2007年11月6日火曜日

「公」「私」混同克服の『道』

  今から三年位前でしょうか。イラクで日本人3名が、テロ集団に人質として身柄を拘束され、自衛隊の派遣・撤退が大きな争点としてマス・メディアを騒がせたことがありました。当時イラクで人質になった日本人3名は、外務省が既に十数回も「退避勧告」を出し、出来るだけのチャンネルを使って「渡航の自粛」も呼びかけていたのにも関わらず、自ら進んでイラクという危険領域に向かったのでした。それはあたかも「登山禁止令が出ている雪山への登山をあえて実行するようなもの」と言われ、そこから当時流行したのが『自己責任』と言うものでした。

  当時の名店街ニュースに、これを題材に原稿を載せてもらいましたが、そこでは『自己責任』論よりも、むしろ『公私峻別』論を語らせていただいたと記憶しております。当時の原稿には次のような一節あります。

  『私』という字のノギヘンですが、これはそもそも「稲とか麦とかの穀物類の収穫」を意味します。ツクリは『ム』ですが、これはまっすぐな釘が途中真ん中で折れたことを意味しています。まっすぐな釘は「まったく私心のないこと」を象形文字の世界では意味しますから、ツクリの『ム』とは、「その意志がくじけてよこしまな考えを持つ」と言うことになります。そこから『私』とは「収穫した作物類を全部自分のもの、つまり独り占めする」ということです。
『公』とは、『ム』の上に『ハ』が乗っかっているところから、「よこしまな心を上から押さえつけ表に出さない」と言うことを意味します。

 つい最近、世間様を賑わせている話題の一つに、いわゆる「大相撲横綱朝青龍関問題」があります。
  ・・・・・久しぶりに東西両横綱がそろって行われた大相撲名古屋場所。新進気鋭の新横綱白鵬が登場したことで大相撲人気が上昇。最近負けこんでいる横綱朝青龍関も焦りを隠せない。もっとも千秋楽、朝青龍関は白鳳関との横綱対決を制し、3場所ぶり21度目の優勝を飾り、その存在感を天下に示す。さすが朝青龍関!と思えたのもつかの間、そそくさと母国モンゴルに帰国してしまう。腕と腰の治療で全治6週間とされ、それを母国モンゴルで治す為の帰国かと思いきや、見事なセンター・ホワードぶりを発揮してサッカー遊びに講じてしまう。ゴーーーール。ここから、「仮病疑惑」はもちろん、国技と言われる大相撲の精神・心への無理解が、日本人の反感を買ってしまう。現在、2場所連続出場停止などの処分を受け、「急性ストレス障害」と診断された朝青龍関。自宅謹慎が今も続いているものの、いまだに本人はもとより、「公」益法人(財団法人):日本相撲協会の記者会見も行われないまま、ただ月日だけが虚しく過ぎ去っている・・・・・。
  ここでも、問われているのは「公」と「私」の関係ではないかなと、私なんかは考えておりますが皆さんは如何でしょうか。
  朝青龍関の立ち居振る舞いですが、在日モンゴル大使館が日本相撲協会に対して「治療の為帰国していた朝青龍関が、サッカーに参加せざるを得ない状況を作ってしまった。大変なことになり日本相撲協会と朝青龍関にお詫びします」という謝罪文を提出していることからも伺われるように、横綱としての職務ないし公務とはまったく異なる類の、いわゆる「お遊び」であったことは確かです。しかも、その遊びの種類が、普段馴染みのないボールを使っての、体重移動の激しい、ある意味では「力士」としての生命(?)も脅かしかねない性格を持ったサッカーという球技に講じていたわけですから、国技とは、大相撲とは、そこでの横綱の使命とは何かがまったく分かってなかったと言うことが出来ます。この一連の行為は、まさに「公」よりも「私」をはるかに優先するものとして言語道断、決して許されるものではありません。
  そもそも大相撲の歴史は大変古く(古墳時代にまで遡れるとの説もあります)、しかもカミとの係り抜きには語ることが出来ません。「力士」という「ちからびと」が、拍手(かしわで)で邪悪をはらい、四股(しこ)で大地を踏み込むことにより五穀豊穣をお祈りする、究極的の神事・公的行事です。その太古から続く祈りや祈る心・精神を現代の私達にまで紡ぐ為に、「力士」たるものは髷というものを結い、土俵という「ハレ」の舞台にあがる。ついでに言えば、このカミとの係りがあるからこそ、女性が土俵へ上がることは許されないのです。朝青龍関は、この深淵なる日本の伝統文化について、早急に学ばなければなりません。
  サッカーが出来るコンディションであったのにも係らず、大相撲夏「巡業」を軽視したことは重大問題です。日本全国を練り歩く巡業は、まさに神事として五穀豊穣の願いを地方へ伝播・普及することにほかならず、それは横綱が先頭になって取り組まなくてはならない、これまた究極の「公」の営みです。これをないがしろにしたところに、多くの批判が集中することになるわけです。
  もっともその夏巡業も、当初は朝青龍関不在がどう影響するかが心配されましたが、おおむね順調のようです。特に、今回の巡業の中には、財政破綻した夕張市も含まれており、ここでの巡業は勧進元をおかず、日本相撲協会自身が出資・運営し、しかも力士達は自分たちの休養日を割り当てて、切り盛りしているとの事です。この事実を朝青龍関は知っているのでしょうか?
  先月の7日と8日の二日間、豊島区池袋本町3丁目にあります氷川神社境内で、幼児から中学生までが参加する、第34回青少年相撲大会が行われました。7日は区内小学校の5校による対抗戦、8日は個人戦がそれぞれ行われ、豆力士たちが熱戦を繰り広げたと共に、土俵際で観戦していた親御さん達の悲鳴交じりの声援が境内に木魂しました。それは、一見すると子供達が主役の単なる「余興」にしか過ぎないと思われるかも知れません。しかし私からすると、巡業の来ない地域の精一杯のささやかな公的な営みに思えて仕方がありません。豆力士から大銀杏を結う大横綱が誕生してほしいと願うばかりです。そこでこの度の名古屋場所後、新大関琴光喜が誕生しましたが、彼が相撲に取り組んだのが、小学校1年生からでした。愛知県一宮市内の佐渡ヶ嶽部屋で大関昇進を伝える使者を迎えた琴光喜関の口上は、「如何なる時も力戦奮闘し、相撲『道』に精進します」というもの。朝青龍関におかれては、日本における「公」とは何かから始めて、日本の国技である大相撲というものを、単に武術的に強ければいいと捉えるのではなく、カミとの繋がりを持った武術・体育・精神の修養、世に処する方法などを兼ねた修行として捉え、一つの『道』を極めて貰いたいものです。
2007年8月