2007年10月16日火曜日

家族防弁慶たらん

「本橋さん、『豊島区子ども権利条例』」って一体何ですか?」
「正確に言うと『豊島区子どもの権利に関する条例』と言って、今年の3月にようやく素案が区長に提出されたんだよ」
 
 現在、豊島区では「豊島区子どもの権利に関する条例(素案)」が提案・制定されようとしております。これは、政府が平成6年に署名・批准した「児童の権利に関する条約」の理念を受け止め、子供達をめぐる諸問題に取り組む上で、区の基本的立場を明らかにすると共に、子供にまつわる施策全体に「子どもの権利」という視点を反映させようとするものです。

 この条例(素案)の報告書は、今年の秋の第3回定例会での提案・制定を目指し、平成15年の12月から「豊島区子どもの権利条例(仮称)検討委員会」による議論を経て、今年の3月28日に区長に提出されました。

 この条例(素案)の問題点は沢山あるので、その全部をここにお示しすることは出来ませんが、代表的な問題点を申し上げますと、①そもそもこの条例(素案)の策定・検討過程が「はじめに子どもの権利ありき」で始まってしまっていること、したがって、その筋の専門家がこの条例の「検討委員会」のメンバーの中に入っており、しかも、こともあろうに「公募区民」3人の枠の中におさまっていること、②子供達に対して必要以上の、過度の「自己決定権」「自律権」を認めてしまっていること、③この条例(素案)で設置される「子どもの権利擁護委員」は、あたかも「人権擁護法案」で言う「権利擁護委員」と同様の問題性を持つこと、などです。

「一体、どんな方が『公募区民』の中に入ってしまったんですか?」
「『DCI日本支部』の会員で、『子どもの権利』を専門に研究している学者さんだよ。何でまたこういう人がって感じだよね」

 豊島区は、平成15年12月から平成17年3月まで、約一年半にもわたる活動期間を持ち、かつこの条例(素案)の策定を担っている「豊島区子どもの権利条例(仮称)検討委員会」に、法律学や教育現場の専門家などに加えて、3名の「公募区民」をいれました。

 検討委員会の中に公募区民を入れる本区の理由は、「条例案策定の過程において、区民が積極的に主導権を持って参画していくことを重視し、・・・また、区民主体で条例案を練ることで、意見を言います的発想から脱却し、当事者能力を養っていくことを意図した『区民参加型』の手法を採用していること・・・・」、ということであります。 

 「公募区民」とは、区の政策の選択・策定を、つねにその道の専門家に独占させてしまうことによる弊害を未然に防ぐと共に、一般区民が持っている素人的・常識的感覚を積極的に活用する制度だと思います。例えば、豊島区の子育て支援策を考えるにあたって、本区在住の専業主婦の方にお越しいただいて、その方がお持ちの子育ての経験や生活の知恵を最大限出していただいて、それを政策に反映させるといった具合です。

 ところが、このたびの「豊島区子どもの権利条例(仮称)検討委員会」の「公募区民」3名の内の一名の方は、「子どもの権利」に関する専門的研究をされており、加えて、子供のための国際NGO、「DCI日本支部」の会員として活動をされております。条例案の起草部会や検討委員会の会議も終始この方のリードで進められていったと言っても過言ではなく、起草から素案の完成に至るまでかなりの影響が及んでいます。そこから、今回の条例案の策定と内容には、かなりの偏りが生じてしまっています。

「その『DCI日本支部』というのは一体?」
「豊島区に日本支部事務所があって、この団体の代表者がまたね・・・」

 DCIとは、「子どもの権利のための国際NGO」で、「子どもの権利」を守り、発展させていくことを目的として活動しています。ただし、この団体の日本支部の代表者は、「人権」を盾にとってオウム真理教を擁護する発言をしています。勿論、オウム真理教信者に「人権」が無いとは言いません。しかし、あれだけのテロ事件を起こし、大多数の無実の人々の「人権」(特に生命・身体)を侵害した教団を「人権」と言う言葉で守ろうとするのは筋違いも甚だしいと思います。オウム真理教という、社会的制裁を受けるべき集団を擁護することに使われる「人権」という概念に対し、強い懸念を抱いてしまいます。

「だけど、子供にも人権や権利があるのは当たり前だと思うんですけど・・・・」
「そこが大事で、『子どもの権利』の中身を整理しないと議論がドンドンこんがらがっちゃうんだよね」

①保護や教育を受ける権利・法的地位(肯定)広義の「子どもの権利」
②狭義の「子どもの権利」(否定)

 議論の前提として大変重要なことを確認しておく必要があります。それは、一言で「子どもの権利」と言いましても、そこには大きく異なる二つの意味(①と②)があるということと、この①と②の意味の区別をしっかり認識しなくては、正しく「子どもの権利」を理解することが出来ないということであります。

 上記のように、①子供は子供であるがゆえに、大人から保護されるべき存在であり、その保護されるべき「権利」を「子どもの権利」というのか、あるいは、②子供も大人と同じ自立的存在であり、それゆえ大人と同じ市民的権利を享受することが出来る、その資格を「子どもの権利」というのか、同じ「子どもの権利」と言いましても、このように意味は全く異なるのであります。

(次号つづく)

2005/6/1(水)