2007年11月6日火曜日

若者を連れて

  多くの方から、『議員さんって、普段は何してるの?』と聞かれて、その回答または説明にとても困る時があります。といいますのも、区議会が開会されている時や、各級の選挙がある時は、『今コレコレの委員会に所属しておりまして、コレコレこういったことを審議してますよ』とか、『今回の参議院選挙も、私は保坂三蔵さんを応援・お手伝いをしているのですが、なかなか厳しくてね』とか、案外具体的かつストレートにお答えすることができるのですが、それらの刻みの間の活動といいましたら、まさに萬相談請負人状態でありまして、それに私自身のボキャヒンが加わりますから、なんと説明したらいいのか非常に難しくなるのであります。

  もっとも、当然の事ながら、党員として議員として、私なりの問題関心・意識をもった事柄にまつわる活動もありますから、それはそれとして説明することは出来るのですが、それ以外の活動について説明したとしたら、多くの場合は、『ええっ、そんなことまで議員さんってするの?大変だね』といった驚きの声が返ってくるのかもしれません。

  夏の期間について、意外と多くの区民の皆さんが議会のない事をご存知で、この夏は何してたの?・どこ行ってきたの?的な質問攻めにあうことがよくあります。
勿論、この夏もまた例年同様、事務所の若いスタッフと共に、私は豊島区のあちらこちらを徘徊乃至出没しておりました。

  さて、豊島区にはエポック10という「男女平等推進センター」がありますが、これは一体全体何かといいますと、いわゆる男女共同参画社会を実現する為に、区民の皆さんが集い、そして出会い、さらには学び、新しい生き方を創造していく拠点でありまして、バラエティーに富んだ数多くのメニューを用意した施設でもあります。具体的には、男女平等推進乃至男女共同参画社会の形成促進にまつわる講座・講演会を開催したり、また啓発・啓蒙誌の発行や学習相談などを実施したり、さらにはドメステッック・バイオレンスなどをはじめとした女性を取り巻く様々な問題の相談を受け付けています(これはほんの一部の説明です)。

  そして、その講座・講演会の一環として実施されている中の一つに、「エポック10シネマ」というものがありまして、私はこの8月、エポック10シネマ第5回上映会、ウェイン・ワン監督:スーザン・サランドン主演の映画『地上より何処かで』(2000年:アメリカ)を、うちの若者数人と一緒に視察・鑑賞してまいりました。

  私の問題関心は、この映画の中で、まず男性はどのように描かれているか、次に女性はどのような境遇に置かれているか、さらにその親達や子供達の立ち位置はどうなっているか、そして家族にはどういった絆を与えているのか、というところにありました。

  それでは、今回の映画の感想はと言いますと、・・・・・・・・・・。
  いやいや私からは止めておきましょう。その代わりといってはナンですが、うちの若者達には映画を見た後、それぞれ感想文を提出させておりますので、その中で私が「良し(?)」と思った、T大学L学部1年の谷麻衣さんの感想文をお示ししたいと思います。宜しくお願いします。
今回もご一読ありがとう御座いました。

                                 平成19年9月5日
                                   文責:谷 麻衣
            「地上より何処かで」を鑑賞して

  8月22日水曜日、豊島区立男女平等推進センター(エポック10)の4階研修室2にて、午前10時から「地上より何処かで」という映画が上映された。男女平等を推進し、女性の地位向上を目指している事業のエポック10では、「映画の中の女たち」というテーマで、様々な女性の生き方が描かれた作品がいくつか定期的に上映されている。映画の中の女性たちを通して、女性の多様な生き方を考えるというのが目的のようだ。
  「地上より何処かで」という映画では、派手で奔放な性格の母アデルと、現実的で聡明な娘アンという、考え方も服の趣味も、何から何まで正反対の二人の女性を中心に、ストーリーが展開されていく。鑑賞者も女性が多く、映画の内容も、どちらかというと女性向けといった印象を受けた。
  退屈な田舎暮らしに我慢できず、再婚した夫テッドや老いた母、姉夫婦らに別れを告げ、憧れのビバリーヒルズでの暮らしを夢見て、アデルは娘のアンを連れてロサンゼルスへと向かう。夢の門出にふさわしいと、中古のベンツもなけなしの金をはたいて購入した。アデルはそれが全て娘のアンのためと思い込んでいる。だがそれも全て裏目に出て、いつも的外れな言動で娘を悩ませてしまう。そんなある日、アデルは歯科医師のジョシュと知り合い、夢中になる。だが突然連絡が取れなくなり、家の前に行ってみると、別の女性と一緒のところを見てしまう。またアンも、友人に勧められ別れた父親に電話するが、金を無心するアデルの差し金と思われ傷つく。ビバリーヒルズでの生活は、夢とはかけ離れたものばかりだった。母の愛はわかっていても、そんな母が自分の人生を台無しにしたと、憎く思い、自分の道を踏み出したい娘のアン。アンが自分で決めた大学に行きたがっていると知り、最初は大反対していたアデルだが、お金が足りないから行けないという事実を知ると、お気に入りのベンツを売ってお金を作るという、最後に母親らしい一面も見せる。アンも最初は「母が憎い」と言っていたが、最後には「いないと退屈」だと、母親の存在が絶対的なものへと変わっている。
  この映画では、依存的だった母と娘が自立していく過程と同時に、家族の感動的な絆が描かれている。だがそこに男性の影は薄い。それどころか、女性を傷つける加害者的な立場で描かれている。アデルが母親らしい愛情を見せ、最後はアンにとって絶対的なものへと変わっているのに対し、父親は久しぶりに電話をかけたアンを心無い言葉で傷つける、ひどい父親で終わってしまっている。エポック10としては、弱い女性の立場を主張する事で、男女の不平等を示唆し、女性の地位向上への意識を高めようとしたのかもしれない。
  また、非現実的で無茶ばかりしているように見えるが、周囲の目を臆することなく、自分の夢に向かって突き進む姿は、子育てや仕事に追われ、自分の事に割く時間の無い人にとっては、羨ましいともとらえられるかもしれない。だがそんなアデルのふるまいは、ラスト以外は決して母親らしいものではなかったように思う。現代の働く女性の間でも、自分の趣味などとはもちろん、仕事と子育ての両立はとても難しい問題だ。少子化で労働力不足に陥る日本にとっても、経済的な発達といった面からいえば、女性の地位向上を目指し、ジェンダーフリーを掲げる事も、過剰に反応したり、行き過ぎなければ良い事かもしれない。だが子を持つ親となった時、それはどうなのだろうか。父親の存在、母親の存在、子どもにとってはそれぞれ共に重要で、お互いに片方は持ち得ない役割というものがあるはずだ。それはお互いに協力し合い、補い合っていく必要があり、そうする事で平等となりえるものだと、私は思う。今回の鑑賞を通して、女性の地位向上、そして男女平等を目指す一方で、これまでに形成されてきた父性と母性の役割も、大事にしてゆける日本でありたい、そう思った。

2007年9月