2007年10月16日火曜日

日本海VS東海

 (名店街ニュース 2002年9月より)

――♪♪夢にー、敗れぇー、恋にもー敗れぇー、傷つきぃーながらぁー、一人ぃーしょんぼりぃー、夜汽車に乗ったー♪♪♪
――何の歌、それ?
――北島三郎の『日本海』だよ。
――へぇ、久しぶりだね。本橋の演歌。

 最近カラオケボックスに行くと、私はよく北島三郎の『日本海』という演歌を歌います。結婚するまでの十八番は新沼謙二の『嫁に来ないか』だったのですが、実際に嫁さんが来てくれてからはラルクアンシエル、T―ボラン、グレイ等々の中で気に入ったものを適当に歌っているといった感じです。しかし、韓国との間でおきている『日本海』の名称問題が最近クローズアップされるようになってからは、もっぱら昔のど演歌時代に戻り、サブちゃんのこの歌を気に入って歌っているフリをしながら、仲間たちに対してさりげなく日本の国家主権意識を今まで以上に持ち合わせてもらおうと画策しているのです。

 海の名称については世界中でさまざまな論争が巻き起こっています。例えば、イギリスが『ドーバー海峡』と呼ぶ海峡を、フランスでは『カレー海峡』と主張しています。中東の『ペルシャ湾』については、イランの対岸のアラブ諸国は『アラビア湾』と呼んでおり、地図などに名称の併記を要求しています。

 このような動きを見れば、日本も韓国側の要求を受け入れて、『東海』とするか、または譲歩案として『日本海・東海』の併記とするかといった提案が、一見もっともらしく出てきそうではあります。しかしこのような結論は断じてあってはなりません。

――おいおい、俺たちカラオケしに来てるのに。
――なんか、演説会っぽくなっちゃたな。

 そもそも『日本海』の名称問題が表面化したきっかけは何でしょうか。それは、国際水路機関(IHO)が、来年改訂予定の海図『大洋と海の境界』の最終稿から『日本海』を載せたページを削除し、8月10日頃にIHO加盟72カ国に対してその内容の是非を問う書簡を配布した事に始まります。もちろん、その背後にあるのは韓国政府の働きかけです。彼らの主張は『日本海という呼称が正式登録された1929年のIHO会合当時、朝鮮半島は日本の植民地支配下にあり、独立国としてそもそも異議を唱える事が出来ず、そのまま日本海という名称が一般化してしまった。歴史的には、日本海より、東海・東洋海・朝鮮海の呼称が古くから使われていた。』というものです。

 これに対して、日本政府の主張は『日本海は17世紀初頭、イタリア人宣教師の手による世界地図に登場し、その後、18世紀までは中国海・東洋海・朝鮮海などの表記もあったものの18世紀末以降は日本海が定着しているといった歴史がある』というものですが、果たして説得力があるでしょうか。ましてやこの問題を扱うのはどこかと言えば、外務省です。外務省はかつて、国際的認知のある『東シナ海』を、中国側が自国の視点からのみ名付けた名称である『東海』と呼んでいるからといってあっさりとそれに従い『東シナ海』を『東海』としてしまったと言う前科があるのです。韓国政府はこの事実をしっかりと見抜いた上で日本にプレッシャーをかけ続けることでしょう。

――それじゃぁ、『東シナ海』が中国の『東海』となってるとすると…
――まいったな、『日本海』は韓国の『東海』になっちゃうんだ。

 そこで諦める事はありません。やれ何世紀までは何と呼ばれていたとか、何世紀からはどこと併記されていたかとか、細かく歴史書を調べ上げてまで研究し、理論武装しなければならないと言う問題ではないと私は考えます。

 地球上のいわゆる5大陸が出現し完成するまでの地殻変動を想像してください。大昔、日本はユーラシア大陸とくっついたままでした。その時存在したのは『太平洋』だけです。やがて地殻変動が続き、ユーラシア大陸から日本が離れてゆき、同時に徐々にユーラシア大陸と日本との間に一定の面積をもった『海域』が出来てきます。それが今の『日本海』です。すなわち、日本が出来なければそこに在るのはただの『太平洋』であり、日本が出来たがゆえにある海域が生じたわけなのです。従って、日本が出来た事が原因で発生した海域という意味で『日本海』と命名されるのは当たり前だと私は考えるのです。

 外務省が是非ともこの当然の事実を韓国政府に対して主張する事を私は願ってやまないのですが、果たしてどうなる事やら…

2002/9/1(日)