2007年10月16日火曜日

発つ鳥あとを濁さず

「本橋さん。飛ぶ鳥あとを汚さずじゃないですか?」
「いや、これでいいのさ」

 塾生にこのように切り返されて、「これでいいのさ」と言ってみたものの、実際この二つの言い方にどのような違いがあるのかは、私にはわかりません。ただ、私のイメージとしては、「発つ鳥跡を濁さず」の方は、あたかも水鳥が物静かに水面を進んでいたところ突然飛び発っていく感じなのに対して、「飛ぶ鳥あとを汚さず」の方は、大地の上で餌をついばんでいる鳥が、ある時突然羽ばたいていく感じです。つまり、前者は『水面』から、後者は、『陸地』からそれぞれ飛び立っていく場面をイメージすることが出来ると思います。

 さて、皆さんはどのように違いをお考えでしょうか?

「で、本橋さん。今回の話はいったい何ですか?」
「そうそう、本題に入らなくちゃね」

 AP通信によりますと、旧日本軍による「南京事件」(昭和12年)を題材とした『ザ・レイプ・オブ・南京』(ベイシック・ブックス社)の著者、中国系アメリカ人のアイリス・チャン(36)さんが、アメリカ・カリフォルニア州ロスガトス近くで、自動車の中で頭を銃で撃って自殺したとの事です。

 彼女は、アメリカ・ニュージャージー州に生まれ、AP通信の記者などを経て著述業に入り、作品としては、いくつかの歴史物を手がけてきました。

 最近は大東亜戦争の中のフィリピンでの日米戦を題材としていたとの事ですが、精神状態を崩し、うつ病で入院し、退院したばかりだったとの事です。ここに謹んでご冥福をお祈りいたしたいと存じます。

 ただし、彼女の仕事それ自体、特に先ほど取り上げました『ザ・レイプ・オブ・南京』という作品は、私自身日本人として、どうしても許せない、非常に憤りの感じる代物です。この作品は、平成9年11月にアメリカで刊行され、南京事件にまつわる歴史資料、史実を曲解し、いわゆる『虐殺派』ですらさえも主張してない犠牲者数26万から34万人という数字を平然と主張しており、その内容がまたセンセーショナルなため、アメリカで大ベストセラーとなったものです。

「南京大虐殺、旧日本軍は酷い事をしましたよね」
「それが違うんだけど、分って貰えるかな」

 南京事件といいますのは、日中戦争の初期、昭和12年12月13日に、中国の当時の首都であった南京が陥落した翌日から6,7週間の間に、女・子供を含む一般市民や無抵抗な中国軍兵士、捕虜など約30万人以上が、日本軍によって殺害されたと一般に広く言われる事件で、平成15年現在でも、これは、日本がアジア諸国に対して侵したとされる最大の残虐行為事件と喧伝されている事件です。

 加えて、「南京大虐殺」について、日本政府が「あったもの」としての姿勢をとったため、昭和57年夏に起きた教科書誤報事件(教科書検定において当時の文部省の検定官が「侵略」を「進出」に書き換えさせたという報道)をキッカケに、日本の全教科書に掲載される事になってしまった。

 日本政府が教科書に記述させることを指定、つまりは認定してしまったのです。それだけではありません。平成6年8月には、社会党出身の村山富市首相による戦後50年談話、いわゆる「お詫び談話」において南京大虐殺を含め、アジアでの侵略行為すべてを政府見解として認めてしまったのです。

「やっぱり酷い事したんですね」
「違うちゅーの」

 アイリス・チャンの『ザ・レイプ・オブ・南京』の登場は、これらの一連の流れの延長線上にあると思われます。本人の話によれば、彼女自身が幼い頃に両親から聞かされていた話、つまり当時の中国の首都南京が陥落すると、日本軍兵士達によって、女・子供を含む一般市民が残虐な行為によって皆殺しにあったという話を聞かされていたものの、まだ、実際には歴史資料を調べてもいなかった。

 しかし、平成6年、在米華僑によって開催された日中戦争当時のものとされる残虐行為写真を見て、後世に残すためにこの本を世に問うた、との事です。  しかし、事件が起きた当時に記録された第一次歴史資料を集めて読んでみても、例えば、南京は、陥落当時は20万人の人々がいただけで、30万人など殺害しようがない事などが今日判明してます。

 また、南京が陥落した際に避難民を管理運営していた15人の外国人が、陥落直後から翌年2月9日までの間に記録した日本軍による暴行事件や苦情についての記録を見ても、殺人は49件のみしか確認できず、しかもこれらは全く現場検証されておらず、中国人による一方的な訴えを書き記しただけのものでした。

 加えて、後にその訴えの一部を検証した南京日本大使館員は、訴えにあるような形跡すらなかったと証言しています。さらに、平成7年に、陥落翌日から翌年までの間に、南京市および周辺を克明に記録した記録映画『南京』も発見され、その映像には、語られるような数十万人もの虐殺が行われた町とは到底考えられない、平和な南京の様子が記録されていたのです。

2004/11/1(月)