2007年11月6日火曜日

福田康夫首相登場

  9月12日、安倍晋三内閣総理大臣(首相)が突然の退陣を表明されました。その第一報を私が知ったのは、同僚議員と豊島区役所内において、廊下トンビをしていた時で、同僚議員の携帯電話に飛び込んできた情報からでした。まったくの冗談かと思いつつも、豊島区役所4階の自民党控室に戻り、すぐさまテレビをつけてみますと、既に午後2時より、退陣についての説明をする総理記者会見が行われる、との段取りも出来ていることが分かりました。その後の流れは既に皆様方もご存知の通りです。

  ~~9月23日、自民党本部において党大会に代わる両院議員総会が開会。総裁選挙の結果、福田康夫氏が第22代自民党総裁に選出される。「信頼の回復」を!!、福田新総裁は、就任後初めての記者会見でこのことを繰り返し強調するとともに、「着実に、誠実に、国民の皆様方の期待にこたえられるよう、真正面から取り組んでいくしかない」と訴え、「正攻法」で取り組んでいく方針を表明。その上で福田新総裁は、「時間はかかるかもしれない。しかし、一致結束して取り組めば、そう遠くない時期に必ず信頼は取り戻せる」との認識を示し、全党員・党友の協力を呼びかける~~。

  当日の自民党本部の総裁選会場内にいた同志の若手衆議院議員の何人かから、実際その場で福田新総裁は何と言われたのかを聞いたことをまとめてみますと、大体こんな感じのことをおっしゃられた模様です。「そう遠くない時期」と言われたようですが、衆議院議員に残された任期はもう2年足らずですから、そう悠長な姿勢ではいられないでしょうし、その意味では、自民党に残された時間は限られているはずです。加えて、参議院で野党の皆さんが過半数を占めたわけですから、真に必要な法案を与党・政府が成立させていくにはどうしたらよいか等など、福田新総裁におかれては、もう少し周辺事態の深刻さに対するご認識と、この厳しい難局を乗り切っていく強い心構えを、もっとご自身の言葉で訴えて欲しかったな・・・・・というのが、下々で支えているつもりでいる、私の感想なのであります。

  ~~9月25日、福田康夫自民党新総裁は国会で指名され、天皇陛下からの任命を受け、第91代内閣総理大臣となる。福田康夫首相は、昭和11年生まれの71歳。町村派。身長は171センチ、体重は70キロ。早稲田大学政治経済学部を卒業。趣味はクラシック音楽の鑑賞。「幻想交響曲」などの代表作があるフランスのベルリオーズ、ハンガリーのバルトークの作品などが好み。読書は分野にこだわらず多読するが、幕末から明治にかけて活躍した政治家:勝海舟が好み。歴史小説が中心。昭和53年、日中平和友好条約を締結した福田赳夫第67代内閣総理大臣のご長男。平成2年、父の政界引退後に同じ選挙区から衆議院議員に立候補、そして初当選。森内閣、小泉内閣ではともに官房長官を務める。明治18年、日本の内閣制度が出来て初の親子2代での内閣総理大臣~~。

  先程述べました23日の総裁選に先立つ、9月21日、私が所属する自民党青年局主催で、「福田康夫・麻生太郎、自民党総裁選公開討論会」が実施されましたが、そこで配られた内部資料にあった福田氏の紹介です。自民党青年局の親友達も、私の事を良く知ったもので、早速「勝海舟」のところに反応し、数名が私の顔を覗き込んでおりました。

  私自身、勝海舟の成し遂げた功績は数多くあると思います。特にその際たるものは、西郷隆盛との協議によって実現させた、慶応4年4月11日の江戸城の無血開城でしょう。同時に、彼の著作物を通じて、例えば「氷川清話」や「解難録」、そして「断腸の記」から大変多くのことを啓蒙されました。しかしそれでも、私は彼の生き方・生き様をつぶさに追っていく中に、どうしても納得できないところがあるのです(海舟ファンの方ゴメンナサイ)。といいますのも、勝海舟は、旧幕府時代には幕府の中枢に地位を占めていたわけですが、それが戊辰戦争に際しては、日本国内の平和を最優先にすべきと述べて、官軍側に抵抗しないことを訴え、自らがそのイニシアティブをとり、先程述べた江戸城無血開城などを成し遂げていきました。いわば自分自身が帰属している幕府に対して引導を渡したわけであります。勝海舟が日本国内の平和という高い理念を掲げ、江戸の民衆を戦火から守った結果・成果は最大限評価いたします。しかし、明治維新後も海軍卿を歴任する等を始め、かつての敵方である薩摩・長州の人達と共に行動を共にしつつ、かつ地位・名誉にも与る生き様に、私は納得がいかないのであります。この勝海舟と対極的な生き様をしたのが山路愛山で、彼は幕府天文方の子に生まれ、戊辰戦争の混乱の中で彰義隊に参加した父親と生き別れ、幕府崩壊後は徳川家に従い、静岡に祖父母と共に移住し、辛酸を嘗め尽くす青春時代を送るのです。私が申し上げたいのは、自分が帰属する国や地域の共同体が危機や滅亡に瀕した場合、たとえ勝算が乏しい場合であっても、その局面打開に際して、多大な苦痛や負担、それどころか己の命を棄て去る覚悟をもって努める精神が大事ではあるまいか。それは、ひとえに主君のお家の存続と名誉を求め続けて奮戦し続ける山路愛山的生き様の中に、骨太の精神として君臨しているのではあるまいか。それに対して、勝海舟的生き様は、この精神を著しく損なうものではあるまいか、ということなのであります。

  この点、大東亜戦争末期の昭和20年の東京大空襲を例に考えてみますと、この空襲によって何十万人もの非戦闘員の日本人が亡くなったわけですが、今の平成の時代に生きている私達からしますと、この昭和の大戦時代に生きていて、そして空襲で亡くなられた人達とは、個人としてはほとんど面識がないということが出来ます。それが、空襲で死亡ないし被災された方達を、私達と同じ日本国民であるとして自然と包み込み、60年以上も前の東京大空襲をあたかも私達に対する加害行為であるかのごとく受け止めてしまうのは一体何故なのか、を考えていただければ有難いです。私達は、純粋に「個人としての自己」のみで生活しているのではなく、「国民としての自己」という観点を多いに保持しながら生活していることが分かると思いますが如何でしょうか。山路愛山的生き様は、まさにこの「国民としての自己」を脈々と保ち続ける為にはどのような気構え・精神が必要かを私達に訴えているのではないでしょうか。他方、勝海舟的生き様は、えてして短期的なタイムスパン内での「個人としての自己」の便宜や、脆弱で邪まな性根を、あたかも標本として後世に伝えるだけではないでしょうか?。福田首相が、趣味的にしかも読書空間の中だけで勝海舟が好きだ、と言われるだけでしたら、私は何も言いません。しかし、その勝海舟的生き様に共感し、これからの国政運営に生かす乃至重ね合わせるところがあるとしたら、それは日本という国家と日本国民の危機を招くのではないかと私は思っております。

2007年10月