2007年11月6日火曜日

英霊の言の葉

「小泉総理は、今年どうするんですかね。靖国・・・・・」
「8月15日の参拝のこと? 是非公約をはたして欲しいよね」

 今年もまた鎮魂の夏がやってきましたが、小泉総裁の任期が、今年の9月までとあって、自民党総裁選で公約した、8月15日の靖国神社公式参拝問題がヒートアップしています。8月15日に行くのか否か。

 小泉総理自身、どれだけ靖国神社のことを理解しているのかは、はなはだ心もとないところがありますが、単なる政権維持のためのパフォーマンスだけで発言しているわけではなさそうです。と言いますのも、小泉総理自身が、かつて特攻隊の基地のあった知覧を訪ねた際、英霊達の遺品等をつぶさに見学した折に大粒の涙を流し、それを拭うこともしなかったという経緯を持っておられ、そのときの熱い思いが、その後の自民党総裁選の公約:靖国神社公式参拝へと、結晶化されていると思うからです。

 もっとも、小泉総理自身、靖国に関して、俄か仕立ての感は否めません。

「それはまた、どの辺りですか?」
「例えば、国立追悼施設・国立墓地を検討する、とか言ってたでしょ。」

  小泉総理は、総理総裁就任当初、「靖国問題を解決するに当たっていわれている、国立墓地ですが、色々意見をもっている方がいるから、もし創るんだったら、いいものを作りたい。私も前から考えていた。」とか、アメリカに政府要人が行った際、よく行われるアーリントン墓地での献花を思い出してか、「外国の要人が来日した際に、何の問題も無く献花できるように・・・・・」とか言われておりますが、そもそも、なぜ靖国神社ではだめなのか、私には解らないのであります。

  国立墓地を作ったとして、これは全くの「無宗教」なのでしょうか。そうだとしますと、そもそも国立であれ、何であれ「墓地」と言うものは「無宗教」で成り立つのでしょうか。国立墓地を作って、献花するなり、お参りするなりして、何か儀式めいた事をしたら、それはもう確固たる「宗教」ではないでしょうか。「墓地」を作ることそれ自体、その前提として、死者の霊魂を信じている事の証なのではないでしょうか。もし「無宗教」にこだわるとするなら、「墓地」を作ること自体意味がないと言えるのではないでしょうか。靖国神社には遺骨も位牌も無く、あるのは御神体(御剣と御鏡)だけですから、もし、国立墓地を作るとすると、その中には、遺族の下にある戦死者のお墓を掘り起こして、少し遺骨を分けてもらって、それを埋めるのでしょうか。そうした上で、「無宗教」と言う立場にたってかんがえると、遺骨の埋められた墓地は、どのような形式で慰霊されるのでしょうか。神道でもなく、キリスト教でもなく、そして仏教でもない形式というものが、はたして現世にあるのでしょうか。

「なるほど、ずいぶんと無茶な話ですね」
「でしょ。無茶な表現だってあるよ」

  小泉総理が靖国神社を参拝する際に、よく使う理由に、「『心ならずも』、先の大戦に赴き、亡くなられた方へ、哀悼の誠を捧げ、『不戦の誓い』をするために参拝する」というのがありますが、この「心ならずも」という表現に、私は違和感を抱いてしまいます。と言いますのも、「心ならずも」という表現自体に、英霊達の私的言語空間に目が奪われる一方、英霊達の公的言論空間を無視していると思うからです。  

  誰だって、本音を言えば、神風特別攻撃隊に選ばれたく無かったでしょうし、遺族の側も、もろ手を挙げてわが子を国にささげるという方もいないでしょう。私(わたくし)的には、何で俺なんだ。何でうちの子供なんだ。そういった思いがあってしかるべきです。

  私達が気をつけなくてはならないのは、英霊や遺族達の、私的発言と公的発言を良識を持って区別し、公的発言はどれかをしっかりと受け止める事です。そこには確実に、この国を守るため等、その礎となるべく進んで散華していくに際して発せられた公的言論空間があるはずです。一国の総理たるもの、公的な場においては、彼らの公的発言を斟酌すべきであり、私的発言を展開すべきではないと思います。それは、昨今の、いわゆる「富田メモ」にも言えることだと思います。どのような状況で昭和天皇のご発言をメモされたのかは分かりませんが、歴代の宮内庁の幹部の方々が指摘されるとおり、富田氏が他界されるに当たり、そのメモが公的空間に出ないよう、万全の処置・処分を講じておくべきだったと思うのです。

 もう一つ。小泉総理は、「不戦の誓い」と言われますが、果たして、「テポドン・ノドン・スカッド」と言ったミサイル狂想曲を奏でる国がお隣にいるのに、はたして「不戦の誓い」を立ててしまってよいのかということです。不戦というと、あたかも国際法上当然の権利として認められている、自衛のための武力行使まで差し控えるというメッセージを、他国に送ることになりはしないかと心配です。

 小泉総理におかれては、粛々と8・15に靖国参拝し、英霊達とお会いして欲しいと思います。

 靖国神社社務所が編集兼発行している【英霊の言の葉】(8)85頁に、昭和20年5月28日、沖縄にて戦死された、群馬県勢多郡出身の、陸軍少尉:瀬谷隆茂命の「靖国で会ひませう」というのがあります。
 
「御父さん、お母さん愈々隆茂は明日は敵艦目がけて玉砕します。
沖縄まで○○粁を翔破すべく落下タンクを吊り○○○キロの爆弾を抱いた機が、緑の飛行場で武者震ひして自分の乗って呉れるのを待つて居ります。
明日会ふ敵は戦艦か? 空母か? それとも巡洋艦か?・・・・・・。
きつと一機一艦の腕前を見せてやります。
明日は戦友が待つて居る靖国神社へ行く事が出来るのです。
日本男児と生れし本懐此れに過ぐるなし。
御父さん、お母さん、隆茂は本当に幸福です。
では又靖国でお会ひしませう。
待つて居ります。
最後に、御両親様の健勝を切にお祈りいたします。
                            隆茂
御両親様」

  ここには、この緑美しい国を守る固い決意がにじみ出ていると共に、我が愛する家族のため、自ら進んで戦地に臨んで行った先達の熱い想いが綴られていると思われますが、如何でしょうか。「心ならずも」という言い方や「不戦の誓い」は、一国の総理が軽々に口にするものではないと、私は思うのですが・・・・・・。

  8月15日、靖国でお会いしましょう。

2006年8月