2007年11月6日火曜日

まんが・アニメは精神文化?

  最近、知り合いの仲間たちとの雑談の中で、一泊二日で石巻市に視察に行ってきたときの話しが出ました。行きがこうで・・・・・、帰りがこうで・・・・・、あそうそう途中で・・・・・と、視察の中身を面白おかしく話してくれましたが、聞いている私の方はといいますと、このところ家族サービスが出来ていない事から、申し訳ないな・・・・・、まずいな・・・・・、という家族に対する想いが常に頭をよぎってしまい、話し相手に対して終始ぎこちなく、しかもワンテンポ遅れた相槌をしているといった有様でした(この夏は、何とか頑張って海にでも連れて行ってあげなくちゃ・・・・、早く参議院選挙終わらないかなー)。

  一通りお話を聞いた中で、特に私が関心を持ったところは、どうやら石巻市は、漫画家の「石ノ森章太郎」氏とその作品群を前面出だしながら(石ノ森萬画館)、それを街の活性化戦略に組み込んでいる・・・・・、という部分でした。

  著名な漫画家とその作品を街づくり、特に来街者の呼び込み・取り込みに組み入れている自治体は、何もこの石巻市に限っているものではなく、このほかにも、水木しげる氏とその作品群、例えば「ゲゲゲの鬼太郎」などを前面に出している鳥取県境港市をはじめ、いくつか存在しており、それなりの成果を挙げているとの報告を聞いております。中でも、マンガ・アニメという性格上、子供達からの支持は絶大なものがあるらしく、修学旅行で立ち寄るのか、あるいはお別れ遠足会で立ち寄るのかは分かりませんが、かなり遠方からも観光バスで乗り込んでくるとの事です。

  新撰組を謳って街のPRをしている「日野市」、武田信玄を打ち出している「茅野市」、家康の湯で売り出している「熱海市」といったように、いわゆる過去の歴史上の組織や人物を取り上げて、ある時はおらが村の誇り、またある時はおらが街の自慢とすることは古くから行われてきたところですが、このアニメを取り入れての街興しはここ十年位で急速に着目され始めたようです。

  私の場合は、「ミュンヘンへの道(いきなりマニアックですね・・・)」「巨人の星」「あしたのジョー」「キャプテン」「プレイボール」「おれは鉄兵」に始まり(まだまだ沢山続きますよ・・・・・なにせマンガが好きだった兄がいましたから・・・・・)、「エースを狙え」「ガラスの仮面」「あさきゆめみし」等など(二人姉がおります関係でマーガレット・少女フレンド・りぼん、よく読みましたっけ・・・・・)、若かりし頃、特に中学生・高校生あたりまで、家に帰れば何がしかの種類の週刊マンガ本が転がっているという状況も手伝って、暇さえあれば数多くのマンガや作品に触れるといった生活でした。例えば「巨人の星」です。主人公の星飛雄馬は、元読売巨人軍の名3塁手の父:星一徹に感化(※)され小さい頃より野球に打ち込むものの、生来的に球質が軽いことから、単なるミート打撃で長打を浴びてしまう、そこから、そもそもミートすらさせないようにするにはどうしたら言いかを模索、その結果大リーグボール1号を開発、一世を風靡するもやがてはライバルの阪神タイガースの花形満にホームランを打たれてしまうものの、そこからさらに這い上がり、大リーグボール2号(消える魔球)を開発、これが通用しなくなると最後に大リーグボール3号を開発、この魔球でライバルになってしまった中日ドラゴンズの伴宙太を討ち取り、完全試合を達成させると同時に、左前腕にある筋を切ってしまう・・・・・、といった様にすぐさま頭にストーリーがよぎってしまいます(この後の新巨人の星もグッときてしまいますよね、ホント)。

  このマンガが私に与えた影響は、意外と大きいと言うことが出来ます。もちろん野球好きの4歳年上の今は亡き兄の影響もありますが、私自身、単に野球を始めたことだけではなく、打ち込み始めたことに対して全力を傾けること、途中であきらめないことを始め、数多くの人生の構えをここから感じ取ったと言うことが出来ます(ちょっと、大げさ?)。
※星一徹の妻で飛雄馬とその姉の明子の母「星春江」は、星一徹とお見合い結婚をしたのですが、飛雄馬が物心つく前に病気で亡くなってしまいます(この病名が分からないんだよなー、どなたか知っていたら教えてくださいね)。
  したがって、明子には母の記憶はありますが、飛雄馬には記憶がありません。
  そして、実は、春江がまだ赤ん坊の飛雄馬のために縫った読売巨人軍のユニホームが、一徹に飛雄馬のスパルタ教育を決意させたのです。

  自治体が有名な漫画家とその作品を街づくりに活用することは結構なことかもしれませんが、その場合でも、単に有名なマンガやアニメだからとか、最も人を呼び込めるマンガやアニメだからとか、そのような観点からのみ取り入れてしまうのはいかがかなと思ってしまいます。そこには、やはりその自治体のトップたちが、住民にそして国民に対してどのようなメッセージをその漫画家・作品群を通して発信するかといった観点をきっちり打ち立てた上で企画してほしいと思います。

  加えて、作品それ自体の持つ分かりやすさも大事かなという気が致します。例えば、宮崎アニメの一つ「魔女の宅急便」です。親元から自立して、綺麗な海の良く見えるパン屋さんに下宿しながら宅配の仕事をする主人公「キキ」、ある時あるお婆さんから、自分の孫のお誕生日のために私の焼いたパイを届けてほしいと頼まれる。キキが受け取りに行ったものの、電機のオーブンが壊れていた為に諦めることに・・・・・、そのとき、釜のオーブンがあることにキキは気がつく。何とか薪を焚いてパイを時間通りに作ろうと懸命に努力、しかもお婆さん家の時計が10分遅れていることに途中で気がつく。おりしも雨が降る中、パイを濡らさないように着ている黒のワンピースのなかにパイをケースごといれ超特急。滑り込みセーフで孫の家に送り届けることが出来たものの、そのお孫さんからは、このパイ要らないのに・私このパイ嫌いなのよ、との返事受け、キキは呆然と立ち尽くす。さらには、そのお孫さんが友達のトンボの遊び仲間として再会したとき、キキの気持ちは怒りとなって心の中に現れる。その後キキの魔力は急速に衰えていくことに・・・・・。

  このあたりまで来ると、多分に私の主観が入ってきてしまっていることに気づかされます。キキの魔力が衰えてきたのは、私は他者への憎しみや怒りがそうさせてしまったと解釈しておりますが(スターウォーズの中での、フォースの力とダーク・サイドの関係と似ている)、もしかしたら定期的な魔力の維持・鍛錬不足が原因だったのかもしれません。

  それらの読み込み方は十人十色の感があるともいえそうですね。なかなか、マンガやアニメ、ひいては芸術というものを街づくりに活用するのは難しいと言えそうです。
2007年7月