと反省している、とかばいつつ、4年後へのプラス材料と受け止めてほしい、と次回平昌五輪での雪辱に期待していました。
それにしても、誰もがその実力を認める高梨選手が、なぜオリンピックでは表彰台にすら上がることができなかったのでしょうか。
プロの目から見れば、要因はきっといくつもあることでしょう。踏み切りのタイミングは完璧だったのかとか、緊張はなかったのかとか……。
そうした中、読売新聞の朝刊でしたが、長野オリンピック団体金メダリストの斉藤浩哉さんが、何度読んでも私には分からない話をしていました。まず、高梨選手は、表彰台に上がった3選手とは異なり、ただ一人2本ともに追い風でのジャンプとなったことだそうです。ジャンプが、気象条件が大きく影響する競技であることは昔から言われてきました。向かい風なら飛距離が出やすくなりますし、追い風なら失速しやすくなります。そうした意味では、理不尽な競技といえます。そして、その不公平さをあらためようと、ルールも改正されて出来たのが「ウインド・ファクター」だそうで、風の強さに応じて、向かい風なら減点、追い風なら加点するといったものだそうです。この「ウインドファクター」ルールによって一見、向かい風、追い風による不公平は消えたようにも見えますが……。その一方で、高梨選手は、今回2本ともテレマークを入れることができませんでした。テレマークができないと、飛型点は下がります。もともと高梨選手は、テレマークを苦手としていたのは有名で(失礼)、ワールドカップ総合優勝を果たした昨シーズンも、世界選手権ではテレマークの優劣で2位に終わっています。それが今シーズンは開幕前からテレマークができるように努力し、その成果は試合で確実に表れはじめ、ワールドカップでは飛距離で劣っても優勝する大会もありました。それが、この日は、そのテレマークが入れられなかったのです。そこには追い風が影響していたと、斉藤氏は語っています。つまり、追い風によって、飛距離を伸ばしきれなかったし、テレマークを入れにくくなり、飛型点も低くなったのだと……。そうなると…、イラシュコは別にして、フォクト、マテルには飛型点の差がなければ負けていないことになります。高梨選手はワールドカップでは、108110点といった飛型点を得ることも珍しくはありません。総合して考えれば、テレマークを入れられずに飛型点で劣ったということでしょう。その要因に、上位3名の選手と違い、2本ともに追い風を受けたことがあったということです。先程の「ウインドファクター」ではカバーしきれないマイナスの影響を被った。これはジャンプという競技ならではかもしれない。そう斉藤氏は伝えていました……。

かつては、男子のみのスポーツだったスキーのジャンプ競技。これがどのような来歴を経て今に至ったのでしょうか。
女子ジャンプ界のパイオニアの山田いずみさん。長野五輪のテストジャンパーを務めた葛西賀子さん。知られざる情熱の系譜がそこには点在し、「女子にジャンプはできない」といった当時の常識を覆すために、先人達が超えてきた壁の高さが、想像以上のものだったことが、ここ最近の各種報道で明らかにされています。切迫した危機は何度もあったものの、その都度、凜とした姿勢でその苦境を越え、彼女ら女子ジャンパーは軽やかに空へテイクオフしていきました。山田いずみさんが、初めてノーマルヒルの公式大会を飛んだのが1992年の15日だそうで、そこから積み重ねた女子ジャンパーたちの何千、何万ものテイクオフが、高梨選手ら現代の代表選手をより遠くまで運んでいたと言えそうです……。
お帰りなさい、高梨沙羅選手。
そして何よりも、お疲れ様でした。