2007年11月6日火曜日

「品格ある街」

「わたし、住むんだったら自由ヶ丘か、吉祥寺がいいわ」
「いや、僕なら、横浜だね」
「なに言ってんの、二子玉だよ」(二子玉川のこと、初めて知りました)
「みんな聞いて!!、わたしは、たまプラーザ」(何処それ、との指摘あり)

 この秋口、私の事務所に通っている研修生達の会話に聞き耳をたてていたところ、どうやらみんなで「住んでみたい街」一位を決めているようでした。

  大変残念なことに、最後の最後まで、わがまち豊島区・池袋という地名は出てきませんで、それだけ、わがまち豊島区・池袋はいまどきの若者達、特に学生達の視野・眼中には入って来ないところなのかもしれません(何で?)。

 因みに、これは何か一言いわねばなるまいと思い、肩をイカラセながらその会話に介入した私が、「それじゃあ、君達が働いてみたいと思う街は一体何処なの?」と、問いかけてみたところ、一位が丸の内、二位が銀座、そして三位が新宿と言った具合でした。ここでもわがまち豊島区・池袋を揚げる若者は一人もおらず、私自身、あえなく自爆してしまったところです。

 ただ、こうなると私も益々黙ってはいられません。手につけていた作業を放り出して、目の前にいる若者達が、「なぜそこに住みたいのか」、また、「なぜそこで働きたいと思うのか」、を聞かないわけにはいきません。

 さて、若者達のこの点に関する返事を聞く限り、私自身、池袋を中心とした豊島区も、あながち対抗できないわけではないと感じてきます。と言いますのも、横浜に住みたいと答えた若者の、「横浜は、おしゃれで、何よりも海が近いから」と言うのは別としても、「自由が丘は、おしゃれな街だから」とか、「吉祥寺は、交通面や生活面で便利だから」と言った理由を聞く限り、あながち池袋も一工夫凝らす事で(もっとも、これが一番難しいのですが)、これらの街と戦う事ができるなと感じたからです。また、「何でそこで働いてみたいの?」との問いかけに対して返ってきた答えが、「丸の内には、ステータス感があるから」とか、「銀座だと、アフター5が充実してそうだから」とか、さらに、「新宿は、何より商業施設が充実してるから」と言った具合ですから、わがまち豊島区・池袋も、これらの街と勝負できることがはっきりしてきます。

「ところでもう一つ聞かせてよ、品格のある街一位は何処?」
「品格ある街って言われても・・・・・」
「はじめて聞きますよね、そういう表現・・・・・」
「本橋さん、それで住みたい街とか、働きたい街とかは決めませよ・・・・・」

  事務所に来る若者達にこう切り替えされ、なんとなく意気消沈してしまったわけですが、このときの若者達を支配していた雰意気は、品がある・気品漂う・品格がある、と言う事によって、一体なにを計ることができるのかと言う不透明感だったような気がします。商業施設が充実している街で働きたい、それは新宿である、したがって私は新宿で働きたい。おしゃれな街に住みたい、それは吉祥寺である、したがって私は吉祥寺で生活したい。この一連の流れの中で、「品格」というものを取り上げて、優しく抱きしめ、育て上げていくことは、かなりの努力と工夫が必要である気が致します。「品格のある街で働きたい」「品格のある街に住みたい」と言うことの中に、どのような意義を見つけ出すことが出来るのか、その事を考える事自体が、今の若者達にとっては気の重たい作業なのかもしれません。

  実際、若者達は最後まで、「品のある街」「気品漂う街」「品格の誇れる街」のイメージすらつかむ事ができないと言った感じでしたが、そのような彼ら彼女らに対して、私は、大正末期から昭和初期にかけて、駐日フランス大使を務め、詩人でもあるポール・クローデルの日本人論を話してみました。幕末から明治にかけて、多くの欧米人が日本を訪れ、彼らの多くが日本人の道徳性の高さに驚嘆したのですが、その中にあって、ポールの日本人論がひときわ光っていると思うので、いつも私は若者達に紹介しています。

『諸君、私がどうしても滅びてほしくはない一つの民族がある。それは日本だ。あれほど古い文明をそのまま今に伝えている民族は他にはいない。日本の近代における発展、それは大変目覚しいけれども、私にとっては不思議ではない。日本は太古から文明を積み重ねてきたからこそ、明治になって急に欧米の文化を輸入しても発展したのだ。どの民族もこれだけの急な発展をするだけの資格はない。しかし日本にはその資格がある。古くから文明を積み上げてきたからこそ資格があるのだ』

『彼らは貧しい。しかし高貴である』

  また、今回は次のような話もしてみました。それは、今をさかのぼる事約一世紀、日露戦争の最中に、愛媛県松山市の俘虜収容所にある病院を訪れた、イギリス人写真家、ポンティングのコメントです。

『松山で、ロシア兵達は、優しい日本の看護婦に限りない称賛を捧げた。寝たきりの患者の、かわいらしい守護天使の動作一つ一つを目で追う様子は、明瞭で単純な事実を物語っていた。何人かの兵士が病床を離れるまでに、彼を倒した弾丸よりもずっと深く、恋の矢が彼らの胸に突き刺さっていたのである』

  ポールと言い、ポンティングといい、僅か60年前、100年前のわれわれの父祖達はその道徳性の高さをこのように欧米人達に高く評価されていました。しかし、大変残念ながら、これが遠い過去の話になろうとしています。

  私達は今こそ立ち上がり、その復権に取り組み始めては如何でしょうか。そうするところに、「品格」とは何か?を察していく構えが出来上がっていくのではないでしょうか。

 「品格」なるもの。それは、「カリスマ」(これは、対象を見ている側が錯覚し、その存在を思い込んでしまう場合)とは違い、対象それ自体にその存在が確認されてはじめて意味のあるものです。従って、その「品格」作りには、もちろん近道などは無く、一歩一歩着実に、堅実に、そして誠実に(三実主義、私の父の哲学です。紹介させて下さい)突き進んでいくところに、知らず知らずの内に積み上っていくものだと思います。品格ある街それは・・・・・あれっ。

「あったあった、ここだ、たまプラーザ」
「やっと見つかったねー、本橋さんも地図見ますか?」
「おいおい、ちょっと、塾生たちー、みんな聞いてるのー、私のお話・・・・・」

2006年10月