2007年11月6日火曜日

我、テレビ出演ヲ『決断』ス

 名店街ニュースをお読みの皆さん、平成18年、新年明けましておめでとう御座います。本年も拙いエッセイを掲載していただけます事に、心から感謝御礼申し上げる次第で御座います。

 また、昨年、衆議院選挙がありました9月辺りから、執筆出来ない月もあり、関係各位の皆様方に多大なご迷惑をお掛けいたしました。失礼を致しました。本年はそのような事のないように努力いたしますので、引き続いてのご愛顧を心よりお願い申し上げます。

「本橋さん、見ましたよ!12チャンネルの『ザ・決断』」
「どうだった?」
「なかなかのモンでしたよ、本当に」

 平成18年1月1日、32年ぶりにテレビ番組に出演させてもらいました。それは、12チャンネルのテレビ東京で、元日の午前10時から約1時間半放送される『ザ・決断』という番組です。既にこの番組も、毎年元日のこの時間帯に放送されるようになって5回目位となり、他局がお正月もの番組を放送している中にあって、唯一といって良いほどお堅い内容のノンフィクション番組となっております。番組のコンセプトは何かと申しますと、その番組名の通り、ある時代において有名な出来事で、かつ人生において正に勝負に打って出る瞬間に焦点を当て、その時その主人公を取り巻いている状況をドラマ化しながら、関係者の貴重な証言を交えて、分析・展開していくといったところです。

 今年は何を放送したかといいますと、一つ目が「田中角栄氏の昭和47年自民党総裁選への出馬」、二つ目が、私が出演しました「小池百合子環境大臣の東京10区への選挙区替え」、三つ目が「幣原喜重郎の憲法制定」でした。

「そもそも、何で本橋さんが出演できたんですか?」
「だって小池選対の遊説責任者だったもの」
「そういえば衆院選中よくテレビに映ってましたね」

 昨年、8月8日に衆議院が解散され、いわゆる『刺客候補』が話題を独占しました。ここ東京10区においても、自民党本部の意向で『小池百合子女史』がまいりました。

 私としては、自民党の代議士が現にいることをどのようにふまえるか大変でしたが、とにもかくにも、自民党公認候補を応援する、そこで小池百合子環境大臣が自民党公認候補として決定した以上は、この方をやるのが組織に所属する者の道理だと思い、これ以降は小池大臣を支えていく事にいたしました。

 さて、小池選対において、何故か私が遊説担当責任者のお役を頂き、小池選挙のコミュニケーション戦略の司令塔として選挙戦を展開することになり、週刊誌やテレビ局との接触も数多くありました。そこで、テレビ局側が選挙戦中に交換した名刺から、たまたま私に白羽の矢を立てたといった感じだと思います。

「実際の収録ってどんな感じですか?」
「どうって事ないさ」
「またまた、緊張したんじゃないですか?」

  元日に放送された私のシーンは合計3回でしたが、実際は5つのシーンを収録しております。テレビ局には番組の編集方針がありますから、ストーリー性にかんがみて、他の2回のシーンは没にしたのでしょう。

 もっとも、収録をする1ヶ月前には番組製作者、監督、カメラマン等が私のところに来て、カメラを回しながら約2時間ぐらい、小池選挙のいきさつについて取材しており、この時の私の話を踏まえてストーリーを組み立て、ウラを取り、さらに他の人の証言を取るという作業をしておられます。ノンフィクション番組の制作ですから、私も手元に手帳を見ながら、客観的事実を時系列に沿ってお伝えしました。

  そこで、実際の収録では、もう既に番組のストーリーはほぼ出来上がっておりますから、私の役割は、かつて私が取材を受けコメントした中で、テレビスタッフが必要としているコメント部分を再び証言する事となります。しかもご丁寧に、私がコメント部分を忘れた場合を想定し、取材時の私の発言資料も用意され、「この部分を話してください」ということになるわけです。ですから収録時間は、大体30分ぐらいの早さでした。

「本橋さん、まさに時代の証言者のようでしたよ」
「そうかな」
「今度の出演は何時ですか?」

  今回はたまたまこの東京10区が全国一の注目区になった事からこのような流れになったのですが、向こう20年はこのような激しい選挙戦はないと思いますし、またあってはならないとも思っております。私のようなシモジモの議員はたまったものではありませんから。

「さっき32年ぶりと言いましたけど、昔、子役でもしてたんですか?」
「そ、それは・・・・・・」

  その昔、私が小学6年生位の頃ですから、昭和48年頃だったと思います。当時はボーリングブームでして、ありとあらゆる方がマイ・ボールを持って我が家の近くの「ハタ・スポーツプラザ」に通っていたとともに、ボウリングのテレビ中継も盛んでして、ちょうど私が原っぱ(現在の千川豊寿園のあるところ)でみんなと野球をしていたところ「○時よりハタ・スポスポーツで○○○○○」(番組名はもう忘れてしまいました)があります、とのアナウンスを聞いて、ハタ・スポーツセンターに駆けつけ、友達とテレビに常時映る座席をゲットして、観客としてテレビにただ映っただです。カメラに向かって「Vサイン」はしてませんから。

 本年の皆様方のご健康・ご多幸を祈念しつつ・・・・・。

2006年1月