2007年11月6日火曜日

皇室「戦犯」会議

「いやー、悠仁親王のお誕生、喜ばしいですね」
「この日を待っていたよ、ホント」

 今年の2月7日、秋篠宮紀子さまに第3子御懐妊の兆候が見られるという報道があってからの私は、「男の子でありますように」「親王であられますように」と、ひたすらお祈りする毎日を過ごしてまいりました。その一方、常に頭をよぎる事は何かと申しますと、女の子だったら、さぞかし皇室の皆様方は御辛いだろうなということ、特に、皇室典範改正作業が再燃するであろうことは確実ですから、女性天皇・女系天皇容認の皇室典範改正案の政府内での検討―――閣議決定―――同案の国会への提出―――国会での成立、と進めば、嫌が上でも天皇陛下が「公布」しなくてはならなくなり、その時の天皇陛下の心境を私なりに勝手に解釈しますと、まさに心中察するに余りある、と言ったところです。

「なんか、本橋さん、大袈裟ですよー」
「何言ってんの、これぞまさしく『代表的日本人』でしょうが」

  平成16年12月27日、当時の、細田官房長官が、唐突に「皇室典範に関する有識者会議」の設置を発表しましたが、それ以来、これからの皇室はどのように皇統が維持されていくのか、が世論の関心事の一つとなりました。

  最大の心配事は何かと申しますと、その会議体の構成メンバーにあることは言うまでもありません。当初の、小泉首相の決裁文によりますと、「皇位継承制度などについて、高い見識を有する人々の参集を求め、検討を行う」としていたのですが、実際はどのようなメンバーが参集したかといいますと、皇室専門家と言えるのは、日本古代史専攻で、「平安の朝廷」などの著書がある笹山晴生氏、皇室の重要事項を審議する皇室会議議員を努め、「皇室法概論」の著書がある園部逸夫氏くらいです。

  また、座長を務めた吉川弘之氏のご専門は、ロボット工学であり、こと「皇室」に関しては、大変失礼ながら「門外漢」と申し上げても宜しいかと思います。現に、吉川座長の発言で、私が新聞報道などを通じて、未だに記憶に留めているのは、平成17年6月30日の第8回会合の後に行われた記者会見です。この第8回の会合では、5月から6月にかけて実施された有識者(この中に、私の好きな小堀桂一郎先生が入られたのは良かった・・・・・)からの意見聴取で出て来た、「離脱した宮家を復帰させて、男系男子の継承を維持すべきだ」との主張を受け、安定的な皇位継承策として、これまで議論の中心部分をなしてきた「女性天皇の是非」だけではなく、「皇籍離脱した皇族の復帰などによる宮家の創設」も検討する事が決定されました。その会合後、吉川座長曰く、「皇位継承者を増やす方法は『新たに宮家を設置する』というのと、『女系天皇を認める』というのと、二つに大別されますが、どの制度ならどの程度安定するかの『安定化要因』と、社会に受け入れられるかどうかの『受容化要因』を考慮して、制度を設計したい」と。いかにもロボット工学の第一人者らしい発言をしているのです。

 そこには、女系天皇を認めてしまえば、皇室は「万世一系」という物語を失ってしまうのではないか、と言う心配・畏れ。全ての人は平等であり、民主的に物事は進み・選ばれると言った世の中にあって、天皇という絶対的な地位を守るためには悠久の歴史物語が必要なのではないか、皇祖皇統の悠久の歴史物語(神武天皇以来の血統を維持する為の営み)が失われてしまえば、天皇が天皇である由縁が不分明となってしまい、時代を経るにつれて皇室制度が不安定になるのではないか、と言った歴史や伝統に対する見識は、少しも感じ取る事はできないのです。

「こうしてみると、有識者会議の座長は問題でしたね」
「座長だけじゃないよ」

 皇室典範有識者会議の中には、政府の男女共同参画審議会会長を務め、女性学の重鎮といわれている岩男寿美子氏が入り込んでおりましたが、この方がまさに女性天皇・女系天皇容認論を終始リードすると共に、以前ご自身が編集長を務める海外向けの英文雑誌「ジャパンエコー」2月号の中で、女性天皇・女系天皇に異論を唱えられた寛仁親王殿下に対し、失礼極まりない痛烈な批判をくわえたのであります(つい最近、謝罪めいた対応をとりましたね)。

 そこでは、まず寛仁さまについて、「天皇のいとこで、女性が皇位を継承できるようにすることについて疑問の声を上げ、旧宮家や皇室の側室制度の復活を提案してきた」と指摘し、次に、「彼の時代錯誤には驚くしかない」と主張しているわけですが、しかし、寛仁さまが御自身のお考え・異論を載せた、ある福祉団体の会報の、問題とされた部分を虚心坦懐に読みますと、側室制度に言及されてはいるものの、「国内外共に、今の世相からは少々難しいかと思います」と仰っており、決して「提案」などはしてはいないのであります。事実とは全く異なることを記述し、かつ批判してまで、自分が深く関わった有識者会議の報告書を自画自賛する様は、異様としか思えません。

「なるほど、やっぱりそういうリード役がいたんですね」
「あとは、まとめ役もね」

  内閣官房副長官を8年7ヶ月も務めて、首相官邸にパイプが太く、関係省庁に睨みの効く古川貞二郎氏が、この会議の最終的なまとめ役と言われていました。と言いますのも、今ではもう関係者の証言で明らかにされていますが、この問題は実は、有識者会議の設置に先立つ7,8年も前から、内閣官房内のグループによって研究されていた事柄であり、有識者会議は、事実上、この先行していた政府の非公式研究を下敷きにした「始めに結論ありき」機関で、この一連の流れを最もよく知っているのが古川氏なのであります。

 他にもまだ問題のある方を指摘できそうです。例えば、久保正彰氏ですが、この方はギリシャ・ローマ文学を専攻・専門としており、そもそも何ゆえメンバーに選ばれたのか、皇室研究者のあいだでも判ってはおりません。

「なんだか、東京裁判っぽくなってきましたね」
「ほんと、『文明の裁き』が必要だよ」

  私達は、神武天皇以来の皇祖皇統の歴史が、男系天皇で紡いできたことを、改めて重く受け止めるべきだと思います。と同時に、「悠仁」さまというお名前に込められた、「ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでほしい」との願いは、余りにも拙速すぎた皇室典範改正問題を、優しく封印してくれたことに感謝すべきではないでしょうか。

2006年9月