2007年11月6日火曜日

師走の掃除

「本橋さん、いよいよ暮れも押し迫ってきて、何か気忙しくなってきましたね」
「そりゃ、『師走』って言うくらいだからね」
「本橋さんもやっぱり、走ってばかりですか?」
「いや、走ったりもするけど。あとは上ったり、潜ったり・・・・・」
「はあっ?」

  何と無く例年より暖かい冬のような気はするものの、寒がり屋の私にとりましては、風を引かないように気をつけている日々を送っております。しかも最近は、なんでもノロウィルスとか言う新手の感染症が広がりを見せる気配がありますので、なおさら、毎日のうがい・手洗いを欠かさぬよう気をつけております。皆様方は如何でしょうか。大事になさってください。

  さて、12月にも入り、走り回る原因といいますと、何といってもこの時期恒例となっている、各種もろもろの関係・シガラミ(?)からくる「忘年会」のハシゴでしょう。今日ぐらいはお酒をやめて、休肝日にしようと思っていても、ついついアフターファイブになると『のど湿し』『チョー軽(カル)』なら、「まいっか」と思ったが最後、「もう一軒、もう一軒」と言った具合で、気が付いたら午前2時ごろにビールとラーメンといったご経験、つまりは最後のところが「チョーカル」だったということが多いのではないでしょうか。

  ことは忘年会だけに止まらないでしょう。自宅の大掃除をいつにするかとか、暮れも押し迫る前にあそこの掃除だけは済ませておこうとか、色々と「掃除」も大きなテーマとなってと思います。

「本橋さんも掃除ってするんですか?」
「あたぼうよ!!」
「いつも事務所の掃除は僕ら塾生にやらせるのに・・・・・」

  この時期、私にとっての掃除・清掃は、非常につらいものがあるのです(塾生は見てないもんね)。

  そのキングオブ清掃原因が、樹齢300年近くになる我が家の欅です。

  この間までは、その落ち葉はきの季節が来たなと言う事が、近所のお年寄りの、毎朝午前7時ぐらいからの竹箒ではく音で分かったものでした。それを聞いて、すぐさま私も家の前の道路に飛び出て、欅の落ち葉をはき始めると言った事が何年も続いたものでした。

  ある時、黙々と欅の落ち葉をはき続けているそのお年寄りに、「毎朝すみません、うちの欅のせいで・・・・・、落ち葉はきをしていただいて・・・・・」と話しかけたところ、そのお年寄りは、「いや、関係ありません。関係ありません」と言う返事をしてくれました。この事を両親や近所にいる親戚に話すと、そのお年寄りは、どうやら旧日本陸軍の将校を勤め上げた人物だとの事です。

  勿論、様々な事情があるものの、やれ邪魔になったとか、落ち葉はきがいちいち面倒くさいからとって、ある程度年輪を重ねた樹木を簡単に切ってしまう風潮が見られる中にあって、私からは、そのお年寄りの姿勢が、今も強く印象に残っております。

「で、本橋さん、登るって事は、その欅に登って毎年伸びた枝を切るって事ですか?」
「違うよー、屋根に上るんだよ」
「はあっ?」

  何せ樹齢が樹齢ですから、高さが数十メートルあります。ですから、葉っぱが、四方八方に飛んでいくわけでして、自宅の屋根上は勿論、他人様の御家の屋根上とか、さらに三階建て住宅(今多いよなー)の屋根の上とか様々です。そういったご家庭に梯子を持って伺っては(お店をハシゴするのと意味は勿論、姿格好も全く違う)、毎年この時期、ノーギャラで落ち葉はきをするわけであります。この作業も20歳台の頃は体育会系のノリの延長ですませてこれましたが、最近40歳を過ぎてからは、高いところが妙に怖くなりまして、寂しい気持ちになってまいりました。いずれはこの作業も誰か引継いでくれると助かるのですが(ダスキン様如何?)。

  落ち葉の量も半端ではありません。多少年季のいった欅一本分の落ち葉でしょと言う無かれ、かなりの量になるものでして、11月中旬頃から始まって、毎朝約45リットル入りゴミ袋で3袋位、これが12月下旬頃まで続くのであります。もっとも、今年は暖冬のせいか、大体2袋位で済んでおります。しかし、今もこの原稿を書いている12月中旬、欅を見上げてみますと、まだ三分の一の紅葉がありますから、年明けまで落ち葉はきは続きそうです。

「全くもう、困った欅ですね。切ってしまおうとは思わないんですか」
「そりゃないよ」

  縷々申し上げた欅ですが、これを憎いとか、切ろうとか思ったことは一度もありませんし、また、かつて区側より「保護樹木」として登録しませんかと言うお誘いもありましたが、これも丁重に断っております。と言いますのも、私が小さい頃、よく祖母から「男の子が、何だこれしきの事で泣いたりして」とか、「そんなことしてたら神様から罰が当たるよ」とか、「ご先祖様がちゃんと見てくれているよ」とか言われて育ってきた経験があるのですが、その祖母もなく、他方でそれなりに一応の分別を持っていると自分では思っている今、祖母の発した言霊に変わるもの、ひいては本橋家の黙示の家訓ともいうべきものを、常に私に照射してくれているのがこの欅だと感じているからです。高校入試で頑張っていたときの自分、高校時代アメリカンフットボールで全国大会出場を決めて喜んだときの自分、その大会で一回戦負けして悔しがっていた自分、父親になった喜び・感動に包まれていた自分、これらをじっと見守り続けてくれていたのがこの欅だと、私は感じるのです。木肌をさすってみると何か気持ちが落ち着くことが多々ありますし、わが子が泣きじゃくっているとき、大きな欅を見せて、「ほら、そんなことで泣いてると、あの大きな欅さんに嫌われちゃうぞー」と言ってあやすと、子どもが泣き止んだりします。大樹が持つ目に見えない力にはは凄いものがあるなと感心します。その極めつけの一つが、伊勢神宮ではないでしょうか(赤福が楽しみですよね)。

「で、本橋さん、もう一つの、潜るって何ですか?」
「イヤー、それはー、実は池の掃除の事だけど、この話はまた今度ね」
「(まだ塾生達に錦鯉の魅力は分からないだろうな・・・・・)」

  名店街ニュースをお読みの皆様、今年一年私の拙いエッセイをご愛読いただきまして、誠に有難うございました。来年が皆様にとりまして飛翔の年となりますよう、心より念願しております。

  どうぞ、良いお年をお迎えください。

2006年12月